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境への旅  作者: 火吹き石
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6.氏族の戦士

 あたりが白み、暗闇が青くなりはじめた頃、ハヤテは目を覚ました。冷たい朝の空気が顔を撫で、思わずコダマの肩に頬を寄せた。


 秘術師はまだ眠っていた。ハヤテは首を起こし、しげしげとその寝顔を見た。特に強い印象を与えるような顔立ちではない。強いて言うなら、なんとはなしに幼い感じを与えた。あるいは無防備な感じとでも言おうか。寝ているとそれが際立ったが、起きているときでもそんな印象を受ける時があった。


 そのくせ呪術に関わると、途端にきりりとして、精悍と言ってもいい印象を与える。術を終えてからの苦しみを耐える時の顔も、それだった。その不思議な落差は、ハヤテの心を何がしか惹いた。


 しばらく見ていると、コダマは小さく唸り、身じろぎした。胸に置いたままだった手で、ハヤテは秘術師を撫でてやった。やがてコダマが目を覚ますと、ぼうっと上方を眺めた後、こちらを見て目を瞬かせた。その驚いた様子に、ハヤテは笑いを零した。


 しばし、二人は見つめ合った。日はまだ昇りきっておらず、あたりは青い薄闇に包まれていた。コダマは恥ずかしげにはにかむと、決まり悪そうに顔を逸した。


「ずっと見てたのかよ。」


 コダマが言う。ハヤテはくすくす笑った。


「ちょっとのあいだな。可愛いよな。」


 ハヤテが思わず言うと、コダマはちらと目を向けた後、顔を赤らめた。ハヤテは慌てて言い添えた。


「悪い、からかうつもりじゃなかった。」


 コダマは小さく首を振ると、苦笑した。


「別に、いい。悪気があるんじゃないって、分かってるからよ。」


 そう言って、コダマは起き上がった。ハヤテも一緒に起きる。コダマはしばし頬や顎に触れ、眠たげな顔で腹のあたりを撫でていた。それから一つ首を振ると、ハヤテを振り返った。


「早く飯を食っちまおう。昨日の施術で、集落の場所は分かってるんだ。昼過ぎには着くんじゃないかな。」


 それから二人は固いパンと、いくらかの果物を食べてから出かけた。


 コダマの言葉通り、どうやらしっかりと目的地を把握しているようだった。昨日とは違って、秘術師の歩みに迷いはなかった。しばしば立ち止まったが、いくらかあたりを見回すと、また足を進めた。何度か来たことがある道を、思い出しながら歩いているような印象だった。


 ハヤテはコダマより一歩か二歩ほど先んじて歩き、山刀で高い草や邪魔な枝を払って道を作ってやった。


 そのうち、二人の周りに森の獣たちが徐々に集まってきた。最初は鼠のような小さな獣や羽虫、それから小鳥の類だったが、そのうち遠巻きに猪や鹿が覗いていた。ハヤテは大きな獣を見て、恐れを抱いた。人ならぬ者ら、すなわち異類は、人里離れて暮らし、人をよく思わないのだと考えられていた。


「そんなに怯える必要はないよ。」


 コダマはハヤテに、異類は人を攻撃するほどに敵視しているわけではないと告げた。人が危害をあえて加えぬ限りは、異類が人を害することはまずない。とはいえ、やはり人の住居に足を踏み入れるようなもので、礼は失しているのだろう。怯える必要はないと言いながらも、秘術師は森の精霊たちがやがて襲ってこないかどうか明らかに心配していた。


 森を歩くうちに、地面はなだらかな斜面となっていった。黒鱗族は山の谷間に点在して暮らしているようだった。木々の天蓋のおかげでよくは見えないが、梢の切れ目から、高い山並みがときおり窺えた。


 やがて、背の高い木々は少なくなり、代わって灌木の茂みや丈の高い草が生えるようになった。振り返れば、自分たちが山の斜面におり、山裾にこんもりと森が広がっているのが見えた。


 そして気づいた時には、森の精霊たちのすがたは見えなくなっていた。どうやら人里に近づいているようだった。


 山をさらに登り、いくつかの尾根を越えると、前方に浅い谷の入り組んだ山襞(やまひだ)が見えてきた。遠目にも、背の低い石塚が設置されている。おそらくは道標だろう。道標があるということは、人里が近いはずだった。


 昼頃に、二人は石塚のところに着いた。近くで見れば塚は大きく、成人の背丈を軽く越える。大小の石を積んだもので、どんな印もつけられてはいない。しかし塚のあるのが谷で、左右には岩がちな斜面があり、前方は緩やかな坂になっている。おそらくは、その坂を登るようにという指示だろう。そう考えて、二人は谷を登ろうとした。


 その時、左右の斜面から、小石がからからと転がり落ちてきた。視線を上げると、青年が数人いた。身には簡素な短衣をつけ、その手には槍が握られている。槍の先は、いまはまだ地面に向けられていた。


 ハヤテは静かにコダマのそばに寄ると、鞘に納めていた山刀の柄に手を置いた。だがまだ引き抜かなかった。見えているだけで相手は五人いた。数の利は向こうにあり、地の利も同じだった。武器を抜いたところで勝ち目はなさそうだった。


 コダマはしばし虚を突かれて息も忘れていたようだったが、やがて気を取り直すと、その手が腰に下げた小袋に伸ばされた。


 こちらには呪術師がいる、とハヤテは胸中で呟いた。目眩ましくらいしてくれるだろうか。秘術師の手品は、これまでに何度か見たことがある。少し気を引いてもらい、連れ立って走れば、逃げ切れるだろうか。


 だが、秘術師の手が袋に触れる前にそれを見咎めて、年長者と見える人物が警告の声を発した。


「止めておけ。何かみょうな動きをしたら、怪我をさせなければならなくなる。我々を煩わせるな。」


 その人物は、だいたい二十歳の半ばほどに見えた。大柄ではないものの背が高く、その手に持った槍のようにすらりとして強靭そうな印象だった。


 コダマはしばしためらったが、やがてその手を袋から離すのを見ると、青年はハヤテにも目を向けた。


「そなたも動かぬことだ。我々の槍はまだ血を啜ってはいない。これからも無垢のままであればよいと思っている。」


 ハヤテもまた迷ったが、山刀の柄から手を離した。どのみち勝てそうにはない。逃げることも難しいだろう。相手のほうが高所におり、槍を投げられたら避けられるか分からない。そもそもコダマは仕事をしにきたのであるから、争いなどはじめから起こすべきではなかった。


「いったい何が目当てだ。」


 ハヤテはそう訊ねた。まずその点がよく分からなかった。二人はどう見ても金持ちには見えない。盗賊業をする氏族の話は聞いたことがあったが、それはあくまで戦時に限られるもののはずだった。そもそも、どうしてこんなふうに待ち伏せができたのだろうか。二人は道に迷っていたというのに。


 年長の青年が、目を細めた。皮肉げに笑っているようにも、苛立っているようにも見える。


「それはこちらが聞きたいところだ。町の住人が、どうして我々の土地を訪れたのだ。商人にも見えないが。」


 ハヤテはコダマを視線で促した。秘術師はしゃんと顔を上げ、戦士たちに目を向けた。


「私はまじない師で、青毛族のコダマと呼ばれている。用があって旅をしてきたのだが、道に迷ったところだ。あなたがたは黒鱗族の者か。だとしたら話は早い。私はその氏族を探して、ここまで来たんだ。」


 コダマが言うと、青年は眉を上げた。仲間たちと視線を交わし、小さく、納得したように頷き合う。その仕草を、ハヤテは怪訝に思った。すでに尋ね人が来ることを知っていたような感じだった。


 青年は答えた。


「喜ぶがいい、我々は黒鱗族だ。私は名をフチという。さて、そなたらの用事というのは、いったいなんだ。」


「ここで説明できるとは思えない。あなたがたの里に連れて行ってはくれないか。まじない師でなければ話すのは難しい。」


 コダマが求めると、フチはしばし考えたあと、答えた。


「そなたらは二人だけだな。他の者がどこかにいはしないな。」


 それにコダマが頷いて答えると、フチは槍の持ち方を変え、杖を突くように石突を地面に向けた。他の戦士たちもそれに倣う。戦士たちの間にあった緊張が緩むのが感じられた。ハヤテはほっと胸を撫で下ろした。


「来るがいい、町の者よ。我らの里に連れて行こう。」


 そうして、青年たちに連れられて、コダマとハヤテは山道を歩いた。それほど踏み固められてはいないが、道として使われているのは明らかなものだった。ここらはもう人里に近いところのようだった。


 コダマもハヤテも、縛られたりはせず、武器を取り上げられもしなかった。それどころか敵意が向けられることも感じなかった。もちろん、相手はみな武装してはいたし、二人をいくらか囲うようにしてはいた。けれどもフチ以外の若者たちは気が緩んで話しはじめていたし、ハヤテもそれに加わってしまえるほどには打ち解けていた。


 それでハヤテは、どうやって待ち伏せのようなことができたのかを訊いてみた。一瞬若い連中は顔を見合わせたが、フチが促すように頷いたのを見て、説明してくれた。どうやら昨日、氏族のまじない師が土地への侵入者に気づき、今朝になって戦士らを差し向けたということのようだった。


 コダマに目つきで問うと、秘術師は軽く頷いた。二人とも同じことを考えているはずだった。


 おそらくは、昨日コダマがおこなった術に関わっているのだろう。呪師は他の呪師の術を感知できるのかもしれない。ハヤテは呪術のことはよく知らなかったが、ありえそうなことに思えた。そして誰か知らぬ呪師が土地に侵入しているなら、用心のために戦士の一団を送り出すのは、当然の対応だろう。


 昼をだいぶ下った頃に、山間(やまあい)の家が見えた。一人か二人、多くても三人くらいが暮らす小さな家で、その周りには畑がある。畑で草取りをしていた壮年者が一行に気づくと、フチに話しかけ、それからまた作業をはじめる。


 その家を越えると、道が下った。見下ろすと、浅い谷間が広がっていた。そこには穏やかな流れの広い川があり、斜面に家屋が点々と散らばり、その間に広い畑があった。一方の斜面の中程に、大きな屋敷が見えた。そこがこの村の長の館だろう。


 一行は屋敷に向けて歩いた。道中、集落の人々は、連れられているコダマとハヤテに奇異の目を向けた。多くはそれぞれの仕事に向かったが、中には一向について歩き出す者もいた。ことに子どもたちは部外者に興味を持ち、くすくす笑ったり、小声で話し合ったりしながらついてきた。ハヤテが手を振ってやると、少年らは笑って手を振り返した。まったく親しい人々に見えた。


 谷を降り、館についた。低い石垣が巡らされ、その内側にはいくつか納屋と見える建物が並んでいる。一行が主屋(おもや)に近づくと、中から人が出てきた。正面に立つのが長と見える壮年者で、その横に、他に同じ年頃の者が何人か控え、数人の年寄りも混じっている。後ろのほうには、年長の少年が数人いた。


 ハヤテの目を引いたのは、長のすぐそばにいる、灰色の衣の壮年の人物だった。飾り気のない他の者とは違って、その人は首から飾り石を連ねたものをかけていた。その人の方では、コダマのことを興味深げに見ている。明らかに呪術師だと見えた。


 一行は足を止め、コダマもそれにならった。主屋の戸口に立つ者らにフチが一人で近づいていって、報告した。


「言われた場所で待っていたところ、この二人を見つけました。こちらがまじない師のコダマ、こちらがハヤテです。」


 そう言って、フチは二人を示す。


「一族の土地に来ようとして、道に迷っていたそうです。抵抗はしなかったので、武装は解いていません。」


 ふむ、と長と見える者が、小首をかしげた。コダマとハヤテに目を据える。


「私は黒鱗族のイズミと呼ばれており、この村のまとめ役をしている。あなたがたの名と、どのような用事があって我々の土地に来たか、聞かせてもらえるだろうか。客の来ることは少なく、敵はそれよりなお少ないのだが。」


 コダマは一歩前に出て、答えた。


「私は青毛族のコダマと言い、こちらは私の従者を務めているハヤテです。私自身は治療の術を施すことを生業(なりわい)とする者です。しかしこの地を訪れたのは、治療師としてではありません。別の仕事なのですが、まじない師ではない方に、説明して分かることかどうか。」


 コダマは長のかたわらの、灰色の衣の者に顔を向けた。イズミもそちらを見た。その人はしばしの間を置いて、口を開いた。


「私が話を聞きましょう。しかし、村長(むらおさ)よ、まずは旅人を広間に招いてはどうでしょう。こちらの方々に敵意がないのは、明らかなことですから。」


 まじない師がそう言うと、長のイズミも頷いた。集まっていた人々の多くは主屋に入り、他のいくらかは納屋に向かったり、あるいは館の外に向かった。


 ハヤテはコダマと並んで突っ立ったまま、しばし人々を目で追った。すると、フチが近づいてきて、主屋の戸口を手で示した。


「どうぞあちらに。すぐに手水(ちょうず)と飲み物を持たせましょう。」


 フチが言うと、ハヤテが笑った。


「さっきまでずっと、ふきげんそうだったのになあ。なんでそんなに改まってるんだい。」


 ハヤテはからかうように言った。フチはそれをとくに気にした様子もなく、淡々と答えた。


「お二人は客人ですから、丁重にもてなすのは当然のことです。先程までの無礼はお許しください。あなたがたをどう遇するべきか、分かっていなかったのです。」


 フチはそう申開きした。たぶんその言う通りのことなのだろう。しかしさっきまでの素っ気ない態度からあまりに変わっていたので、むず痒くなるような感じがして、ハヤテは思わず笑ってしまった。


「よしてくれよ。おれたちはそんな立派なお客じゃない。もっと気楽にしてくれ。」


 そう言ってから、ハヤテはコダマに一瞥を向け、あっと言うような顔をわざとらしく作って見せた。コダマは仮にもハヤテの雇い主であったから、こんなことを従者が言うべきではもちろんないだろう。しかしコダマは笑みを浮かべた。


「いいよ。おれだって別に立派な客じゃないから。」


 コダマが言うと、フチはふっと微かに笑みを口の端に浮かべた。


「それが望みなら、そのようにそうしよう。」


 フチはくるりと踵を返すと、館へと足を踏み出した。コダマとハヤテも、それに続いた。

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