17 : Day -42 : Kami-Shakujii
「で、お嬢の答えは、どうなんだい?」
机に座ってぶらぶらと足を揺すりながら問うケート。
「人間になった、ということの意味ですか? ええ。おそらく自然法の措定された時点、と考えるべきでしょうね」
ヒナノは静かに答える。
──自然法は、事物の自然本性から導き出される法の総称である。
人間を念頭に置く場合、それは「倫理」と意味内容がかなり重なる。
神、自然、理性、といった概念を法源とする、人間が生まれつきもっている、本源的な共通意識だ。
「さすが文系特進。法律の立場からのご理解とは、恐れ入ったね」
「理系の立場は聞き飽きたのでね。ゲノムとか突然変異とか解剖学的ヒトとか、そういう無味乾燥な言葉に」
「おやおや、法律とか哲学とか、そういう世界こそウィットやエスプリの介在する余地がない、ドライな利益相反社会じゃないのかい」
「法律は、運用こそ本質なのですよ。その潤滑剤は、しばしば紅茶です」
英語の通じるケートに、ヒナノが用いたのは「Wet the tea」という言いまわしだった。
ウェット・ザ・ティー(紅茶を淹れる)という慣用表現は、アイルランドでよく使われるイディオムだ。
それが単なるダジャレか高尚なエスプリかはともかく、あいかわらずケートとヒナノは仲がよろしくない。
部室の片隅で、チューヤとサアヤは、そんなふたりをアホの子のように眺めている。
「なんか意味がわかんないやり取りだね」
「当人同士には通じているらしいから、そっとしておこう……」
日本人の一般ピープル(バカ夫婦)は、こそこそと距離をとった。
別の片隅には、洗い物をするリョージと、寝こけるマフユがいる。
「おいマフユ、目ェ覚ませ」
「うっせえな、リョージ。あたしを起こしたかったら飯をつくれ」
巨躯同士というだけで、なんとなくお似合いだ。
「食ってすぐ寝ると太るらしいぞ」
「それはあたしに言ってるのか?」
「いや、健康にわるいだろ」
「じゃあ寝ながら食うよ」
あんぐりと口を開けるマフユは、おそらくいい夢を見ることだろう。
リョージがポケットにあったパンの残りを放り込むと、マフユは満足げにもぐもぐやっている。
それをすこし遠くから眺める、バカ夫婦。
「あれはあれでお似合いだね」
「一方的にリョージが損してねえか?」
愛を知るサアヤに、若い意見を返すチューヤ。
彼が、世の中、完全に平等な男女関係など、そもそも存在しないということを理解するには、まだ時間がかかりそうだ。
「チューヤはまだまだお子さまだね」
自分のことを棚に上げて大人ぶるのは、女子らしくもある。
チューヤはなぜか、自分の甲斐性なしを責められている気分になり、
「男子諸君、いまこそ立ち上がれ!」
部室に糾合をかける。
生ぬるい視線がチューヤに集まり、やがてゆるやかな流れが部室中央へ。
六角形のテーブルを囲み、6人の視線がなんとなく移ろい、まつろう。
「で、なんでリョージは、過去を知りたがった?」
口火を切ったのはケート。
「……オレが? なんの話だ」
「忘れたとは言わさん。キミは過去を知りたいと選んだな?」
だいぶ遡る話だが、たしかにチューヤとサアヤが現在、ケートとマフユが未来を選んだのに対し、リョージとヒナノは過去を知りたいと選んでいる。
「お嬢はわかる。考古学趣味が横溢してるからな。キミはなんだ、リョージ」
「ちっ、らしくねえってか?」
「人間はどこから来たのか、って顔かよ」
「はは、顔でひとを判断すんなって。──320万年まえのルーシーから、すべての人類ははじまったらしいぜ」
最近、リョージも古人類学というやつに親しんだ。
「よく見りゃキミの顔、ルーシーだな、ってなるか! 濃い顔だが」
「ウッキー!」
冗談めかして話題の収束を図る。
その会話に割り込むサアヤ。
「リョーちんはイケメンだよね、ヒナノン!」
「なぜわたくしに振るのですか」
「サル系のイケメンだな」
めずらしくマフユが加わる。
「けどさ、リョージが人類はどこから、ってちょっと唐突じゃね? ケートの多元宇宙とかブラックホールは、無茶苦茶わかっけど」
チューヤが「全員の問い」としてまとめた。
しばらく部員たちの視線を集めてから、リョージはひとつ咳払いをした。
自分から話柄を開いていくことに慣れてはいないが、彼には言うべきことがあった。
「……聞いた話だ。ルイさんと欧陽先生が、話してた。人類をここまで連れてきたのは、正しかったのか、とかなんとか」
一同、動きを止めた。
この流れは、かなり深層に食い込む。
ジャバザコクで見た「原初神」が太上老君とルシファーだったとすれば、文字どおり現生人類を生み出し、ここまで導いたのは──。
「ルイさんは知ってるけど、欧陽先生って……」
サアヤをはじめ、女子の視線がリョージに集まる。
「ああ、チューヤ以外はまだ知らなかったっけ。ケートは……」
「ボクも直接は知らん。だが、なにしろ敵の大ボスだからな。名前くらいは知ってる」
「大ボス? またおまえは、そうやって問題を大きく……」
ともに中華料理店を訪れたチューヤはリョージに側に立つが、ケートの反論は的確だ。
「必死に矮小化したがるキミのほうが問題だぞ、チューヤ。いいか、ルシファーは太上老君と近しい関係にある。どういう関係かは、まだよくわからん。そうとう深い関係があるらしい。欧陽先生ってのは、その太上老君のことだ。──そうだな?」
「ああ、まあ、なんかそうらしいな」
そこまでは周知だろう、というリョージの視線を受け止めるのは、マフユ。
「中華街にかかわっていて、知らないやつはいねえよ。川東連合だって、そのチャイニーズの名前聞いたら、あんまり無茶はしないくらいだ」
「そ、その欧陽先生が、リョージの中華料理の先生なのかなー? なんちゃって」
そちら側へ問題が広がった時点で想定を超えた、残念なチューヤ。
「ああ、まあそうだな。それから武術みたいのも、最近習いはじめてるぞ」
「聞き捨てならないな。そもそも道教のボスと、キリスト教最大の悪役がつながっているのは、あまりにも……」
「胡乱、ですわね」
ヒナノも興味を抱かずにはいられない。
──東京を分断する、四大勢力。
中華系、インド系、唯一神系、そして原初暗黒系。
だれが生き残るのか、まったく予断を許さない。
「あのー、中庸日本神話系、っていうのは数に入れてもらえてないんスかね?」
チューヤの言葉に、一同はようやくそのことを思い出した、という表情。
彼自身の存在感は、役に立っている度合いに比べて、あまりにもなさすぎる。
遠慮がちに挙手するサアヤ。
「仏教系の少女もここにいるよう」
「日本は神仏習合だから、キミたちはいっしょくたでいいだろ」
「えー?」
声を合わせて不満を呈するチューヤとサアヤだが、相手にしてはもらえなかった。
そこで突然、マフユが冷たい口調で言い放つ。
「──踊らされてんだよ、おまえらも全員、結局な」
「も? じゃあおまえは闇の連合に、どんなダンスを仕込まれたんだ、蛇女」
ケートとマフユが絡むと、必要以上にヒリつく。
緩衝材を自任するサアヤに、しかたなく乗っかるチューヤのいつもの姿。
「レッドスネーク、かもーん」
「ピー、ヒョロヒョロヒョロ~、ってバカな話は」
「おいといて。フユっちは、悪魔にこの世界を売りわたす側なの?」
まとめるサアヤの問いは、全員の問いでもある。
──この6人のなかで、たしかにマフユだけが異質なのだ。
彼女は敵かもしれない……すくなくとも、味方ではない。
「そんな悲しそうな顔すんなよ、サアヤ。どっちがマシかは、それぞれが選べばいいし、それぞれが選ぶしかないだろ。……全体がぶっ壊れるんだよ。もう、どうしようもなくな」
マフユにしてはめずらしく、その言葉には一抹の哀愁があった。
「オレたちは一応、それをなんとかしようって側のつもりなんだが」
「ああ? どんな名前の神様が支配するのか、って話か? じゃあ悪魔が支配するのも同じだろ」
「同じではないとは思うが……」
うまい言葉が見つからないチューヤに、
「いいや同じだね。拘置所の仲間が言ってたぜ。神さまはたいそうおいしく、罪人どもの魂をむしゃぶり食ってくれるってな」
マフユが視線を転じるさき、
「携挙です。それは救いなのです」
ヒナノが苛立たしげに応じる。
結局この話になると、全員が納得できる落としどころは消える。
しかも全員が異なる意見をもちながら、微妙に重なる部分をもっているところが、またいやらしい。ケートはわずかにうなずきながら、
「人間を餌にするってロジックは、まあ同じかもな」
「だが必要以上に殺す必要はないだろう」
「必要の範囲で殺すのはいいんだろ? じゃあ、いいじゃねーか。この世には、殺されてしかるべき連中ばっかりだ」
「けれど、それで全滅はしないでしょう。あなたの物言いは、地球そのものが滅びるくらいの勢いではありませんか」
「ああ、滅びるよ。それが、いつになるかってだけの話だ」
世界を滅ぼす。どんな物語でも、つねに悪役が口にするセリフだ。
勧善懲悪というシンプルな物語が愛好される時代は、長くつづいた。
自分たちは、その轍を踏んで生きるのか? それとも……。
「2億年後なら心配しなくても滅びてるぞ、不可避的な天文学的理由によって、人類なんてカケラもなくな」
「そんなにさきじゃねえよ。ま、長くて100年ってところだろうな。あたしは短いほうに賭けてるけど」
「賭けんなよ! 短いって、いつだ?」
「だから2か月後だって何度も言ったろ」
「言ってねえよ! いつもどんなやつらと、どんな話してんだよおまえ!」
全員の視線が、マフユに対してだけは厳しい。
彼女自身、そのことに慣れている。結局、彼女は「どうでもいい」のだ。鍋が食えて、サアヤがいるからここにいる。あとのことなど、知ったことか。
「ふん。むしろ、そこでさっぱり終わっちまったほうが、楽なんじゃねーかな」
「……なぜ、100年だ? 楽、だと?」
「あ? 絡むんじゃねえよ、チビスケ」
「おまえ、なにを知ってる? 長くて100年とは、どういう意味だ」
「人間なんて、ほっといても100年で死ぬだろ」
「まさか……」
「くっだらねえな! 2か月後に終わるんだよ、それでいいだろ」
ペッ、と吐き捨てて背を向けるマフユ。
彼女を覆い尽くしている闇は、あまりにも濃く深い。
──そのとき。
ピンポンパンポン♪ と、鳴り響くディナーチャイム。
ハッとして、スピーカーを見上げる6人。
「生徒の呼び出しを行ないます。民俗化学部、中谷、発田、東郷、西原、南小路、北内、以上6名、ただちに校長室に出頭しなさい。くりかえします。民俗化学部6名は全員、ただちに校長室に出頭しなさい」
ピンポンパンポン♪
ぶった切られた話のつづきをする場所が、どうやら決まったようだ。
こちらから行くつもりだったが、どうやら、むこうもそのつもりらしい。
話は早い、と言えるのか──。




