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境への旅  作者: 火吹き石
15/21

15.仕事の終わり

「さっきから思っていたのだが――」


 と、長いこと沈黙を守っていたフチが言った。


「なぜ町の呪術師は、ここに住み込まないんだ。」


 ハヤテは岩壁から生えた晶石に鏨を当てて削りながら、ちらとコダマに目をやった。秘術師はハヤテのすぐそばで、水に濡れるのも厭わずに屈み込んでいた。立とうが屈もうが、どうせ水は腰ほどまでの深さがあり、巨岩の肌を流れ落ちる滝から上がる水飛沫で濡れるのだからと、三人とも濡れないようにしようという気持ちはとっくに失くしていた。


 どうやらそれが満ちれば数年分らしい、コダマが持ってきた袋は、もうだいぶ大きくなっていた。ハヤテは作業を受け持っているので手にできず、コダマも手が疲れたので、いまはフチが代わって持っていてくれていた。


 コダマは周りを見て、それからフチに目を合わせた。


「ここじゃ住めないよ。水しかないだろ。」


「もちろんそうだろうが、では出入り口のところはどうだ。そこに小屋を構えて住む。」


 コダマは首を振った。


「狭間はたいてい、開いては閉じる。ここもいつまで保つか分からない。しかも同じところにふたたび開くとも限らない。住み込んでいたってどうにもならないんだ。」


 ふむ、とフチは頷くと、では、と続ける。


「では、もっと大勢で来て、これを大量に集めるのはどうだろう。なぜたった二人を遣わせたのだ。町に人手がないわけでもないだろう。車でも引いてきて、欲しいだけ積んでいけばいい。」


「あんた、意外と強欲だな。」


 コダマは少し驚いたふうに言った。すると、フチは少し笑った。


「そうかな。()があると思ったのだが。そちらのほうが仕事が少なくて済むだろう。」


 コダマは頷いた。


「いくらでも取っていいという前提なら、間違ってはいない。でもこの結晶は、すきなだけ取っていいものじゃないんだ。おれたちは境界のことを、井戸とも呼ぶ。元素がこの世へと流れてくるのを、井戸に満ちる水に喩えているんだな。そして井戸と同じで、取り過ぎたら水は枯れる。元素が枯れたら、どこかに歪みが出る。」


 コダマが言うと、フチは、ふむ、と考え込むような声を上げた。


「そういえば、集会の時にそう言っていたな。」


「そう。ここは隠り世の海、現し世の水源だ。この井戸を取り尽くしたら、たぶんこのあたりで水が枯れ、大地が乾く。日照りが起こるかもしれない。だからこうして毎年、若い連中を旅に出しては、ただ一抱えほどの結晶を集めさせるわけだ。」


「そして、狭間が開くところは一定しないと。」


 フチの声には寂しげな響きがあった。コダマは問い返そうとするように、口を開きかけた。


 しかし、ハヤテが最後の一撃を加えると、宝石が割れて岩壁から剥がれた。それはフチに気を取られていたコダマの見ていない内に落下し、ぽちゃんと音を立てて水面に飲み込まれた。コダマは驚いて見下ろし、あっと声を上げた。ハヤテは不満に鼻を鳴らした。


「話をするのはいいけど、ちゃんと仕事して欲しいなあ。」


 ハヤテは横目でコダマを見た。秘術師は、ごめんごめんと軽く言いながら、水に落ちた石を探して拾い上げた。それから三人は岩の柱に沿って歩き、反対側にある石のところに回った。ハヤテはまた結晶に鏨を当て、かつんかつんと鎚を振り下ろした。


「またあんたの氏族のところに、おれは遊びに来たいと思ってるんだけどなあ。」


 出し抜けに、ハヤテが言った。コダマは目をぱちくりとして、こちらを見上げた。


「何の話だ?」


「さっきの話。」


「さっき、てのは?」


「あれ、そういう話じゃなかったのか。」


 ハヤテは手を止め、フチを横目で見た。フチは少し意外そうに視線を受け止め、それからうっすらとはにかんで頷いた。


「そのつもりもあったが、明け透けだったかな。」


「そうでもない。おれの気が回るってだけさ。」


 冗談めかして言って、ハヤテは自分の頭を指した。それから作業を再開する。しかしコダマはいったい二人が何の話をしているか分からないようで、目を泳がせていた。やはりこの秘術師はどこか抜けているなと、ハヤテは思った。


「二人だけで話すなよ。おれにも分かるように話せよ。」


「つまりだなあ――」


 ハヤテは手を止めずに、わざとあきれた調子で言った。


「おれたちの友人は、おれたちがもう帰っちまうのが寂しいのさ。それで、ここで暮らさないのかとか、こういうのが開く場所が年毎に変わるのだとか、そういうことを話してたんだよ。」


 コダマは、どうもハヤテの言ったことを信じていないようで、疑わしげな目をしていた。ハヤテは肩をすくめ、フチを軽く顎で示した。コダマはフチに目を向け、それからぱちくりと目を瞬かせた。フチはどこか気まずそうな顔をしていて、ハヤテの言ったことが図星であることを表情が語っていた。ハヤテはまた石を削る作業をはじめた。


 フチは首を振った。


「いや、何も無理に滞在することはない。ただ、滞在することが合理的であるなら、そうすればいいと思っただけだ。引き留めようというわけではない。」


「どうだかなあ。さっきの調子は、ちょっと寂しそうだったけどなあ。」


 ハヤテはそう言って笑った。ふたたび、コダマが見ていぬ内に結晶が剥がれ、ぽちゃんという水音とともに水に落ちた。コダマはそれに気がつくと、溜め息をついて水に腕を突っ込んだ。ハヤテはくすくす笑った。


「だからちゃんと仕事してくれよ、コダマの旦那。」


「割れそうなら、一言くらい声をかけてくれたっていいだろ。」


 コダマが不満も露わに呟くと、ハヤテはまた笑った。


「そっちこそ、もうちょっと気をつけてくれてもいいだろ。」


 コダマは頬を膨らませつつ結晶を拾い上げると、それをフチに渡そうとして、その手が少し落ちた。


 ハヤテは作業のために屈めていた腰を伸ばし、二人を見た。フチの手にある袋は、十分に膨らんでいた。もう、ここでの仕事は終いだろう。コダマはそれを知って、意気消沈しているのだ。


 仕事を終えたのだから、喜んでもいいはずだった。それでも寂しげにしている若い秘術師は、気の毒だったが、同時に愛らしかった。思わず慰めてやりたくなるような、そんな気弱さが感じられた。


 下がったコダマの手から、フチは結晶を取った。袋にそれを入れると、膨らんだ袋を片手で撫でた。


「これで十分だろうか。」


「うん、十分だと思う。」


 コダマは答えた。何かを言おうとするように口を開くが、しかし言葉は出てこなかった。揺れる視線がフチに向けられ、ハヤテに向けられ、それから思いに沈むように水面に向けられた。


 ハヤテはそんな秘術師の様子を横目で窺いながら、工具を背負袋に入れ、フチから結晶を詰め込んだ袋を受け取った。それからコダマの肩を軽く叩くと、にやっと笑ってみせた。


「そういうしんみりしたのは、後にしろよ。まだお別れってわけじゃないんだ。」


「そうだな。」


 コダマは頷いた。だが、その足は動かないし、言葉も続かなかった。この地を立ち去りがたく思っているのが、ありありと窺えた。あまりに心が開けっぴろげなので、ハヤテは思わず声を立てて笑ってしまった。


「また来たらいいだろ。仕事でもしによ。」


「狭間は、ここに開くとは限らない。というか、同じ場所に何度も開くほうが珍しいだろうな。」


 コダマが元気なく言うと、ハヤテは首を振った。


「そうじゃなくて、ほら、治療師として来るってのもあるだろ。別に悪くないだろ。」


 氏族の里での滞在中、コダマは治療を施していた。それをするためにまた訪れるというのは、悪くない考えだろう。


「そうかなあ。」


 コダマは自信なげに言った。その理由も分からないではない。黒鱗族にも、呪術師はいるのだ。それに近隣の町にも、治療師はいるだろう。わざわざコダマが来なくとも、怪我人を治すことはできる。おそらくはそれが、この若い秘術師に躊躇させてしまうのだ。それでも、ハヤテなどは気にすることなく帰ってこればいいのにと思ってしまう。


 コダマが俯くと、フチは若い秘術師に手を差し出した。


「我々はいつでも歓迎する。あなたたちはもう我々の友人なのだから。どんな理由であろうと、気兼ねなく訪れてくれ。」


 コダマは顔を上げ、フチの手を軽く握ってから離した。フチは手を下ろすと、穏やかに微笑んだ。二人を見て、ハヤテはくすっと笑った。


「あんたがコダマのところに来たっていいんだけどな、フチ。」


「それは、どうだろう。」


 フチは少し困惑の表情を浮かべた。旅をするというのは並大抵のことではない。ハヤテなどは人の世話を受けながら町々を渡り歩いているが、そんなことができる者はそういない。ましてや祖先の土地を重んじる辺境の氏族の生まれであるフチにとっては、旅などというものには、なおさら馴染みがないに違いなかった。


「ま、ともあれ。いまは、さあ、帰ろうぜ。」


 ハヤテはコダマの肩を叩いた。秘術師は、淋しげな顔をしてはいるものの、頷いた。

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