14 : Day -42 : Nerima-Takanodai
チューヤはひとり、廊下を歩いていた。
先刻、サアヤは職員室に用があると言って去り、リョージは仕込みをつづけている。
部室棟の廊下を歩きながら、そういえばまだ数理部のほうは立ち入り禁止なのか、と廊下のさきを確認しようとして曲がった瞬間、
「ぶっふぉん!」
そんな個性的な女子の悲鳴(?)と同時に、柔らかいものにぶつかる感触。
チューヤはバランスを崩しただけで済んだが、ぶつかってきた女子のほうはしりもちをついて、目のまえで抱えていた品物を盛大にばらまいてしまっている。
チューヤはあわてて駆け寄り、
「ごめん、だいじょうぶ?」
廊下で女子とぶつかる、というデフォルトな展開がついに俺にも訪れたか、などと感動している場合ではない。
ともかく相手を観察する。……どこかで見た顔だ。
まず特徴的なのは、ぐるぐるメガネに野暮ったい髪形。
やや小太りの体型に、一瞬、悪臭にも近いものを感じる、独特なニオイ。
なんらかの「お香」と思われる。
見回せば、彼女の正体を判定する助けが、たくさん転がっている。
使い込んだタロットカード、ヒビのはいった水晶玉、束ねられた木の枝のようなもの、首のところが絞められた人形、どろりとした中身の小瓶、毒々しい色をした鉱物のペンデュラム、ダウジングの金属棒、削られた骨、魔除け用ウィッチボトル、六芒星を象った護符らしきもの……。
要するに、オカルト要素が満載だ。
個性的な部活の多いわが校には、たしかオカルト部だか同好会といったものが存在したな……と、よけいなことを思い出した。
「はわわ、たいへんたいへん、拾わないと」
一見して危ない女子は、廊下に這いつくばって、転がったオカルトグッズを集め出す。
チューヤもあわてて、それを手伝った。
「ほんとごめん。壊れてない?」
触ってもだいじょうぶそうなものを選んで、いくつかの品物を拾い箱にもどす。
水晶玉のヒビは、だいぶ年季がはいっている。いま割れたというわけでもなさそうだ。
それを拾おうとする指が、触れた。
びくっ、として身をそらす少女。
彼女はようやく、目のまえにチューヤという男子が存在することに気づいたかのように、
「ドーマンセーマン、悪霊退散!」
黒い逆さ十字を手に、チューヤを退散させようと試みているらしい、と理解することにした。
どうやら、かかわらないほうがよい、と判断して立ち上がり、
「それじゃ、ほんとごめん」
逃亡を試みたが、
「だれかと思えば! そこにおわすは、鍋部部長の中谷くんではありませぬか!?」
──だめだ、逃げられない!
また、やっかいそうなことに巻き込まれた気がする。
自覚症状とともに、人定質問に応じるチューヤ。
「そのとおりだけど、正確には民俗化学部ね。そう言うきみは、えっと、たしかオカルト部の?」
「今年から同好会に格下げになったです。けどオカルト部と呼んでもらって、さしつかえないのですよ。同じ部長として、苦労をともにする覚悟であります」
ともにしたくないなあ、と思いながら、とりあえず落としたものは全部拾ったことを確認し、まだ座り込んだままの女の子に手を差し伸べる。
「えっと……やまだ……いや、たけだ……」
記憶の海を探るチューヤに、
「武撫子なのです。中谷チューヤくん、ひとの名前をまちがえるのは、たいへん失礼なのですよ?」
あんたもまちがってんだけど、という突っ込みは飲み込んだ。
「タケさんね。よろしく、中谷です」
「存じてるですよ。苦しゅうないので、拙者のことはタケ部長と呼んでもらって、さしつかえないですよ。……くれぐれも言っておきます、いいですか? 大事なことなので一度しか言いませんよ? それがしのことを、ブブ子とだけは呼んではいけません。大事なことです、忠告しておきますですよ。人間さまのことをブブ子と呼ぶのは、たいへんなイジメなのですよってに、断じて許されざるものでござる。何度でも言いますよ!」
突っ込みどころが多すぎて困るのだが、まず思ったのは、これはフリだろうか、という芸人的な疑問だ。
この点、能動的ボケ突っ込み要員としては、ただちに解決しなければならない喫緊の課題である。
武撫子……なるほど、ブブ子……呼びたくなる気持ちは、心から理解できる。
「ブ……部長」
最初の言葉を唇の端に乗せた瞬間のブブ子の視線だけで、これは口にしないほうがよさそうだ、と判断したチューヤの危機管理本能はかなり優れている。
ブブ子は「ぶっふぉん」と深呼吸して、言った。
「西東京部長連合振興会でも、隣の席だったですよ」
なんだそりゃ……と、思考停止するチューヤ。
必死に記憶の墓を掘り返すが、彼の数少ない部長エピソードには見当たらない。
「部長……連合……」
「次回の会合は、柿の木坂高校で開催予定の回覧板がまわってきたので、つぎにまわしておいたですよ。再来週の木曜日なので、予定を空けておいてほしいですよ」
「……あ、そう。わかった。それで、その連合会って?」
「西東京の絶滅危惧種クラブ活動の推進を図り、もって文化的多様性の巷を広げようという共同宣言、絶賛活動中なのですよ」
「……ええと、その」
「つまり、鍋部とかオカルト部とか、カバディ部とかVシネ研究会とか、その手の部活を運営する絶滅危惧的な西東京各高校の部長が集まって、互いの親睦と繁栄を図る年に一度の催しなのですよ」
「そういえば、出たような気が……」
チューヤの記憶の墓が、ようやく細く開かれた。
たしか昨年は、開催地が国石高校だった。
おかげで、どこにも出張ることなく参加を果たすことができた。
たしか終始、隅っこで話を聞いているだけで終わったことを思い出した。
正直、どんな話を聞いたかは、まったくおぼえていない。
「柿の木坂高校は目黒なのですよ。道に迷わないように、中谷くんにはエスコートをお願いしたいのですよ」
「ああ、そりゃいいけど……」
柿の木坂高校。
このキーワードがどれほどの意味をもつことになるのか、チューヤはまだ知らない。
一方、言いたいことを言いながら、ブブ子は拾い集めた品物を、ひとつひとつ手に取り、なにやらたしかめている。
効果は抜群だ、ぐふふ受信中、パワー充填完了、まだ舞える、という意味不明なつぶやきは、東京で暮らしていれば、ときどき駅前の裏通りや古本屋のまえなどで目にする人物で、ある程度はなれっこだ。
もはや、その独特の口調にも馴染みはじめている自分が腹立たしい。
この適応力こそ、変化する世界に飲み込まれず、戦い抜くための必須スキルなのだと思いたい。
「……やはり今夜、たいへんなことが起こりそうな予感がするですよ」
ブブ子は、タロットカードの山から一枚の「死神」を引き出して言った。
「ぜひ外れてほしいよ」
このときのチューヤは、まだ事態をあまり深刻に考えていない。
「こういう予感が当たるのは、マーティン・スコセッシの法則なのですよ」
おそらく『沈黙』を含意している。
──あらためて、ブブ子の姿を見つめる。
どこかサアヤに似ているものを感じたが、根本的に異なる気もする。
おそらくそれは、魔女と女魔術師の差に近いだろう。
両者はよく似ているが、魔女には「悪魔と契約した者」という意味が付け加わる。まさしく目のまえの女子からは、あきらかな悪魔のニオイがする。
一方、サアヤは契約に頼らず、あくまで道具として(主に回復)魔法を使っている。
ギリシャ神話には、メディアやキルケといった女魔術師が登場する。
メディアもキルケもきわめて邪悪であるが、悪魔との契約がないため魔女ではない、という考え方もある。
魔女は、それだけで邪悪である、という定義のほうが文化的脈絡としては説得力があるので、宅急便を運ぶのは魔女ではなく女魔術師であると考えたほうが、文化的には座りがよい。
言いやすいので便宜的に「魔女」という言葉を使うのはいいが、厳密には悪魔と契約がなければ「女魔術師」なのだ。
と、そのときチューヤは、三半規管に常駐するナノマシンがわずかに「警鐘」を鳴らしたことに気づいた。
それが目のまえの少女のせいなのか、それとも「場」そのものが発する危険信号なのか、判断する時間は与えられなかった。
ブブ子は秘密めかした口調で、ぐっとチューヤの耳元に顔を寄せ、ささやいた。
「拙者、ぼく、わたし思いますに。中谷くんはいいひとなのです。そこで秘密を教えてあげるですよ。オカルト部の隣には、数学部があるです。そこで、やばい儀式が行われていたですよ。拙者そのことについては存じおり候けれども、口にチャックしてるです……」
正確には数理部だが、ケートが何度訂正しても、みんな数学部と呼んでいる。
その理系特進クラスが集まる秀才部員のひとりと、商業科の女子生徒が情痴沙汰(?)を起こして事件となったのは、先々週の話だった。
以来、数理部周辺は現在も立ち入り禁止となっており、隣接するオカルト部もたいへんな迷惑をこうむっている、という。
知らんがな、と思いながらも、数理部の顛末についてはチューヤも興味がある。
なにしろ、思いどおりにならないオトコなんざ殺しちまえよ、とそそのかした元凶はマフユなのだ。
「もしかして、事件のこと知ってるの? だとしたら警察に……」
「口にチャックです! こんなこと言っても、だれも信じないですよ。けど、この世には、ほんとに悪魔がいるです。邪教というものがあるですよ。信じないかもしれないけどですけれども」
「いや、信じるよ。いるよね、悪魔」
「いると思います! こんなことを言うぼくを、アブナイ女子と思っているに決まってるです。だけど、悪魔はいるですよ」
「だからいるって。召喚できるし」
チューヤとしては踏み込んだつもりなのだが、
「そうです、これから召喚の儀式をするです。きょうは、生贄を買ってきてあるです」
ブブ子の動きは、やけにコミカルだ。
彼女は箱の奥に隠してあった、脂っぽい袋を取り出して見せた。
その隙間から、秘密のアイテムのように中身を見せる。
なんの変哲もない、
「……フライドチキン?」
「あとで、おいしくいただくです。そのまえに、悪魔召喚の儀式をするですよ。これを見れば、中谷くんも悪魔の存在を信じることになると思うです」
「いや信じてるから。悪魔はいるよ。召喚もできる。空間が境界化さえすればね」
自分はそちら側に立っている、と宣言するチューヤ。
そして彼は、じっとブブ子を見つめたが、彼女の反応から真意を見抜くことはできなかった。
独特な動きで、ぶふふ、ひょほ、と奇声というか奇音を発しながら、ふらふらと立ち上がり、歩き出そうとしているブブ子。
本格的にヤバいだけの娘かもしれない、とチューヤは思いはじめていたが、先刻ナノマシンが発した警鐘が、なぜか気になる。
と、ブブ子はふいにキテレツ人間の皮を脱ぎ捨てた「素顔」で、チューヤを見つめた。
「そこで、保険をかけるですよ」
「保険?」
「中谷くんに危険が及んだら、わたしが必死こいて助けるですよ。だけどもだけど、もしぼくが危険に陥った場合には、どうか中谷くんに助けてほしいのですよ」
「危険って、どういうこと……?」
「それは、その場になってみないとわからないです。最初からわかってたら、危険でもなんでもないですよ」
「なるほど」
「中谷くんのことを、信じてるです。放課後、もし、わたしが困っていたら、助けてくださいです。いいですね? 中谷くん、約束なのですよ? ぼくのともだち、出てこいチューヤン! 指切りげんまーん」
とす、っと小指を心臓のあたりに突き刺された感覚。
一瞬、何事かと視線を下げたが、そのときには眼鏡っ子の指は離れていた。
小さな魔術回路が組み合わされ、回転する感覚をおぼえたが、それ以上、追及する暇はなかった。
視界にシナリオ分岐が提示された──ような気がしたのは一瞬で、すぐにブブ子のあいまいな笑い声にかき消され、返答は保留のような形になった。
チューヤとしては、助けを求められたときには、できれば助けてやりたいと思えるくらいになった自分自身に、成長を感じたいと思ってはいる。
要するに、あまり無理のない範囲で、助けられるときは助けたい……。
「それじゃ、あの、また」
立入禁止のロープが張られている方向に立ち去るブブ子を、静かに見送るチューヤ。
また会うことがあるにちがいない、という確信だけは強く残された。




