涙と女子トークと事件と(優視点)
優視点のお話です。執筆はひろたひかるです。
だめだ、頭の中ぐちゃぐちゃだ。
一平さんの演武は本当にかっこよかった。ビシッと決まってて、スピードもキレもすごかった。また惚れなおしちゃうくらい。なのに演武が終わった後すぐ女の子たちに囲まれて笑ってたのを見ていたら、すごくすごく悲しくなってきた。
私のことを信じてくれてない一平さん。なのに他の女の子には笑うんだ。突然ひとりで放り出されたような気がして、ううん、うまく説明できないけど、胸の奥が痛くてつらくて。
私はひとり武道場から駆け出してしまった。
合宿一日目の夜、英稜と昴学院とで交流を持とう、って意味合いで女の子だけで集まった。みんな料理が好きな子たちばっかりだから話が弾む。すぐにみんな仲良くなった。
そんな中でちょっと浮かない顔をしてしまっていたのは自分でも本当に申し訳ないと思っていた。どうしても気持ちの整理がつけられなかったんだ。下手に合宿活動に逃げてきちんと一平さんと向き合わなかったのがいけないんだろうか。好きなことに夢中になれば気持ちが切り替えられると思ってたんだけど。思わずため息を漏らしていたのに気づいてくれたのが美晴さんだった。他の人に気づかれないようそっと話を聞いてくれようとしたけれど「ちょっと彼とけんかしちゃって」って答えるのが精いっぱいだった。
だから私のことを気にかけてくれていたんだろう。外に飛び出した私を美晴さんが追いかけてきてくれた。
「ちょ、ちょっと待って優ちゃん!」
息を切らせながら上着の袖を掴まれて私も足を止めた。
「美晴、さ」
「ごめんね、気分良くなかったよね?麻生君にみんな群がっちゃって」
「ち、ちが……美晴さんの、せいじゃ」
「うん、でもほら――辛かったでしょ? はい、これ」
「え」
美晴さんが差し出してくれたのはかわいい猫の刺繍が入ったタオルハンカチだ。差し出されて気がついた。私、泣いてる?
美晴さんは私の手にハンカチを握らせて、少し離れたところにある自動販売機を指さした。暗がりの中、そこだけぽつんと明るくて、横に置かれたベンチが少しだけ照らし出されている。二人で連れ立ってベンチに座った。あたりはすごく静かで、自動販売機の稼働音が妙に大きく聞こえる。
「――ごめんなさい、実は合宿に来る前からけんかしてて」
少し泣き止んだので美晴さんに事の顛末を話した。一平さんが私を信じてくれてない、って。
「うーん、私も麻生君のことよく知っているわけじゃないけど、ちょっと違う気がするなあ」
話を聞いた美晴さんはそういって小首をかしげている。
「違うって?」
「麻生君が合宿をねじ込んだ理由、ね」
「――」
「ねえ優ちゃん、麻生君とちゃんと話した方がいいと思うの」
「でも――」
「今の話を聞いてると、けんかしてからちゃんと話し合ってないんじゃないかな? ひょっとしたら合宿についてきたのも優ちゃんが思っているのと違う理由かもしれないよ」
違う理由? そんなのあるのかな。
でもちゃんと話していないのは本当だなあ。私、あの時怒って一平さんの話を何も聞か
ずに店を出ちゃったし、その後も避けてたし――
「はい……話して、みます」
「よかった」
美晴さんがにっこりと笑ってくれた。癒される。
「さ、寒いから中に戻りましょ。何か温かいもの、飲みたくない?」
「あ、じゃあお詫びに私が淹れます――ね…… 」
言いながら立ち上がった美晴さんの向こう、自販機の光が照らす向こうに暗がりから人影が出てきたのが見えた。その手が伸びて美晴さんを掴もうとしている。
「美晴さんっ!」
思いっきり美晴さんにタックルしてそのまま二人で地面に転がった。自販機の前は普通にアスファルト舗装の道で、ちょっと痛い。見上げると美晴さんを掴み損ねた人物がすごい形相でこちらをにらみつけている。全身黒づくめの男の人で、ニット帽を被り、手袋をはめた手にはギラリと光るナイフがこちらを向いている。
「ひっ」
息を詰める音を漏らしたのは私か、美晴さんか。どうしよう、怖い。何とか上半身を起こして美晴さんとギュッと抱き合うけれど、震えてしまってお互いそれ以上動けない。
男の人が私たちの方にゆっくり近寄ってくる。
「くそ、ここなら爺と婆しかいないと思ったのに、なんでこんな時期に合宿なんかしてんだよ――いいか、声を出すなよ?」
ブツブツと悪態をつきながら一歩、また一歩と近づく。
「こうなったらお前ら人質にして逃げ延びてやる。おい、立て」
立てと言われても動けないよ! でもどうしよう、私が外に出たせいで美晴さんを危険な目に遭わせせちゃってる。何とか美晴さんを逃さなきゃ。
浮かんできたのは大好きな彼の顔。ああいやだ、あんなに怒って避けてたのに、いざという時には彼を頼りにしちゃってる。でも、でも――男の人が今度は私の腕を掴んだ。ぐいっと引っ張られて立たされる。
「優ちゃん!」
「やっ! 離して」
「静かにしろ!さもないと」
男がナイフを私に向ける。ギラッと自販機のライトが反射して冷たく光った。怖い。怖くて体が固まってしまう。ナイフを突きつけられたまま背後から男に拘束され、逃げられない。
けれどそのナイフを持つ手を誰かが掴んだ。怒気をはらんだ低い声が響く。
「――てめえ、触んじゃねえ」
「いっ! いててて! 離せっ!」
「一平さん!」
一平さんだ。見たこともないような怖い顔で、男の人をにらんでいる。一平さんの顔を見た途端、恐怖で強張っていた体から力が抜けてへたりこんでしまった。
「くそっ、離せよ!」
「ほらよ」
男の人を放り投げるように突き飛ばした。へたり込んでしまった私から離そうとしてくれたんだろう。けれど男は転ぶまでは至らず、態勢を立て直してすぐにナイフを構えなおした。一平さんを狙ってる!
でも一平さんは焦るどころか落ち着いている。
「おまえ、ニュースでやってた強盗だな?」
「だったらどうしたよ」
「強盗相手だったら手加減しなくていいなって意味だよ。勝手に優に触りやがって。他の男の視界に入れるのだって嫌なのに。ただじゃおかねえ」
「いきがってんじゃねえよ! ぶっ殺してやる!」
男の人――強盗犯がナイフを握りしめて躍りかかる。一平さんはそれをちょっと体をよじってかわし、すれ違いざまに強盗犯のお腹めがけて拳を入れた。
「ぐえっ!」
強盗犯がうめいてそのまま地面に崩れ落ちる。その隙に男が取り落としたナイフを蹴って遠くへ飛ばし、さらに起き上がろうとする強盗犯の背中に向けて真上から肘を落とした。
今度こそ強盗犯はつぶれてしまい、一平さんがその上に馬乗りになって押さえつけた。
あっという間の出来事だった。
「池田さん! 渡瀬さん!」
建物の方から声がして、高木先生と林先生が走ってくるのが見えた。その後から合流した空手部の人たちと先生たちとで強盗犯を縛り上げ、警察に連絡を入れている。ふと見ると美晴さんのそばにはもうとっくに玉野さんがいて、震える美晴さんをぎゅっと抱きしめているのが見えた。
すぐに警察が来て強盗犯を連れて行った。私と美晴さん、一平さんは当事者として話を聞かせてほしい、って言われたんだけど、もう遅いからって明日の朝一にしてもらった。
やっとひと段落ついて、談話室で南美が淹れてくれたココアを飲んだ。温かくてホッとする。美晴さんもココアを飲んでいる筈だ、食堂で。けれど私は談話室で飲んでいる、そして談話室には私と―― 一平さん。
「まずは謝らせてほしい。無理やり合宿についてきて、迷惑をかけてごめん」
向かいの席に座っている一平さんが頭を下げた。
「ううん、もういいの。助けてくれてありがとう」
「それとこれとは話が別だ。今回のこと、ちゃんとお互いに思ってることを話した方がいいと思うんだ」
「うん、私も美晴さんにそう言われた」
「渡瀬さんに? 俺、玉野に言われた」
心配してくれたんだね、あの二人。
「――で、何でも言ってほしい。きちんと聞いて受け止めるから」
「――うん」
そして私は話した。一平さんに私の気持ちを信じてもらっていないと悲しくなっちゃったことを。すると彼は目を丸くして慌てだした。どうやら私は一平さんが思ってもみなかったことを言ってしまったみたいだ。
「そんなわけあるか! 俺は、他の男が優に近づくのが嫌で、そばにいて守りたかっただけで」
「――そうなの?」
「ああ。優が他の男になびくかも、なんて考えもしなかった。俺は優を他の野郎に見せるのだって本当は嫌なんだ。誰にも見せたくない、俺だけの優だから」
そう言ってからはぁ、と大きくため息をついてうつむく一平さん。
「――こんな独占欲丸出しでごめん。自分でも気にはしてるんだけど」
「ううん」
静かに立ち上がって一平さんのそばに行った。横で膝をついて、うつむいたままの一平さんの手にそっと自分の手を重ねる。
「私もちゃんと自分の気持ちを伝えなかったから―― 私の方こそ一平さんを疑っちゃってたんだね。本当にごめんなさい」
「いや、そんなことは」
「さっきだって演武すごくかっこよかったのに、女子が取り囲むの見てたら悲しくなって。私だって一平さんのこと独占したいっていつも思ってるよ?」
「優――嫉妬してくれたんだ」
「嫉妬……? うん、そうだね」
一平さんの腕が伸びてきて私の背中を包み込む。そのまま一平さんの胸の中にすっぽりと閉じ込められてしまった。髪を指で梳かれて涙が出そうなくらい幸せでうれしい。独占したいし、独占されたい。大好きだから。
「仲直り、してくれるか?」
「うん。ごめんね」
「俺の方こそごめんな」
もう一度ぎゅってされて、それから額にやさしく唇が降ってきた。額に、目尻に、頬に、そして唇に。ほんの触れる程度だったけど、胸がいっぱいになってしまった。
助けてくれてありがとう。やっぱり一平さんは私のヒーローだ。
これからはちゃんと話し合おうね。ずっと仲良くいられるように。
そうして私達は「もう休みなさい」って高木先生が声をかけに来るまでの少しの間、二人きりで抱き合っていたのだった。




