僧装束の男と封印の鏡(美晴視点)
美晴視点です。執筆は紅葉です。
「はぁーい、呼んだぁ? ギンちゃん登場。お待たせぇ」
麻生くんの叫び声に、即座に応える声があった。あまりにもこの場にそぐわない明るい声で。
墨を溶かしたような森の闇から、かつて山の中で修行をしていた僧侶のような格好の背の高い男の人が出てきた。こんな危機的状況を見ていながら、その人の唇はにんまりと弧を描いている。
「あーら、誰かと思ったらタイチじゃないの。アンタ、封印しといたはずよね。何を勝手に出てきてんのよ」
柔らかい話し方をするその男性の、言葉の温度はかなり低い。その男性に笑顔で凄まれたとたん、咲くんはビクッと飛び上がり、鏡を奪おうと掴みかかっていた力が緩んだ。その隙に麻生くんは咲くんから距離を取り、その長い脚で咲くんを蹴飛ばした。咲くんは少し離れた場所に尻もちをつく。思わず、いつもの咲くんじゃないけど、あんまり乱暴なことしないでと喉元まで出そうになる。
男の人は私たちにウインクするとさらに歩み寄り、私たちを守るように、咲くんと麻生くんの間に立った。
「キュートなお嬢ちゃんたちに、可愛いボウヤ。ステキなお呼び出しをありがとう。
アタシはギンよ、よろしくね。ヨシノから話は聞いてるわ。そっちのボウヤはあなたたちのお友達よね。ちょーっと待っててね、すぐに楽にしてあげるから」
楽にってどういう意味? 助けてくださいお願いします! 私は思わずギンさんに聞こえるように叫んだ。
「あの、咲くんを助けてください! なんか変なの! 変なものに取り憑かれてるみたいなんです!」
「分かってるわよ。大丈夫──と、タイチ、アンタまた人間に入って悪さして。三百年前に人間の男の子に乗り移って、その子の親のヘソクリで水飴をたらふく食べて、ベタベタの口元のまま布団でゴロゴロしたわよね。他にも漁師が命の次に大事にしている網を食い破ったり、畑の大根を食い散らかしたりして、アタシにしこたまお尻を叩かれて怒られたの覚えてないの?
そのあとアンタ、アタシのことオネエって侮辱したわよね。一千年程鏡の中で反省しときなさいって言ったでしょう? そろそろ封印が緩む頃だと思って様子を見にきたらコレなんだから、全く懲りてないじゃないの。あ、ボウヤ、その鏡をこっちにくれるかしら。これは護身用にヨシノにあげた鏡だから、ヨシノに返しとくわね」
麻生くんがおずおずと赤い鏡を、手を伸ばしたギンさんの手のひらに乗せると、ギンさんはそれを大事そうに懐にしまった。咲くんの中の何かが咲くんの口を借りて叫ぶ。
「うるさい、うるさい! 封印の中がどれだけ寂しくて、どれだけつまらないか、オマエは知らぬだろう!」
「知らないわよそんなの。っていうか、封印の中が楽しいところだったら反省にならないでしょう?」
「ぐぬぅ。もう反省した! もう良いだろう?」
「ダァメ、ぜんぜん反省してないわ。もう、こっちの世界に封印しといたのがいけなかったのかしらね。ヒトの近寄らない島のはずだったんだけど、もうここではダメね。結界石は機能しているけれど、ヒトの出入りは制限できないもの。『狐火』」
ギンさんの上を向けた手のひらから、青い火の玉がいくつも浮かび、ふわふわと咲くんを取り巻く。イリュージョンのような光景を、私も優ちゃんも、麻生くんも呆然として見ていた。火の玉の明かりに照らされて、どこからか白い狐のお面を付けた浴衣姿の子どもたちが四人現れる。それぞれ手のひらサイズの小さな丸い鏡を手にしていた。
「ヒィイ!」
突然現れた子どもたちは、等間隔に咲くんを取り囲む。ギンさんが懐から出した大きめの手鏡から光が溢れて線を描き、子どもたちの持つ手鏡へと反射する。呻き、慄いて丸く蹲る咲くんを真ん中に光の五芒星が取り囲む。
「いやだ、いやだ! タスケテ、タスケテ!」
『捕縛術、結』
ギンさんの声で、五芒星はキュッと縮まり、咲くんの身体を光の帯で拘束した。私は、咲くんごとどうにかされるのじゃないかと、目の前の光景に胸が苦しくなる。
『封印』
「うううっ……ああっ!」
咲くんから黒いもやが出たかと思うと、ギンさんの持っている鏡に、それはスポンと吸い込まれた。ドサッと重いものが落ちる音に目を向けると、咲くんが地面に倒れていた。咲くんを束縛していた光の帯はもうない。
「もう彼に近寄っても大丈夫よ。気を失っているけれど休ませておけば大丈夫」
私たちは咲くんに駆け寄る。麻生くんが後で咲くんをおんぶして管理棟まで運んでくれることになった。
「助けてくださって、ありがとうございました」
お礼を言うと、ギンさんはふふふと楽しそうに微笑んだ。
「今回のことは悪い夢を見たと思って忘れることね。取り憑かれていた彼も、取り憑かれていた間の記憶はおそらく無いわ。タイチは連れて行ってお仕置きしちゃうから、もうコッチで悪さをすることはないから安心して」
「そう、なんですね。確かに咲くんに取り憑いてましたけど、それほど悪いことはしていないんです。私たちの作ったご飯も美味しいって食べてくれて。あの、だからそんなにお仕置き……酷くしないであげてください」
私がそう言うと、ギンさんは驚いたように目をぱちくりと見開いていた。そのあとクスクスと笑い出す。
「あの……?」
「そう、そんなに悪いことはしていなかったのね。あなた、得体のしれない妖にも優しいのね、面白い子。こいつはね、化イタチのタイチって言う妖なのよ。つまり人間からしたら、ありえないくらい長生きをして霊力を得たケモノね。小狡くて、つまらない悪さばかりして人間を困らせるものだから、友人に頼まれてね、アタシがお仕置きしてたの。ステキなバカンスをお邪魔しちゃってごめんなさいね」
「い、いえ」
狐のお面を被った子どもが一人、ギンさんの着物の袖を引いた。
「おやかたさまー、あのふたり、れいりょくがつよいです。さらう?」
子どもの言った内容にギョッとして、二人の姿を探すと、優ちゃんと一平さんの周りを子どもたちが取り囲んでいた。
ギンさんは優しく子どもをたしなめた。
「ダメよ、勝手に人間をさらっちゃダメ。それにあの子たちの力は霊力と似ているけれど、ちょっと種類が違うのよ。もっとお勉強しましょうね」
「あい!」
子どもが駆けて戻り、「さらわないってー!」と他の子に伝えている。優ちゃんと麻生くんがどこかに連れて行かれなくて良かった。
「じゃあ、アタシたちは帰るわ。あ、ヨシノが心配をしていたから、帰りに寄ってあげてね」
「ヨシノさん?」
「この赤い鏡を渡した香賀美神社の巫女よ。私のお友達」
「はい、必ず」
ギンさんはにっこり微笑んで鏡をしまった懐にそっと手を置いた。その後、子どもたちを集めると、来た時と同じように森の中に入って行った。どうやって帰ったのかとか、どこへ帰ったのかとか気になるけれど、知らない方がいい、そんな気がする。
その後、私たちは野外のテントで寝る気になれなくて、荷物を持って管理棟に戻った。意識を失っていると言われていた咲くんは、どうやら寝ているだけらしく、胸が静かに上下している。
「一平さん、大丈夫? ケガとかしてない?」
「ああ、大丈夫。あの呪文で恥ずか死しそうになった以外は。咲の中の何かに乗り移られそうになった時は気分が悪くなったけど。それにしても……今でも現実とは思えない。なんだったんだ……」
「本当だよね、ギンさんって何者なんだろ」
「ギンさん、悪夢でも見たと思って忘れた方がいいって言ってたよ。元凶は連れて行くから、もう心配はないって」
「そっか、良かった。ねぇ、このまま管理棟のソファーでみんなで寝直さない? なんだかテントで一平さんと離れて寝るのが不安っていうか……美晴さんも咲さんが心配でしょ?」
「うん、私も咲くんの側にいたい。確か倉庫に毛布があったはず。探して来るね」
「あ、美晴さん、私が行くよ。咲さんの側にいてあげて。一平さん、付き合ってくれる?」
「もちろん」
こうして私たちは、優ちゃんが持って来てくれた毛布にくるまって、管理棟のロビーで一晩を過ごした。色々あった疲れもあって、寝れないかなと思ったのにぐっすり熟睡してしまい、翌朝、ロビーのローテーブルに置いてあった無線機からの呼び出し音で目が覚めた。
というわけで、特別ゲストは紅葉作「異界の扉」(https://ncode.syosetu.com/n5517bt/)のギンちゃんでした!誰得?そりゃあひろた得です。