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短編小説

司祭さまは、最愛の人と結ばれたい

作者: ざっきー


「では父上、行ってまいります」


「サミュエル、其方に女神様のご加護があらんことを……」


 国王陛下である父へ出立の挨拶をすませると、私は城を後にした。


『女神教』の発祥国として知られる我がベルファス王国では、王族としてこの世に生を受けた男子は聖職者を兼任し、二十歳になると一年間の巡礼の旅に出るという古いしきたりがある。

 第三王子である私も兄たちと同じように十五歳の成人を期に司祭となり、数年間、国内各所にある教会へ赴き修行を重ねてきた。そして今日、いよいよ国外へと旅立つのだ。

 供の者は、私の屋敷で執事をしているヨーゼフと、王族である私を陰から護衛する従者が数名だけ。

 旅の間は基本的に自分のことは自分でやらなければならないが、私はまったく問題がない。

 兄たちと王位継承権を巡って争う気のない私は、旅を終えたら臣籍降下すると宣言しており、そのための準備も滞りなく(おこな)っていたからだ。


「サミュエル殿下、たとえ貴方が臣籍降下されましても平民となられるわけではございません。これからも国、そして王家を支える貴族の一員として……」


 馬車に乗り込むと、ヨーゼフのいつものお小言が始まった。


「ヨーゼフ、皆まで言うな。だから……俺に早く結婚しろと言うんだろう?」


「わかっておられるのなら、早く爺を安心させてください!」


「……鋭意努力する」


 私が臣籍降下すると決めてから、ヨーゼフが前以上に口やかましくなってきた。

 自分が死ぬまでに結婚をしろだの見合いをしろだのと、うるさくて仕方ない。


 私の希望を言えば、結婚相手は身分ではなく私という『個』を見てくれる女性がいい。

 ……とは言っても、国内では貴族階級にはすでに私の顔は知られているので、希望を叶えようとすれば(おの)ずと相手は国外の人物ということになる。


「この巡礼の旅の間に、お相手を探してみてはいかがですか?」


「ははは……」


 ヨーゼフの提案に、思わず乾いた笑いが出た。

 そんな簡単に望みの女性と出会えるものなら、誰も苦労はしないのだ。

 憂鬱な気分のまま、私は窓から見える外の景色を眺めていた。



 ◇



 女神教を信仰している国々では、女神様が下界へ降り立ち人々を救ったという数々の伝説が残されている。

 現地の教会で寝泊まりをさせてもらいながらその地を巡り、信仰心を新たにするのが旅の目的だ。


 数か国を回り、最後の巡礼の地である隣国リンデン王国の王都へたどり着いたのは、残り一か月を切った頃だった。

 王都の教会で司祭たちと世間話をしながら、この国の情報収集を合わせて行う。

 巡礼の旅には、各国の情勢を探るという裏の仕事もあるのだ。


「王子殿下たちの婚約者が誰になるのか、いま(ちまた)ではその話題で持ち切りなんですよ」


「この国の王子殿下は、たしか……双子でしたよね?」


「そうです。各国を巡られているサミュエル司祭の耳にも、噂は届いておりましたか。国王陛下が『国にとってより良き伴侶を娶った者に王位を譲る』と宣言をされたようで、両殿下が(しのぎ)を削っているそうです」


 隣国の王子として、私は一度だけ二人と会ったことがあった。

 双子というだけあり、本当に顔がそっくりで見分けがつかなかったことを覚えている。


「こんなことを言ったら不敬ですが……王位のために結婚相手を選ぶなんて、王族は大変ですね」


 私をベルファス王国の第三王子だとは知らない司祭が、苦笑いを浮かべながらお茶のおかわりを注いでくれた。


「私も、そう思います」


 彼の言葉に大きく頷き、お茶を頂く。

 身分が選べないのであれば、せめて結婚くらいは好きな人としたいものだ。



 ◇



 数日滞在した王都を離れ、近郊の村へと移動した。

 この村には、巡礼の旅と情報収集の他にもう一つ目的がある。

 臣籍降下後の生活に備えて、私はある商会を立ち上げていた。

 それは近隣諸国からの輸入品を取り扱う店で、我が国の王都に本店があり、今回この村に新たに設立した支店の視察だ。

 ここは村といっても規模がかなり大きく、王都に近い立地にもかかわらず物価が安い。そのため、様々な業種の商会が集まり大変活気がある。


 商会の代表は私だが、この村でも女神教の司祭として村の代表者へ挨拶に出向く。

 村長は壮年の男性で、敬虔(けいけん)な女神教信者のようだ。

 この村に古くから伝わる女神様の話をしてくださった。

 村近くにある森の中に、太古の人々が女神を祀ったとされる(ほこら)のような遺跡があるのだという。

 同席していた、兄たちと同年代とみられる村長の子息は「つまらないものです」と笑っていたが、興味を引かれた私は場所を聞き、後日訪れることにした。





 祠の場所はすぐにわかる。

 切り出した石で簡単に組み立てられた小屋のような物で、経年劣化の影響で一部は倒壊し苔で覆われていた。

 中を覗いてみると、(うっす)らと壁画らしきものが見える。

 目を凝らすと、それは後光の差した女性……この世に降臨された女神様のお姿だった。

 持参した紙に夢中になって壁画を写し取っていると、いつの間にか日が傾き始めている。

 やむなく中断し、後ろ髪を引かれる思いではあったが村へと戻ることにした。


 森を出て歩き出したとき、突然、辺り一帯に光が差した……と思ったら中から光り輝く何かが飛び出してきた。

 纏っていた光が一瞬にして消え、女性が姿を現した。


 『人ならざる者』かと思わず身構えるが、女性は私を見つめたまま動かない。

 よく見ると、平民の若い女性のような恰好をしている。


「あなたのような若い女性が、こんな時間にこんな場所で何をしているんだ?」


 怪しいこと此の上ない女性に警戒しつつも、つい声をかけてしまった。


「私はタビビトなのですが、道に迷ってしまいまして……」


 多少言葉が覚束(おぼつか)ないのは、魔物が人に変化(へんげ)しているからなのか、それとも異国人だからなのか、ここでは判断がつかない。


「旅人? あなたは一人で旅をしているのか?」


「はい。この近くに村があると聞きまして、そこを目指しておりました」


「……そういうことか。もうすぐ日暮れだから急いだほうがいい。俺も村に帰るところだから、案内しよう」


「ご親切に、ありがとうございます」


 嬉しそうに微笑み丁寧に頭を下げる仕草は美しく、一応話の筋も通っておりとても魔物には見えないが、油断はできない。

 彼女は『人』か、『人ならざる者』か。

 監視の意味合いもあり、私は女性についていくことにした。



 ◇



 村に着くと、女性は物珍しそうに辺りをきょろきょろと見回しては「これが牛なのね……」とか「本物は、こんな色と形をしているんだ」と呟いている。


 ――まさか、牛を見るのが初めてなのか……


「俺は『サム』というのだが、あなたの名は?」


『サム』というのは、サミュエルの愛称。

 女性には、何となくこちらを名乗ってしまった。


「私は……エルと申します」


「エルさんは、今日の宿は決まっているのか?」


「宿? ああ、いえ……まだ決まっていません」


 私が尋ねると、首をかしげたあと目が泳いだので、何も考えていなかったことがすぐにわかった。

 こんな調子で一人旅をしていたのだろうか。話をする度に、どんどん疑問が湧いてくる。


「よければ……宿を紹介するが?」


「本当に何から何まで申し訳ありません。大変助かります」


 エルさんは、人を疑うということをしないようだ。

 私の申し出に、躊躇することも逡巡することもなく彼女は即答した。





 私は宿までついていき、値段交渉の末、エルさんの希望に沿った部屋に決まった。


「いろいろとお世話になりました。ありがとうございました」


「困ったときはお互い様だから、気にしなくていい。では、俺はこれで失礼する」


「はい、失礼いたします」


 立ち去ろうとしてチラッと後ろに視線を送ると、宿の前でにこやかな笑みを浮かべたエルさんが私を見送ってくれていた。

 言うべきか言わないべきか迷ったが、結局口を開くことにした。


「その……俺が言うのもなんだが、あまり見ず知らずの男について行くのは止めたほうがいいと思う」


「どうしてですか?」


「あなたのような若い女性は狙われやすいんだ。特に……あなたは美しい人だから」


 初対面の女性を褒めるのが男性貴族に課せられたマナーだと、幼い頃からの教育のせいでつい貴族の癖が出てしまった。

 ただし、これはお世辞ではなく本音だったが……


「美しい……私がですか?」


 私の言葉に顔を赤らめるわけでも不快感を示すわけでもなく、エルさんは頬に手を当てたまま不思議そうに首をかしげている。

 その姿は様になっておりとても平民には見えないが、彼女の反応を見る限りではどうやら貴族ではないようだ。

 男性貴族が女性を褒めたあとは、必ず礼を返すのが女性貴族のマナーだから。


「本人に自覚がないのか……これは危なっかしいな」


 危機感のないエルさんのことが、本気で心配になってきた。

 魔物が何らかの意図をもって化けているのであれば、周囲に怪しまれないように行動するはずだが、彼女の言動はまるで世間知らずの箱入り娘のよう。

 宿でのやりとりから、この村に長期滞在をする予定であることはわかったが、旅の目的は今のところ不明だ。


「エルさんは当分の間この村に滞在するようだから、何か困ったことがあったら俺に相談してほしい。どんな些細なことでも構わないから、ここへ連絡をしてくれ」


 商会の名前と住所が書かれたメモを手渡す。

 私はこの村でも教会で世話になっているが、執事のヨーゼフは商会に滞在しているため、彼に伝言すれば私へ連絡がいくと説明をした。

 私が聖職者であることは、エルさんには告げない。

 彼女はさすがに恐縮しているようだったが、メモは受け取ってくれた。

 本当に一人旅なのかまだ疑念は捨てきれないが、お節介なのは承知の上での行動だ。


 エルさんと別れたその足で商会へ顔を出し応接室でヨーゼフへ事情を説明すると、予想通り彼は「見ず知らずの女性に、そのようなことを……」と難色を示した。

 護衛たちからも一通り話を聞き取ったヨーゼフは、彼らを下がらせ私と向き合う。


「大変見目麗しい女性だったそうですね……サミュエル殿下?」


「……何が言いたい?」


「彼らの話では、その方に付いている従者などは確認できなかったそうですから、単身で行動する間者や暗殺者という可能性もあります。しかし、殿下はその怪しげな人物と自ら進んで交流を持たれたのです。この行動は決して褒められたものではありません。ご自分の置かれている立場や責任を、もう少しご自覚ください」


「それは、わかっている」


 これでも、少し軽率な行動だったと反省はしているのだ。

 私へ説教を終えるとヨーゼフは満足そうにお茶を一口飲んだが、その後は何も言ってこない。

無言の彼に居心地の悪さを感じながら、私もお茶を飲みお茶菓子を黙って食べる。

 しばらく沈黙の時間が続く。

 そろそろ教会へ戻ろうかと腰を上げかけたとき、ヨーゼフがにっこり笑った。


「……殿下が女性に心を動かされたのは初めてのことですので、爺は少々浮かれております」


「はあ?」


 先ほどの険しい表情からは一変、好々爺の顔をしたヨーゼフが身を乗り出してきた。


「今後、その方とはどのようなお付き合いをされるのですか? ぜひ、爺も一度お会いしたいものです」


「ついさっき、彼女のことを不審人物云々(うんぬん)と言っていたくせに、どういうことだ!」


「ホッホッホッ……本当の不審人物であれば、護衛たちがすぐさま排除しておりますよ。それに、殿下の人を見る目を爺は信用しておりますゆえ……」


 ヨーゼフの変わり身の早さには、呆れてものが言えない。

 この狸じじい!と心の中で悪態を吐いて、商会を後にした。



 ◇



 エルさんから連絡がくるとは思っていなかったので、次の日さっそく連絡が来たというヨーゼフからの報告には正直驚いた。

 私に相談したいことがあるようで、商会の応接室で会うと伝えてくれと言ったところ、彼から叱責されてしまう。

 曰く、常に従者が傍にいる貴族とは違い、平民の女性にとって知らない場所に連れ込まれるのは恐怖以外の何ものでもないこと。

 お互いのことをよく知るまでは、人目の多い場所で会うのが常識だそうだ。

 なるほどと納得し、今日の夕刻、エルさんが泊まっている宿近くの食事処で会うことになった。



「お忙しいところお時間を作っていただき、ありがとうございます」


 丁寧に礼を述べたあと、エルさんは話を始めた。

 自分がこの村に滞在しているのは、半年後に王都へ行くためであること。

 本当は、こんなに待つ予定ではなかったことも教えてくれた。


「……それで、サムさんへ相談したいのは、この待っている間、私はどうすればよいのかということなんです!」


 拳を握りしめ力説するエルさんを見て、私の肩の力が抜けた。

 店で会ったときに彼女が思い詰めたような顔をしていたので、何かあったのかと心配したのだが、取り越し苦労だったようだ。


「……半年後に王都へ行くまでは、この村に滞在することは決まっている。その間、何をすればいいのかという話なんだよな?」


「そうです。ただボーっと待っているのもなんですし……」


 王都へ行く目的は教えてもらえなかったが、長期滞在の理由はわかった。

 しかし、半年もここで滞在とは、かなり費用がかかると思うが……


「確認なんだが、エルさんはどこかの貴族のご息女か大店(おおだな)の娘……というわけではないのか?」


「えっ……違いますよ! どうして、そんなことを?」


「あなたは一つ一つの所作に品があり、とても平民には見えないことが理由の一つ。あとは、あまりにも世間知らずというか……」


 私の言葉に目を見開き、心底驚いたような表情を見せたエルさん。

 魔物疑惑から、貴族の息女、もしくは大店の娘という疑惑にかなり比重が傾いていたが、彼女は手を振り首を振ってきっぱりと否定した。


「本当に一人旅なのか? 陰で護衛が守っているとかはないのか?」


「ありません。私は一人です」


 従者たちがすでに確認をしているが一応本人へも尋ねてみたところ、やはり結果は同じだった。

 何度も繰り返し尋ねたせいか、気づくとエルさんが俯いていた。

 私を信頼し相談をしてくれた彼女に失礼な態度を取ってしまったと反省し、慌てて頭を下げる。


「すまない! 詮索をするつもりはなかったんだ」


「いえ、ご指摘いただきありがとうございました。自分では気づかないことなので、ご意見は大変参考になります」


「…………」


 当方の非礼を詫びたはずなのに、返ってきたのは感謝の言葉。

 これが貴族相手なら嫌味を返されたと捉えてしまうが、エルさんは心からそう思っていることが伝わってきて、こちらとしても返答に困ってしまう。


「えっと……さっきの相談の件だが、仕事をするのはどうだろうか? 半年も滞在するなら、費用も掛かると思うが」


「仕事……それは良い考えですね! ではさっそく明日、仕事を探しに行ってきます!!」


 黒髪を揺らし、焦げ茶色の瞳を輝かせて元気よく宣言したエルさんに、尋ねなければならないことが一つある。


「あ~エルさん、念のため確認をするが……どこへ仕事を探しに行くんだ?」


「その辺りを歩いている人に聞こうかと……ダメですか?」


 やはり予想通りの答えだった。

 下手をすれば騙されて人買いにでも売り飛ばされそうなエルさんが心配で、明日は司祭の仕事は休みをもらい彼女に同行することを今決めた。


「村に仕事斡旋所があるから、明日一緒に行こうか」


 私からの申し出に、彼女は申し訳なさそうに頷いた。



 ◇



 仕事斡旋所は、村役場の建物の中にある。

 この村は景気が良いので、探せばいくらでも仕事はあるのだ。

 斡旋所の職員が、受付のためのペンと用紙をエルさんへ差し出す。


「まずは、あなたの名前と年齢、それから特殊技能があればこちらへご記入……失礼ですが、字は書けますか?」


「はい、このために習得してきましたから!」


 自信満々に言うだけあり、エルさんはとても達筆に名を書いた……が、すぐに手が止まってしまう。


「あの……サムさん?」


 隣に立っている私へ、困ったような視線を送ってきたエルさんを見てすぐに察した。


「気が付かなくて申し訳ない! 俺は後ろで待っていることにしよう」


 年齢を知られたくないのだと思った私は後ろへ下がろうとしたが、エルさんに腕を掴まれ引き戻される。

 エルさんが職員に聞こえない小声でこそっと囁いてきた。


「……サムさんから見て、私は何歳くらいに見えますか?」


「はい?」


「サムさんより、年上か年下……どちらに見えますか? あっ、サムさんってお幾つでしたっけ?」


 質問の意図は全く理解できないが、エルさんがとても困っていることだけは伝わってきた。

 私は自分の年齢は二十歳と答えたが、次の返答に窮してしまった。

 長い黒髪に焦げ茶色の瞳を持つエルさんは、とても美しい女性だ。

 一見すると大人の女性のように見えるが、彼女の言動は大人と子供の両面を合わせ持っているかのようなちぐはぐさを感じることが多い。


「エルさんは、どちらかと言えば……年下だろうか」


「ありがとうございます! では、そのように……」


 遅れを取り戻すかのように、エルさんはパパッと残りを書き終えた。

 用紙を覗くと、年齢は十八歳と記載されていたが、次の項目を見て言葉を失った。


『神聖魔法(ほぼ全て行使可能)』


 エルさんが用紙を職員へ提出すると、彼も私と同じ顔をした。


「えっと……エルさんは神聖魔法が使えると書いてあるけど、間違いない?」


「はい」


「しかも、ほぼ全てとあるけど……これも本当?」


「はい、本当です! 私ができないことは、死んだ人を生き返らせることですね……残念ですが」


 さも残念そうに語り肩を落とすエルさんを見て、職員が私に「全部、本当のこと?」と目だけで問いかけてきたが、私は「わかりません」と無言で首をかしげて返した。

 エルさんが魔法を使えるなんて初耳だったし、彼女はそんな素振りを見せたこともなかったのだ。


 その後すぐに、治癒士の求人を出していた冒険者ギルドへ連れて行かれ、神聖魔法が使えることに対し同じく半信半疑のギルドマスターの前で術を披露することになった。

 エルさんの回復魔法で、どこまでのケガが治せるのか検証するのだという。

 ギルドマスターの他には副ギルドマスターと治癒士、斡旋所の職員と私たちの計六名が部屋にいる。

 ギルドにいた冒険者の中から治療希望者を募ったようで、患者がぞろぞろとやって来た。


 一人目は若い女性。ただの擦り傷で、エルさんが触れるまでもなくあっという間に治った。

 二人目は中年男性。少し大きめの裂傷だったが、こちらも患部に触れずに治療完了。

 三人目は若い男性。背中にかなり広範囲に渡る火傷の痕。しかし、こちらも触れずにあっさりと治療が終わった。


 この辺りで、周囲がざわざわし始めた。

 ギルド直営の治療院で働くベテランの治癒士は、患部に触れずに治療すると魔力の消費が激しいので、大きなケガほど直接触れて治療するのが常識だと語っている。

 私は心配になってエルさんに「大丈夫ですか?」と尋ねたら「全く問題はありません!」と力強い言葉が返ってきた。


 四人目の中年女性は、左手人差し指の欠損。

 さすがにここからは触れて治療するのかと思いきや、触れずにほんの数秒で指が生えた。


 目を丸くしている周囲にお構いなしで、エルさんは次へいく。


 五人目は、右腕が無い壮年の男性。

 ここでエルさんはようやく患部に触れたが、一瞬で腕が再生した。

 先ほどの指よりも再生が早かったように思うのは、気のせいだろうか。


 最後の六人目は老人だった。

 彼は用意された椅子に腰掛けると、おもむろに義足を外し始める。どうやら両足とも膝から(した)がないようだ。

 だが、エルさんの表情は変わらない。そっと足に手を置き目を閉じると魔力を集め放出……そして、治療は完了した。

 冒険者は涙を流しながらエルさんへ何度も礼を述べ、しっかりと自分の足で歩いて帰っていった。


「…………」


 全てを見ていた私は、何も言葉が出てこない。

 まるで、神の御業を垣間見た気分だ。

 満面の笑みを浮かべているエルさんを除いた全員が、同じ気持ちだったと思う。


「……口外法度だ」


 壮年のギルドマスターが、沈黙を破るようにしわがれた低い声でつぶやく。

 この場にいた、副ギルドマスターと治癒士。斡旋所の職員。そして私へ聞こえるように、ギルドマスターは再度言葉を繰り返した。


「今日のことは他言無用でお願いしたい。特に、王都の連中に気づかれたら最後、否応なしに取り込まれてしまうじゃろう。この措置は、短期雇用を希望している彼女を守るためでもある」


『王都の連中』が誰のことを指しているのか、私にはよくわかる。

 我が国が誇る宮廷治癒士でも、筆頭がようやくエルさんと肩を並べる程度で、他の者では彼女の足元にも及ばないだろう。

それくらい彼女の術は素晴らしく、そして美しかったのだ。


「エルさんといったかね、もちろん、おまえさんは合格だ。試すようなことをして済まなかった。何分(なにぶん)、自称『神聖魔法の使い手』が多くてね、そういう(やから)を見分けるためにやっているんじゃよ。では、明日からよろしく頼む!」


「はい、誠心誠意がんばります!」


「わはは! さっきの儂の話を聞いておったかな? あまり力を出し過ぎんよう注意してくれ。でないと、おまえさんは美人だし、二度と王都からは出してもらえんようになるぞ……そうなったら、彼も困るじゃろう?」


 ニヤニヤと私の顔を見るギルドマスターに、彼が誤解していることを(さと)る。


「いえ、俺とエルさんは、そういう関係では……」


「ああ、年寄りには眩しいわい……」


 目を細め、ギルドマスターは上機嫌で部屋を出て行く。


 ――人の話を聞かないのは、どこの年寄りも同じだな……


 頭に『ヨ』の付く人物を思い浮かべながら、私は彼の背中を見送ったのだった。



 ◇



 エルさんがギルドで働きはじめてから、二か月以上が経過していた。

 私たちは定期的に会って、食事をするようになっていた。


 私と会うたびに、彼女はいろんな相談を持ち掛けてきた。

 たとえば、「どうすれば、目立たず周囲に埋没することができるのか?」とか、「どうすれば、普通の村娘に見えるようになるのか?」といった具合だ。


 最初の質問は、本音の結論から言ってしまえば、『エルさんが目立たず周囲に埋没することは無理』ということ。

 こうして一緒に食事をしていたり、街を歩いていても、容姿が目立つエルさんを男性が振り返って見ているのがわかる。

 本気で埋没するつもりならば、もうマスクを被り素顔を隠すしかないと思う。

 でも、真剣に悩んで相談をしてくれるエルさんへ本音は語れない。

 だから私は「眼鏡をするか、帽子を被ってみては?」と当たり障りのない返答しかできないのだ。


 その次のは、聞いた途端に吹き出しそうになった質問だ。

「どうすれば、普通の村娘に見えるようになるのか?」なんて、自分がすでに普通の村娘ではないことを示唆しているのだが、エルさんはそれに気付いていなかった。

「普通の村娘に見せたいってことは、やっぱりエルさんは普通の村娘ではないってことだよね?」と、つい意地悪な質問を返してしまったことは許してほしい。

 こちらも、本音は先ほどの質問と同じような答えになってしまうのだが、「周りの人たちをよく観察して、周囲に言動を合わせてみては?」と答えておいた。



 ◇



「……エルさんって、本当に美味しそうな顔をしてご飯を食べるよな?」


 流れるような所作で魚のムニエルを切り分け、目を細め嬉しそうに食べているエルさんについ見惚れてしまった。

 今日も、私は彼女と夕食を共にしている。

 同じ店ばかりでは飽きるだろうと、ヨーゼフから情報収集をして様々な店へ足を運んでいるのだが、どこへ連れて行ってもエルさんは喜んでくれる。


「そんなことを言われたのは、サムさんが初めてです」


「そうなのか? エルさんの顔を見ていたら、誰しも思うことは同じだと思うが」


「えっと…普段は、他人と食事をしないというか…食べないというか……」


 焦ったように目を泳がせているエルさんは、本当に素直でわかりやすい人だと思う。

 貴族や商売相手と腹芸を繰り返している私にとって、感情表現が豊かで裏表のない彼女と過ごすこの時間は、何ものにも代え難いものとなっていた。


 ――エルさんが村に来てから、そろそろ三か月か……


 半年経ったら王都へ行くとエルさんは言っていた。

 ということは、彼女と一緒にいられるのも残りあと三か月。

 日に日に名残惜しいと思う気持ちが強くなってきているのを感じる。


 見事な神聖魔法の使い手である彼女が、本当は何者で、どこから来て、王都で何をするつもりなのか、尋ねたいことは山ほどあるのに尋ねられない。

 自分の正式な名も、司祭であることも、隣国の王子であることも隠しているのに、どの口で聞くつもりだともう一人の自分が自嘲している。


 私が司祭だと知ったら、エルさんは気軽に会ってくれなくなるだろうか。

 平民、特に信者は、聖職者を高位の存在として扱う。

 彼女とは対等な関係で食事をしたり、気軽に何でも相談を持ち掛けられる存在で在り続けたい私は、これまで隠し続けてきた。

 幸い彼女は女神教の信者ではないようだから、次に会ったときは自分が『サミュエル司祭』だと告げようと心に決める。

 王子だと告白することは、まだ決心がつかなかった。


 エルさんを宿まで送り届けた帰り道、ふと見上げると夜空に無数の星が浮かんでいた。

 今はまだ次の約束がある。でも……最後の日、私はどんな気持ちで空を見上げるのだろうか。

 考えただけで胸が苦しくなった。



 ◇



 エルさんと食事をしたあとは、必ず商会へ顔を出すようにとヨーゼフから言われていた。

 全く気乗りしないが、一度約束を(たが)えたら小言が数倍の長さになって返ってきたため、それからはおとなしく言うことに従っている。


「殿下、今日こそはお気持ちを伝えたのですか?」


 私の顔を見るなり、開口一番ヨーゼフが言った。


「はあ? 俺の気持ちって……何のことだ?」


「今さら、何を寝ぼけたことを言っておられるのです! もう時間がないのですぞ!! 国からは帰還命令が出ております。それをすでに二か月も引き延ばして滞在しているのですから、エル様へ髪飾りを贈り、せめて約束だけでも取り交わしてください!!!」


「なあ……ヨーゼフ、俺ってやっぱり、エルさんのことを好ましいと思っているのかな?」


「前日はソワソワし気も(そぞ)ろで、当日は満面の笑顔でお出かけになられるのに……違うとは言わせませんぞ?」


 目を三角にし心底呆れ果てたような視線を送ってくるヨーゼフから、そっと目を逸らす。

 認めてしまえば、簡単なことだったのだ。

 この気持ちに気づいてはいけないと自分で心に蓋をしていたが、それを解放させる。


 初めて会ったあの日から、私はエルさんに惹かれていた。

 彼女のいない人生など考えられない。

 心から愛していると断言できる。


 自分の正体を明かし、気持ちを伝えて、結婚を申し込もうと思う。

 王都へは行かず私と一緒に来てほしいと言ったら、エルさんはどんな反応をするだろうか。

 もし断られたら、男らしく諦めて国へ帰ろう……おそらく、立ち直れないと思うが。


 髪飾りの手配を始めた私を見ながらヨーゼフが目に涙を浮かべていたことに、私は気づかなかった。



 ◇



 今日も、エルさんと夕食を共にしていた。


「今日のお昼、『エルさんとサムさんは付き合っているんですか?』とレナさんから聞かれたのですが、『付き合っ……」


「ゴホッ!」


 食後のお茶を飲みながらエルさんの話を聞いていた私は、思わぬ言葉に盛大に()せた。

 噴き出しはしなかったが、結構危なかったと思う。

 エルさんに無様な姿を晒さなくてホッとしたが、咳が止まらない。

 咳きこんでいる私を見て、エルさんが席を立ち背中をさすってくれる。


「サムさん、大丈夫ですか?」


「すまない……少し驚いただけだ」


 背中に当てられているエルさんの手が優しくて温かくて柄にもなくドキドキしてしまい、気が逸らされて咳が止まった。

 席に戻ったエルさんがお茶のおかわりをカップへ注いでくれたので、ゆっくりと一口飲んだ。


 今日は朝から緊張していた。

 エルさんへ自分の正体を明かし、気持ちを告げ、求婚するのだ。

 髪飾りは残念ながら間に合わなかったが、精一杯思いの丈を打ち明けるのみ……と決意を固めているときに降って湧いたような私たちが付き合っているという話。


 ――質問に対し、エルさんは何と答えたのだろうか?


 知りたいような、知りたくないような、複雑な心境だ。

 しかし、答えによってはこれからの私の行動にも関係してくるだけに、聞かないわけにはいかなかった。


「エルさんは、その……質問に対し何と答えたんだ?」


 彼女が口を開くまでの数秒が、永遠にも等しく感じた。


「答えてはいません。質問の意味が……厳密に言うと『付き合っている』の意味がわからなかったので。それで、今日サムさんへ質問をしようと」


「そうか、それでこの話題を出したのか」


 エルさんらしい答えに、フッと力が抜けた。

 気を張っていた自分が滑稽(こっけい)に思え、腹の底から笑いがこみ上げてくる。

 フフッ…と自嘲気味に微笑んだ私は、エルさんを真っすぐに見つめた。


「『付き合っている』とは、『想いの通じ合った男女が、交際をしている』という意味だ」


「ああ、なるほど……」


 納得したように大きく頷いていたエルさんだったが、急に顔を青ざめさせると私に頭を下げた。


「私がサムさんと一緒にいるせいで、周囲に誤解を与えているのですね。またご迷惑をかけてしまって、申し訳ありません!」


「謝らないでくれ。俺は迷惑だと思ったことは一度もない……一度もないんだ」


 エルさんの目を見て、正直な気持ちを告げる。

 噂のせいでエルさんから距離を置かれてしまったら、目も当てられない。

 周囲に誤解されて嬉しかった……という本音は、とても口に出すことはできないようだ。


「実は、俺もエルさんに話が……」


 気持ちを告げるなら今しかない。

 周りの人目は気になるが、彼女に誤解されたままよりはずっと良い。

 しかし、邪魔が入ってしまった。


「あなたとこんな所でお会いするとは奇遇ですね。それに……エル嬢もご一緒とは、なかなか隅に置けないですな」


 私の言葉を遮ったのは、いま店に入ってきたばかりの若い男性。

 上品なスーツを着こなした深緑色の髪と緑色の瞳の彼……ヴィンセント殿は、エルさんの隣に腰を下ろした。


「ヴィンセント殿も、エルさんをご存知でしたか」


「ええ、冒険者ギルドでお会いしてから、毎日のようにお茶をする仲ですよ」


 村長の子息であるヴィンセント殿がエルさんのことを気に入ってるという話は、ヨーゼフから聞いていた。

 彼は毎日のように冒険者ギルドにやって来ては、彼女をお茶へ誘っている。

 誘われれば立場上断れないエルさんは毎度付き合っているようだが、二人きりではないと聞いた。必ず、助手であるレナさんが同席しているらしい。


 ――エルさんは、彼のことをどう思っているのだろうか……


「ヴィンセント様は、今日……」


「エル嬢には『ヴィニー』と呼んでほしいと、僕はお願いしたよね?」


「…………」


「ねえ、『ヴィニー』って呼んで?」


 愛称呼びを強制され、エルさんが困惑しているのが手に取るようにわかる。

 ヴィンセント殿はギルドでお茶をしているときも、彼女に対しこのような態度なのだろうか。


「いえ、村長のご子息であるヴィンセント様に、()()()()()()()()()()()では恐れ多くて……無理です!」


「照れなくてもいいのに……まあ、そこも可愛いんだけどね」


「…………」


 エルさんがあれだけはっきりと断っているのに、ヴィンセント殿へ伝わらなかったことが驚きだ。

 私が目を丸くしていると、彼がポンと手を打った。


「……そうそう、サミュエル殿はこの噂をご存知かな?『サミュエル司祭が、聖職者としての職務を放棄して、若い女性に溺れている』と」


 この話もヨーゼフから聞いた。

 その噂を流しているのが、目の前の人物であることも。


「……えっ? サムさんは、司祭様だったんですか?」


 ついにエルさんに知られてしまった。

 しかも、自分から告げたのではなく、他人から暴露される形で……


「……今まで黙っていて、申し訳ない。俺…私は、巡礼の旅の途中でこの村に立ち寄った『女神教』の司祭で、今はこの村の教会でお世話になっています」


 何を言っても、言い訳にしか聞こえないだろう。

 正体を隠していた私を、エルさんはどう思っただろうか?


 不誠実な男と思われ、軽蔑される。

 聖職者だからと距離を置かれる。

 最悪の状況が、次々と頭に思い浮かんだ。



「ヴィンセント様!」


 重苦しい雰囲気を破るように、店に入ってきた従者らしき人物が叫んだ。


「ここにおられましたか、探しましたぞ。急いで屋敷へお戻りください!!」


 只事ではない雰囲気に、店内に緊張がはしる。


「何事だ?」


「国王陛下の書状を持った使者の方がお待ちです。お急ぎを!」


 慌てて店を出て行く彼の後ろ姿を眺めながら、私はついにきたと思った。

 この村にも、ようやく知らせが届いたようだ……三日前に起こった、王都での出来事について。



 ◇



 昨日、私は書状を受け取っていた。

 差出人は、王都で情報収集のために滞在させている従者からだ。


『昨日、王都の中心地に瘴気の穴が出現。

 現在、魔物が無限に湧いている状態で、負傷者が多数出ている模様。

 騎士団が魔物の討伐を行っているが、数が多く対処できるかは未知数……』

 


「殿下……大変なことになりましたな」


「リンデン王国内で対処しきれなければ、いずれ我が国へも被害が及ぶだろうな」


「国へも情報は届いているはずですので、国王陛下がどう対応されるか……」


 今のところ、私にできることは何もない。

 一日も早く瘴気の穴が塞がり魔物が討伐されることを、女神様へ祈るのみだ。



 ◇



 村の中心部からは少し外れた閑静な住宅地の中に、教会はある。

 今朝のミサは、王都での厄災の話を聞いた大勢の信者が集まっていた。

 皆が、一日も早い収束と人々の無事を祈り帰っていく。


 天気が良いので、教会の扉は開け放したままだ。

 信者を見送った私は、はあ……と小さくため息を吐くと中へと戻る。

 この教会に常駐している司祭たちはミサが終わると出かけていき、今は私一人で留守を預かっていた。


 執務室に戻り事務処理を始めたが、すぐに手は止まる。

 昨夜のことをずっと考えていた。

 あの後、エルさんをいつものように宿まで送り届けたが、私が司祭であることが知られてしまったこともあり、彼女に気持ちを伝えることはできなかった。


 エルさんは私が聖職者であることを隠していた件には特に触れず、「サムさんは『サミュエルさん』だったんですね」と言っただけだった。

 私に対する態度も以前と変わらず、こんなことなら、もっと早く打ち明けていれば良かったと拍子抜けしたくらいだ。


……ただ、次の約束はできなかった。


 早く気持ちを伝えたい私がエルさんに「次はいつ会える?」と尋ねたら、彼女は少し目を伏せたあと「わかりません」と言った。

 これが何を意味しているのか、思考が悪い方へ悪い方へと傾いてしまい、昨夜はあまり眠れなかった。


 雑念を払うため女神様に祈ろうと祭壇へ向かうと、女神像の前に人が立っていた。

その後ろ姿だけで、誰なのかがすぐにわかる。

 トクンと鼓動が跳ねた。


 後ろを振り返ったエルさんは、私を見て微笑んだ。


「こんにちは、サムさん……じゃなくて、サミュエル司祭様」


「エルさん、サムで結構ですよ。それより……どうしてこちらへ?」


 思わぬ出会いに心が躍る。

 女神様に感謝の祈りを捧げた。


「サムさんにお話があって。それと、女神様を一度拝見したかったんです……アデル像を」


「よくご存知ですね! 信者でも、女神様の御名までは知らない者が多いのに……」


 女神像を見上げているエルさんを、思わず凝視してしまった。


 女神教は、女神Adele(アデル)様を中心として二十六名の女神様たちを信仰している。

 信者でも、女神様たちを全て一括(ひとくく)りにしている者や、各教会にはアデル像しか安置されていないこともあり、アデル様の名は知っていても、他の女神様たちにも名があることを知らない者は多い。

 信者でもない彼女がどうして名を知っているのか、不思議で仕方なかった。


 私が見過ぎたせいか、エルさんは困ったように私から視線を逸らした。


「……アデル様の(もと)には、二十五名の女神様がいらっしゃいます。そのお一人お一人にも名があるのですが、エルさんは……」


 好奇心に負けてつい聞いてしまった。

 突飛な言動で私を驚かせてくれるエルさんなら、ひょっとして……と期待を込めたまなざしを向ける。

 エルさんは逡巡していたが、一度深呼吸をすると目を閉じた。


「ベリンダ、クロエ、ドロリス、エマニュエル……」


 エルさんの声だけが、聖堂内に響く。

 彼女は迷うことなく、淀みなく、女神様たちの名を次々と口にしていく。


「……クセルクセス、イェーツ、ゼノン」


 ――『ゼノ』ではなく『ゼノン』?


 言い終えたあとも、エルさんは目を開けなかった。


「…………」


 私は言葉もなく、呆然と立ち尽くす。

 先ほどの些細な違和感などすぐに消え去った。

 心の内から溢れ出す様々な感情を、どう表現すればよいのかわからない。


 ただただ、この感動を誰かと分かち合いたい……


       ・

       ・

       ・


 気づくと、私の腕の中にエルさんがいた。

 彼女の髪の香り…鼓動…

 一瞬にして我に返り、抱きしめていた腕を離すと、彼女と目が合った。


「…………」


 エルさんの顔が少し赤いことに気づき、慌てて彼女から離れた。


「エルさん、大変申し訳ない! つい嬉しくて、あなたを抱きしめてしまった」


「嬉しかった……ですか?」


「私がこの職に就いて何年も経ちますが、女神様全員の名を(そら)んじたのはあなただけなのです。それに感激してしまって…」


 何とも酷い言い訳だが、決して邪な気持ちがあったわけではないことを知ってほしかった。

 エルさんは不思議そうに首をかしげながら私の話を聞いていたが、抱きしめたことに対し怒ったり不快感を示すような素振りはなく、私はホッと胸を撫で下ろした。



「あの…エルさん、良かったら今から一緒に昼食でも食べに行きませんか? お話は食事をしながらでも……」


 エルさんは私に話があると言っていたし、私も今日こそは想いを告げたい。

 もうそろそろ司祭たちも戻ってくるはずなので、その頃にはちょうど昼になる。

 しかし、エルさんは首を横に振った。


「せっかく誘ってくださったのに、申し訳ありません。私はもう行かなくては……」


「どちらへ行かれるのですか?」


「王都です。だから、今日はサムさんへお別れを言いにきました」


『お別れを言いにきました』

 唐突に告げられた言葉に、心が凍りついた。


「……予定ではたしか半年後だとお聞きしていましたから、まだ三か月くらいあるのでは?」


 何かの間違いだと、エルさんの勘違いだと思いたい。


「私も驚いたのですが、時期が早まったみたいです」


 『時期が早まった()()()です』

 これはエルさんの意思ではなく、別の第三者の意向ということなのか?


「王都の厄災で、ケガ人が大勢出ています。その治療を支援するため、この村の治癒士が向かうことになりました」


 自分はそれに名乗りを上げたのだとエルさんは言った。


 昨日届いた国王陛下からの書状は、その支援要請だったようだ。

 私も把握している現地の状況を(かんが)みれば、治癒士の不足も容易に想像がつくし、支援に向かうのであれば、一番腕の良い者を送ることになる。

 そして、この時期に()()()()この村に長期滞在していたエルさんが選ばれる……


「もしかして……エルさんは、これに対処するためにこの村へ来たのですか?」


 これはもう確信に近い質問だったが、エルさんは大きく頷いた。

 あっさりと肯定されたことに驚き、息が止まる。

 これでは、まるで自分が『預言者』だと認めているようなものだ。


「これが終わったあとは、どうされるのですか?」


「また、元いた場所へ帰ります」


「それは、どちらの国ですか?」


 たとえここで別れても、エルさんのいる国名さえわかれば、また会いに行くことができる。


「……申し訳ありませんが、それにはお答えできません」


 エルさんは私の目を見て、はっきりと言った。

 そこに彼女の強い意思を感じ、これ以上聞くことができない。


「私はまた、あなたと会えますか?」


「それは……」


 ここまで、はきはきと答えていたエルさんが、初めて言い淀んだ。

 胸に手を当て、じっと何かを考えている様子。


「もう一度だけでいいんです。すべてが終わったら、私と会ってもらえませんか? あなたに是非とも見せたい物があるんです」


「……わかりました」


 畳み掛けるようにお願いをすると、エルさんは頷いてくれた。

 彼女から言質は取った。

 かなり強引だったと自覚はあるが、これで終わりにはしたくなかった。


「それでは、エルさん……どうかお気を付けて」


 再会する場所は、我が国の王都にある教会だ。

 エルさんへメモを渡すと、教会を出ていく彼女を見送った。


 まだ、次に会う約束がある。

 それだけで、再会する日までがんばれる……そう思った。



 ◇



 エルさんを見送った日から二日後、王都にいる従者から第一報が届いた。



『一人の治癒士の活躍により、厄災は収束。 以上』



 この一文に、ヨーゼフと顔を見合わせた。


「この治癒士って……もしかしなくても、エルさんだよな」


「そうでございましょうな。しかし、あれほど対処に手を焼いていた厄災がたった一日で収束とは、(にわか)には信じられませんが……」


「何があったかは続報を待つとして、とにかく収束したことは間違いないんだ。エルさんが予定よりも早く戻ってくるかもしれないから、国へ戻る準備を始めるぞ!」


 父からは、厄災の情報収集をするためにと帰還を延ばしてもらっていた。

 収束したのであれば続報を持って、急ぎ国へ帰らねばならない。


 注文していた髪飾りが、昨日ようやく届いた。

 今度こそは、これを手渡し彼女へ……


 しかし、私の決意は、別の従者からの報告で打ち砕かれることとなる。



 ◇



 エルさんが心配だったので、彼女を陰から見守る従者を一緒に王都へ送り込んでいた。

 その報告が届いたのは、次の日のことだった。



()の治癒士が、馬車に乗せられ連れ去られる。

 馬車の家紋から、王城へ連れていかれた模様。

 その後、城を出た形跡なし。 以上』



 以前、ギルドマスターが懸念していたことが、ついに起こってしまった。

 書状を握りしめ、私は頭を抱えた。


「どういうことでございますか? 連れ去られたということは、エル様の同意は無いということ。それなのに……」


「……エルさんを取り込むためだよ」


 より良い子孫を残すために強い魔力を持った人物を一族に取り込むのは、貴族ではよくあることだ。

 ……ただし、本人の同意があればの話だが。


「彼女が平民であれば、おそらくどこかの貴族の養女となってから……無理やり結婚させられる」


「殿下!」


「せめて、髪飾りだけでも手渡しておけばよかった。そうすれば、俺の婚約者だと主張できたのに……」


 何の約束も交わしていないから、従者たちも手出しができなかったのだ。

 エルさんが髪飾りさえ持っていれば、たとえ正式に婚約していなかったとしても、候補者の一人だから返せと外交ルートを通じて抗議もできた。


 もっと早く決断していれば……と後悔が押し寄せてくる。

 悔やんでも、悔やみきれない。



 ◇



 報告書を読むと、エルさんが、これなら取り込まれてもおかしくないと思えるような活躍をしたことがわかる。



『……広域魔法を複数回展開させ、全ての怪我人を治療。

 その後、瘴気の穴を塞ぐため、光の塊を両手のひらに二つ作成。

 一つ目を投げ、穴の入り口付近の瘴気と魔物を殲滅。このとき閃光が走り、光の柱が立つ。

 間髪入れず二つ目を投げ、瘴気の穴を塞ぐ。さらに結界魔法を重ね掛けし、封印をした模様。

 魔物は騎士団が全て討伐。

 瘴気は宮廷魔導師団が浄化魔法にて対処済み。 以上』

 


「エルさんは、やり過ぎたんだな……」


 屋敷内の執務室の椅子に座り、ボーっと日暮れ前の空を眺めていた。

 初めて会ったときも同じような時間だったなと思いながら、何度読み返したかわからない報告書を机に置き、そのまま突っ伏した。


「殿下、何を呑気なことを言っておられるのですか! もう二週間ですよ!!」


「……言われなくてもわかっている。でも、打つ手がないんだ」


 エルさんに対し、何もしてあげられない無力の自分が本当に嫌になる。



 十日前、私は一年数か月ぶりに国へ戻った。

 エルさんのことは心配だったが、これ以上帰還命令を無視することはできなかったのだ。

 父と兄たちへ挨拶をすると、さっそくお見合パーティーの話を持ち出されたので「心に決めた人がいる」と固辞し、屋敷に逃げてきた。


 屋敷に戻ってからは、以前と同じように王族・司祭・商会の仕事を掛け持ちしながら、リンデン王国の動向を探っていた。

 どうやらエルさんは、ずっと王城内に留め置かれているようだ。

 報告書によると、婚約者候補として四名が名乗りを上げており、現在彼女を巡って争っているらしい。

 相手は第一王子、第二王子、騎士団長、宮廷魔導師団長と、国の要職に就いている人物ばかりだ。


「なあ、エルさんって……本当に平民なんだろうか?」


 よくよく考えてみれば、あれだけ見事な神聖魔法の使い手で、異常なまでの魔力量を持つ彼女が、ただの平民のはずがないのだ。


「どういうことですかな?」


「もしどこかの国の王女や貴族だった場合は外交問題に発展するから、リンデン王国も彼女を解放せざるを得ないよな? だから、そうだったら良いなと思っただけだ」


 ――他力本願の希望的観測だが、それでエルさんが解放されるのなら……


「……もしエル様が王女様だった場合、臣籍降下する殿下と結婚はできるのですか?」


「…………」


「それに貴族だったとしても、あれほど魅力的な御方ですから、婚約者の一人や二人いてもおかしくはないかと……」


「…………」



『これが終わったあとは、どうされるのですか?』

『また、元いた場所へ帰ります』


『それは、どちらの国ですか?』

『……申し訳ありませんが、それにはお答えできません』


『私はまた、あなたと会えますか?』

『それは……』


 教会でのやり取りを思い返すと、ヨーゼフの話がしっくりくる。

 国名を答えなかったのは、自分の身元がわかってしまうと危惧したからで、また会えるかと聞いたときに言葉を濁したのは、国に婚約者がいるからだとしたら……


 顔を上げ机の引き出しを覗くと、布に包まれた髪飾りが見えた。



 ◇



 エルさんが連れ去られてから三週間以上が経過していた。

 彼女はいまだに王城に留め置かれていて、外交問題に発展しているという話も聞かない。

 変わったことといえば、婚約者候補が一人増えて五名になったこと。相手は、現宰相の子息だそうだ。

 それと、彼女のことを『傾国(の美女)』と揶揄する者がいるらしい。


 人々を救うために行った国で連れ去られ、陰口をたたかれるエルさんの気持ちを思うと、胸が張り裂けそうになる。

 それでも、私は彼女のために祈る事しかできない。



 今日は、司祭として教会へ来ていた。

 あることをするために教会の建物を出て、回廊を通り、中庭を抜け、私はどんどん進んでいく。

ここは教会の奥の奥、関係者以外は立ち入り禁止の区域だ。


 ある建物の前にたどり着くと、私は扉の鍵を開けた。

 この中は大広間になっており、天窓からは日の光が差し込んでとても明るい。

 広間の中央に教会と同じように女神アデル像が安置されており、それを取り囲むように二十五体の女神像が飾られているここは『女神の間』と呼ばれ、聖地となっているのだ。


 巡礼の旅に出ていたので、ここへ入るのは久しぶりだ。

 アデル像に祈りを捧げたあと、女神像を一体一体丁寧に清めていく。

 ここは信者に開放されておらず、定期的に掃除が為されているため汚れてはいないが、どうしても自分で清めたかった。


 村の教会のアデル像を興味深げに見ていたエルさんに、この教会にしかない二十五体の女神像をどうしても見せたい。

 女神様の前で彼女に想いを伝え、求婚したい。

 会う約束はまだ活きている。また必ず会える。

 そう信じているから、彼女を案内する前に祈りをこめて清めたいのだ。


 女神像は一体ごとに顔が違う。

 言い伝えによれば、この像の製作者が夢で見た女神様たちがモデルとのこと。

 彼は『神の啓示』を受け、一体一体心を込めて制作したのだとか。

 女神像はすべて見目麗しいので、おそらく製作者の意図も過分に含まれているとは思うが。


 さすがに二十五体もの像を清めると、かなりの体力を消耗する。

 最後の女神像の前に来ると、私は額の汗を拭う。


 最後まで心を込めようと、私は二十六体目の女神像を見上げた。



 ◇



「おかえりなさいませ、殿下。今日は教会へ行ったはずですが、随分とお帰りが遅かったですね?」


「……うん。ちょっと、調べものを」


 無理してにこりと微笑んでみせたが、ヨーゼフの目はごまかせなかったらしい。

 夕食、そして湯浴みを終えた私が寝室にいると、ヨーゼフがやってきた。


「殿下、何かあったのですか? そんな暗いお顔をされて……」


「……ヨーゼフも、女神教の信者だったよな?」


「さようでございます」


「おまえは、女神様全員の名を言えるか?」


「少々お待ちを……」


 ヨーゼフは、懐から眼鏡と小冊子を取り出した。

 この冊子は彼のお手製で、女神教の教えや、彼が感銘を受けた話など様々なものがメモ書きされた物。

 その一番後ろに、女神様たちの名が記載されているのだ。


「申し上げますよ…アデル、ベリンダ、クロエ、ドロリス……」


 ヨーゼフが冊子を見ながら読み上げていく名を、静かに聞いていた。


「……クセルクセス、イェーツ、ゼノ」


 やはりと思った。

 私はヨーゼフの顔をゆっくりと見上げた。


「……ヨーゼフ、『Zeno(ゼノ)』ではなく『Zenon(ゼノン)』が正しい名だ」


「えっ、しかし教典には……」


「その教典が間違っていたんだ」


 女神像の清めを終えた私は、その後王宮図書館へ向かった。

 特別な許可をもらって、女神教の『教典』と『経典』の原本を両方閲覧し確認してきたのだ。

 現在、信者が閲覧可能な古い『教典』は、五百年以上前に書き写された物。

 新しい物は、すべてそれを基にしたものだ。


「原本は、両方とも『ゼノン』だったが、五百年前のそれは『ゼノ』と記載されていた。つまり、原本から書き写した者が間違えていたんだ」


「殿下は、それをご存知だったのですか?」


「いや、俺も間違って覚えていた。というか、教本が間違っているのだから、信者全員だな……」


「今日は、それをお調べになっていたのですか?」


「いや、女神様について調べていて偶然に……」


 ここで、言葉を濁しておく。

 詳細はヨーゼフには話せない。


 ……今はまだ



 ◇



 ついに一か月が経過した。

 エルさんは、いまだ王城の中だ。


 婚約者がまだ決まらないのは、彼女が五名の内の誰にするのか決めかねているから……らしい。


 ――ヴィンセント殿のように、強制されていなければ良いが……


 ミサが終わり信者が続々と外へ出て行く様子を眺めていると、人波に逆らって歩いてきた人物がいる。

 人の波が途切れたところにあらわれたのは、豪華なドレスを身に纏った美しい女性……エルさんだった。


「エルさん、心配してたんですよ! とにかくご無事で何よりです。それで、その恰好は……」


 彼女にとても良く似合っているが、教会内ではかなり目立つ。


「逃げ出してきました」


「……はい?」


 解放されたのではなく、逃げ出してきたと言った。

 でも、警備の厳しい王城からどのようにして。


 ――やはり、彼女は……


「厄災が収束してから、ずっと王城内に軟禁されていましたので」


「!?」


 まさか、軟禁までされていたとは思ってもいなかった。



 ◇



 着替えを終えたエルさんは、私が用意したお茶を飲むと一息ついた。

 かなり疲れている様子で、彼女が必死の思いで逃げてきたことが想像できる。


 それから、王都での出来事を話してくれた。

 厄災を収束させてから、王城へ連れて行かれたこと。

 軟禁されていた部屋には、魔法が使用できない対策が取られていたこと。

 五名の婚約者候補を決められ、『聖女』の認定と婚姻をさせられそうになっていたこと。

 贈られた装身具の中に、探知魔法が付与された物があったこと。

 非のない人たちに(るい)が及ばないように、今日まで逃げ出す機会を窺っていたこと。


 先ほどまで五名の婚約者候補たちと王城の庭園でお茶会をしていて、隙をついて転移魔法で脱出し、ここまでやってきたのだとか。


 ――だから、あのような豪華なドレスを着ていたのか……


 エルさんが転移魔法まで使えることを初めて知り、驚くと同時に納得してしまう自分がいた。


「何と言えば良いか……とにかく、大変でしたね」


 彼女がされた仕打ちを考えると、ますます自分がこの国の王子であると言い出しづらい状況になった。


「あなたのことが心配だったので、情報を探らせてはいたのです。馬車に乗せられて王城に連れていかれたまま出てこないと聞いてはおりましたが……今ごろ、()の国ではあなたを探して大騒ぎでしょう」


「捜さないでくださいと伝えてありますので、それはないかと。あと、ドレスは着てきてしまいましたが、高価な装身具類はきちんと先にお返ししておきました。私には不要の物ですからね」


「ははは……エルさんらしいです」


 エルさんは自分を捜すことはないと思っているようだが、今ごろは国を挙げて彼女の大捜索がされているだろう。

 もし再び捕まるようなことがあれば、今度こそ部屋の外には出してもらえなかったと思う。

 再会場所を、我が国にしておいて本当に良かった。


 私からは、エルさんが王都へ行ったあとの村の話をした。

 レナさんがとても心配していたこと。ヴィンセント殿が王城に閉じ込められているエルさんを救出するんだと騒ぎ、父である村長から謹慎を言い渡されたことなど。


「レナさんへ、私が無事であると伝えに行こうと思います」


「エルさん、今は危険だから止めたほうがいいです。私が商会の者を通じて、こっそり彼女にだけ伝えるよう手配します」


 王都だけでなく、村にも捜索の手は回るはずだ。

 そんな中にエルさんが現れたら、一騒動起きてしまう。

 私が申し出ると、エルさんは安心したように微笑んだ。


「それで、私に見せたいものがあるというお話しでしたが……」


「はい、そのために態々(わざわざ)こちらまでご足労いただきました」


 ついに、この時が来てしまった。

 覚悟を決めた私は、エルさんを女神の間へと案内する。

 二十六体もの女神像が立ち並ぶ様を見て、彼女は目を見張った。


「『女神教』は、この国から始まりました。この場所は女神アデルが最初に降り立った地と言われており、信者にとってここは聖地となります」


「神聖な場所に信者でもない私が足を踏み入れるなんて、信者の方々に申し訳ないです」


「フフ……あなたなら、大丈夫ですよ」


 ――むしろ、あなたにこそ相応しい場所なのだから……


 一体一体確認をしながら見て回っていたエルさんは、ある像の前で足を止めた。


 ――やはり、そうなのですね……


 疑惑が確信へと変わっていく度に、ズキズキと胸が痛む。

 間違いであってほしいと願っていた私の希望は(つい)えた。


 エルさんは後ろを振り返り、私の方を向いた。


「女神像の顔が全て違いますが、これらはどなたがモデルですか?」


「この像の製作者が夢の中で見た女神様たちだそうです。本人曰く『神の啓示』だと」


「そんなお告げのようなことが実際にあるのでしょうか。私には信じられませんが……」


 私も最初は信じられなかった。

 このような出来事が、我が身に起こるとは。


「私は聖職者ですので、女神の存在やお告げについては否定しません。ですが、さすがに女神様のお顔は製作者の意図的なものだと思っておりました……ついこの間までは」


「えっ?」


「あなたを案内する前に掃除をしておこうと、私は久しぶりにここへ来ました。そして女神像を一つ一つ丁寧に磨いている時に気づいたのです」


私は、ゆっくりと中央のアデル像を見上げる。


「私はこの邂逅(かいこう)を、幸運を、女神アデル様に感謝いたします」


 アデル像に向かって祈りを捧げると、真っすぐにエルさんを見据える。

 自身にそっくりの女神像の前に立つ彼女を……


「この度は、お目にかかることができて光栄です。女神L…いえ、『女神リュシー様』」



 ◇



 私がこの事実に気づいたのは、ほんの偶然。エルさんへ案内する前に女神像を清めておこう……ただの思い付きで起こした行動だった。

 二十六体目の女神像を見上げたとき、雷に打たれたような衝撃が走った。

 目の前にいたのは、エルさんその人。

 髪の長さはやや短いが、自分の愛する人を見間違うはずがない。


「どうして、エルさんがここに……」


 言いかけて、ハッとした。

 村で書き写した壁画には、後光の差した女性の姿が描かれていた。そして、森から飛び出してきたエルさんも、同じように光り輝いていた。

『もしかして……エルさんは、これに対処するためにこの村へ来たのですか?』

 私の質問に、彼女は否定することなく大きく頷いていた。


 未曾有の厄災を鎮めるために、女神アデル様より遣わされたのがエルさんこと『女神Lucie(リュシー)』だとしたら、全ての辻褄が合う。

 時折こうして女神様たちは下界に降り立ち、人々を救ってきた。

 それがいつしか伝説となり、各地に残されてきたのだろう。


 ――聖職者であれば、この歴史的瞬間に立ち会えた幸運を喜ぶべきところなのだが……


 懐から取り出したのは、布に包まれた髪飾り。

 これは、エルさんへ渡すつもりの物だ。


「いや、まだ確証はない。女神ではないと証明できるような何か……」


 ふと思い出したのは、村の教会での出来事。

 女神Zの名を、エルさんは『ゼノン』と言った。しかし、本物の女神であれば名を間違えるはずがない。

 居ても立っても居られなくなった私は清めを済ませると、その足で王宮図書館へ出向いた。

 禁書庫に大切に収蔵されている女神教の『教典』と『経典』の原本を閲覧することは、王族の私には容易いことだ。ついでに、女神Lについての記述があれば確認したい。

 しかし、一縷の望みをかけた行動は、さらに女神疑惑を深めることになってしまった。



 ◇



 最初、エルさんは否定した。

 女神像に似ているのは偶々(たまたま)だと。他人の空似(そらに)だと。

 しかし、私はこれまでの経緯を説明する。

 女神Zの御名を知るのは、特別な許可を得て原本を閲覧した者か、もしくは女神様以外には考えられないのだと。


「…………」


 エルさんは俯き、黙り込んでしまった。

 先ほどから、ずっと震えている手を握りしめながら……


()の国を救っていただき、ありがとうございました。リュシー様の助力がなければ、影響はこの国にも広がっていたことでしょう」


 私が正体に気づかなければ、何も知らなければ、この場で気持ちを伝え求婚していただろう。

 ……でも、あなたは私には到底手の届かない人だった。

 だから、この想いは生涯心に秘めることにする……優しいあなたを困らせたくはないから。



 顔を上げたエルさんは、泣きながら笑っていた。

 彼女は、このとき何を思っていたのだろうか。


「……こちらこそ、サムさんのおかげで無事に()()を終えることができました。未熟な私にいろいろとご教授いただき、ありがとうございました」


 この言葉は、自分が女神であると事実上の肯定だった。


 エルさんの周囲を、光のベールが覆っていく。

 これほど美しい転移魔法を、私は見たことがない。

 最初のそれが、最愛の人との永遠の別れの時とは皮肉なものだ。


「サムさん……さようなら!」


 エルさんらしい、元気な別れの挨拶だった。

 彼女の姿が消える直前、私は髪飾りを握りしめる。


「さようなら………エルさん。私は……あなたが好きでした」



 ◇



 エルさんと別れたあとも私はしばらく女神L像の前で佇んでいたが、日が暮れ辺りが闇に包まれた頃、ようやく外へ出た。

 中庭から夜空を見上げると、あの日と同じように数多の星が輝いている。


 この空のどこかに、彼女たちの世界があるのだろうか。

 今は、視界が(かす)んでよく見えないが。


 屋敷に戻ると帰りの遅い私をヨーゼフが心配していたので、彼だけには真実を告げた。

 エルさんが、厄災を鎮めるために下界へ遣わされた女神Lだったこと。

 任務を終えた彼女と再会し永遠の別れをしてきたことを話すと、ヨーゼフは絶句しそれ以上何も言わなかった。



 ◇



 あれから二か月が過ぎた。

 私は、毎日のように女神の間へ足を運んでいた。

 季節はいつの間にか移り変わっているが、私の気持ちは何も変わっていない。

 渡せなかった髪飾りをどうしても処分することができず、未だに持ち歩いている私は相当女々しい男なのだと思う。


 今日も女神リュシー像の前に立ち、顔を見上げる。

 思い出すのは、いつも笑顔を絶やさなかったエルさんが見せた、最初で最後の泣き顔。


 なぜ、あのとき彼女は泣いたのか。

 もしかして、私が泣かせたのか。


 いつまでも夢に出てくる彼女に問いかけても、答えは返ってこない。


 懐から髪飾りを取り出す。

 私の髪色である金の台に、瞳の色である翡翠色の石。その横には黒とこげ茶の色石が付いている。


「願わくは、あなたにお会いして直接これを渡したい。そして、許されるのであれば……」


 絶対に叶うことのない願いを口にすると、慈愛の表情を浮かべているリュシー像の手の上に髪飾りを載せる。

 祈りを捧げ、私は広間を後にした。



 ◇



 今日は、私の見合いの日だ。

 全く結婚をする気のない私に業を煮やした兄たちが設定した席なので、気は進まないが欠席するわけにはいかない。

 あれほど口やかましかったヨーゼフは、結婚について何も言わなくなった。

 私の心情を慮ってくれているのが痛いほど伝わり、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 見合いの相手は、侯爵家の次女で十八歳と聞いている。

 姿絵が届いていたようだが、見てはいない。あれほど当てにならないものはないと知っているからだ。


 ――そういえば、エルさんも自称十八歳だったな……


 我が家の庭園内にあるガゼボで対面した。

 ドレスを身に纏い綺麗に着飾っている女性を見て、真っ先に思い浮かんだのは、やっぱりエルさんのこと。

 王城に軟禁されていたエルさんは、逃げ出してきたとき豪華なドレス姿だった。

 あまりの美しさに周囲の人目をかなり引いていたが、本人はまるで気にしていなかったのが、いかにも彼女らしかった。

 つい思い出し笑いをしそうになり、慌てて顔を取り繕う。


 見合いの席で、私は何を考えているのか。

 いくら何でも相手に失礼だ。


 気を引き締め、相手と向き合う。

 彼女は貴族の令嬢にしては穏やかな性格で、控えめな人だった。

 家と家同士の結婚であれば、おそらくこのような女性と添い遂げるのが、一番幸せなのだろうと思う。


 でも、私は……



 ◇



 あれから半年が過ぎていた。

 その後も、周囲の勧めに断りきれず何人かと見合いをしたが、心を動かされる人も、髪飾りを贈りたいと思えるような人にも出会えなかった。

 もういっそのこと、生涯独身を貫くのも良いかもしれないと最近思い始めている。

 愛のない結婚をするくらいなら、これからの生涯を女神様に捧げるのも悪くはないし、その方が聖職者らしいのではないか。



 今日は、朝から教会の懺悔室にいた。信者の罪の告白を聞く、司祭としての大事な務めだ。

 皆、様々な罪を告白していく。

 私に告白する罪があるとすれば、エルさん……女神様に最後まで自分の正体を隠していたことだろうか。


「……司祭様、本当に女神様は私たちをお救いくださるのでしょうか?」


 自分の罪を告白した後、ある信者が私に問うてきた。

 懺悔室の中は小部屋と呼ぶに相応しい、人一人が座れる程度の広さしかない。

 小窓がカーテンで覆われた反対側の小部屋で、私は信者からの話に耳を傾けていた。

 声の感じから若者と思われるこの男性は、最近仕事が上手くいかず、昨夜自分の妻に暴言を吐いてしまったと許しを請いに来ていた。


「女神様は、いつでも私たちを見守ってくださっています。それが証拠に、半年前にリンデン王国で起きた厄災は、最小限の被害で収束しましたよね? 女神様のお力がなければ、このベルファス王国にも被害が広がっていたことでしょう」


 通常であれば、世の中で起こった出来事をすべて女神様のおかげだと吹聴するようなことはしない。

 しかし、これに関しては紛れもない事実。だから、私は自信を持って答えることができる。


「そうか……そうですね」


「何か、心当たりでもあるのですか?」


 妙に納得した彼の様子が気になり、つい尋ねてしまった。


「実はちょうどその頃、私はその王都に仕事で滞在していたんです。急に現れた魔物に襲われましてね、怪我を負いました。屋根もない臨時の治療所で寝かされていたんですが、怪我人がどんどん運び込まれてきて、治療が全く追い付いていなかったんです」


 自分はいつ治療してもらえるのか、こんな所で寝かされていて、また魔物が現れたらどうなるのかと不安な毎日だったいう。

 ところがある日、突然現れた治癒士が一人で全員を治療してしまったのだ。

 彼女はすぐにどこかへ行ってしまったそうだが、患者の間では神の使いだったのではないかとの噂が広まった。


「先ほどの司祭様の話を聞いて、彼女が女神様の使いだったのではないかと思ったんです」


「なるほど……そうかもしれませんね」


 本当は使いではなく女神様そのものだったと言いたかったが、止めておいた。

 男性は女神様から命を救ってもらったことに感謝の祈りを捧げ、懺悔室を後にした。


 信者が退室したあとも、私は懺悔室に留まっていた。

 そろそろ交代の時間ではあったが、なかなか腰を上げる気になれずにいた。

 あれからもう半年が経つというのに、未だに心の大半を占めているエルさんへの想い。

 会いたい……声が聴きたい……

 この苦しい気持ちを誰かに話して、私も楽になりたかった。


 反対側の小部屋に、人が入ってきた気配がした。

 私は姿勢を正し、いつものように問いかける。


「どうぞ、あなたの罪をお話しください。女神様がすべて許してくださるでしょう」


「…………」


「ゆっくりでいいので、少しずつお話しくださって結構ですよ」


 信者の中には緊張して第一声が出ない者もいるので、できるだけ話しやすい雰囲気を作ってあげることも大事な仕事だ。


「えっと……」


 声の感じでは、若い女性のようだ。


「あの……懺悔ではなく、相談でもよろしいでしょうか?」


 女性の声を聞いた途端、鼓動が激しく高鳴った。

 胸に手をやり息苦しさを抑えると、どうにか声を絞り出す。


「……はい、もちろんです。問題の解決にはならないかもしれませんが、話すことであなたのお気持ちが晴れるのであれば、喜んでお聞きします」


「実は、私には気になって気になって仕方がない人がいるんです。気づくと、いつもその人のことを考えていて、多少……仕事にも影響が出ています。その人のことを考えるだけで、心がポカポカと温かくなったり、胸がギュッと苦しくなったり……これって、何かの病気なのでしょうか? これは回復魔法で治りますか?」


「…………」


 若い女性らしく、恋愛に関する相談だった。

 普段であれば微笑ましく聞き、それに対する回答も持ち合わせているのに、声が出せず、身動き一つとれない。


 ――最愛の人に酷似した声を持つ女性が、この世に存在しているなんて……


「あの……」


 私が無言でいるため、女性が戸惑っているのがわかる。


「あっ、すいません……えっと、それは…ある意味、病気ともいえますね。ただし、回復魔法では治りませんが……」


「えっ!?」


 女性の驚き方もエルさんと全く同じで、あまりの懐かしさに笑いがこみ上げてきた。


「笑ってごめんなさい。つい、ある人を思い出してしまって……それで話の続きですが、それを治したいのであれば、その相手の方へ会いに行くのが一番だと思いますよ」


「どうしてですか?」


「少なくとも、胸の痛みや苦しさはある程度は緩和されるはずです……ただ、その代わりにドキドキするかもしれませんが」


 痛みや苦しさは、本人に会うことで消えてなくなる。

 これは私の体験談だ。


「ありがとうございます。相談して良かったです!」


「お役に立てたのであれば、こちらとしても嬉しい限りです」


 嬉しそうな女性の声に、顔を綻ばせて笑っていたエルさんの姿が重なる。

『サムさんに相談して良かったです』『サムさんは、何でもご存知なんですね!』

 次々と彼女との思い出が浮かんでは消える。


「……実は、あなたに折り入ってお願いがあるのですが?」


 司祭という立場で、信者にこんなお願いすることは間違っている。

 間違っていると頭ではわかっていても、心が言うことをきかなかった。


「なんでしょうか?」


「……一度だけで良いので、その…私の名を…呼んでもらえませんか?」


 見ず知らずの相手だからこそ、口にできる。

 女神像で顔を見ることはできても、エルさんの声を聴くことは二度と叶わない。

 もう一度だけ、あの声で『サムさん』と呼んでもらいたかった。


「名を呼ぶ……」


「変なお願いをしてすみません。あなたの声が…彼女に似ていて…ホント…錯覚しそうになるんです」


 相手の顔が見えないから、エルさんと会話を交わしているような気分になる。


「あの……彼女とは?」


「私の……忘れられない大事な人です」


「大事な人……」


「彼女…また来てくれたんだって…また一緒にいられるんだって…一瞬でも思ってしまって…そんな訳ないのに」


 また一緒に食事をして、その日あった出来事をお互いに話して笑い合う。そんな日常が戻ってきたのだと、つい思ってしまった。

 抑えていた感情が、胸の内から溢れ出してくる。


「最後の日に渡そうと…髪飾りを注文していたけど…彼女は俺には手の届かない人だと知って…諦めた。それなのに…未練がましくいつまでも持っていて…願い事までしたりして……」


「…………」


「別れ際の彼女の涙が気になって…今でも夢に見るけど…夢の中では理由を聞いても答えてくれないし…やっぱり…俺が泣かせたのかな……」


「……私が泣いたのは…あなたのせいではありませんよ」


 女性が気を遣って答えてくれたのだとわかっているが、同じ声で言われホッとした。


「そうか…ありがとう。多少は…気が楽になった……」


 目を閉じると瞼にエルさんの笑顔が浮かび、思わず笑みがこぼれる。

 自分でも呆れるくらい、単純な男だと思う。


「髪飾りを贈ってくださって…ありがとうございます。とても綺麗な物で…嬉しいです」


 女性は、私が欲しい言葉を次々と投げかけてくれる。それが、たまらなく嬉しい。


「気に入ってくれたのなら……良かった」


「あとで……私に着けてくださいね」


「それは…もちろん。さぞかし……あなたに似合うのだろうな…」


 あの綺麗な黒髪に留まる髪飾りを想像しただけで、心が躍った。

 実際にこの目で確かめたかった……と口をついて出てきた自分の言葉に、ハッと正気にかえり目を開く。

 気まずくて「ゴホン」と咳をした。


「その…長々とあなたを引き留めて、大変申し訳なかった。こんな茶番に付き合ってくれてありがとう。でも、もうこれ以上は……」


「私も……あなたと一緒にいたいです」


 これ以上こんなことをしていても、自分が虚しくなるだけ……そう言おうと思っていたのに、彼女の声で言われてしまっては何も返せない。


「また、あなたとご飯を一緒に食べたいですし……また、あなたに相談を聞いてほしいです」


「……えっ?」


 耳を疑う言葉に、思わず尋ね返してしまった。

 なぜ女性が、私たちのしてきたことを知っているのか不思議だった。


「会いたかったです……サムさん」


 『サムさん』

 それは、懐かしい響きだった。

 女性に名を呼んでほしいとは言ったが、呼び名までは伝えていなかったはずなのに。


 それなのに……


 考えるより先に体が動いた。ガタンと椅子がひっくり返る音がしたが、構わず小部屋を飛び出す。

 ノックもせずに、反対側の扉を開けた。

 座っていた若い女性は驚きに目を丸くしていたが、私の顔を見るとにっこりと微笑んだ。

 紛れもなく、最愛の人がそこにいた。


「エルさん……どうしてここに?」


 動悸が激しく、息苦しい。それでも、なんとか声を絞りだす。

 頭の中が混乱している私へ、彼女は手に持っていた髪飾りを差し出した。


「これは……」


「贈り主に代わって、この髪飾りを相手の方へ届ける任務中です」


 エルさんは、キリっとした表情で答えた。



二人が再会した後の話は、別作品『村娘に転生した女神の私は、任務遂行のため全力を尽くす所存です』のエピローグになります。


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