バレンタインのために
今日と明日は2日連続で番外編を投稿します。
「すれちがいレクタングル」と次章との間のお話です。
本日は執筆紅葉、明日は執筆ひろたひかるでお送りします。
ではよろしくお願い致します。
二月某日、合同合宿を機に仲良くなった私と優ちゃん、南美ちゃんは、バレンタインのチョコレートを一緒に作る約束をした。作るのはクッキー生地の上にキャラメルナッツを敷いたフロランタンというお菓子。しかも今回はバレンタインデーということで、フロランタンにチョコレートがけまでしちゃうよ。講師は優ちゃん。楽しみだなぁ。
優ちゃんのアドバイスに従って、事前に冷蔵庫から取り出して常温に戻してあるバターが、ダイニングテーブルの上でポツンと待機している。
ピンポーン、と玄関の呼び出しチャイムが鳴った。玄関扉を開けると、昴学院料理部の優ちゃんと、南美ちゃん、そして文化祭の時に少しだけお会いした夏世さんがいらっしゃっていた。事前に一人増えることになったという連絡はもらってたんだけどね。何度お会いしても美しいお姉様って感じだ。蘇芳さんとお似合いのカップルだね。
「いらっしゃい、待ってたよ」
「こんにちは、美晴さん家のキッチンお借りしてすみません」と南美ちゃん。
「こんにちは、おじゃまします。急に一人増えてごめんね美晴さん。昨日も連絡したけど、私たちが美晴さんと一緒にお菓子作りをするって話したら、夏世さんも一緒にやりたいって言うから」
「優も南美ちゃんも渡瀬さんと一緒にお菓子作りするんだって自慢するのだもの。楽しそうだし、一緒にやりたくて。急に来てごめんなさいね」
「いえいえ、みんなでやった方が楽しいですし大丈夫ですよ! あ、みんなと同じように美晴って呼んでくださいね。さあさあ、みなさん上がってください」
「ありがとう。私のことも夏世って呼んでね、美晴ちゃん」
夏世さんがニコッと微笑んで、美しい所作で靴を脱ぐ後ろで、優ちゃんの笑顔が少し緊張しているように見えたのは気のせいだったんだろうか。ともかく、みなさんを玄関から、キッチンと間続きのリビングダイニングに案内する。
「えっと、みんなで調理するにはキッチンが狭いので、ダイニングテーブルの上で作業しようかと思うんだけど大丈夫かな優ちゃん」
「うん、準備ありがとう。美晴さん」
エプロンを着けて、手を洗い、それぞれが分担して用意した材料をテーブルの上に並べる。粉糖、小麦粉、アーモンドスライス、水飴、蜂蜜、チョコレート。
「優ちゃん、生クリームと卵は冷蔵庫に入ってるよ。もう出す?」
グラニュー糖の入ったキャニスターを棚から出しながら言う。
「卵は出しておこうかな、生クリームは使う前に出してもらうね」
「うん、了解」
ボウルや泡立て器もダイニングテーブルに出す。一気にテーブルの上は材料と道具でいっぱいになったね。
各自分担して、バターを練り混ぜたり、粉糖をふるったり始めるなか、ワクワクとした様子の夏世さんに声をかけられた。
「私は何をしたらいいかしら。あ、チョコレートを刻もうかしら?」
「そうですね、お願いしてもいいですか夏世さん」
「もちろん!」
「えっ!」
バターを練り混ぜてた優ちゃんが、恐ろしいことを聞いたように顔をあげた。
「まな板と包丁持ってきますね」
キッチンからまな板と包丁を準備をして来ると、夏世さんが板チョコレートの包みを剥がしてくれていた。夏世さんの前にまな板と包丁をセットして、少し後ろに下がる。
「ではお願いします」
「任せて!」
と、夏世さんは、おもむろに包丁を頭上高く振り上げた。私を含め、夏世さんの動きを見ていた優ちゃんと南美ちゃんも、ギョッとして叫ぶ。
「「「わーーーー!! 待ってください!!夏世さんそれダメ!! あ、危ない、あっ、あっ、あっーー!! 落ち着いて!! 落ち着いて!! ね、包丁一回まな板におろしましょう!!」」」
「どうしたの、みんな。私は落ち着いているわよ?」
キョトンと首を傾げる姿でさえ麗しいが、私たち三人はしばらく動悸が止まらなかった。あれ? 才色兼備そうな夏世さん、実はお料理はしたことがないのかも。
「えっと、包丁はちょっと……えっと、あの、小麦粉をふるってもらってもいいですか」
「いいわよ」
きれいな紙を敷いた上にボウルを置いて、カップ型のハンドルをにぎにぎすると粉がふるえるタイプの粉ふるいを渡し、使い方をレクチャーする。
小麦粉を計量している私の横で、粉ふるいをじっと観察する夏世さんを観察する優ちゃん、のボウルに少量ずつ溶き卵を入れる南美ちゃん。
「バターと粉糖が混ざったら、次は溶き卵を少しずつ入れて、分離しないように気をつけてね……」
優ちゃんのレクチャーを聞きながら、ザクザクとチョコレートを刻む。
「美晴ちゃんできたわ」
「ありがとうございます、夏世さん」
見れば、半分以上は紙の上に溢れているけど、ボウルに戻せばヨシ!
「そろそろアーモンドをオーブンで焼く?」
夏世さんがふるってくれた小麦粉を二回に分けて、ざっくり切り混ぜる優ちゃんに声をかける。
「うーん、このあと生地を休ませるから、アーモンド焼くのはそれからでもいいかな。休ませてる間にお茶にしようと思って、ホットチョコレートなんてどうかな」
「わぁ、美味しそう」
「簡単だから、教えるね」
手際よくまとめられたクッキー生地は、ラップに包んで、冷蔵庫で二時間ほど休ませるのだそうだ。
優ちゃんが焼いてきてくれたマフィンをリビングのテーブルに並べる。甘いものに甘い飲み物は少し辛いかもということで、まずは夏世さんが「これは私、自信があるのよね」とおいしいコーヒーを淹れてくれた。うちのコーヒー豆と器具を使って淹れたのにいつもと味が違うなんて不思議だ。
「夏世さん、蘇芳さんにホットチョコレートを飲んでもらえるように練習しませんか」
咲くんなら包丁を取り上げるんじゃなくて、きっと付きっきりで練習を見てくれるだろう。さっきは咄嗟に包丁から遠ざけちゃったけど、コーヒーだけは自信があると言ったときの少し寂しそうな表情が気になったから。料理したことがないのではなくて、苦手なのかも。そして、お料理ができるようになりたいと思っているのだと感じた。あ、でも独り善がりだったかな。私の勘違いだったらどうしよう。そう思って夏世さんの様子を伺うと、キラキラと瞳が輝いていた。
「私、やってみたいわ。そして蘇芳をぎゃふんと言わせてみたいもの」
そして、クッキー生地を休ませている間に、優ちゃんによるホットチョコレートの講習が始まった。夏世さんは、チョコレートを細かく刻むのはなんとかできるようになった。その後も牛乳を入れた小鍋をボコボコに沸かしてしまって、牛乳が吹きこぼれたり、膜ができたりという失敗を乗り越え、ついに夏世さんはレンジのミルク温め機能で牛乳を安全、確実に適温に温めることに成功した。各自ホットチョコレートのカップで手を温めつつ舌鼓を打つ。
時計に目をやった優ちゃんが、そっと立ち上がった。
「そろそろフロランタン作りに戻ろうか」
そして、二月一三日金曜日の夜。
優ちゃんと南美ちゃんのグループメッセージで、南美ちゃんが一日早く恋人にフロランタンを渡した話が共有された。もちろん私たち三人は、南美ちゃんの恋人が高木先生だという秘密を知っている。
「その場で食べてくれてね、美味しいって言ってくれたよ」
文面から南美ちゃんの嬉しそうな顔が思い浮かぶ。高木先生はでろでろにニヤけた顔でフロランタンを食べたんじゃないかな。
「良かったね」
「私たち頑張ったもんね」
「麻生先輩も玉野さんもきっと喜んでくれるよ。明日の夜にまた話を聞かせてね」
「夏世さん大丈夫かなぁ、今日ホットチョコレートを蘇芳さんに作ってあげて、ぎゃふんと言わせるって言ってたけど。手を切ってなければいいけどねぇ」
私のそのメッセージに、みんなが同じくあの覚束ない包丁使いを思い浮かべたのか、心配な顔をした猫とリスのスタンプが返ってくる。
「蘇芳さんが手を切らせないように気をつけるだろうから、大丈夫じゃないかなぁ、たぶん……」
優ちゃんの自信なさげなメッセージが、ポコンと着信音を鳴らせて画面に表示された。
(ホワイトデー小話に続きます。お次はひろたひかる様著です)