205X年の日記より
2050年 4月
プログラムに問題はない。全ての事務手続きも順調に完了した。
慌てずじっくり進めたことで確実に精度も増したし、信用も得た。
でもいまだに信じられない。
人間が、科学者が、医者が、俺が、つくったのだ。
いや、「みつけた」のだ。
人間の手の届かない範囲にまでついに到達することができたのだ。
今までとは比にならないレベルの深い調査ができる。
正直そのシステムを開発できたことだけで、もうそれだけで俺は満足だ。
国がどうなろうが、社会がどうなろうが、もうどうでもいいくらいだ。
だが、まあそうはいかない。
ここからが本当の勝負だ。
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2050年 5月
玄関を開けると、マリエが泣きながら花束を持っていたのでびっくりした。
理由を聞いても教えてくれない。
帰宅の遅い日が続いたのが気に入らなかったのか。態度の悪い時があったのかもしれない。
もともとそんなに感情的なタイプではないのでつい後回しというか、気にかけてやれなかったところがあったけど、年齢的なものなのだろうか、不安定に感じる時が増えた気がする。
一応プロジェクトもひと段落したことだし、マリエだけでも旅行でもプレゼントして気分転換させた方がいいかも知れない。
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2050年 9月
適性テストの運用以前から懸念されていた不正や不具合などは、今のところ発生してはいないものの、一部では反対運動も起こっているとのことで、今後の対応を話し合った。
今まで通り半強制的にテストを実施するか、任意の形にするか、あるいは廃止するか。
テストがもたらす社会的な効果について、ある程度はっきりとわかるまでには時間がかかることをまずは世論に訴えかける必要があると思う。
誰でも初めてのものには信用なんてしないし、疑って当然だ。
各所を圧迫する負担をどう分散し、問題解決に繋げていくか。
今後の運用次第で結果は変わってきそうだ。
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2051年 4月
運用開始から丸一年が経った。
不安も一年たつと和らぐのか、あるいは「慣れた」のか。
少しずつ社会に馴染みつつあるように感じている。
俺の仕事は相変わらず、テストの精度を上げていくこと。
それ以外は政治家の仕事だ。
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2051年 6月
今日は病院時代の同僚に会う機会があった。
懐かしい気分で少し話す。
実際、現場でどのくらいの変化があったか聞いてみたが、劇的な変化にまでは至って
いないようだった。でも残業もいくらか減って、少しはゆとりが生まれつつあるらしい。
俺が病院に戻ることはもうないだろうが、当時負担をかけた分は恩返しできたんじゃないかと思ったり。まあ、まだまだだけど。
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メモ
あるいは「治療」はできないのか
治ってしまえば選別する必要もないかもな
そこまでの技術をまた見つけにいかないといけない
次世代につなげるか、できる限り
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2051年 9月
治療に関しての研究を進めつつ、安全性と確実さを高めてゆく。
人間の判断ではない絶対的な科学技術による判断を、人間が見つけにいく。
なかなか無謀なことをしているんだなと改めて冷静になると感じる時がある。
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2051年 12月
治療に関してはある意味の限界が見えてきている。
つまり細胞レベルの「欠陥」はその人自身でもどうすることもできないし、周りからのアプローチでも改善はみられない。だからこそ選別し排除するのだという結論になりつつある。
どんなに技術を高めていってもたどり着かない部分があるのがもどかしい。
やはり人間には無理だったんだろうか。
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メモ
これから生きる価値
まだ生きる価値
病気にも障害にも、性別にも性格にも左右されない
ゆるぎない絶対的なもの
人間には操れないもの
そうじゃないと俺は
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2052年 3月
とうとうプロジェクトメンバーで俺が最年長になってしまった。
見上げるほど上のレベルの面々と肩を並べて仕事をしてきて、俺も少しは実力がついたんだろうか。とにかくあの人たちがいなければ、ここまではこれなかった。
リーダーになって今後も中心的に取り組んでほしいと頼まれたが断った。
俺はそんなタイプじゃないし、落ち着いて研究がしたい。この歳になってまで上司と後輩の板挟みになるなんてごめんだ…。
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2052年 5月
自分が初めて被験者となった。やはり緊張する。
まあ、もし万が一よくない結果だったとしても、大昔のようにどこかに隔離されるわけでもないし、強制処分されるわけでもない。ただ「選別」されるだけだ。結果も秘密に守られるし。
ただ、ただ、自分が欠陥のある人間だとわかるだけだ。
ただそれだけだ。
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2052年 6月
結果が出た。マリエは、だめだった。
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2052年 7月
相変わらずの日々。研究に終わりがないのは楽しい。でもきつい。
もうほとんど後輩たちに任せてしまってもいいと思うが、できる限りのことはしたい。
マリエだけでもと思って旅行券を渡したが、結局行く気はなさそうだ。
結果を気にしているのかも知れない。
俺も他人事ではないのだけど、本人じゃないとわからないこともある。
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2052年 12月
マリエの葬式が手短に終わった。簡単なものでいいという本人の希望を尊重してやった。
一応の覚悟はしていたが、いざとなるとしんどい。
数年ぶりに顔を合わせた親族はみんなすっかり年老いていた。
まだ60。自分より先に逝くとは思わなかったものの、テストの結果からして仕方のないこと。
まだ落ち着きはしないが、四十九日が終わったらまた研究に戻りたい。
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メモ
やはり治療につなげていかないとダメだ。俺は医者なんだから。
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2053年 3月
本格的に治療研究に取り組むため、プロジェクトメンバーにも提案した。
賛同するもの数名で特別チームを編成し、つめていくことになった。通常のシステム管理と更なる技術革新、そして新たな可能性。できるだけのことはしたい。
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2055年 5月
政府の方針としてはこの適性テストを人々の選別に使うつもりであり、それは今後も変わらないという。いつまでも成果のない治療研究に資金援助はしてくれない。
もともとは圧迫を解くための手段だった。必要な人材を必要なところにだけ。
「すべての人に」ではなく「必要な人に」だけ。
限りのある資源を効率よく使うための手段。
そのためのテスト、そのための法律。
だけどテストで「欠陥」の見つかった人に対してもなにかしたいと思ってはいけないのだろうか。
欠陥を治す手段が見つからない。見つからないから治さなくてもいい。治さなくてもいいから負担にならない。金も人も時間もかからない。
死を待つだけなのはどんな人でも皆同じだ。でも「死んでもいい」と判断するのは誰なんだ。「治す価値があるかどうか」判断するのは誰なんだ。
それはこのテスト結果なのか。このテストを作ったのは俺だ。
生きる価値も生きる意味も細胞に由来するのか。
仕方のないことなのか。
口実だ
全部
都合のいい口実にすぎない。