美晴、皆でパーティーの準備をする(美晴視点)
美晴視点です。執筆は紅葉です。
「いやー、いい匂いですなぁ。朝ごはんをたっぷり食べてきたのにお腹が空いてきますよ」
ねこまんま食堂まで迎えに来てくれた古川家の専属運転手の駒村さんが、ハンドルを握りながらそう言った。車内は、あとは仕上げを待つばかりの食材が入ったタッパーやクーラーボックス、鍋なんかがたくさん積まれている。駒村さんは鍋の蓋がズレないように配慮してくれているのか、車の揺れをまったく感じない。
咲くんは、食材以外にも仕上げに使う調味料や包丁やまな板といった調理道具もすべて持ってきた。いわく、「井原さんが言うには、元カフェだったところを改装して、キッチンも使えるレンタルスペースってことだが、向こうに行ってからあれがない、これがないじゃ仕事にならないからな」ということらしい。まったくその通りなので、咲くんはすごいなぁと感心した。うちのパパなんか、家族でバーベキューをしに出かけたら、着火剤がない、マッチがないって大騒ぎだったのに。炭だけでどうしようって言うのよーと、ママが近くのホームセンターを調べて車を走らせてたっけ。
そんなことを考えているうちに、車の外の景色はいつのまにか都内に入っていたようで、おしゃれなビルがたくさん立ち並び、車の交通量も多く、歩道にはたくさんの人が歩いているのが見えた。
「この辺は大学があって、若い人も多いし、国際色豊かな場所なんですよ。流行りのカフェができたと思ったら、またすぐ別の流行のレストランに変わるって感じで、テナントの入れ替わりも早くてね、今回お連れするレンタルスペースも元はそんなテナントのひとつだったんです。今はレンタルスペースとしてパーティーに使われたり、たまにドラマの撮影にも使われたりしてるみたいですよ」
「へー、見たことのあるドラマかな。ちょっと楽しみです」
駒村さんは、おしゃれなビルのひとつに車を寄せていくと、地下駐車場の入り口の坂を下っていった。そして、エレベーターに近い駐車スペースに八人乗りの大きなワゴン車を見事に収めた。
「お疲れ様でした。では、お手伝いしますので、荷物を運び入れましょう」
折り畳み台車を組み立てて、咲くんはばんじゅうと呼ぶ薄型のコンテナを積み上げる。
「美晴、無理はするなよ」
「うん、気をつけて運ぶね」
咲くんは両肩にクーラーバッグを提げ持つ。気遣ってくれるのは嬉しいけど、咲くんの方が重たそうだよ。
「エレベーターはこちらです」
専属の運転手の方と聞いていたけれど、秘書みたいに細やかに気配りしてくれる。すごく親切だなぁと思いながら、駒村さんの案内で地下駐車場からエレベーターに乗って、八階に上がった。エレベーターの扉が開くと、目の前の大きなガラスドアに『レンタルスペース 山猫』とカッティングシールが貼ってあった。そのドアの横にステキなワンピース姿の夏世さんが立っていた。
「おはようございます、井原様。本日はよろしくお願いします」
「おはよう。玉野くん、美晴ちゃん。やだ、玉野くんったら、ここにはお父さんがいないんだから、堅苦しいのはやめにしましょ! こちらの方こそ、今日はよろしくね! とっても楽しみにしてたの。あ、もう時間ね。いま開けるわ」
夏世さんはそう言うと、ハンドバッグからスマホを取り出して操作した。それから、ドアの横にあるパネルのスイッチをいくつか押すと、ドアから小さな電子音が鳴った。
「途中の出入りでは施錠されないから大丈夫よ。レンタル開始五分前から開錠できて、レンタル終了時間の十分後にドアを閉めた時点で自動施錠されるんですって。パーティー中に部外者が入ってこないように施錠するなら中から手動で施錠はできるみたいだけど」
夏世さんがドアを開けながら言う。私たちは、それぞれ荷物を手に、夏世さんに続いた。
「では私は次の仕事がありますので、ここで失礼します」
駒村さんは運んでくれていたクーラーボックスを、入り口近くのカウンターに置くと、そう私たちに声をかけた。
「駒村さん、ありがとうございました」
「駒村さん、ありがとうございます。助かりました」
私たちはめいめいお礼を言うと、エレベーターに乗り込む駒村さんを見送った。
「さて、まずは窓を開けましょうか」
夏世さんの号令で、全部の窓を開けた。このレンタルスペースは度々使われているようで、テーブルや椅子には埃は積もっていなさそうだった。秋の爽やかな風が入り、室内の空気が入れ替わる。
ベランダ側には掃き出し窓があって、開けると広々としたテラスがあった。都会のビルに囲まれていながら、不思議と景色の中に木が多いことに気付く。
「思ったよりテーブルがあるわね。ビュッフェでお料理を取ったあと、着席して食べられそうね」
夏世さんが室内を見渡して言う。
「テーブルを動かしましょうか?」
「もうちょっとしたら、一平と優が来るからその時に動かすわ。玉野くんと美晴ちゃんは、お料理の準備を始めてくれていいわよ。そうだ、レンタルした食器類と大皿、カトラリーはキッチンに置かれているらしいから、数を確認しておいてもらえる?」
「わかりました。他にも何かあれば声をかけてくださいね、手伝いますから」
「ありがとう」
夏世さんがソファに掛けられた埃除けの布を剥がし始めたところで、大きな花束を抱えた優ちゃんと、大きな箱とクーラーボックスを抱えた一平くんが来た。二人は花屋に寄っていたから少し遅れてきたみたい。
「お待たせ。遅くなって悪い。咲、フードウォーマーこれな。蘇芳から借りてきた。ケーキスタンドと、飲み物入りのクーラーボックスはここに置いていいか?」
「ああ、助かる」
「お待たせしました! 夏世さん、何から手伝えばいい?」
「優はソファのカバーを剥がすのを手伝ってくれる? 一平はテーブルの移動をお願い」
夏世さんが一平くんにテーブルの配置を指示する。
優ちゃんと一平さんが動きだすのを横目に見ながら、私たちはクーラーボックスから食材の入ったタッパーを冷蔵庫に移していた。
「豆とベーコンの豆乳スープは温めるだけだから、調理台の上に置いておいてくれ。味噌ポテトとライスコロッケは開始直前に揚げる。まずは生春巻きから巻くか。美晴は戻り鰹の漬け丼用の米を炊いてくれ。研いできた米がそこに入ってるから、そこのペットボトルの水を使ってくれ」
咲くんの指示で、持参した五合炊きの炊飯器を手にコンセントを探す。あった、あった。
咲くんは野菜をほとんどねこまんま食堂の厨房で切ってきた。他にも事前にできることはすべて済ませてある。それでもローストビーフやサンドイッチは乾いてしまうので、こちらで直前に切り分けるつもりだし、味噌ポテトもライスコロッケも揚げるだけにしてきたとはいえ、こちらも熱いまま提供するとなると、パーティー開始直前は慌ただしくなること必至だ。
ビュッフェとなると、取り分けやすいように、小分けにして大皿に盛る必要があるらしい。小皿に彩りよく、見栄えよく、スモークサーモンのサラダを盛り付けた。それを大型のバットに並べて冷蔵庫にしまう。次は咲くんが巻いては切り分けている生春巻きを生ハムと茹でエビ入りに分けて大皿に盛り付ける。
「生春巻きが乾くから、湿らせたキッチンペーパーを乗せてからラップしといてくれ」
自分の手元を見ながら、どこで見ていたのか、ベストなタイミングで指示が飛んでくる。
咲くんのアシスタントをしているうちに、あっという間に時間が経っていた。カフェ風レンタルスペースは、お花が飾られ、お皿やグラス、カトラリーも準備万端にセットされて、すっかりパーティー会場に整えられていた。気付けば時計の針はパーティー開始の三十分前を指していた。咲くんが時計を確認して首を傾げる。
「兄貴、遅えな」
「そういえば……」
デザートはカフェ・プリマヴェーラの厨房で仕上げてから運んでくる予定だったので、もともとギリギリになるかもしれないとは聞いていた。とはいえ、そろそろ着いていなくては招待客が来てしまう。その時、夏世さんのスマホに着信が入った。みんなが夏世さんに注目する。
「はい、井原です。あ、飯田さん。えっ? そうなんですか? 迂回路もないところで? わかりました、対応を考えてみます。いつ渋滞が解消されるかわからないし、そのまま待っていてくださいね。また連絡します」
困った顔で通話をしていた夏世さんが通話を切ると、みんなの視線を受け止めた。
「玉野くん、スイーツを載せた車がひどい事故渋滞で動けないみたい。玉野くんのお兄さんを迎えに行ってもらった運転手からの電話だったの。最悪食事が終わるまでに間に合えばいいと思うしかないわね」
「一平さん……」
優ちゃんが物言いたげに一平くんを見上げた。一平くんが夏世さんに訊ねる。
「渋滞はどこだって?」
夏世さんは、よく事故が起こって渋滞になりやすい交差点の場所を口にした。
「ここで渋滞が起こると、場所が悪かったら、少し進めるようになるまで迂回路に入れないのよ」
「そこなら分かる。俺と優で迎えに行ってくるよ」
「迎えって……」
「すぐ戻ってくるから」
「ありがとう、一平も優も無理しないでね」
「分かってる。『気をつける』よ。一応、蘇芳にも『連絡』を入れておくから」
土地勘がない私には、その渋滞の場所がここからどの程度離れているのか分からないのだけど、迎えに行ける距離なら人手はあった方がいいかもしれない。スイーツは料理よりも細心の注意で運ばないと崩れてしまうから、きっと一人でたくさんは持てないはず。
「優ちゃん、私も行くよ」
「ううん! 美晴さんは咲さんの方をよろしくね。こっちは一平さんと私に任せておいて」
行ってくるね! と優ちゃんは、一平くんと共に白ワイシャツ、黒ズボンに黒のギャルソンエプロンといった服装で飛び出していった。
 




