06 別れた枝
はしがき。
架空の世界が舞台のフィクションですが、
屠殺を含む、残酷な描写など、
本作を読む前にいくつか注意点があります。
下記URLのはしがき(前書き)をご確認ください。
https://shimonomori.art.blog/2020/05/01/ginmou-00/
「なにを遊んどる。」
呼びかけられたその声に、
ヨエルは肩を驚かせた。
裏戸から『ご主人』が出てきた。
商人ハンヌ・フィン。
赤ら顔で、乱れた服装の大男。
革の靴は踵を踏んで、だらしなく歩く。
(ご主人はこんな顔だったか…?)
ヨエルは思わず眉をしかめた。
――――――――――――――――――――
日差しの強い夏の頃、
成人したばかりのヨエルは皮を売るべく
初めて〈サンクラ〉の町に降りた。
(町なら売れると思ったが
どこへ行ったら売れるんだろうか…。)
皮の売値を知らなければ、
そもそも売るあてもない為に途方に暮れた。
ボロをまとった外の人間は、
奇異の目で見られるばかりであった。
(ひょっとして、
デカい家なら買ってくれるんじゃないか?)
町の大きな館ならばと見込み、
若き猟師は安直に行動した。
大きな館に住むのは、相応に大きな獣だった。
(こりゃ…、大陸にすむクマか。)
ヨエルは祖父の昔話でしか聞いたことのない、
巨大な獣を想像した。
目があった途端にヨエルは身動きが取れず、
正門にあった大きな金の鐘を叩く紐を
握ったまま、夏に大量の冷や汗をかいた。
そこは運良く商人ハンヌの屋敷であった。
厳しく見える精悍な顔立ちに、
商人としては不相応に筋肉質の巨体。
明るい翠眼に、金髪を後頭部に撫で付け、
上下艶やかな黒色の服を揃え、金色の紐を
胸にあしらった豪奢な服を着ている。
村では旅人や人買いなど商人以外、外の人間を
ろくに見たことがなかった〈ナルキア族〉は、
ハンヌの風貌に口を開けて驚いた。
「お前さんよぉ!
ガキのイタズラじゃねえなら裏門へ回れ!」
第一声はそのようにしてこっぴどく怒られた。
使用人が目を瞑って驚いていた程だ。
それでもヨエルは素直に裏門へと周り、
背嚢の中身の毛皮を見せた。
祖父が町の人間に毛皮を売っていたのを、
ヨエルは知っていた。
「仕方がねぇなぁ…。」
未熟な猟師の出来の悪い商品を見ると、
様々な条件を付けて渋々と取引に応じた。
それからは獲った皮をなめして、
月に一度は町へ降り、『ご主人』の館の
裏門に通うことになった。
「恩には恩を返せ。
親への恩は子に返せ。」
父の言葉を思い出す。
〈ナルキア族〉が長く繁栄する為の、
〈アラズ〉の教理であった。
ヨエルは『ご主人』に恩を返すつもりで
獣を狩り、皮を作った。
――――――――――――――――――――
先月会ったハンスとは違い、ヨエルには
彼がずいぶんとだらしなく別人にさえ見えた。
「あら、もう起きたんですの?
お身体の具合は?」
「さっからピィピィうっせぇと思ったが、
アークスじゃねえのか。…〈ナルキア族〉か。」
「アークスはお外で遊んでいますわ。
今は猟師のヨエルさんとお取引の最中ですの。」
娘のキルスは片目を一瞬だけ閉じて、
ヨエルに目で合図した。
キルスが裏口から出てきた時は、
「父がまだ…仕事で帰って来て無くて…。」
と言っていた。
(ウソを黙っておけってことか?)
彼女はヨエルを欺いていた。
そのことを目の合図で察し、
ヨエルは何も言わなかった。
何よりキルスの方が、皮の買取額が多い。
ハンヌに告げ口する利点は彼には無かった。
「〈中央〉で数字遊びしていた娘が、
何を偉そうに。
…で、いくらで買った?」
「90〈フーガ〉ですわ。覚書の通り。」
「90だぁ?」
ハンヌは皮を広げて数え出した。
仔シカ1枚2、ムジナ3枚15、キツネ2枚40。
「ああっ? お前さんよぉ!
これはどうみても、57だろ!」
普段のハンヌが対応したのであれば、
57〈フーガ〉しか出さない。
彼が大声を上げるのも無理はない。
覚書に従ったとしても
金毛の分でせいぜい82〈フーガ〉。
さらに8〈フーガ〉も多い。
「俺の金で勝手しやがって!」
あまりのことに憤ったハンヌは、
ヨエルが手にしていた紙幣を叩き落とした。
大きな手で叩かれて驚くと同時に、
むせ返るような酒の臭いがヨエルの鼻を突く。
「冬備えの需要を見込めば、
金毛は買値の15倍で売れますもの。
1割加算は取引としては正常です。」
「こいつは〈ナルキア族〉だぞ。
んな革ぁ売れやしねぇんだ!」
持ち込んだ商品に条件をつけたハンヌが叫ぶ。
「お祖父様でしたら、
相手の髪色で値段を変えるなど
失礼な真似はしません。」
キルスはこれ見よがしに覚書を叩いて見せた。
ただ、ハンヌがヨエルのこと〈ナルキア族〉と
呼びつけるのはいつものことだった。
「お前はこの家を売る気か!」
「コンスお祖父様の館です!
フィン家の名を涜すような行為を、
取引相手の手前、控えてください!」
鼻息荒くハンヌは罵声を浴びせ、
キルスの襟首を掴んだ。
キルスの鐘よりも澄んだ声は、
雷鳴のように鋭くなって猛然と言い返す。
ハンヌの太い腕が
キルスの細い身体を軽々と持ち上げた。
キルスはそれでも臆すことなく、
視線の定まらないハンヌの目をジッと見つめる。
親に口答えする娘に対し
ハンヌはさらに怒鳴り散らすかと思い、
ヨエルはふたりの顔を交互に見て困惑する。
「お母様の魂は神々の元へと発ちました。」
キルスがそう言うと、
ハンヌは両手を離し、跪いて泣き声を上げた。
「うぉぉ…クリスぅ…。」
大の大人が大声で泣く姿を見て、
ヨエルは心底驚いた。
ヨエルの住んでいた村の大人に
彼の様な泣き方をする者は居なかった。
「お父様。」
キルスはハンヌの背中を擦り、
再び柔らかな声になり
家に戻って休むように言ってきかせた。
小さくなったハンヌの背中を見送って、
キルスは皺になった襟を整える。
「大変お見苦しいところを、
お見せしてしまいました。」
両の手を交差させ、手のひらを肩に乗せると、
キルスは初めて会った時よりも深く頭を下げた。
地面に落ちた紙幣を拾い上げて皺を伸ばし、
ヨエルの手に握り渡した。
「ご主人は、どうしたんだ…?」
ヨエルは分かっていたが尋ねてしまった。
妻を失った男の姿。
あの逞しかったハンヌが、
弱々しく泣きじゃくるのを見てしまったからだ。
夕日がキルスの金髪を少しだけ赤く染める。
「お父様は、お母様が旅立たれてから、
魂が荒れてしまったのです。」
キルスは初めて会った時の堅苦しい口調に戻り、
震える口で、下唇を小さく噛んだ。
明るかったキルスの顔が、
半分だけ夜の影に覆われた。
次回更新は6月12日(金)18時頃予定
(毎週金曜日更新 各一話掲載予定)
島の紙幣は大陸の〈エンカー公国〉で作られます。
〈聖教国ソーン〉と〈クレワ帝国〉の緩衝地で
貿易大国として大陸の金貨よりも信用度が高い。
自サイトのTIPSを併せてお楽しみください。
#銀毛に眠る
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