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*この投稿はフィクションです。
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「あんたたち、なんか欲しいものある?」
中薗良枝が、子供達、二人を前にして笑顔で訊ねた。
突然聞かれたけれど、そこは子供の反射神経のよさで、考え出した。
二人は、以前から欲しいものがあって、それが、二人とも同じものだったので、どちらが言い出すかで、譲り合っていた。
「なぁに?言ってごらんなさいよ」手を叩きながら、中薗良枝が急かす。すると、
「あのね、携帯」小学六年生の長男、中薗大地が上目使いに言うと、すぐさま、
「パカパカじゃない方だよ。指でスースーってするやつ。スマホっていうんだよ。あれあれ」と、小学三年生の長女、中薗美海が、軽く修正する。
どうせ、この案は通らないだろうと、中薗大地は、テレビの方を向いて別案を考えていたとき、
「わかった。買いに行こう」と、中薗良枝が言うので、
「わぁっ、マジでっ」と、喜ぶ妹の横で、世界最速の振り返りで、
「マジ、マジ、マジ?」と、中薗大地は三回繰り返した。
中薗良枝は、笑いながら、
「マジで」と、言った。
七月の、夏休み前の日曜日だった。連日の暑さに、誰もが早く夏が終わらないかと思う中、蝉だけがひたすら、人生を謳歌するように、哭いていた。
JR姶良駅のそばの、平屋長屋の公団住宅の横に建てられた、デザインされた二階建ての住宅の二階に、中薗一家は住んでいた。
すぐ目の前には、大型スーパーと、大型家電量販店、ファミリーレストラン、歯医者に床屋と、なんでもかんでも入れ込んだ「ソレイユタウン」と、銘打った区画ができていた。元は、明治乳業の工場跡地だけに、敷地は広かった。
警察官の父の、中薗大和は、勤務中でいなかった。
父と相談なしで、母が決めることは珍しかったが、子供達はそんなことには、お構いなしだった。家では、お母さんが強いのだ。
父は、顔だけでなく、性格も四角四面の真面目人間で、口癖は、これも警察官らしく、
「人は見かけによらぬ者」だった。
兄妹二人は、欲しいスマートフォンの目星はつけていたから、あっさりと決まった。あとは、早く家に帰って、箱から出すことだけを、考えていた。
至福の時間だった。
月曜日。
中薗美海は、
「学校に携帯は持っていけません」を、守り、中薗大地は、
「友達に見せるだけ」と、ランドセルに、突っ込んだ。
給食の時間。後ろのロッカーのランドセルの中の、スマートフォンが鳴っていたけれど、ガヤガヤとうるさくて、誰も気づく者なしだった。中薗大地だけは、ひやひやと、周りに目配りしながら、気付かれませんようにと、祈っていた。
休憩時間。先生が居なくなったのをみはからって、中薗大地はランドセルから、
「ジャジャーン」と、効果音つきで、スマートフォンを取り出した。
運動場に遊びにいかずに、休憩時間を教室で過ごしていたクラスメイトが、集まりだした。その中には、赤いフレームの眼鏡をかけた、学級委員長、立花真知子もいた。
「中薗ぉ~、学校に携帯は持ってきちゃいけないんだぞ~」腰に、手を置いた委員長が、睨んだ。が、
「見せてくれるんなら、見逃してやらないこともない」と、中薗大地の、肩に手を置いた。
「オーケー」親指をたてて、スマートフォンの横の、スイッチを入れると、すぐに着信メールのお知らせが、表示された。
さっきのやつだ。電話番号で、相手が表示されていた。昨日の今日で、友達の電話番号なんて入れてないから、身内からの着信は当たり前だった。
父の中薗大和だった。
開くと、電報のように、カタカナで一行、書かれていた。
中薗大地が、カタカナを読み淀んでいると、横から、赤いフレームの眼鏡を押し上げながら、立花真知子が声高らかに、読み上げた。
「ハハ、ニゲタ。スグ、カエレ」
一瞬、みんな意味がわからずにいると、ドアに、ランドセルを背負った中薗美海と、先生が立っていた。
「大地、帰る準備をしなさい」
どうやら、学校にも連絡がいってたみたいだ。
家につくと、鍵が開いていて、部屋の中に、父、中薗大和が仁王立ちしていた。
部屋の中は、泥棒にあったかのように散らかっていた。
「急いでたんだな」中薗大和が、ボソッと呟いた。
中薗良枝という名の、ハリケーンが、通りすぎた後の部屋には、それでも父、中薗大和向けの、夜勤宿直用のお弁当が用意されていた。
ただ、そのお弁当の下には、中薗良枝の名前と印鑑が押された離婚届が、置いてあった。
しばらくは、呼び鈴がなるたび、兄妹二人で玄関に駆け付け、家の電話がなるたび、相手先の声に、耳をそばだてた。
夏休み中は、スマートフォンと、宿題と、家に来る人の監視に追われて、ほとんど、外に遊びにいくこともなかった。
しかし、母が帰宅することは、なかった。
一年が経つ頃、タンスの最上段の、小さな二つある左の引き出しのなかの、離婚届がなくなったことに気づいてから、兄妹二人は、母の話を、やめた。
つづく