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境への旅  作者: 火吹き石
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1.共寝

 ハヤテは(さかな)を摘んでは酒を口に運び、心楽しく過ごしていた。しかしその向こうに座っている短身の若者は、疲れたように溜め息をついた。


「お前は元気だなあ。」


 そう言った若者に、ハヤテは笑いかけた。


「あんたが体力ないのさ。力仕事なんてしてないんだろ。おれは、ほら、この通り。」


 ハヤテは腕に力こぶを作って見せる。といっても、実際のところ、そんなに腕が太いわけではない。ハヤテは中背で、体つきはそれなりに引き締まっていると自負していたが、筋骨逞しいというわけではない。町を歩けば、自分よりももっと大きな者は大勢いる。


 向こうに座っている若者は、また溜め息をついた。どうも疲れているらしい。


「疲れてるんだなあ。」


 ハヤテが言うと、相手は頷いた。手元の茶を一口飲むと、ふうと息をついた。


「足が痛え。」


 そう呟く声は、いかにも疲れ切っていた。すでに旅に出て二日が経っていた。旅慣れない若者には、肉体的にきついことだろう。


 そこは旅の途中で立ち寄った飯屋だった。宿もやっており、今夜はここに泊まることになっている。そろそろ寝床で休んでもよい頃合いだったが、ごった返した店内にはまだまだ大勢の人がいた。喧しく話し、笑い、たまにどなりながら、騒々しく酒を楽しんでいる。火鉢に燃える光が店内を照らしているが、煙のせいで物が霞み、空気は辛い。夏のことだから、店の中は少しばかりうっとうしい熱さだった。


 向こうに座っている若者は、コダマという名前だった。治療を生業とする秘術師であり、ハヤテを従者として雇っていた。なんでもコダマの町の秘術師たちは数年に一度、若い弟子を遠方に仕事させに行くそうで、今年がコダマの番だということだった。


 ハヤテの方は放浪者だった。故郷で職人の見習いにはなったものの、喧嘩をするわ、仕事が厳しいわで、すぐに仕事がいやになって職場を飛び出したのだった。故郷に留まって他の仕事を探すこともできたのだが、どうにも故郷の居心地が悪く、行商の荷物運びとして町を出てしまったのだった。


 それからはふらふらと町を渡り歩き、何か力仕事でもあったらそれをし、なければないで飯屋かどこかで食わせてもらい、それもなければ野宿するという日々だった。楽な暮らしではないのだが、どうにも、どこかに定住するということが気に入らなかった。


 そしてある町の広場をぶらついていると、コダマとその師匠とに見出され、旅の伴をするようにと雇われたのだった。


 いったいコダマがどんな仕事をするのか、ハヤテはよく知らなかった。そして知る必要もないのだろう。あくまで人足として、そして何か危険があれば用心棒として働くようにと雇われたのだ。ハヤテは腰に長い山刀を差している。一応は工具だが、必要とあれば武器としても使える。実戦で使ったことはないが、少年時代、剣の腕は悪くなかった。


 しかし、ハヤテは割と知りたがりの(たち)だった。秘術師の仕事はよく分からないが、だからこそ知ってみたい。いまのうちにちょっとくらい訊いてみてもいいだろう。


 そう思って、それで、とやおら口を開いた。コダマは顔を上げた。


「明日が、その、なんだっけ。まじない師に会って、なんかの場所を訊くんだっけか。」


 コダマは小さく溜め息をついた。無理もない。秘術師はすでに何度か説明を試みていた。だがいまいちハヤテには理解できないのだった。


「向こうの町に、探索の術に秀でた秘術師がいる。その人が、おれたちの目的地を示してくれる。境界は、どこか一所(ひとところ)に定まってあるものではないからな。開いては、閉じる。場所も形も不定なんだ。」 


 そういえば、そんなことを言っていた気がする。コダマは、ということはハヤテも、境界とやらを探しているのだった。しかし、肝心の境界というものがよく分からない。


「その境界ってのは、なんだい。」


(あわい)顕界(げんかい)幽界(ゆうかい)の間。この世とあの世の境。」


 言いながら、コダマは茶に指を漬け、机に図を描いた。ハヤテは机の灯明壺をそれに近づけ、身を乗り出して手元を見た。そこには二重の円が描かれていた。


「こっちの内側の小さな円が顕界だ。つまりおれたちの世界。生者の住まう肉と物質の世界。(うつ)し世。」


 そう言って内側の円を指す。それからその指を外側の円に向けた。


「こっちの外は幽界、あの世、(かく)り世だ。死者と精霊が住んでいる。まあ、精霊はこの世にも(あらわ)れるけど、数はうんと少ない。」


「この外側は?」


 ハヤテは二重の円の、さらに外側を示した。コダマは顔を上げ、眉を上げた。


「何もないよ。それは図の外だ。二重の円、顕界と幽界しか存在しない。二つの世界を示したいから二つの円を描いただけで、本当なら一つでもよかったんだ。」


 コダマは言いながら、二重の円の横に、一つの円を描いた。その一重の円の内外を交互に指で示す。


「この円の内側が顕界、外が幽界。同じこった。」


 ふうん、と頷いて、ハヤテはコダマの描いた円を見下ろした。この世とあの世があるというのは、ハヤテも知っている普通のことだった。


「で、境界ってのは?」


 ハヤテはそう訊ねた。あの世とこの世の二つの世界があるのは知っているが、それ以外は聞いたことがなかった。


 すると、コダマは顕界を示す円の所々に短い線を引いた。円と直角に交わり、断ち切るような形だった。


「あの世とこの世は完全に隔たっているわけじゃない。所々でつながっている。そこが境界、二つの世界の狭間だ。だけど、今日はもう……。」


 そう言ってから、コダマはあくびをした。話は終わりとばかりに、コダマは二つの図を掻き消した。


「寝るかい。」


 立ち上がろうとする気配を感じて、ハヤテは訊ねた。コダマは頷いた。


「ああ。もう、眠いや。寝る前に体を拭きたいけど。」


 コダマは茶を飲み干して、ゆっくりと立ち上がった。ハヤテも立つ。話をもっと聞いてみたい気もするが、雇い主は疲れているようだった。それに明日も早くから起きるから、早めに休んだほうがよさそうだ。


 二人は連れ立って中庭に出て、井戸から水を汲んで、軽く水浴びをした。そうして小ざっぱりしてから、店内に戻り、二階の居室に向かう。


 やすい宿のこと、居室は雑居寝(ざこね)する形だった。大して広くもない部屋に、大きな寝台が三つ置かれている。隅には毛布が積まれており、必要なら床でも寝られるだろう。その他には調度の類は置いていない。


 寝台の一つでは、すでに一人の壮年者が横になっていた。だが、まだ下で飲み食いしている者は多い。しばらくすれば寝台は埋まるだろう。早めに来てよかったと、ハヤテは思う。別に床で寝られないこともないが、やはり寝台があったほうが寝やすかった。


 コダマが隅の方の寝台に腰掛け、寝る準備をはじめた。ハヤテもそのすぐ近くに行って、コダマから預かっている荷物を下ろし、服を脱いだ。若い秘術師がちらちらとハヤテのことを横目で見ていたが、それには気づかないふりをした。そして裸になると、何気なく寝台に座った。


 コダマはこちらを見ると、何か言いたげだった。しかしその目はどこかをふわふわ泳いでいた。ハヤテは笑いをこらえるのに大変だった。この若い秘術師は、人の裸に明らかな興味を懐きながら、それを表に出すのを(はばか)っているようだった。それは昨夜も同じことで、寝床に入ろうとするハヤテを、横目でじろじろ見るのだった。


 ハヤテが小首をかしげて促すと、コダマはようやく口を開いた。


「空いてるんだから、そっちで寝たらどうだ。」


 そうつれなく言いながらも、コダマの視線は揺れ、ハヤテの体を撫でていた。ハヤテはなんとか笑いを噛み殺さなければならなかった。


「どうせすぐ、他の台だって埋まるだろ。」


 ハヤテはそう言った。それは事実だった。じきに他の寝台は埋まるし、そうなれば知らぬ者と同じ床で寝ることになるだろう。それよりは、旅の道連れと一緒に寝るほうが自然だった。


「だけど、まだ空いてるだろ。」


 コダマは素っ気なく言うが、やはりハヤテに対する興味を隠しきれないでいた。ハヤテがわざと黙って様子を窺うと、居心地悪そうに視線をゆらゆら揺らした。


「それに、昨夜だって分かれて寝ただろ。」


 それもそのとおりだった。だがそれは、たまたま客が少なかったからだった。すでに寝ている一人を除けば、まだ居室に誰も来ていないが、いまも階下では酒を飲んでいる連中がいる。全員がここに泊まるわけではないだろうが、そのいくらかは上がってくるだろう。今夜一人で寝ることは、どのみちできそうにない。そうなれば、後は誰と寝たいかという話でしかなかった。


「おれ、あんたと一緒に寝たいなあ。」


 ハヤテはわざと甘えた調子の声を出した。コダマは顔を逸し、はあと溜め息をついた。


「雑居寝なんだぞ。なんにもできないぜ。」


 コダマの声は少しだけ上ずり、震えていた。ハヤテは胸の内で笑った。本当にこの若い秘術師は、表情を隠すことができない質のようだった。そこが可愛らしかった。


「なんもしないさ。手ぇなんて出さないから。――まあ、あんたからなら、手ぇ出してくれてもいいけど。」


 冗談めかして言うと、コダマはふんと鼻を鳴らした。


「出さねえよ。」


 コダマは言って、寝台に横になる。どうもこれで話は終わりということだった。ハヤテも並んで横たわる。顔を横に向け、ハヤテはコダマを覗いた。


「おやすみ。」


 ああ、という素っ気ない返事が返ってきて、コダマは目を瞑った。


 夏の夜のこと、空気は温かった。寝台は狭く、どうしたって腕や肩が触れ合ってしまう。重なった肌の間に、二人の汗が滲む。


 そうして触れ合っているから、ハヤテには、コダマが緊張しているのが分かった。秘術師の息は浅く、体が固い。身じろぎを少しもしないよう、力を込めているようだった。


 初心(うぶ)なんだなと、ハヤテは思った。コダマが色事の経験に疎いことは、傍目にも明らかだった。そして同じくらい明らかなのが、この若い秘術師が、色事に少なからず関心を向けていることだった。


 だがまあ、もう少し様子を見たほうがよさそうだった。逸って何か間違いを犯してはいけない。それに手は出さないと約束したのだから、ハヤテから手を出すことはしたくなかった。もしも手を出して欲しいなら、コダマからするだろう。


 しばらく、ハヤテは目を瞑ってうとうととしていた。相変わらず、コダマの体は固く、息は浅いままだった。どうしてそこまで緊張するのか、ハヤテには分からなかった。もしかして、人と共寝したことがないのだろうか。 


 やがてゆっくりと、本当にゆっくりと、触れ合った手をコダマが動かした。汗でぬるぬるした肌が、少しだけ擦れ合う。寝返りだとか寝相だとかではなく、意図的に忍びやかに動かそうとしている感じだった。笑いそうになって、ハヤテは慌てて笑いを噛み殺した。もう少し様子を見てみたかった。


 コダマは少しずつ手を動かし、肌を撫でた。ハヤテが何もしないからか、動きは段々と大胆になっていった。それでも、ハヤテからすればおかしく思えるほどおずおずとしていた。ようやくハヤテの手に触れると、やわい力で握った。


 その手付きがあまりに可愛らしくて、ハヤテは我慢ができなくなった。一つ寝返りを打つと、コダマに体を向け、その腕を軽く両手で抱くようにした。


 寝返りを打った途端に、コダマは体をまた固くした。息遣いが聞こえなくなったのは、きっと息を飲んでいるからだろう。うっすらと目を開くと、暗闇に緊張した顔が見えた。軽く腕を撫でてやると、口が小さく開き、甘い吐息を漏らした。


 思わず、ハヤテはくすっと笑いを零した。


 すると、コダマは目を開いた。暗闇を通して、二人の目が合った。秘術師は物欲しげで、切なげで、それでいて怯えたような顔をしていた。ハヤテはにっと笑みを浮かべて見せた。


 コダマは明らかに気を昂ぶらせ、息を荒らげながらも、しかしまだ怯えた顔をしていた。


「大丈夫。何にもしないって。」


 小さな声で囁く。コダマは物言いたげな顔をしたが、言葉は出なかった。ただ、ハヤテの手を小さな力で握った。


 ハヤテは笑った。コダマはもとより小柄だが、こうしていると本当に小さな少年のようで、可愛らしかった。


 だが、焦ってはいけない、とハヤテは考えた。コダマは明らかに色事に慣れていない。無理をさせてはいけなかった。少しずつ緊張を解していき、したいことを自分から言ってもらわねばならない。


「おやすみ。」


 ハヤテはもう一度囁くと、コダマの手を握り、目を瞑った。コダマはまだしばらくは悶々として起きているかもしれない。しかしそのうち眠るだろう。

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