番外編 重箱の話(作:ひろたひかる)
「すれちがいレクタングル」番外編は1話だけ掲載します。
優と蘇芳のお話、執筆はひろたひかるです。
「ごめんなさい蘇芳さん、忙しいのに」
英稜高校との合同合宿を目前にしたある日、私は生徒会室に一平さんの義兄・蘇芳さんを訪ねていた。
「優ちゃんならいつでも大歓迎だよ」
そういって穏やかに微笑む様子は、一平さんとは似ていない容貌のはずなのにどこか共通するものを感じる。
「で、重箱だったね」
「ええ、合同合宿で正式なおせちを作ろうって話になったんですけど、重箱が手配つかなくて。正式なのって四段なんですって。でもうちにあるのは二段重しかなくて」
そうなのだ。おせちって三段重ねのイメージがあったけど、正式には四段なんだって。調べるともっと昔は五段もあったらしいけど。でも私の家は私と父さんの二人暮らしだから、三段でも多すぎるんだよね。だから二段のしかない。
「一平さんが『うちのは四段あった』って言うから」
「うん、確かにうちのは四段重ねだったな。何種類かあったと思うから、いくつか用意しておくよ」
「あ、いえ、ひとつでいいです。っていうのも英稜高校の料理俱楽部の人たちって料亭の家の子とかもいるみたいで、二つは手配がついてるんです。あとひとつこちらで用意できれば」
「なるほど、了解。準備しておくよ」
「そしたらこの週末お借りしに行きますね」
快く貸してもらえることになった。さすが、蘇芳さん。ありがたい。私はお礼を言って生徒会室を後にした。
そして週末。私は約束通り蘇芳さん達の家を訪ねた。が、玄関のところでばったりと生徒会副会長で蘇芳さんの右腕で親友の番匠さんと鉢合わせた。遊びに来たのかな。
「よう、池田さん」
「あれ、番匠さん。いらしてたんですね」
「いやー、暇で」
おかしいな、受験生じゃないのかな。内部進学っていってもテストはある筈なんだけど。そんな疑問には蓋をしてひとまず古川家のリビングに落ち着いた。ちなみに一平さんは部活でお留守だ。お茶をいただきながら話していると、古川家執事の駿河さんがやってきた。重箱を持ってきてくれたのだ。
「何種類かあるんだけどね、僕的にはこれがいいんじゃないかと」
蘇芳さんがそう言ってひとつの重箱を指さした。それは黒い重箱だ。滑らかな黒い漆塗
りに金色に細やかな松の木が輝いている。どう見ても高価そうでちょっと冷や汗が出てしまう。重箱を見た番匠さんも眉をひそめている。
「え、蘇芳さん、これずいぶん高価そうなんですけど」
思わず声に出してしまった。これ使うのは部活だからね? さすがにきらびやかすぎま
せんか?
「なあ蘇芳、これって」
私の疑問を番匠さんも感じたんだろう、蘇芳さんに問いかけている。けれど肝心の蘇芳さんはどこ吹く風だ。
「会津塗だってさ。僕も漆器には詳しくないけど、沈金って技法を使ってるらしくてね」
番匠さんがスマホを取り出して沈金って言葉を調べてくれた。ふんふん、漆を塗った上に刃物で文様を彫って金粉、金箔を埋め込む、と。
番匠さんがため息をついた。
「蘇芳、それはやめとけ」
「え、何で?」
「あっ、あの、私そんな繊細なものを部活に使えません」
「そう? 折角おせち盛り付けるなら華やかな方がいいかなって思ったんだけど。じゃあこっちはどう?」
他に持ち込まれていた重箱を指さした。やはり黒地に紅梅の木が描かれてる。
「蒔絵だよ。これも細工がすごく綺麗でしょ」
はい、綺麗です。そしていかにも高価そうで私は背筋に嫌な汗をかいてます。再び番匠さんが深くため息。頭も押さえちゃってる。
「だからさ、蘇芳……」
「え、これのほうが最初のより細工が細かくないって思ったんだけど」
そんなことはありません。すごく細かい細工だって思います。
「いえ、十分繊細ですよ。ねえ、番匠さん」
「だな」
番匠さんも大いに同意。うう、番匠さんがいてくれてよかった。私ひとりだったら蘇芳さんのペースに巻き込まれて高価すぎる重箱を持たされてしまうところだろう。
「ですよね。ですよね――あの、蘇芳さん、私達は高校生で、みんなこんな高価な漆器の扱いに慣れてるわけじゃないからどこかで傷つけちゃったりしそうでむしろ怖いです」
「そう? そんなに古くないからそこまで高価じゃないと思うけど。あ、繊細な文様が怖かったらこれは?」
そういって示されたのは赤っぽい重箱だった。今の二つに比べてキラキラした細工はないけれど、すごく上品な感じだ。赤地に黒っぽい色の文様が描いてあって――あ、彫ってあるのかな? 落ち着いた中にも華やかな雰囲気だ。あの金細工ぴかぴかのより安心できるかも。
「これは?」
「これは輪島塗って言ったかな、確か」
「へえ、輪島塗―― って、あの輪島塗? ですか?」
思わずおうむ返しに聞き返してしまった。派手な装飾は確かにないけれど、そもそも輪島塗ってかなりいいお値段するんじゃなかったっけ? 何だか胃が痛くなってきそうだ。
「まあまあ、道具は使わないともったいないんだよ。それにこれなら金箔がはげる心配もないし、輪島塗ってかなり丈夫だって話だから安心して持って行って。どうしても気になるようなら貸すんじゃなくて優ちゃんにあげるよ?」
「それは余計に怖いんで、全力で遠慮させてください」
結局どれかひとつを借りなければならない私は、その赤い彫りの重箱を借りていくことにした。帰りがけに番匠さんがこそっと囁いてきた。
「いや、あの常識知らずが池田さんに高価すぎるものを貸そうとして困らせるんじゃないかって一平が心配しててさ、あいつの代わりに来たんだけど。一平の予想通りだったな」
「そうだったんですね。ありがとうございます」
お礼を言うと番匠さんはニカッと笑って手を振ってくれた。私は重箱の包みを抱えて家路につき、合同合宿では「すてきな重箱」とみんな気に入ってくれたのだった。
後日、何となく漆器の重箱についてネットで調べているうちに、美術館の収蔵品にそっくりな重箱を見つけてしまった。借りた重箱と違うのは、美術館のものは五段重で同じ柄の手提げがついた重箱だってこと。説明を見ると大正時代に作られたものだとか。
恐る恐る蘇芳さんに聞くと。
「ああ、これね。確か同じ職人のシリーズらしくて。だからうちにある重箱は美術館の重箱の兄弟みたいなものかな。あそこまでの価値はないと思うけど、多分」
やめてくださいいいいいいいい!
美晴さんたちには絶対に言えないな…… 。
「すれちがいレクタングル」はここまで。
明日からは新章「無人島バケーション! ~ホラー展開はおよびじゃありません~」に突入します。引き続きよろしくお願いいたします。