第二章 強くなりたい
まどろみ。
そして、覚醒。
白い天井がそこにはあった。すっかりと明るくなった外から、陽光が差し込んでおりラセツの身体を照らしている。心地良い空気が肺を満たし、ラセツの身体はふかふかのベッドに包まれていた。
「……」
ラセツはスッ、と上半身を起こした。髪がサラサラと流れ、彼女の肩を軽やかに撫でる。身体の気怠さや疲労感を覚えながらも、よく眠った。と言うような感覚がラセツを満たしていた。塩による身体のベタつきが身体には残っているが、服はボロボロになった黒のワンピースではなく、パジャマへと着替えさせられている。
「私……。ここは……?」
見覚えのない部屋だ。壁には、高価そうな男趣味の時計とダーツ盤がかけられており、ベッドの傍にあるシックなテーブルにはダーツ矢が三本とノートパソコンが置かれていた。
ラセツが足をベッドの外に動かすと、何かの動物の毛皮らしき絨毯が足に触れる。
窓の外には高層ビルが立ち並んでいた。昨夜の大雨が嘘のようにカラリと晴れ、燦々とした太陽が街を照らしている。そして、乱立するビル群の隙間を、様々な物が飛んでいる景色が視界に飛び込んでくる。
それはホウキだったり、車のような機械だったり、犬のような動物だったりと様々だ。
何とも統一性のない光景だが、それらは全てアーティファクトだ。
ここが、かなり上層に位置するマンションの一室なのだ、とラセツは理解した。
ラセツが、部屋の扉に手をかけて開けると、そこにも部屋は続いていた。壁一面が本棚になっており、その中に小難しそうな本が立ち並んでいる。中央にはガラスのような透明のテーブル。そして革張りのソファが置かれてあり、その上に、ティムが横になり寝息を立てていた。
ラセツは、戸惑いの意を口にする。
「貴方は……」
その言葉と共に、ティムの目がパチリ、と開いた。
ラセツの姿を認識すると、そのままの状態で笑みを零す。
「あぁ、目覚めましたか」
ティムは上体を起こし、ふわぁ、と大きなあくびをする。
伸びをして、それからゆっくりと立ち上がる。
「あー、眠い……。昨夜は大変でしたよ。意識を失った人の身体と言うのは存外に重たいものですね。まるで、酔い潰れの介抱をしたかのような気分でした」
「何で、私は着替えているの……?」
ラセツは、自分が着ているパジャマを見て、そう呟いた。
「着替えさせました。流石に、あれだけずぶ濡れの塩まみれで、ベッドには寝かせたくなかったので」
「どうやって?」
「どうやって、と言われましても……。普通に、貴方をすっぽんぽんにさせて」
「……!」
ラセツの顔が羞恥に染まっていく。
「……見たの?」
「はい?」
「私の身体、見たの……?」
「えぇ。まぁ、でなければ着替えさせることもできませんし」
「触ったの?」
「どうでも良くないですか? そんなこと」
「どうでも良くはないわよ!! かなりの問題よ!!」
「触っていませんよ。一応、出した機械に着替えはやらせましたので」
ティムは、そう言って肩を竦めてみせた。
「そ、そう……」
微妙に怒るに怒れないラインだった。奇妙な気まずさがラセツを包むが、ティムは気にしていないようだった。女性の気持ちの機微など、理解できる年齢ではないのだろう。
ティムは言葉を続けた。
「まぁ、ひとまず朝食――と言うには微妙な時間ですね。少し早めの昼食にしましょうか。……あぁ、入浴してきた方が良いですね。身体が塩でべたついていることでしょうし」
昼食、と言う単語を聞いたその瞬間、ラセツのお腹が、きゅるるると鳴った。ラセツは顔を真っ赤にしながら、自分のお腹を抑える。
「違う!! これは、生理現象よ! だって、昨日一日、何も食べてないんだもの! 仕方ないことじゃない!」
「あぁ、はい。ソウデスネー」
「何で片言……。変に気を使うんじゃないわよ!! 逆に恥ずかしいじゃない!」
「どうしろと……。まぁ、とりあえず、すぐに食事を用意するので、お風呂に入ってきて下さい」
ティムが頭を掻きながら立ち上がり、コの字型のキッチンへと向かった。冷蔵庫から卵とチーズを取り出す。
「オムライスにでもしましょうか。ちょうどチキンライスもありますし、チーズや生クリームもあります」
きゅるるる……。
「違う! 私の意志じゃないわ!! こんなみっともないお腹!!」
「僕にどんな反応を求めているんですか……。とりあえず、お風呂へどうぞ」
「……!」
ラセツは顔を赤らめて、ぷいっとそっぽを向いた。ティムに背を向けて、彼が指差したお風呂場へと歩き出す。
感謝は、している。だけど、素直に礼を言うことができない。
扉を開けると、中にはトイレとお風呂が一緒に備え付けられたユニットバスがあった。一人暮らしにしては十分すぎるほどに広いユニットバスではあるのだが、ラセツは目を細めた。
「狭い……」
ラセツの常識からしたら、あまりにも狭すぎる浴槽だった。だが、贅沢は言わない。言える立場でもない。ラセツはパジャマを脱ぎだして、入浴準備を始めた。蛇口をひねると、冷たい水がシャワーヘッドからバサァッと出てくる。ラセツはそれを体全体に浴びた。
「きゃあああああ!」
「っ! どうしました!」
「水が! 冷たいのっ!」
「あぁ……。一応スイッチは入れてあるのですが、暖かくなるまで少し時間がかかります。最初は出しておいて、それから浴びて下さい。と言うか、何でそんなことも知らないんですか?」
扉の向こうからティムの呆れ声が響いてきていた。
「知らないわよ……。だって……」
ラセツはポツリと呟いて、手でシャワーの温度を確かめる。確かに、すぐに暖かくなってきた。それを、身体に浴びる。べたついていた身体が清らかになっていくのが分かり、ラセツは目を細めた。
「温かい……」
昨日一日お風呂に入ることができなかった。ただ、それだけで、この温もりが物凄くありがたい物だと分かる。ラセツは、お湯の感覚を身体全体で味わった。