嫌な予感とはたいてい当たるもんだ(咲視点)
咲視点のお話です。執筆は紅葉です。
合宿二日目の朝の目覚めはすっきりとは言いがたい。
合宿一日目にしていろいろありすぎた。なかでも高木先生の誘いで行った昴学院の文化祭で、料理部の手伝いをすることになり、美晴が売り子を手伝っている時に、あからさまに美晴に近づこうとしていた男どもとの再会には参った。
全員、麻生と同じ空手部の連中だったんだな。
俺たちが玄関ホールで集合している時に乱入してくるわ、飯の支度を手伝うと言っては厨房に入り、指をちょっと切ったぐらいで大騒ぎして、美晴に手当てを受けようとしたり、配膳を手伝えば美晴と会話をしようとしてくる。くそっ、合宿中だからって美晴と二人きりになるのを我慢している俺がバカみたいだ。
そんな鬱憤を腹の中で抱えながら遅い時間に一人で風呂に入っていたもんだから、風呂に入ってきた麻生につい不満をぶつけてしまった。麻生は麻生で、恋人の池田に近付く梅本に不満を持っていたことを聞かされた。梅本は、普段から開けっ広げに明るく、人懐こい性格で、お調子者だ。軽い調子で誰にも話しかけているから、気にしてなかったが、確かに麻生からしたら嫌だよな。あれで言って分からない性格でもなし、一言、池田にはちょっかい出すなと言っておくか。
あ、池田だけじゃない、藤田にもか。あのあと風呂に入りにきた高木先生に捕まった俺らは、高木先生の個室に引っ張って行かれ、消灯までの小一時間、みっちりと惚気と麻生と同じように梅本への不満を聞かされた。麻生のように、公に「俺の彼女だ」と言えない分、高木先生の不満は根が深そうだ。しかし、そういう覚悟の上でのお付き合いなのだろうし、なんだかんだと事情を知ってる奴の前では好きにやってるように見えるんだがなぁ。
起床時間より早く起きてしまった俺は、手早く着替えて顔を洗った。薄い髭だが、生えないわけではない。梅本と金剛寺の寝息を聞きながら身繕いを済ませた。
今朝の朝食当番は、薬師寺達か。
誰もいない厨房に入る。昨日の調理が終わったあと、綺麗に片付けたから調理台にもコンロの上にも何も出ていない。冷蔵庫を開けてみる。綺麗に整頓されたタッパーが並んでいる。おせち作りの課題の食材ばかりだ。
今朝は味噌汁を作る予定じゃなかったか?本当なら昨夜から煮干を浸けておいたら楽なんだが。
ブチブチと煮干しの頭とハラワタを取り、鍋に張った水の中に放り込んだ。
そうしていると食堂の扉が開いて、麻生が顔を出した。
「早いな、麻生。残念だが、つまみ食いするようなもんはねぇぞ」
「おはよう玉野。いや、腹は減ってるけど、水を取りに来ただけだ」
麻生は食堂にある小さな冷蔵庫から、ペットボトルの水を取り出して一口飲んだ。食堂にあるのは、個人的なものを入れておける共用の冷蔵庫だ。ただし、名前を書いておかなくてはいけない。
「今から走りに行くけど、玉野も行くか?」
口元を肩からかけたスポーツタオルで拭いた麻生がロードワークに誘ってきた。そうだな、これ以上薬師寺チームの仕事を奪うのも良くないし、かといって一人で外に出るなとも言われているから散歩もできやしない。
「ああ、行く」
誰かと一緒に走るのは、自分のペースで走れないから案外大変だ。
「麻生、自分のペースで走れなかったろ? 悪かったな」
「いや、玉野って普段走っているのか? 現役運動部と一緒に走れるとかなかなかやるな」
「まあな」
息を整えながら合宿所へと戻る。とりあえずシャツだけでも着替えようと部屋へ向かうと、まだ眠たげな顔をした奴らが廊下をうろうろとしていた。部屋へ入ると、金剛寺が枕を抱いて幸せそうな顔で寝ていた。しかたねぇな、起こしてやるか。
午後のおせち料理作りで、一晩ソミュール液に漬けてから、午前中乾かしておいた鴨肉を、宿舎の外で燻製にすることになった。梅本が誰か一緒に行こうと女子たちに声をかけているのを聞いて、頭が痛くなる。梅本には悪いが、池田も藤田も彼氏持ちだ。もちろん美晴と二人きりにさせるつもりもない。
「ウメ、俺が付き合ってやる。美晴、そこのドアを出てすぐのところにいるから、なんか分からないことあったら声かけて」
「分かった」
ちょっと緊張した顔の美晴も可愛いな。
外で火を使うし、匂いも広がりそうなので、燻製をすることは、管理人さんに声をかけて許可をもらっている。
今回このための燻製器は薬師寺に持っている奴に当たってもらって高木先生にお借りした。まだ新品同様の有名キャンプメーカーの燻製器だ。
これで藤田といつかキャンプデートに行こうと買っていたんじゃないだろうか。
一番下の金網にはスモークチップをアルミ皿に乗せて置く。そしてその上の金網に梅本が鴨肉を慎重に乗せていた。
「なぁ、梅本は池田が気になっているのか?」
梅本はビクッと飛び上がる。何も言わないので、追い討ちをかける。好きだと言っても言わなくても言っておかねばならない。
「池田は空手部の麻生と付き合っているそうだぞ。麻生もここに来ているんだし、あんまり誤解されそうな態度を取るなよ。本気じゃないなら余計なトラブルしょいこむだけだぞ。まあ、ウメが池田に本気なら麻生と殴り合う覚悟でぶつかってみればいいんじゃないか?」
骨は拾ってやるとそういうと、梅本は涙目でふるふると首を横に振った。
「あ、それから藤田も付き合っている奴がいるらしいからな、ちょっかいかけるなよ」
相手が誰とは言えないが、かなり面倒くさい奴だからな。
夕食の後、空手部が武道場で演武を見せてくれることになった。なんでも合宿中、うまい食事を提供したことと、迷惑をかけた礼のつもりらしい。
夕食後片付けを済ませると、武道場に移動した。グラウンドやテニスコートが玄関側だとしたら、武道場は宿舎である本館の裏手側にある。本館は横に長く、一階は玄関から向かって右から食堂、ミーティングルーム、玄関ホール、談話室、管理人室、大浴場があって、二階が男子部屋。三階は女子部屋となっていた。武道場に行くには食堂とは反対の浴場側に本館一階を移動し、その先に出るドアを通り、雨をしのげる屋根のある廊下を渡って武道場に着く。ドアを出たとたんに寒気にさらされた。関東ではまだ温暖な方とはいえ冬だからな。
ふるりと震えた美晴に気付いて、着ていた上着を肩にかける。
「咲君が寒くなるからいいよ」
美晴が風邪を引くと俺が嫌なんだよ。それにだな、できればそのぴったりしたセーターの胸元を隠してくれ。
「いいから着て」
「……ありがとう」
本館の裏手は森に囲まれていると聞いていたものの、わりと広く拓かれていて、小さめの体育館のような武道場と、学校にあるサイズの二倍あるんじゃないかっていう大きさの体育館、金網に囲まれた細長い弓道場があった。さすが金持ち私立校は半端ねぇな。
武道場に入ると、空手部の連中はすでに空手着に着替えて待っていた。俺たちが全員入って、壁際に沿って座ると、演武が始まった。
演武って何かと思ったら、オリンピックの中継でも見た型の披露のことだった。一年生が一人ずつ気合いの入った声をあげながら型を披露していく。これは複数の敵に囲まれているのを想定して闘っているのだそうだ。次に、二年生のうち三人が出てきたぞと思ったら、三人で演武を始めた。これはすごい。三人の動きがぴったりシンクロしていて、難易度が高いのが分かる。
最後に麻生が出てきた。型のキレも、気合いも最初にやってた一年生と比べて、練度が違うのがはっきりと分かる。
あいつ、すごい奴だったんだな。
演武を見て血湧き肉踊る風に興奮した男どもとは別の意味で、女子たちもその迫力に興奮したらしい。特に英稜の美晴を除いた女子たちは、空手部の連中が最後の礼をしたとたんに麻生たちに駆け寄った。なにやら、きゃあきゃあと黄色い声で、感動を伝えているようだ。いきなり行ってしまったが、まあ、向こうの顧問も渋い顔をしていないから、無礼ってこともないのだろう。
それにしても麻生は人気だな。さぞ、池田はいい気持ちではないだろうと視線を移すと、今にも泣きそうな顔をした池田が、身をひるがえして武道場を走って出て行った。俺より先に池田の心情を慮っていたらしい美晴が、池田を追って出て行ってしまった。咄嗟に藤田も走り出そうとする。そりゃ、親友だもんな。心配だよな、と思っていると、薬師寺が
藤田の二の腕を掴んで引き留めた。
「こういうときは、あんまり大人数で行くのもなんだし、ここは美晴ちゃんに任せとこう?」
「でも、優が……」
心配そうな藤田の瞳が揺れる。
「優ちゃんが落ち着いて戻ってきたら、南美ちゃんが話を聞いてあげればいいよ。温かくてあまーいココアとか用意して待ってようよ」
無言で頷く藤田の肩を支えて薬師寺が武道場を出て行く。
鈴村や柏木たちに囲まれた空手部の連中は完全にやに下がっているが、麻生は飛び出す池田を目撃していたのか、動くに動けずに戸惑っている様子だった。俺は麻生に近付く。
「今は美晴が付き添っている。後で談話室に来いよ」
誰にとは言わなくても通じたようだ。先に武道場を後にする。背後で戸締まりをしたい森下先生の生徒を追い出す声が聞こえた。
あ、美晴に上着貸したままだったな。
談話室に先に着いた俺は、部屋に設置されているテレビの電源を入れた。宿舎内で生徒がテレビを観られるのは、この談話室だけらしい。とはいえ、絨毯がふかふかで、ソファーが置かれている談話室は無駄に豪華だ。なんというかそう、文化祭の時に会った古川蘇芳に似合いそうだな。
演武を観ていたら思ったより時間がかかっていたらしい。遅い時間のニュースがやっている。ローカルチャンネルなのだろう。見たことがないキャスターが映っていた。
麻生と話をしたら、早く風呂に入らねぇとな。美晴と池田は戻って来ただろうか。施設内とはいえ、建物の外に出ていないだろうな。やけに嫌な予感がして、じりじりとした気分で麻生を待つ。時計の針が進むのが、やけに遅い気がした。
「ごめん、待たせた」
麻生も麻生なりに急いで来たのだろう。空手着のまま麻生は談話室に入ってきた。ちら、とテレビがニュースを流しているのを見てから、視線を合わせてきた。
「余計なお世話だとは思うけどさ、麻生、池田に謝ったか?」
麻生はぐっと息がつまったような顔になった。
「いや、まだ。なかなか時間合わなくて」
「まあそうだよな」
それはすごく分かる。料理部同士でもなかなか二人きりにはなれないんだ。同じ場所で合宿しているとはいえ、部活が違うのだからなおさらだろう。しかし、
「お前ら、端から見てもこじれまくっているぞ。はやく謝って仲直りしろよ」
「分かってるんだけどさぁ」
麻生が頭を抱えてしゃがみこむ。その時、テレビのキャスターが、やけに真剣な顔で声を張り上げた。
『速報です! 先ほど神奈川県美蒲市羽山町のコンビニエンスストアで、強盗傷害事件が発生しました! 犯人はいまだ逃走中です。警察は付近の警戒を強めていますが、住人の方々は夜間の外出を控えてください。被害者は二十代の女性、左肩を切りつけられた模様。救急搬送され今も手当てを受けています。繰り返します、犯人はいまだ逃走中、夜間の外出は控えてください。お帰りの最中の方々も細心の注意を払ってください。犯人の特徴は黒いジャンパーに……林や森に逃げ込んだという目撃情報もあり、そういう場所には近付かないで……』
「おい、これヤバくないか」
「麻生、ここって羽山町、だよな」
「優と渡瀬さん、どこに行ったんだって?」
「しらねーよ、美晴しか追いかけてねぇんだ。おい、麻生、探すぞ!」
「おう!」
「俺が先に先生たちに知らせて、女子に宿舎内を探してもらうから、男は外だ! 空手部でも絶対に二人一組だぞ。犯人がもしいたらナイフ持ってるからな! 気をつけろよ麻生!」




