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秋の貞子

 「私は何ができるのか。それを探して八千里。未だ答えは見つからぬ。」

 ペンネーム「ゆり」作の小説「唯の孤島」を、貞子は自室の乾いた香りが漂う部屋で読んでいた。主人公である唯少年は、普段はおとなしい性格ながら、スポーツをした途端まるで人が変わったかのように、すべての人に笑顔で快活に話しかける性格に変わる。そうしてその運動を辞めるとまた元に戻るという特性をもつ。作中登場するいわゆる名言と呼ばれるフレーズの数々に、感動するわけではないけれど、十四年の今までの歳月の内で、いくつか共感があった。まだまだ本を読み進めていたいと思いながらも、目がしばしばしてきたので読書を中断しようとした。

 気づいたら朝になっていた。学校へ向かう。いつもの日常である。あまりにも風景の変わらない駅までの通学路と、気だるそうな顔をした大人たちを眺める電車内の日常には、2年生ながら既に飽き飽きしていた。

 貞子はクラスに数人の友人がいた。人間関係には特段支障がなかった。「さっきの新担任の表情、硬くねー」特にこの加羅とは価値観が合うところが多いなと感じていた。スポーツ万能でありながら、クラスの中心であるヤンキー女子とはあまり関わらない、珍しいタイプだった。「まあ普通でしょ」そそくさと言葉を返し、次の授業へ向かう。そうしてすぐに下校の時間になった。

 下校して帰ってからというもの、貞子はずっと本を読んでいた。そう、「唯の孤島」である。貞子は主人公に対して奇妙だなと思いつつ、つい笑けてしまっていた。明くる日も本を読み進め、ついに3日で1万字は超えるその本を読了した。貞子はこんなに人生で読書に夢中になったことは無かった。

 次の日、いつものように学校へ行くと、3時間目に体育でサッカーをする事を知った。「へーサッカーだってよ」と加羅。「うん」あくまでも冷静だな、と貞子は自分ながらそう思った。自分の感覚としてサッカーが割に得意かなと感じていた。不思議と靴紐をきつくしばっていた。「何そんなに張り切っちゃって」

と加羅。「いや全く。めんどくさいよ」と返した。

 試合が始まった。11対11の紅白戦で、残り14名は試合の観戦や審判をするという構成であった。試合早々貞子にチャンスはやって来ていた。味方の空ちゃんが、ボール側での軽いフェイントから一気に4人抜きし、中央にいた貞子へパスが来た。一気にそのまま振り抜く。

「ゴール!」

 チームメイトの4,5人が貞子のもとへと来て、口々にすごい、すごいと言ってきた。

「それより、ゆうちゃんの趣味は?」「ねえ、昨日のダメトークでのツッコミ、おもろかったよね!」

 突然の唐突な貞子の話し振りに周囲はキョトンとしていた。そりゃそうだ。自身でも何を言っているかわからなかった。脳が処理する間もなく、すでに口からベラベラと言葉が突いていくのだ。

 それよりも不思議な経験を貞子はしていた。チームで何かをしたことがなかった貞子にとって、人と何か苦労を分かち合い共に喜ぶことの面白さを初めて目の当たりにしていた。さらにその体育の授業中、話したこともないクラスメイトと親友かのようにベラベラ話しかける自分が休まることはなかった。

 明くる日以降も、貞子は運動をすると勝手に話し上子になるという現象はなくなることはなかった。

 夏休みになり、母の勧めで5年以上会っていない叔母の家に訪れることになった。一人で新幹線を乗り継ぎ、山梨へ向かった。都会とほとんど変わらない住宅地であるためか、すぐに家の場所は分かった。

 「いらっしゃーい。久しぶりだね~」

 すぐに玄関で叔母は快く迎えいれてくれた。ゆっくりお茶を飲みながら談笑することになった。

 「それにしても、貞子ちゃんはおとなしくていい子ねえ」

 そんなに悪い気はしなかったが、つい自分に起きる現象について説明したくなった。

 「ありがとう。でも最近、妙なことがあって、スポーツをしている時に、急に別のひとになったみたいにおしゃべりになるらしいんだよ」

 たいそう叔母は驚いた様子だった。

 「それは不思議ねえ」

 「自分でも意識がないんだよ」

 少し茶碗を手にとり軽くお茶をすすった叔母は、間をおいてこう語った。

 「あなたのお父さんのこと、知ってる?」

 父は自分が生まれる前に亡くなっていた。シングルマザーである母に、父がどのような人であったかを聞いたことはなかった。

 「これは初めて聞くかもしれないんだけど、兄は作家をしていたのよ」

 「えぇ!」

 「ずっと作業場にこもるような性格でねえ、病気で亡くなる直前まで本を書いていたらしいのよ。らしい、っていうのはそんなこと言ってくれたこともなくて。あとから調べてわかったことなの」

 「えぇ、そうなんですね」

 「うん。ペンネームが"ゆり"ですって。何で私の名を使ったのか。あははっ」

 瞬間、心臓がギュッとなったような気がした。不思議と怖さはなかった。


 家の自室で貞子は考えていた。スポーツの授業をきっかけに仲良くなった友達が2時間後に家へ遊びに来る予定だ。おとなしい自分を心配していたのかな。今まで父が見守ってくれていたような気がしていた。秋風が強く窓をたたいた。不思議と寒くなかった。


終わり

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