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土曜日

 土曜日の午前中いっぱいは学校での就職ガイダンスに参加しなければならない。今日も昨日と変わらず暑くなるようで、私はジーンズを避けて夏らしい白のワンピースを選んだ。「就職ガイダンス」などというとスーツを着て行くべきかとも思ったが、それほど肩肘を張るようなものではないと感じ、また私自身が就職に向け目の色を変えて挑んでいる分けでもないので、普段どおりの服装にした。最近はどこの大学でも二年になると就職関連の案内が始まる。まるで就職予備校にでも入学したような気分だ。


 大教室に知り合いを探したが見つからない。普段の講義とは比べものにならないほどの大観衆、学生の群れだ。いざ「就職」となるとみな真面目で真剣な学生になる。やはりここは就職予備校だ。

 適当に席につき配布された封筒から資料を出して見る。過去数年間の内定企業一覧、内定率、男女別就職傾向などなど、よくぞ纏めたと思うほどの数字とグラフの羅列に驚嘆はしたが、まだ二年の途中で講義のレポートに追われている身であり、就職に現実感はない。それでも現時点での希望などを記入する登録カードを書いて提出しなければならないようだ。ガイダンスの講師の声を聞きながら、就職希望に丸を付け、何となくイメージ出来る業界、職種を選び、質問欄には「特になし」と記入した。目を上げるとやはりスーツで来ている学生もいるようだ。「就職」の言葉に瞬時に反応し真面目で真剣な大学生に化けたのだろう。スーツ姿の男女が暑苦しく見える。教室に冷房は効いていたが、大観衆の勢いに圧倒されたのだろうか、ワンピースでも不快な暑さを感じる。最後に山本薰やまもとかおると名前を記入し、学籍番号を書き、何となく性別に丸を付けて提出し、急いで教室を出た。午後は部活の試合が予定されている。いつもの学校のグラウンドまで行かなければならないのだ。


 一旦、急いで家に帰り昼食をとる。ユニフォームに着替えて学校に向った。野球部の部員たち、特にスタメン組はすでにみな揃っていた。相手チームのメンバーも到着している。私は七番、レフトでスタメンだった。中学のグラウンドに私が姿を見せると部員たちはこちらを見て大げさな身振りで私を呼ぶ。

「かおる、おせーよ。遅刻だぞ」

「ごめん、ごめん」

 私は大声で謝りながら殊更、早く駆けよった。

「すみません。午前中はガイダンスがあったので、少し遅れました」

 一応、コーチには伝えていたが、照れながら頭を下げた。

「聞いてるから大丈夫。まだ開始まで時間はある。体をほぐしておけよ」

 コーチは続けた。

「今日が三年生にとっては中学最後の試合になる。みんなで力を合わせて三年を送り出すつもりで頑張って欲しい。試合に出る者も出られない部員も力を尽くして戦おう」

 私たちはそれぞれストレッチや素振りをしながらコーチの檄を聞いた。

 元々強い中学ではない。練習も遊びが半分という程度のものだ。強豪といわれるような高校に進む者はほとんどいない。私も強豪校への進学は望むべくもなく、ごく普通に高校に進学してそこの野球部に入ろうと考えていた。


 試合中、やはり暑い。しかしそれだけではない。外野は広いフィールドに孤立したように三人が守備につく。遠くて部員や応援のものたちの声はここまで聞こえない。こちらの方を見て何か言っている姿は見える。いつものことなのだがそれが気になった。私を見て何か言っている。気になり出すと深みにはまるようで更に気になって仕方がない。皆に見られていることばかりが気になってしまう。皆が何かに気づき私を見て笑っているのか驚いているのか、とにかく聞こえないが口を開けてささやいており、ときに叫んでいる。昨日のビールで少しは落着いた違和感や不安もやはり一時ひとときのことだったようだ。隠しはしていたがそれは試合中続いた。


 八回裏、三対三の同点で相手打者はレフトに大きなフライを打ち上げた。私は見上げた青空に浮かぶ雲の中に打球を見失った。次の打球もレフトへと飛んできた。今度はしっかり捕球しようとボールを目で追ったが、ボールが私をめがけて飛んでくる鋭い矢のように感じて座り込んだ。私たちのチームは逆転負けをした。

 やはり中学最後の試合で自分のミスで負けてしまった負目は重かった。涙を浮かべている部員もいる。私はなかなか顔が上げられなかった。

「仕方がない。野球は一人でできるスポーツじゃない。それが分かったら十分だ」

 コーチは慰めているのか責めているのか分からないような言葉を皆に掛けた。チームメイトたちも余計なまでに声を掛けてくる。

「かおる、気にすんなって」

「男がメソメソするなよ、高校行ったら甲子園行こうぜ!」

「ああ、でも悪かった」

 私はまた謝った。


かおる、今日の試合負けたんだって」

 父が無神経に声を掛ける。

「いいじゃない、そんなこと。それより今日の就職ガイダンスはどうだったの」

 母が話題を変えた。

「特に何も無い感じ」

 そっけなく私は答え、まだ残る負目と違和感を鎮めようと缶ビールに助けを求め、蓋を開けた。

「将来のこともそろそろ真剣に考えないとダメよ。女の子でも」

「うん」

 母の言葉に心ここにあらずという感じで答えた。父がビールを片手に私の全身を何か関心を持って調べるようにじっと見つめている視線に気づいた。



(つづく)


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