8.夜の一時
まじない師が広間を退出した頃には、夕暮れが迫っていた。集まっていた人々は、そのまま館で夕食を取った。といって人があまりにも多いので、半分は広間の外に出なければならなかった。もちろん酒も大いに振る舞われた。
少年たちはコダマの周りに集まって、手品をせがんだ。かわいそうな秘術師はその願いを叶えることもできず、かといって少年たちを追い払うこともできないでいるようだった。どうも、ただの小さな手品であっても、呪術というものは消耗を強いるようだった。コダマの顔には疲れが浮かんでいた。そんな主人を助けてやろうと、ハヤテは少年らを外に連れ出して遊んでやった。
やがて夕食が終わり、日が暮れようとすると、人々は館を後にした。若者たちと年上の少年たちはそれからも館に残り、後片付けをした。コダマは客らしくそれをただ座って眺めていたが、ハヤテはなぜだか片付けの手伝いを一緒にしていた。
館での仕事が終わると、若者たちはコダマとハヤテを連れ、若者組の家へと連れて行った。フチもまたついてきた。すでに二十の半ばを過ぎており、本当は一人暮らしをしているらしかったが、コダマの付き人であるからには一緒に行かなくてはならないらしい。
十名ほどの若者と一緒に館を離れ、しばし歩いた。若者たちは、みなうたげの残り物を手にしていた。もちろん、これからまた飲み直すのだ。コダマは疲れた顔に、少しあきれた表情を浮かべていた。
少し歩くと、背は低いが、広い建物が見えた。家は大きな畑に囲まれていた。それが若者の家だった。
家に入るとすぐに、灰に埋められていた熾火が起こされた。ぼうっとおぼろな明かりが燃え上がったが、その弱い光は、かえって隅の闇を濃くしたように見えた。
家は十数人が住むには広いとは言えなかった。戸口の近くに大きな水瓶が二つ、その隣には煮炊きの道具が置いてある。地面には刈り取って乾いた草が厚く敷かれており、その上から薄汚れた敷物がいくらか散らばっていた。床の真ん中は炉が切られ、その向こうに掛け布や布団が藁の山の上に乱雑に積み重ねられていた。
フチに勧められ、コダマは炉のそばに腰を降ろした。ハヤテは他の若者たちといっしょに手分けして、運んできた残り物を並べ、棚から盃や酒瓶を取り出してきた。そして準備が整うと、車座になって飲み食いをはじめた。
「どうぞ、お客人。」
コダマの隣に座っていたシズクが、盃を差し出した。若い秘術師はそれを受け取ると、少し笑いを零した。
「みんな元気なんですね。」
「そりゃあもう。――ああ、我々にそんな改まった言葉遣い、いりませんよ。どうぞぞんざいに扱ってください。」
言いながら、シズクはその隣に座っているハヤテに、顔も向けずに盃を突き出した。はっ、とハヤテは声を上げて笑った。
「おいお前、おれも客人なんだけどな。」
「お前には、これくらいでちょうどいいだろ。文句あるのか。」
「ああ、こいつはいけねえな。黒鱗族のやつらが客人を雑に扱った、あいつらは礼儀を知らないって、町の連中に教えてやらなけりゃな。」
そうやって冗談交じりに悪態をつきあう若者らに、コダマはくすりと笑った。
「ハヤテ、そのくらいにしておけよ。喧嘩になったら洒落にならない。」
ハヤテは眉を上げ、肩をすくめて見せた。こんなことはちょっとした遊びに過ぎないのに、と思うが、そこはコダマの性格なのだろう。おとなしく従うことにした。
それから、コダマはシズクに向けて言った。
「おれのことも、ぞんざいに扱ってくれて構わないよ。客として扱われるのなんて、なんか、むず痒いよ。」
シズクは陽気に笑った。
「そう来なくっちゃな。なあ、イズミさんに絡まれて、居心地悪くしてたもんな。」
「いや、そんなことないけど。」
そう答えるコダマだったが、まごついていた。村長のイズミや他の壮年者に長いこと囲まれて客人として世間話をするのは、なかなか気が張っていたのだろう。図星を指されて恥ずかしそうにしている。ハヤテはそんな様子を可愛らしく思った。
シズクはにやにやと笑った。
「それなのに、こいつときたら、おれたちと遊びやがって。」
そう言いながら、ハヤテの肩に腕を回して揺すった。ハヤテは早々と話しているのに飽きて、コダマを残して若者たちと遊んでいたのだった。
コダマを見ていたものだから反応が遅れ、ハヤテの手にしていた盃から酒が零れた。ハヤテは舌打ちすると、一口で残った酒を飲み干した。それからシズクの肩に同じように腕を回し、乱暴に揺さぶってやった。
それから、一同は飲み食いしながら話を続けた。だいたいが自慢話か、そうでなければ少年時代の無謀な失敗談の類だった。
ハヤテは話の番が回ってくると、自分が少年時代、仲間内で一番の剣の腕前だったことを話した。するとシズクが張り合って、自分も一番を争う戦士だと豪語する。だが別の若者が口を挟み、二人よりも自分のほうが強いのだと言った――実際、その若者は館で二人と手合わせし、二人ともを負かしていたのだった。
そんなふうに語り合っていたのだが、ふと、ハヤテはコダマがうつらうつらとしているのに気がついた。目はうっすら開いているのだが、体が前後にゆらゆらと揺れている。コダマの前には小さな火を灯した炉があるから、どうにも危なっかしかった。
他の若者たちも、コダマの様子に気がついた。口を一旦閉ざし、そちらを見やる。
コダマの傍らにはフチが座っていた。心配そうに見守っていたが、みなが見ていることに気がつくと、了解するように頷いた。コダマの肩を掴み、軽く揺すった。コダマは飛び上がらんばかりに驚き、付き人に顔を向けた。
「な――なに。」
コダマの様子を見る限り、ほとんど眠っていたようだった。目をぱちぱちと瞬かせていた。
「疲れているか。」
「なん――なんて?」
「さっきから黙ったまま、うつらうつらとしていたから、疲れているのかと。」
コダマは問われて、しげしげと周りを見た。まるで自分がどこにいるのだか、思い出しているような感じだった。やがて苦笑を浮かべると、一つ頷いた。
「うん、ちょっと、疲れているみたいだなあ。」
秘術師はふわふわと頼りない調子で答えた。
では、とフチは立ち上がった。
「こちらに。疲れているなら、早いところ休んだほうがいい。明日も歩く。」
コダマは促されるままに腰を上げようとして、すとんと落とした。どうも本当にひどく疲れているらしい。フチが手を貸してくれてようやく立つと、奥の寝床に導かれた。
フチが寝床をいくらか整えると、小声で囁き交わし、それからコダマは倒れ込むように寝床で横になった。服も着たまま、帯を緩めもせず、靴すらも脱いでいない。まさに力尽きたという感じだった。
すぐに、コダマはすうすうと寝息を立てはじめた。若者たちは顔を見合わせ、くすくす笑った。
「疲れてたんだなあ、呪師殿は。」
一人が言った。
「その割には、お前は元気そうだよな。」
そう言って、シズクがハヤテの肘をついた。ハヤテはにやっと笑った。
「体力には自信があるからな。そう簡単にはへこたれないぜ。」
「どうだかな。」
シズクはすげなく言うと、またコダマに顔を向けた。ハヤテもそちらを見やる。フチがコダマの靴を脱がし、帯を緩めているところだった。青年はちらとハヤテに物問いたげな目を向けた。
「服を脱がせてしまってもいいものだろうか。寝苦しいと思うのだが。」
「構わないと思うよ。いつもだったら脱いでるんだ。ひん剥いちまえ。」
あんまりなハヤテの言いように、フチはちょっと眉を上げたが、別に反論はしなかった。いそいそとコダマの短衣をたくし上げると、腕を上げさせ、脱がしてしまった。コダマはぐっすり眠っていて、服を脱がされているのに起きなかった。
「可愛いよなあ。」
シズクの言葉に、ハヤテは振り返った。
「そうだな。」
「お前、もうやったのか?」
ハヤテは首を振った。へえ、とシズクは声を上げる。
「けっこう旅をしてるんだろ。何にもしてないのか?」
「する時間なんてなかったぜ。起きて、歩いて、宿で寝てってだけだからな。それに雑居寝だから、知らないやつも部屋にいるし。」
ハヤテは言いながら、コダマと共寝している間のことを思い出した。旅に出て二度目の晩に、コダマを腕に抱きながら眠ってからこのかた、毎晩のようにそうして寝ていた。抱かれている間の反応からすれば、奥手ではあったものの、色事にはなかなか興味をもっているようだった。機会さえあれば遊んでいただろうし、今夜こそその機会となると思っていた。だが、その当ては外れた。夜伽の時間を少しも取ることなく、あのように眠ってしまった。
考えながらコダマを見ていると、いきなり肩に腕が回された。もちろんシズクだった。振り返ると、ほとんど頬が触れようというところに顔があった。そこにはいやらしい笑みが浮かんでいた。
「ご主人が眠っちまって、従者は暇なんじゃないか。いまのうちに、旅の疲れを癒やしたらどうだ。」
「へえ、どんなふうに癒やしてくれるってんだ?」
ハヤテが挑発的に笑うと、シズクは顔を近づけ、額と額を触れ合わせた。酒気を帯びた吐息がかかるほどの距離だった。
「自分の面倒を見る時間なんてなかっただろ。荷が重くなってきてるんじゃねえか。おれたちが荷を下ろすのを手伝ってやってもいいぜ。」
シズクが言うと、ハヤテは笑った。
「そうだなあ。」
と言いながら、視線で他の若者たちを見る。みな笑みを浮かべ、何人かは見るからに興奮の色を浮かべていた。
「じゃあ、手伝ってもらうかな。」
ハヤテはシズクの肩に腕を回すと、頬を擦り寄せ、それから唇を触れ合わせた。