おせち料理の調理開始とお約束(美晴視点)
美晴視点のお話です。執筆は紅葉です。
「仕込みに時間がかかるものから、取りかかっておいてください」
内海先生はそう指示を出してから、都さんと金剛寺君を連れて、高木先生とともに買い出しに出ていった。
「じゃあ始めるか」
咲君の声にしのぶさんがこくりと頷く。
「せっかくだし、おせち作りも食事当番の班分けでやりましょうよシェフ。せっかくの交流合宿じゃないですか」
梅本君が咲君にそう突然言い出した。英稜の料理倶楽部内ではすっかり定着している『シェフ』呼びだけれど、昴学院の部員たちは頭の中にハテナマークが飛び交っているんじゃないかな。
「面倒なことを言い出すなよ、ウメ」
咲君が梅本君を鋭い視線で見る。梅本君の発言を聞いてから顎に手を当てて難しい顔をして考えこんでいたしのぶさんが、「ちょっと待って」と手を挙げた。
「玉野君。それもいいかも。面白そうじゃない」
咲君の眉間に力が入って怖い顔になる。昴学院の部員たちの顔がちょっと強張る。あっ、これ全然怒っている顔じゃないからねと、こそっと隣にいた優さんに囁くと、優さんはほっとしたように表情を緩めた。
「それぞれのグループで作るレシピはもう決まってる。それぞれの技量に合わせたレシピを考えてきているはずだろ? いまさら他のヤツが考えたレシピを作れって言われて作れるのか?」
「そこは二年生がフォローすればいいでしょう? それに競争でもなんでもなく、後でみんなで試食してディスカッションするんだし、その方が合同合宿の意義に合うと思うわ。それに、いざとなったら内海先生もいらっしゃるし、玉野君もいるじゃない!」
しのぶさんの説得力のある意見に、思わず皆がうんうんと頷いてしまう。それを見た咲君が、はぁ、と反論を諦めたようにため息をついた。
「それでいくのなら、今、買い出しに出てる鈴村と金剛寺のいる江波の班はろくに下ごしらえが進められないだろ?」
「あら、大丈夫よシェフ。私と有紀ちゃんとで進めとくから」
陽子ちゃんがコロコロと笑って答える。
「わーかった。皆もそれでいいんだな? ならいいよ。じゃあ、どの班がどのレシピやるかサクサクっと決めるか」
それぞれの部内でアイデアを出し合い、全体にまとまりのあるおせちとして完成させたレシピが、ちょうど三つあった。おせち料理は、祝い肴、口取りで構成される一の重、海の幸の焼き物の二の重、酢の物の三の重、山の幸の煮物の与の重が基本なのだそうだ。その基本を踏まえつつ、個性豊かなアレンジレシピが加えられている。
もともとおせち料理は、その素材の意味合いの他に、日持ちするものを詰めるものらしいのだけど、昨今、百貨店や料亭で買うおせち料理なんかは、冷蔵庫の普及や流通の発達のおかげで、結構生ものなんかも入っている。でも今回は三日かけて作り、最終日の昼食に合わせて試食をし、さらにそれぞれお土産に詰めて持って帰ることから、試食会の寸前までは、作ったものから冷蔵庫で保管をするとはいえ、お刺身や傷みやすいものはなるべく使わない、傷みそうなものは試食会で食べてしまい、持って帰らないルールになっている。その辺、どれから調理していくかも勉強になるよね。
レシピはくじ引きで決めることになった。リーダーが引き当てたレシピを皆で頭を突き合わせてのぞきこむ。
「筑前煮ならまかせて」
「合鴨の燻製って難しそうじゃない?」
「時間がかかるやつから取りかかろう」
咲君がそれぞれの希望を聞きつつ、担当を振り分けていく。
しのぶさんの班からは、「こんなの作り方分からないんだけど」という悲鳴に似た声も上がっていた。
「私も分からないわ。玉野くーん!」
と、しのぶさんが咲君にさっそくヘルプを呼び掛ける。
「後で行くから、ひとまずレシピをググっとけ」と、咲君の声が飛んだ。いつもの料理倶楽部の雰囲気はこんな感じなんです。昴学院の皆さん、荒っぽくてすみません。
「ただいま戻りました」
と、野菜てんこもりの段ボールを抱えた金剛寺君と、お肉やお魚の入ったエコバッグを両手に提げた都さんがキッチンの隣の食堂に入ってきた。二人はずいぶん仲良くなってきているみたいで、先に段ボールを食堂のテーブルに置いた金剛寺君が、都さんの荷物をさっと受け取って冷蔵庫に運んで行くところなんか、まるで新婚さんみたいに見えた。
続いて入ってきた高木先生と内海先生は、作業を始めている私達を見て神妙な顔で何か話し合うと、高木先生は食堂を出ていき、内海先生はエプロンをかけて手を洗いキッチンへと入ってきて、それぞれの進行具合などを確認して回りはじめた。
鴨肉を漬けるソミュール液を咲君のレシピで小鍋に煮立てていると、優さんが洗って水に浸けた黒豆の入ったボウルを抱えたまま、ソソソッと寄ってきて私だけに聞こえるような声量で囁く。
「ねぇねぇ、もしかして美晴さん、玉野さんと付き合い出した、とか?」
「えっ!?」
ボワワっと顔に熱が集まる。
やっぱり、と優さんはにんまりした。
「まだ誰にも言えてないから内緒にしてて」
同じく囁き返す。優さんはコクコクと頷く。
「いろいろ聞きたいですけど、今夜のお楽しみにしておきます。後でたっぷり聞かせてくださいね」
「もう、優さんたら」
「優ちゃんでいいですよ」
「私も南美ちゃんって呼んでくださいね」
「うん、わかった」
「なになにー? 池田さん、手伝おうっか?」
「梅本さん、私のお手伝いはいいので、数の子の薄皮取り頑張ってくださーい」
「はーい。あ、藤田さん、レンコンの飾り切りするの手伝おうっか?」
「もう、梅本さん。私も一人で大丈夫ですよ。数の子の薄皮取りを頑張ってくださーい」
「はーい」
梅本君はとても楽しそうに周りに声をかけながら、数の子の薄皮取りに励んでいた。数の子は塩抜きにとても時間がかかるので、あらかじめ下ごしらえしてから持ってきていた。これは薄皮取りが終わったら三日目まで調味液に漬け込む予定なのだ。
下ごしらえの済んだものは、ラップや袋にマジックで班の名前を書いておく。冷蔵庫の中でごっちゃになって間違いがおこったら大変だからね。焼いたり、煮込んだりといったメインの調理は明日かな。揚げたり、盛り付けたりの最終調整は三日目の仕事になる。
「こんなものかな。ねぇ、玉野君、ちょっと早めに終わったから、うちの班は夕食の仕込
みしてもいいかな」
しのぶさんが、鳥もも肉にごぼうを巻いてタコ糸で縛った鶏ごぼうロールを入れたタッパーを冷蔵庫にしまってから言った。先にフライパンで焼き目を付けてから、甘辛に炊いてある。照り照りになった鶏の皮が飴色になっていて、とても美味しそうだ。にしんの昆布巻きを煮る鍋の前で火加減を見ていた咲君が返事をする。
「ああ、わかった。仕込みに入ってくれ」
「りょうかーい!」
…… ちょっとだけ、しのぶさんと咲君の仲がいいなってもやもやしちゃう。咲君が頼りになるから、頼りたくなるのは分かるんだけどね。えいっと小魚を炒っていたフライパンに合わせた調味料を入れた。じゅわ!っとすごい音がして、すぐにブクブクと煮立ち始めて慌てる。
「美晴、火を消して熱いうちにくるみとゴマを入れろ」
「あ、うんっ」
ああ、焦げ付かなくて良かった…… 。
夕食のメニューは、鶏胸肉のチキンカツと、ポテトサラダ、大豆とひじきの煮物、カボチャのチーズ焼き。チキンカツにはキャベツの千切りとくし切りにしたトマトが添えられている。私たち料理部の女の子たちの盛り付けに比べて、空手部の男の子たちの盛り付けは倍くらいある。本当にこんなに食べられるのかな。空手部の人たちが座るテーブルの近くに、大きな炊飯器を置く。
「渡瀬さん、ありがとうございます」
配膳を手伝いに来ていた空手部部長の水谷さんからお礼を言われてしまった。
「いえ、あの、すごいですね。これ全部食べれちゃうんですか?」
てんこ盛りにされたチキンカツが目に入る。丼鉢にしのぶさん特製のタルタルソースが入れられて置かれていた。水谷さんが白い歯を見せて笑顔を見せる。
「食べますよ。昼も夜もこんなにご馳走を作っていただいてありがとうございます。料理部さんたちも合宿だというのに、面倒をおかけして本当にすみません」
「いえ、私たちも練習になるので気にしないでください」
「残さずいただかせてもらいます。野菜嫌いの柿沼にもちゃんと食わせますんで!」
「ちょっと部長! なにバラしてんですか!? やめてくださいよ」
「お残しはダメですよー」
と、野菜たっぷり味噌汁を運んでいた南美ちゃんが、柿沼さんに微笑みかけた。
「はいっす!」
柿沼さんは、いい笑顔で返事をした。
配膳が済み、自由時間を満喫していた他の部員や先生たちも集まって夕食の時間になった。林先生、内海先生、高木先生、森下先生の四人がお代わり用の炊飯器や、お味噌汁の鍋が置かれている机の前に並んで立った。四人とも真剣な顔をしていて、これからいただきますの号令をするという顔には見えない。高木先生が代表として口を開いた。
「皆に連絡がある。空手部には先に伝えているが、最近この近くで強盗の被害が立て続けに起こってるそうだ。ナイフで脅して鞄や貴重品を奪って逃走しているらしい。犯人はまだ捕まっていない。いずれも夜間に襲われている。警察もパトロールを強化しているし、犯行があった場所とここは少し離れているが、念のために夜間は合宿所の建物から出ないこと。昼間も外で一人にならないように気をつけて欲しい」
「空手部はロードワークで施設の外にも行くが、腕に覚えがあっても無茶はするなよ」
高木先生に続いて森下先生もそう付け加えた。




