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境への旅  作者: 火吹き石
13/21

13.異界へ

 日が昇りはじめると一行は起き出して、少し食べ物を口に入れた。それからコダマが何かしらの準備をはじめた。ハヤテはそれを遠巻きに眺めていた。


 浅い滝壺のところに出て、コダマは周りにつうっと視線を走らせた。その顔はやはり真剣そのものだった。滝のちょうど正面あたりにある木に目を留めると、その下に行く。そしてその木の幹に白い縄を巻きつけると、それに何やら小声で語りかけた。それだけで準備は終わったようで、コダマは昨晩の寝床に戻ってきた。


 術を使ったので、コダマは疲れているようだった。フチは心配そうにしてコダマのそばに寄り添っていた。それを見つつ、ハヤテは村でもらった炒った木の実を、ぽりぽりと摘んでいた。


「あの縄、何なんだ?」


 ハヤテは気になってコダマに訊ねた。コダマは空を見上げていた眠たげな目をハヤテに向けた。


「あの縄に自分の魂の一部を吹き込んだんだ。それが目印になる。遠くに行っても、あ、あっちにあの縄があるな、って分かるんだ。」


「へえ。それ、危なくないのか。」


 いったい魂の一部を吹き込むということがどんなことだかよく分からないが、危険な響きだった。しかし、コダマは首を振る。


「そうでもない。まじないってのは、どれも命を吹き込むことだからな。傷を治すのも手品をするのも、どれも同じで命を削る。異界で迷子になるのと比べれば、命の一部を削って印を作ったほうがいい。」


「ふうん。つまり命綱だ。しかも文字通りの。」


 そうそう、とコダマは言って、自分の結んだ縄に顔を向ける。きっと異界に旅をするから、そのような術を使ったのだろうと、ハヤテにも想像がついた。


「あの縄、切ったらどうなるんだ?」


 それも気になったので、ハヤテは訊ねた。コダマは勢いよく振り返ると、ぎろりと睨んだ。


「あれに触れたら、お前のことを石にしてやる。」


 へえ、とハヤテは声を上げた。


「人を石にできるんだ?」


 なかなかすごい脅し文句だと思い、怖さよりもむしろ驚きを感じた。コダマは気だるげに溜め息をついた。


「まあ、できるよ、多分。変性の術は治療にも使うし。やったことはないけど。」


 そう言って、また空を見上げた。


 しばらく休むと、コダマは立ち上がった。従者と付き人に真剣な顔を向ける。


「じゃあ、行ってくるよ。しばらく帰ってこなくても、残っていてくれよ。時間がかかるかもしれないけど、戻れるはずだから。ああ、それと、ハヤテ、荷袋を寄越してくれ。」


 コダマは言って、ハヤテに手を差し出した。ハヤテは思わず目を見張り、フチと目を見合わせた。フチも驚いている。秘術師は首をかしげた。


「どうしたんだよ。」


「おれたち、ついて行けないのか。」


 ハヤテは言った。フチも厳しい顔をしている。コダマは眉根を寄せた。


「ついて行けるわけがないだろ。危険なんだぞ。」


「どう危険なんだ。」


 ハヤテが訊ねる。コダマは首を振った。


「説明できるとは思えない。この世とあの世の境界なんだ。この世の(ことわり)が通じない。入るのは簡単だけど、迷いやすいんだ。おれはそう聞いている。」


 コダマはいやに固い表情で言った。本気なのだ、と思うと、ハヤテは主人に一人で行かせることがどうしてもいやになった。なんだか、見送ってしまうと帰って来ないのではないかと、そんな気がしてしまった。


 ハヤテは、コダマが木に巻いた縄を手で示した。


「あの命綱があるだろ。あれがあったら、帰り道が分かるんじゃないか。おれたちがついて行ったっていいだろ。」


 ハヤテが言うと、コダマは小首を捻った。ハヤテの言うことを吟味しているようだった。ハヤテはそのまま畳み掛けた。


「決まりだ。おれたちもついて行くぞ。せっかくここまで来たんだ、入口だけ見て、中には入れないなんてやなこった。」


 ハヤテはわざと気軽に言った。本当に、異界を見てみたいという気持ちはある。だがそれよりも、コダマを一人で行かせて帰ってこなかったらいやだと思っていた。見殺しにするようで、それを考えると耐え難い。


 コダマはなお逡巡していたが、ハヤテは滝壺に向けて歩き出した。秘術師はその背に声をかけた。


「おい、待てよ。決まっちゃいないぞ。お前の面倒を見るのなんてごめんだぞ。」


「どうだかなあ。おれたちがお前の面倒を見ることになるかもしれないぜ。」


 ハヤテはおどけて笑った。コダマは苛々として、舌打ちした。


「お前はおれの従者だろ。言うことを聞けよ。」


「従者なんだから、主人だけが危険な場所に行くのを見ていられないのさ。」


 冗談めかした口調でハヤテは答えた。コダマが肩をいからせて口を開きかけると、フチが横から口を挟んだ。


「どうしてもついて行ってはならないならば残るが、私はあなたについて行ったほうがいいと思う。」


「そいつは、またなんで。」


 コダマは氏族の青年を振り返った。フチは気遣わしげな目で、狭間への裂け目を見つめていた。


「私はこの地の氏族の一員であり、この地の精霊の名を知っている。もしも危険があったら、精霊はきっと私のことを助けようとするのではないかな。」


「それは、どうだろうな。」


 コダマは首をかしげた。しばらく眉根を寄せてうんうんと考え込み、それから、ふと溜め息を零した。どっと疲れがのしかかったように、肩を落とす。


 その顔を見て、ハヤテは小さく笑い声を上げた。


「観念したか。おれたち、ついて行っていいよな。」


 ああ、とコダマは、辟易(へきえき)とした様子で答えた。


「いいよ。分かった。だけど、ひどい目に遭っても知らないからな。おれは止めたんだからな。」


 そう言って、コダマはもう歩き出していた。フチとハヤテが、その後ろに続いた。


 三人は滝壺の縁に沿って歩き、岩壁の裂け目に近づいていった。あたりに霧が漂いはじめる。裂け目のすぐ近くにまで来ると、濃霧と言ってよい濃さになり、日の光も弱まってしまった。


 コダマが二人を振り返って、最後にもう一度念を押した。


「いいんだな。来るんだな。たぶん、危険だからな。」


 ハヤテはにやっと笑うと、頷いた。フチが、やや心配を漂わせた声で言う。


「客人が危険な場所に行くのに、私が見送ることはできない。私のことは心配しなくてもいい。ここは我々の領地に近い。精霊の加護があるだろう。」


 コダマは頷くと、裂け目に向いた。細い滝がいくつも落ちて、擦り切れた帳のようになっている。頭から水を被りながら、三人は滝を越え、その奥にある裂け目に足を踏み入れた。

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