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1-5 必死

「私は、一人で探索をする。貴方は貴方で、勝手にすれば……!」

 そのまま、ラセツは歩み始めた。怒りをあらわにしている肩を見て、ティムは眉を顰めた。

「なら、僕は一人で勝手にゴールしますよ。現実世界に戻ります。良いんですか?」

「好きにすれば良いじゃない!」

 ティムが目を細める。

「分かってないんですか? その瞬間に、貴方も現実世界に戻ることになるんですよ」

「……?」

「誰かがゴールをすれば、探索者全員が現実世界に戻る。探索者アーティファクターの常識です」

「……!」

 ラセツが、驚きの表情を浮かべて振り返った。

「知らない、って顔ですね……。正直な話をしましょうか。僕が、貴方を待つ義理は何もない訳です。むしろ、さっさとゴールして無理矢理にでも貴方を現実世界に戻した方が、僕としては手っ取り早い。そうは思いませんか?」

「……待って」

 ラセツが、声を震わせた。

「現実世界に戻るのは、少しだけ、待っていて欲しい……」

 ラセツが、弱りきった声を上げた。

 アーティファクトを全て回収するまで待っていて欲しい、などとわがままを言うことはできない。それは、温情や施しを受けているのと同義だからだ。彼女のプライドがそれを許さない。

 ティムは嘆息して、人差し指を立ててみせる。

「一時間。きっかり、それだけ待ちましょう」

「……一時間……」

 ラセツの声が沈んだ。探索手段を何も持ち合わせていないラセツにとって、たったそれだけの時間で、この空間にあるアーティファクトを回収していくのは非現実的だ。

 絶望的な表情を浮かべているラセツを見かねたのか、ティムは溜息をつく。子供らしい小さな人差し指を、そのまま遠くの方へと向けた。

「ここから真っ直ぐ二百メートルほど行った所に、浅めの洞窟があって、その中にアーティファクトが一つあります」

 そう言って、ティムはハードレザーバッグから機械の蜘蛛を出した。それに飛び乗ると、ラセツに笑みを零した。

「教えたのは、別に施しではありませんよ。情報を共有しただけです。まぁ、それも気に食わないと言うのであれば、他の二つを自力で探して下さい。――では、また現実世界でお会いしましょう」

 ティムを乗せた機械の蜘蛛が、八本のアームを脚のようにしてラセツに背を向けて走り出した。凄まじい速度で塩の大地を駆けていき、消えていく。

 ラセツは、石造りの台座の上に置かれたアーティファクトへと視線を向けた。仄かに全体が青く光っている銀細工の笛を見て、ラセツは呟く。

「何で、本当に置いていくのよ……」

 ラセツは銀細工の笛に背を向けようとして、足を踏みとどまらせる。

「あぁっ、もうっ!」

 台座の上に置かれてある銀細工の笛を取って、それを握る。

 手袋越しに、笛の感触が伝わってくる。

 ティムの言動や行動は、プライドの高いラセツにとっては非常に腹立たしかった。だが、ティムが来ていなければ、今頃ラセツは死体になり狼の餌になっていただろう。

 彼は、ラセツの様子を見に、わざわざこの世界へと潜ってきたのだ。

 ティムが、何の報酬も期待していないのは見ていて分かる。だからこそ、腹立たしいのだ。

 五級のアーティファクトだとしても、売れば幾ばくかのお金にはなるはずだ。それならば、ティムも全く得る物がなかった、と言う訳ではなくなる。

 ラセツは、ワンピースのポケットに笛を仕舞い込み、ティムが指差した方向に向かって歩き始めた。ティムの助言を頼りに進むのは癪ではあったが、他に方法がない。

 足場の非常に悪い塩の大地を歩み始めて数分ほどで、ティムの言った通りに、小さめの洞穴のような洞窟が見えた。

 中にまで塩の道が続いているが、奥はあまりにも暗くて、どうなっているのか視認することができない。

 不意に。

 キュー。

 と、言うような、可愛らしい声が響いた。

 ラセツがそちらへ視線を向けると、そこには、尖った角をつけた一匹のウサギが居た。

 洞窟の入り口付近で、ラセツに向けて愛くるしい目を向けている。

「ウサギ……?」

 ラセツは戸惑いを隠せなかった。一角ウサギは、愛玩動物さながらの愛くるしさを醸し出している。もふもふの毛並みをしており、大きさは三十センチほどだろうか。

 敵、とは思えなかった。だから、ラセツは、不用意に一角ウサギへと足を進めた。

 進めてしまった。

 刹那、一角ウサギがラセツに向かって、跳んだ。突進――鋭い角が、ラセツの身体目掛けて突き刺さりそうになる。

「っ――!」

 ラセツは、辛うじて一角ウサギの体ごとの攻撃を避けた。だが、避けきることができなかった。鋭利な刃物で表面を切りつけられたかのように、ラセツの左腕に軽い傷跡ができる。

「……っ!!」

 ラセツの綺麗な顔が、怒りと痛みで歪んだ。

 見た目の可愛さに騙されて、警戒を怠ってしまった。ここは、アーティファクト・ラビリンスの中だと言うのに……。行動がまるで初心者そのものだった。ラセツはその事実に激しい憤りを覚える。

 ラセツが右手を構えると、空中に黒い渦が広がり、空間にヒビが入る。そこから、憎悪を凝縮したような死神の手が現れた。それで、一角ウサギを掴もうとしたその瞬間――ラセツは躊躇した。

 これで殺したら。

 また、自分に殺されることになる。

 あの苦痛を、死の恐怖を、再び味わうことになる。

 ウサギの目前で、死神の手はピタリと止まる。一角ウサギは、まさに文字通り脱兎の如く死神の手から避け、再びラセツに突進した。

 自分目掛けて殺意を持って跳んでくる小動物を、ラセツは辛うじて避ける。ここが平地であれば、幾らでも躱すことはできるだろう。しかしここは、塩の大地。足場が非常に悪い。

 何度も何度も跳んでくる一角ウサギを躱すことに精一杯であり、ラセツには有効な攻撃手段がない。

 ラセツの黒のワンピースが、所々ウサギの角によって裂けていく。掠り傷ではあるが、体力と精神力を徐々に奪われていく。痛みも蓄積していく。

 ――嫌になる。自分の弱さが。

 体力がない。防御力も、攻撃力もない。アーティファクトに頼らなければ、角をつけたウサギ一匹に翻弄される。その事実が、悔しくて、悔しくて、ラセツはギリッと奥歯を噛み締めた。

「あっ」

 何度も躱すうちに、ラセツは、足をもつれさせてしまった。

 塩の大地に仰向けに転倒し、ラセツは目を見開く。一角ウサギがラセツ目掛けて角を構え、上から落ちてこようとしていた。

 あの角が身体を貫けば、間違いなく致命傷だ。

「っ!!」

 ラセツはとっさに右手を構えた。死神の手が、飛びかかってくる一角ウサギを刹那に掴む。

「ピギっ!!」

 ウサギは悲鳴を上げた。時間を経過させるまでもなく、巨大な死神の手がグイッとウサギの身体を握り潰す。

「ああああああああああ!!」

 ラセツは悲痛な叫び声を上げた。フィードバック。全身が砕けるような記憶が流れ込み、あたかも彼女自身の過去であるかのように彼女と同化していく。その記憶から湧き出る感情に、彼女は翻弄される。次いで、死神の手で腐敗して解けていく、恐ろしい感覚がラセツを襲う。

「ぐぅ……っ! あぁあっ……!」

 ウサギが、まだ幼い子供の為に食料を欲していた、などと言うウサギの過去の記憶がもはやどうでも良い。

 意識が霞むレベルの、発狂する記憶にラセツは身を悶えさせた。

「うぅ……。ぐっ……」

 ウサギ一匹で、この騒ぎ。

「ふふっ……。あは、あはは……」

 ラセツから、乾いた笑い声が漏れた。意図していない笑い声だった。自然と、ポロポロと涙が零れ落ちる。

「馬鹿ね、何を……。泣いているのよ……」

 自身を嘲笑し、ワンピースの袖で目を拭おうとする。だが、袖に付着した塩を見て、拭うのをやめた。

 ラセツは、よろよろと立ち上がった。痛みも、苦しみも、全てがまやかしだ。実際に身体が痛めつけられた訳ではない。全身の骨を砕かれた訳でも、腐敗させられた訳でもない。ただ、その記憶が入ってきたと言うだけのこと――。立ち上がることはできる。

 しかし、心はそうではない。

 疲弊しきった精神を気力で奮い立たせた。身体にまとわりついた塩を手ではたき、綺麗になった袖で涙を拭う。そして、ラセツはキッと洞窟の中へと強い視線を向けてみせた。

 洞窟の中は真っ暗だった。ラセツは、ポケットから銀細工の笛を取り出す。

 非活性のアーティファクト特有の青白い光が放たれており、灯りとしてはかなり心もとないが、短い視界の確保は辛うじてできそうではあった。

 ラセツは、洞窟内部へと向けて、たどたどしい足取りで歩みだした。

 塩で満たされた白い光景が、アーティファクトの青の光に反射されて綺麗に光っている。

 少し進んだ所で、ラセツの前に同じような青白い光が見えてきた。暗い洞窟の中に石造りの台座が置かれてあり、その上に、樹枝状の模様が描かれた白いかんざしが添えつけられていた。

 間違いなく、アーティファクトだ。

「やった……」

 ラセツは、思わず喜びを口にした。

「やったわ……。これで、やっと、一つ……」

 ラセツの顔に、疲れ切った笑みが溢れた。かんざしを手にすると、安堵感が全身を包み込む。

 張り詰めていた気力の糸が、プツンと切れてしまった。

 ラセツは、そのまま、その場に倒れ込んだ。

 塩で満たされた世界に、ラセツは意識を投げ出したのだった。

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