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*この投稿はフィクションです。
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母の中薗良枝が失踪してから、しばらくは、中島みゆきばかりを聞いていた父、中薗大和が、やっと、長渕剛を聞くようになった頃。
「今日、お客さんが来るから」と、兄妹二人、中薗大地と中薗美海を前にして、言った。
お客さんなんて、中学一年と小学四年に上がってすぐの、家庭訪問以来だった。
その、ちょっと前に、母が勤めていた、ソレイユタウン内の大型スーパーの店長が、退職届の署名と、それまで働いた分の賃金を持ってきて、いた。
その時の父との会話の、盗み聞いたところによると、母、中薗良枝は、当時、アルバイトの大学生、斎藤学にとても親切にしていて、斎藤学も、それを好意的に受け取っていた。と、言うことだった。
とはいえ、二人が連れだって、いなくなったとは断定できませんが。と、店長は言うものの、遠回しに確定事項です、といっているようなものだった。
「あたし、斎藤さん知ってるよ」父がいない夕方、兄妹二人で洗濯物をたたみながら、中薗美海が得意顔で、兄に言った。
「うそ、マジで?」
「あたしとママと、ママの職場のスーパーに、お別れ遠足の買い物に行った時に、会ったんだよ」
「どんな人だった?」
「嵐の櫻井くんに似てたよ」
「へぇ~」
「撫で肩が」
「似てんの、そこかよっ」中薗大地のツッコミに笑いながら中薗美海は、
「顔は、太ってた時の、グレイのテルに似てたな~」
「最悪じゃん」
母の顔をしたコオロギが、斎藤のネームを胸に付けたツバメにくわえられて、南の空に飛んでいく動画が、中薗大地の頭の中に、流れて、消えた。
お客さんは、岐阜県から、やって来た。
「こんにちは。斎藤学の母、斎藤恵子と、義理の姉の、斎藤知子です」玄関で早々に義理の姉が名乗ると、中薗大和が、上がってください、というのを、拒んで、上がり口に座った。
とりあえず、トレーに二人のお茶と、お皿にお菓子を盛って、どうぞと勧める。
「早速ですけど、かいつまんでお話しします。こちらの斎藤恵子の息子の学が、つい先日、電話で、ある女性と駆け落ちしたけど、心配しなくていいからね。と、連絡がありまして。
学は、鹿児島の大学に行っておりまして、何でも、黒薩摩の文化に感銘を受けたとかで、アイターンというんですか、それをすると申して、帰る気がないことを言ってましたのよ」
そこまで、機関銃のように、喋ると、お茶をわんこそばのように、一気に飲み干した。
「それなのに、大学はやめるわ、行方はくらますわで、なにがなんだかわからずに途方にくれて、この、恵子さんがわたくしのところに、来たんですのよ」
話しはじめよりも段々とボリュームが上がってきていた。
「スーパーに勤めていたときいて、そこの店長さんにお話を聞けば、お宅さまの奥さまが、学をタブらかしたそうじゃないですかっ。えぇーっ、そういうのを何て言うか知ってらっしゃいますか?アバズレって言うんですのよっ」
中薗大和は、徹頭徹尾、平身低頭で、何度も頭を下げていた。最初こそ、首がポキッポキッとなっていたが、温まって動きが滑らかになっていた。
斎藤恵子の方は、
「知子さん、言い過ぎですよ。うちのも、悪いんだから」と、止めに入ったりしていたが、重戦車並の突進力を持つ、斎藤知子は、止まらなかった。
「それで、どこにいるのか、ご存じないのですか?あなた、警察官なんですってね~、こういう身内の失踪事件は、先飛ばしに、解決してはくれないのかしら?」
そんなことはできません。と、言いかけたところで、後ろの六畳間の襖が開いた。
中薗美海が、立っていた。
「あら、こんにちは」斎藤恵子が、笑顔で挨拶した。
「ごめんなさいね。うるさくして。もう少しで、帰りますからね」
「まぁ、こんな、小さな子がいるのに・・・」
言いかけた斎藤知子を押し留めるように、斎藤恵子が、知子の手を、ギュッと押す。
「どうした?」中薗大和が、聞くと、
「トイレ」と、言って、父の後ろを通りすぎて、向かいの戸をあけた。
さすがに、すぐそこに、子供がいるのだから、斎藤チームも、声を落とさずにはいられなかった。それでも、啖呵を切ってしまった以上、後戻りはできないと、斎藤知子が、喋り出そうとすると、
「お母さん・・・」と、声がする。玄関の三人が黙っているとまた、
「お母さん・・・」そのあとに、すすり泣く声。
斎藤恵子は、いたたまれずに、立ち上がると、ハンドバックから、茶封筒をとり出して、中薗大和の前に置いた。
「不貞を働いた、ふたりは、いつの世も、男から女に、慰謝料を払うものだと、わたくし、存じております。些少ですが、お納めください」
「これは、いただけません」と、中薗大和が、返そうとすると、斎藤知子が、
「その金額分の、耳の痛いお話を、今、わたくしは、言いましたから、遠慮なさらず。それから、美味しいお茶ですね」なんとか、話をすり替えようと、ひきつる笑顔で、お茶を誉める。
「鹿児島のお茶です。よかったら、かるかんも、お持ちになってください」お皿の上の、かるかんを勧めると、
「それじゃあ、遠慮なくいただきます」と、自分の鞄に、入れ込んだ。
そして、先ほどとは、違う大きな声で、
「二人が目を覚まして、それぞれのおうちに、早く戻ってくればいいわね」
それは、トイレのなかの、中薗美海に向けての、斎藤知子流のいたわりの言葉だった。
二人が帰ったあと、トレーをもって、キッチンに行く途中に、
「美海、大丈夫か?」と、声をかける。
「うん」
キッチンから、水の音が聞こえだすと、トイレの戸が開いて、中薗美海が、こっそり出てきた。
ツルツルの紅いほっぺに、涙のあとはなかった。
すぐに六畳間に入ると、あぐらをかいて、右手をあげて待つ中薗大地がいた。
「イエ~!」と、二人ハイタッチをして、
「名演技だったな」と、兄が誉めた。いつもなら、兄妹喧嘩で、妹が泣き出すと、
「ズルいよ、泣けばいいかと思ってぇ」と、怒るところ、今回は、それが、功をそうしたのだ。
「だってあのままじゃ、お父さん、頭の下げすぎて、床にめり込みそうだったんだもん」中薗美海がそういうと、
「そんなわけ、ねぇだろ!」と、兄がツッコンだ。
そんな笑い声を、隣の洋間で、ふすま越しに聞きながら、中薗大和は、
「ありがとな」と、手を合わせた。
どんなに、実力がなくても、それが、例え、虚構でも、男なら常に、ファイティングポーズをとってなきゃならないんだ。
そう、自分自身に言い聞かせる、中薗大和だった。
つづく