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境への旅  作者: 火吹き石
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4.あの世

 コダマとハヤテとは、森を歩いていた。道は薄く、夏の日差しに背を伸ばした草の下に半ば消えようとしている。すでに二人は町民の土地を後にし、氏族たちの領地に足を踏み入れようとしていた。


 辺境の町に着いてから、二日目の昼だった。はじめの一日は、町で蛇の氏族の一員を探すことに費やした。しかしコダマの期待に反して、氏族員は見つからなかった。辺境の氏族でも、きっと町にいろいろと用事があるだろうと二人は考えていたのだったが、運が悪かったのか、出会うことはできなかった。


 代わりに、蛇を神聖視する氏族の情報は得られた。黒鱗族というのがその名前で、氏族の村をときおり訪れる行商から、道の目印も教えてもらった。その族長の館までは、どうやら二日ほどの旅程だった。


 ハヤテはコダマと並んで歩いていた。コダマは道順を記した紙片を片手に持っている。薄れた道と、沼のそばに立てた石柱だとか、根本に小さな塚を持つ巨木だとかの目印を頼りに、心細く旅をする。


 ふつう、町と町を結ぶ街道は、だいたい半日から一日歩いて着くほどの距離だった。そして町の周りには村が点在しており、街道よりも細い道で繋がっている。もしも道を間違えても、数日の時間と宿代が無駄になるだけで、大きな危険には繋がらない。仮に道を見失っても、探せば村は見つかるだろうし、村に行けば最寄りの町を教えてくれるだろう。


 それに対して氏族領では、そうもいかない。あるいは少なくとも、そう聞いていた。道は細いし、迷ったらいったいどこに行くのかわからない。氏族の集落に辿り着けばなんとかなるだろうが、どうも氏族の集落は疎らなようだった。半日歩いているのだが、人家を見たことが一度もなかった。


 コダマはしきりにあたりを見回し、紙片と見比べる。ハヤテはその肩越しに、紙を覗き見た。


「いま、どこだ。」


 ううんとコダマは唸り、『丘、麓に泉と塚、林』と書かれた行を指差す。ハヤテはちらとあたりを見渡した。丘らしいものは一つとして見えなかった。そもそも森の中にいるので、木しか見えない。そして一つ前の目印を見てから、だいぶ経っていた。


 さらに言えば、先ほどから足元の道が薄れ過ぎて、見えなくなっていた。単にあまり使われていない道なのか、それとも、もはや誰も使っていない古い道なのか。


 しばしコダマが足を止め、二人してあたりを見回した後で、ハヤテは口を開いた。


「おれたち、迷っちまったんだな。」


「そう、みたいだな。」


 言って、コダマは溜め息をついた。


「悪い。迷っちまった。」


「謝るなよ。おれだって地図を見てたんだ。責任は一緒さ。」


 ハヤテはそう言うが、コダマは顔に小暗い色を浮かべたままだった。きっと、地図を持っていたのがコダマだったから、気にしているのだろう。


 コダマはもう一度溜め息をついてから、あたりを振り返る。ハヤテも同じようにする。そして、どちらから来たのか、もう分からなくなっていることに気がついた。


「ま、野宿の準備はしてきたからよ。」


 ハヤテは陽気に言って、コダマの背を叩く。もし万が一迷ったことを考えて、食料は多めに用意し、毛布も持ってきていた。もっとも、それも長くて数日しか保たないが。


 コダマはしきりに周りを見渡した。その顔には悲壮な表情が浮かんでいる。そして探すものが見つからず、また溜め息をつく。


「一旦、水辺を探そう。」


 コダマは言った。ハヤテは首をかしげる。


「飲み水を心配してるのか。」


「いいや、違う。呪術であたりを探る。水辺に出たら、幽界から目的地を探せるんだ。」


 コダマは腕組みして、考え込むように小首をかしげつつ、続けた。


「おれたちは水の境界に向かおうとしている。その境界は、蛇の氏族のところにあるはずだ。そしてこの近くには、黒鱗族という蛇の氏族が住んでいる。境界の位置を探ってそちらに向かえば、たぶん黒鱗族の集落があるだろう。」


 ハヤテは眉を顰めた。


「よく分かってないんだけど、それ、うまくいくかい。」


「分からない。だけど他にいい考え、あるか。」


 コダマが問い返すと、ハヤテは肩をすくめて苦笑した。


「ないなあ。」


 ハヤテに思いつくのは、川を見つければ、そのうち集落にも突き当たるだろうということだった。人は水がなくては生きられない。川を辿れば、やがて人に出会えるだろう。だが運が悪ければ、川を遡って山間に入り、集落から遠ざかっていくかもしれない。確実なわけではなかった。


 それと比べれば、いまいち仕組みは分からないが、秘術師に任せたほうがよいような気がした。


「仕方ねえか。」


 ハヤテはそう言うと、コダマと頷き合った。


 それから、二人は水辺を求めて森の中を歩いた。沢はすぐに見つかったが、コダマは首を振った。どうも深い水がよいということだった。そちらのほうが術の都合にいいという。


 それで、沢を辿って二人はしばらく歩いた。いくつかのか細い流れが集まって、程なくして、細い川となる。それを追って進むと、少しばかり深い、流れの穏やかなところを見つけた。コダマはその縁で屈み、手を入れた。それから身を起こすと、ハヤテを振り返った。


「ここでいい。いまから術を使う。呪文を唱えたら、おれは意識を無くすけど、心配するな。死んだように見えるだろうけどな。起きるまで、起こそうとするなよ。」


「何かすること、あるか。」


「いや、とくにないよ。なるだけ大きな音は立てないでくれ。」


 コダマはそう答えると、てきぱきと準備らしきことをはじめた。まずは水辺の地面を簡単に手で均してから、畳んだ毛布を敷く。それから白い紐を取って地面に伸べ、毛布を中心に、水際まで円環を描いた。以前、目的地を示してくれた秘術師と同じような感じだった。


「その紐、どうしてそうするんだ。あのまじない師もやっていたけど。」


 ハヤテが訊ねると、コダマは丁寧に紐を伸ばし、きれいな円を作りながら答えた。


「まあ、結界かな。空間を区切ってるんだ。邪魔な気持ちやさまたげが入らないようにって。別に本当の呪力があるわけじゃないけど、こうしたほうが具合がいい。いまから呪術をするんだって、気合が入るんだな。」


 そうして円を描くと、毛布に腰を下ろした。一つ息を吐いて、ハヤテを振り返る。


「じゃあ、行ってくるからな。そのうち帰ってくるから、心配しないでくれ。」


「行くってのは、つまり――。」


 ハヤテが言うと、コダマは不敵な笑みを浮かべた。


「そう、あの世さ。」


 そう言って、コダマは川に顔を向けた。ハヤテは少し離れたところに座って、その横顔を眺めた。いつもはわりと子どもっぽい顔のコダマが、きりりと引き締まって凛々しく見えた。


 腰帯に下げた袋の一つから、コダマは何かを取って、それを少しずつ水際に撒いていった。はじめ、それが元素の結晶なのだろうとハヤテは思ったが、どうもただの土の塵に見えた。軽くひとつかみほどの土を撒き終えると、小声で呪文を唱えはじめた。


「先人のやすらぐ土地、隠れた庭の土よ。亡骸はお前の下で眠り、生者はお前の上で悼み、死者はお前を通って影の国に入る。お前は盾にして壁、私と私の後ろにあるすべてを守る。お前に交わったすべての霊と肉との力は、我らすべての守護となる。先人のやすらぐ土地、隠れた庭の土よ――」


 コダマは目を瞑って何度か呪文を繰り返した。見る見るうちに、その額に汗が浮かんできた。やがて目を開くと、手の甲で汗を拭った。一息つくと、別の巾着から何かを取り出した。どうも一つの仕事が終わったらしかったが、ハヤテには何がなんだか分からなかった。


 手に取った何かに一つ二つと息を吹きかけると、今度もそれを水に撒いた。きらきらと光る砂粒のようなもので、これこそ元素の結晶なのだろうと思われた。撒き散らしてしまうと、また呪文を唱えた。


「この世の水よ、お前の源である、かの世の海と交われ。(かす)かなる海より流れてきた者よ、自らの源に帰れ。この世の水よ――」


 何度か呪文を繰り返すと、また額の汗を拭う。それから、コダマはまた別の作業をはじめた。今度は水際に手をつくと、覗き込むように水面に向けて顔を近づけ、また呪文を唱える。


「すべての川の源へと、私は降りる。この四肢と頭とを水に浸し、私は降りる。隠れた海へと、私は降りる――」


 呪文の合間に、コダマは水面に息を吹きかけた。何度かそれを繰り返して、そして、呪文が止まった。しかしコダマは動かないまま、水面を覗き込んだまま固まっていた。まるで像にでもなってしまったようだった。


 あの老師のようだ、とハヤテは思った。術を使っている間、ぴくりとも動かない。きっとあの世で仕事をしているのだろう。そのうち帰ってくるのだろうと、ハヤテは静かに横になると、腕を枕にして寝そべった。


 風に揺れる梢を通して、太陽の光がきらきらと瞬いて見えた。

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