狐のおみくじと赤い手鏡(美晴視点)
本日は美晴視点です。執筆は紅葉です。
「思ったより早く着いちゃったね」
大きめのリュックをベンチに下ろした優ちゃんが、腕時計を見て言った。
今朝早くに家を出て飛行機に乗ってやってきた私たちは、空港からバスに乗り換え、小さなマリーナに到着した。ここからサバイバルツアーの施設がある銀鏡島まで行く船が出るんだって。ちなみにサバイバルツアーをする施設の名前はアドベンチャーリゾートしろみという。最初に聞いた時は、白身って卵の? と思ったけれど銀鏡と書いてしろみと読むらしい。
銀鏡島行きの船どころか、他の船もなくて、マリーナは少し寂れた雰囲気がする。今の時間がたまたまなのだろうか。
「まあ、飛行機の時間に合わせるとどうしてもな」
麻生くんが肩をすくめて言った。
「空港から路線バスへの乗り換えはスムーズだったよね」
「そうだな。免許を持ってる大人なら空港からレンタカーを借りて…… って言ってもここにレンタカーを何日も置いていくわけにはいかないよな」
「え、どうして? 待合所の隣に広い駐車場があったよ?」
咲くんたちが渋い顔をしている意味が分からなくて訊ねると、困った顔をして咲くんが答えた。
「いや、吹きっさらしだから潮風モロに受けて車が傷みそうだし、路上荒らしに遭いそうかなってな。それにマリーナから遠いからキャンプ用品持ち込みオッケーって言ってたけど、大きい荷物を運ぶのは無理がないか?」
咲くんの視線に合わせて辺りを見回してみた。国道沿いのバス停を降りて、閑散とした定期船乗り場待合所の中を通り抜け、階段を降りると、マリーナに来られるのだ
けど、海に面して左右に広がっており、手前に定期船の乗り場があって、桟橋が海に向かって伸びている。左側奥には小さな漁船が停泊しており、右側には個人所有の船らしい色とりどりのモーターボートが並んでいる。
アドベンチャーリゾートしろみへの小型船の乗り場は、個人所有のモーターボート群の近くの桟橋らしいのだが、たくさんのキャンプ用品を抱えて駐車場から歩き、最後にこの細い桟橋を通るのかと思うと、風に煽られて海に落ちそうになる自分を想像してしまった。
「どんくさい美晴なら落ちそうだよな」
ニヤッと笑った咲くんの二の腕をつねって仕返ししたけど、私もそう思います。麻生くんが首に手をやり唸った。
「だよなぁ、それも報告しとくか。咲、眠そうだが大丈夫か」
麻生くんがスマホのメモ機能に入力しながら、ブラックコーヒーを飲んでいた咲くんを気遣ってくれる。
「……大丈夫だ」
今朝の集合時間自体早かったのだけど、咲くんは、昨日遅くまでおうちの食堂の仕込みを手伝っていたみたい。いつもより二割増しにしかめっ面をしている。
「それにしても予定の出航時間までまだ一時間もあるな。どうする? この辺はスタバもミスドもないんだが」
レジャー開発業者である昴オリエンタルプランナーズの社員さんとこの桟橋で待ち合わせ島の管理棟の鍵をもらってから、銀鏡島への小型船に乗船する手筈になっているのだけど、まだその社員さんが来ていない。まあ仕方がないよね。私たちがこんなに早く来るとは思っていないだろうし。
それなら、と咲くんの袖を引っ張る。
「ん? 美晴どうしたんだ」
「あのね、時間があるなら行ってみたい所があるの。昨日調べてて、この近くに香賀美神社って所があってね、狐の形をした可愛いおみくじがあるの。どうかな」
「一時間以内に帰って来れるなら、まあいいんじゃないか? 一平と池田さんはどうだ?」
麻生くんと優ちゃんが顔を見合わせて、「うーん、神社かぁ」と言う雰囲気になった。あまり興味ないのかな、と思って、優ちゃんにこっそりと囁く。まあ、こっそりする必要もないんだけどね。
「優ちゃん、香賀美神社って恋愛成就で有名なんだって」
とたんに優ちゃんの目がキラキラと輝きだした。
「え、絶対に行きたい! 一平さん、香賀美神社に行ってみようよ」
「お、おう。いいけど」
「やったー!」
二人でハイタッチしたあと、スマホの地図で場所を確かめると徒歩で十分程しか離れていないことが分かった。
「美晴さん行こう!」
「うん」
私たち四人はマリーナを後にして、香賀美神社へと向かった。
バス停があった国道を山側に渡り、家と家の間の細い道を抜けて行くと、香賀美神社と彫られた石柱と、赤い鳥居が見えた。鳥居の向こうは石の上り階段で、階段の周りは木が覆い茂っている。
階段を上っていくと、左右に座る狛狐に出迎えられた。
「海辺の町に稲荷って珍しいよな」
「うーん、お稲荷さんって田の神様だったっけ」
「でも稲荷神社とは書いてないよ、ほら、主神は大綿津見神って書いてあるもの。
あ、でもお稲荷さんの社殿も境内にあるみたい。山側には稲を作ってるところもあるのかな」
優ちゃんが神社の案内板を眺めて首をひねる。
「で、海と田んぼの神様に恋愛成就って、どんな関係があるんだ?」
手水舎で手と口を清めた麻生くんが、鈴なりになった狐の顔型の絵馬を見て言った。合格祈願に病気平癒、良縁祈願と願い事は様々なようだ。
「うーん、わからない。とにかく先にお参りしよう。旅の安全もお祈りしなくちゃね」
四人並んでお参りしたあと、私と優ちゃんはお守りやおみくじを売っている場所に行った。素焼きの陶器に色を付けたコロンとした白狐の中におみくじが入っているらしく、ずらりと丸っこい狐が並んで、つぶらな瞳でこちらを見上げてくる。
「やだ、可愛い。どれにしよう」
「ひとつひとつ表情が違うのですよ」
お守り授与所の巫女装束のおばあさんが、狐のおみくじを示して言う。そう言われて注意して見てみれば、微妙に表情が違うのが分かる。
「え、どうして表情が違うんですか」
「ひとつひとつ絵付けしているのです。銀の鈴が出たら大吉。他のは白い鈴が入っています」
「え、どうしよう。優ちゃんどれ選ぶ?」
横にいる麻生くんをちらりと見た優ちゃんは、「銀の鈴…… これだ!」とひとつの狐を選んだ。私もちょっと咲くんっぽい顔をした狐さんを選ぶ。さっそく裏の封じ紙をぺろんと剥がすと、おみくじの紙と一緒に銀色の鈴が出てきた。
「わ、大吉出た!」
「美晴さんも? 私も!」
「ほほほ、運の強いこと。縁結びにはその鈴を紐を付けるなり、ストラップにするなりして肌身離さず持っているといいですよ」
おばあさんと優ちゃんと三人で盛り上がっていると、すでに飽きかけていた麻生くんが声を上げた。
「おーい、優、渡瀬さん、そろそろ戻らないと船が出るぞ」
その声に授与所のおばあさんがピクリと反応し、幾分か低めの声で聞き返してきた。
「船と聞こえましたが…… お嬢さんたちはどこへ行くのですか」
「え、銀鏡島ですけど」
急に怖いほどの真剣な表情になったおばあさんの迫力に戸惑いながら答えると、おばあさんはカッと目を見開いた。正直、怖い。ただならぬ雰囲気を感じたのか、咲くんと麻生くんも寄ってきた。おばあさんは私たちを見回して言う。
「銀鏡島には行ってはなりません。あの島の眠りを妨げてはいけないのです」
「俺たちそこに今度できる予定のアドベンチャーリゾートに行くんだけど、え、なにかまずいんですか?」
咲くんが訊ねると、おばあさんは真剣な表情で頷いた。
「遠い昔、この辺り一帯で悪さをしていた妖を旅の徳の高いお坊様があの島に封印したと言われているのです。みだりにあの島に近寄ってはならないのです」
「封印って…… 。そんな簡単に解けるものか?」
「妖は神の力を宿した神鏡に封じられています。その神鏡に傷でもつこうものならば、封印が弛む可能性はあります」
「そんな話は蘇芳から聞いてないけどな。おわっ、急いで行かないとやばいぞ」
蘇芳さんとのやりとりを思い出して首をひねっていた麻生くんが、腕時計を見て慌てて神社を後にしようと促すけれど、私と優ちゃんは、おばあさんの言葉が気にかかる。
「……どうしても行くのですか。ならばこれを持ってお行きなさい」
「こ、これは」
手渡されたのは可愛い猫のキャラクターとリボンがプリントされた赤い折りたたみの手鏡と、四つ折りにされた白い和紙だった。手鏡はおばあさんの私物? でもなぜ?
すでに狛狐のところまで戻っていた麻生くんと咲くんが私たちを急かすように呼ぶ声が聞こえる。
「困った時には助けを呼びなさい。呪文はここに書いてあります。それから祠を見つけても絶対に手を合わせてはなりません。邪なる妖を封じし祠を解放する印となります。わかりましたか、絶対に印を結んではなりませんよ」
心配そうな顔のおばあさんに見送られながら、私たちは咲くんたちに追いつくように走る。途中、咲くんが私の、麻生くんが優ちゃんの荷物を持ってくれて、全速力でマリーナへと走った。
普段から運動をしている麻生くんにとっては、このくらいのランニングは苦にならないのか息も上がっていない。最後までおばあさんの話を聞いていた私たちと違い、どこか余裕のある表情で麻生くんは言った。
「あの巫女のばあさん、変なこと言ってたけどさ、まあ大丈夫だって。俺と咲がついてるんだから」
「う、うん。そうだね。鏡は帰りに返しに行けばいいか……」
優ちゃんはぎこちなく微笑みながら、強引に手渡された赤い手鏡と和紙をサコッシュの中にしまった。
不安感に胸がざわつく中、マリーナに白い小型船が入ってきた。停まった小型船から蛍光オレンジの救命胴衣を付けたスーツ姿の男性が、マリーナへと向かう麻生くんの姿を見つけて、大きく手を振って駆け寄ってきた。




