岩場の祠と異変(咲視点)
今回は咲視点です。執筆は紅葉です。
モーターボートで乗り付けた桟橋あたりは海が深くなっているだろうから、いきなり飛び込むのは危ないよなと一平と話し合って、遊泳用の砂浜に一平と出てきた。白い砂浜に、透明度の高い海は、小さな頃から店の手伝いでろくに海水浴など行けなかった俺にとってかなり心が浮き立つ。
持ってきたバケツやタモ、銛を砂の上に置いて、まずは準備運動のストレッチだな。
砂浜に来るまでの道のりだけでも、パイナップル、サトウキビっぽいものが植えられているのに気づいた。探したらドラゴンフルーツやマンゴーもどこかに植わっているんじゃないか?
今回のサバイバルツアーに俺たちを誘ってきたのは一平だ。古川とのやりとりも古川とは家族だからと一平が全部やってくれたし、ここまでの道のりも、一平も初めて行く場所だろうに、添乗員かよと言いたくなるくらいにマメに気を遣ってくれていたのが分かった。それだけに電波状況が突然悪くなり、無線機が使えなくなったり、頼んでおいた食料がトラブルで届かなくなったことに余計な責任を感じているんじゃないかと俺は心配していた。一平のせいじゃないのにな。
まあ、このくらいなら無人島らしくていいんじゃないかと俺は思う。あんまり不便なのは美晴や池田さんは困るだろうし、不測の事態は不安に思うだろうけれど、俺としてはこんな事態ごと楽しめばいいんじゃないかって思う。どうせ明日になれば古川たちも合流してバーベキューパーティーをして帰るんだからな。
「さすが南国って感じだな、この透明度」
再び道具を持って、海に入っていく。波の動きに合わせてサラサラと流れる砂で足の裏がこそばゆい。まだ責任を感じて暗くなっている一平に声をかけたら、急に夢から覚めたみたいに挙動不審になっていた。
「あ、ああ」
「一平は泳げるんだよな」
「もちろん。部活でも寒中水泳とかやらされるからな」
「げ、寒中水泳かよ。すげえな一平は」
「そんなんじゃねぇよ。うちの顧問の先生がヤバい人でそんな鍛錬が大好きなんだよ。強制でやらされんの」
「クククッ、空手部は大変だな」
「咲こそ、泳げるのかよ」
「泳げなかったら、魚を捕まえに行こうなんて誘わねぇよ。しかもこんな銛とか担いで。というか銛って、テレビ番組の《週末冒険者》じゃあるまいし、本当にこんなんで魚が捕れんのかよ」
「とか言ってやってみたくて仕方がないんだろ? じゃあ、桟橋の方に行くか?」
「おう、桟橋よりあっちの岩場に行かねぇ?」
「料理人の勘か?」
「《週末冒険者》の受け売りだよ」
軽口の応酬で少しは一平の気持ちも持ち直してきたらしい。あとは飯をいっぱい食わせてやらなきゃな。
しばらく行くと、海底がいきなりガクンと深くなった。透明度が高いと視覚で深さはよく分からない。が、獲物は見つけやすそうだ。岩場に近づくにつれ、海底に海藻がまとわりついた岩が増えてきた。そうそう、こういうところに魚が隠れているんだよな。
肺に空気を溜めて、一気に潜水していく。岩と海藻の間に赤い魚が潜んでいるのが見えた。毒はなかったと思う、たぶん。
何度か失敗して逃げられたりもしたけれど、一平と二人でそこそこの量の魚が捕れた。穴の小さな浮き輪の真ん中に海水を入れたバケツを埋め込んで浮かばせておき、紐をどちらかが掴んでいることにした。捕った魚をそこに入れていく。
「咲! タコ捕まえた!」
「マジか、すげぇ」
得意気に捕まえたタコをバケツに入れた一平だったが、タコはにゅるにゅると浮き輪の上を這って脱走。やすやすと海に逃げられた。それを見た一平が残念な悲鳴を上げるのを聞いて、大いに笑った。
「はぁ……腹痛え。なぁ、一平、あれはなんだろう」
どこか島の反対側から上がれる浜があるだろうかと、気にしていたらたまたま目に入った。島の一部を波で削りとったような崖の手前に、巨大な岩柱が二本、海にぶっ刺さっている。見ようによっては岩で出来た鳥居のようでもある。
「この岩、崖が崩れてこうなったのか?なんだかあの隙間、通れそうじゃないか? ちょっと行ってみるか。もっと近くで見てみたい」
一平も好奇心でうずうずしているのがわかった。分かる。あれは男の冒険心をくすぐるものだよな。
近づいてみると、やはり岩と岩の間に隙間があって、その中を通れるようになっていた。島に近づくにつれて海底も浅くなってきて、いま水面は俺たちの腰の高さだ。
薄暗い岩の間を通ると、小さな浜というか、岩でできた舞台のようになっていた。この大岩の隙間からしかこの浜には来られないような、秘密基地みたいな場所だ。そこに異様な人工物があるのが目に入ってきた。
「祠? ……神社?」
その違いは俺たちには大して分からない。石舞台の一部がくり抜かれて、木の格子の扉を付けた祭壇のようなものがあった。朽ちかけた格子の扉の奥に、古びて欠けた鏡のようなものがあるが、その鏡らしきものも輝きは失われて黒くなり、一部は緑青に覆われている。
「大して面白いものはなかったな。洞窟になってるとかなら面白かったのに。行くか、優たちが待ってるし」
「おう、そうだな」
昔のこの辺の漁師が、漁の安全のために海の神様を祭った、とかそういう祠だろうか。海の恵みを戴いたわけだし、手だけ合わせておくか。
普段そんなに信心深い方でもないのに、その時の俺は何の気なしに、その祠に手を合わせ、そして先に行った一平の後を追った。
『……ヌゥ、ヤハリ、完全ニ此奴ヲ支配セネバ、結界ハ抜ケラレヌカ……』
一平の後を追って泳いでいた俺の中で突然、変な感情が湧く。結界ってなんだよと思う気持ちと、何かに苛立っている気持ち。
何かに苛立っているような気持ちは次第に膨らんで、俺自身が小さくなってしまうような感覚がした。
遊泳用の浜まで戻り、驚いた。何も驚くことなどない。ほんの一時間ほど前と変わらない景色だというのに。なぜこんな思考が浮かぶのか。
『ナンダココハ』
俺の中のソレは、管理棟の建物を見て驚いていた。管理棟から美しい娘が二人、駆け寄ってきた。
「あっ、一平さん、咲さん、おかえりなさーい。たくさんお魚が捕れたね!」
「おかえりなさい。無事に帰ってきて良かった。ちょっと遅かったから心配しちゃった。あのね、管理棟の中を優ちゃんといろいろ見てみたんだけどね。小麦粉にドライイースト、コーンやツナ、コンビーフの缶詰なんかと調味料もいろいろ揃ってて、まるで食料が届かなくてもなんとか料理できるように準備してくれてたみたいで不思議だねって優ちゃんと話していたの」
「テントとバーベキューコンロも見つけたよ。でも小麦粉とドライイースト見つけたらピザを焼きたくなってきちゃった。お魚はバーベキューコンロで焼いて、ピザも焼こうかって話してたんだけど、咲さん、もし生で食べられるお魚があったらお刺身に捌いてもらってもいいですか? わさびと醤油も見つけたの」
「でもそれって食べ合わせどうなのって話してたのよね」
「でもあれこれ食べたくなっちゃって」
何を言っているのかさっぱり分からないがキャンキャンとよく鳴く娘たちだ。こやつらはこの身体の持ち主の仲間であろうか。今、こやつの意識は完全に乗っ取ったが、まだ身体が馴染まぬ。少し休むか。腹も減ったな。
「咲? どうしたんだ?」
「咲くん?」
「咲さん? 一平さん、私が何か気に障ることを言っちゃったかな」
「優、そんなわけないだろ。咲はちょっと疲れたんだよな」
男が馴れ馴れしく肩に腕を回してきたので、払い退けてやった。
「おい……!」
気色ばむ男を無視して、俺様は屋敷の中に入ろうとして気付いた。俺様以外の男に媚びを売っていた娘の方から忌々しい気配を感じたのだ。俺様を封印していた神の気配漂う封印具と同じ気配。憎い、再び俺を永きに渡って封印するつもりか。ようやく永き時をかけて風、塩、地震、そしてこの島に侵入した人間のおかげで封印から逃れられたというのに。
そうだ、こやつらの仲間のふりをして娘から封印具を奪い、壊した後に結界を抜けよう。完全にこの身体を手に入れれば可能なはず。そうだ、俺様かんぺき。
「すまんが、俺様にはサシミとやらはサバけぬ。娘ら疾く昼餉の支度をしてくれ。腹が減った」
うむ、これで怪しまれまい。
「へっ? 咲は料理しないのか?」
男が素っ頓狂な声をあげた。何かおかしなことを言っただろうか。しかし封印具を奪うためには油断させておかなくてはなるまい。歩み寄りも大事か。
「うむ、少し疲れたからな。まあ、支度を見ていてやってもよいが」
娘らと男は、顔を寄せ合ってゴニョゴニョと密談し始めた。なんだというのだ。献立の相談か?
「咲さん、なにか変なものでも拾い食いしたとか?」
「え、俺ずっと一緒にいたけど、そんなことしてなかったぞ」
「咲くんらしくないよ。人が変わったみたい」
「まあまあ、キッチンに連れて行けばなんだかんだ料理するんじゃ」
「そうだったらいいけど」
昼餉の献立が決まったのか、胸の大きな娘の方が俺様の手を引いて、どこかに連れて行こうとする。
「はいはい。お昼は管理棟のキッチンで下準備しようと思ってるの。ささ、咲様こちらへどうぞ〜」
「うむ」
俺様は案内されるままに屋敷へと入った。




