4-2 白竜
「――」
ティムの顔が、サァッと青ざめた物になった。
ラセツの蒼の瞳が、大きく、見開かれた。
「ティム……」
声が、震える。
信じられない。
信じたくない。
「腕が……!」
ティムの左腕から、夥しい量の血が一気に吹き出る。盾をつけていた左腕が地面へと落ちると、盾は煙のように消え失せて、左腕だけが地面を転がった。
「あぁああぁああぁああああああ!!」
白竜は、再び拳を振り上げた。
「……!」
ラセツが咄嗟に右手を構える。ラセツとティムを庇うように、死神の手が白竜に対して思いきり開いた。
「――」
白竜が、勢い良く死神の手から距離を取った。
本能的な恐怖だろうか? 白竜は唸り声を上げながら、ターゲットをラセツからリムへと切り替える。
「おぉおおお!」
リムが、怒り猛ったように吠えた。
リムの身体が一気に膨張した。元々大きかったその体躯を覆うように、鱗がリムの全身を覆い始める。
――竜化。
リムは、体内に取り入れる二級アーティファクトによって肉体操作系の能力を得ていた。
竜化、とは言っても本物の竜になれる訳ではない。せいぜい、翼のない、二足歩行の竜もどきになれるだけだ。
だが――。
二足歩行の格闘竜が、神速とも言える白竜の突撃を腕だけの動きで流れるように受け流す。
リムが身体を捻りながら凄まじい速度の蹴りを食らわせるが、白竜は腹部を庇うように硬い外装でそれを受けた。衝撃波が発生するが、白竜は怯むことない。
白竜は、その巨躯からは想像もできない程に軽やかな前後のステップを踏みながら、リムへと爪を突き立てようと腕を振り上げる。だが、リムが大きく横に回避するような行動を見せると、今の行動をフェイントにして、恐ろしい速度で一回転し、丸太のような尻尾をリムへとぶん回した。
リムが跳んだ。
空中で身動きが取れないリムを襲おうと爪を構える白竜に対して、リムは尻尾を回避するついでに、飛び蹴りを竜の顔に叩き込む。白竜は顎を引き、硬い頭蓋でその攻撃を受けた。
白竜がニヤリ、と口角を上げた。これは誘い――。
蹴りを食らわしたばかりで身動きの取れないリムの脚を、白竜の手が即座に掴む。
「――」
そのままリムの身体を地面へ叩きつけようとした白竜に対して、リムは、もう片方の足で白竜の肘を蹴り飛ばした。白竜の腕が痺れ、リムの身体が拘束から離される。
リムが地面に着地すると同時に、白竜の顎が大きく開いた。化け物らしい、鋭く尖った牙が剥き出しになる。白竜はリムに対して、人間なら間違いなく即死であろう勢いで噛み付いた。
リムはとっさに地面を蹴り、後方へと宙返りをおこなう。白竜の顎は虚空を噛み、ギィンッと言う金属音のような音が響き渡った。
ザザッと地面を擦りながら距離を取ったリムの目から、戦意は衰えていない。
地上戦ではリムに決定打を食らわせることができないと悟った白竜は翼をはためかせ、空へと勢いよく飛び立った。
それとほぼ同時に、血を流しすぎたティムが地面へと倒れ込む。ラセツの悲痛な叫び声が、辺りに響き渡った。
「よくも……!」
ラセツが右手を構えた。怒りで我を忘れていた。
ラセツの力は普通に使えば、フィードバックで自分が苦しむことになる。そうならないための方法を、ティムは考え、特訓してくれた。けれど今は、例えフィードバックを受けたとしても、この敵を殺す。そのことしか頭になかった。
虚空にヒビ割れが走り、黒い渦が一気に広がった。
「消えなさいっ!!」
ラセツの叫びと共に、凄まじい速度で死神の手が伸びた。それが竜の背後から一気に掴みにかかる。完全に死角を取った――。
だが、竜は上空で身を翻して旋回した。死神の手が虚空を掴み、それに対して竜が反撃の爪を構える。
「――」
ラセツが手を下ろすと、死神の手が虚空で煙のように消え去った。竜の爪が虚空を裂き、風切り音が響き渡った。
「……嘘」
ラセツが、信じられないと言うようにそう呟いた。
回避しただけではなく、即座に反撃までおこなおうとした。
そもそも、死神の手は避けられる速度ではないはずだ。ましてや初めて見る場合には避けることなどできるはずがない。明らかに、見た後に回避行動を取った。それができるだけの動体視力に知性、それに匹敵するだけの身体能力を持ち合わせていた。
白竜は上空で、リムに対して大きく口を開けた。避けられる程度の攻撃しかおこなってこないラセツよりも、リムの方がより脅威だと感じたようだった。
竜の口の前に、光が輝いて集まっていき、見る見る巨大な光球へと変化していく――。
「……まずい!!」
リムの叫びが、白い光と共に消えていった。あまりにも巨大だ。幅は数十メートルほどもあるだろう。リムは、全速力で走り出した。
瞬間、光球が勢いよく放たれた。
光球がレーザー光線のように突き刺さる。刹那、岩肌が捲れ、巨大な岩が激しく飛び交った。岩肌の反対方向にまでレーザー光線が突き抜ける。綺麗で穏やかだった水面が割れ、遥か上空まで水飛沫を上げた。数百メートル上空に居るリム達にまでその水滴が届くほどだった。
吹き飛んだ岩が、その場に居た全員に襲いかかる。リムは岩を受け流しながら、粉塵が舞う中へと叫んだ。
「ティム!! ユキ!!」
粉塵の中から、白竜が凄まじい勢いで現れた。
あの一撃で倒せていないことを即座に察知したのだろう。白竜は、追撃の手を一切緩めようとはしなかった。
「……!」
*
「……うっ」
ティムが薄目を開けると、自分の手が誰かに掴まれているのが分かった。
そして、自分の身体が宙空に放り出されているのも。
「……何、を……」
目を開けたティムが見たのは、ボロボロになりながらも、空島から落ちてしまいそうな自分の手を掴んでいるラセツの姿だった。
「今、引き上げるわ……!」
「何で……」
口をついて出たのは、疑問だった。
「貴方が、僕を……? 助けて……」
「それは私の台詞よ……! 何で、私を……!」
ラセツの目が、涙で染まっていた。
「嫌なの……っ! 守られて……! それで、ティムが死んじゃうなんて……! 絶対に嫌だ!!」
絞り出すように叫び、ティムを引っ張り上げようとする。しかし、彼女の手がブルブルと震え、上手く引き上げることができなさそうだ。その様子を見て、ティムは驚きを隠せなかった。
「……ボロボロじゃないですか……!」
光球によって岩や石が飛び、それらが散弾のようにラセツにも襲いかかってきていた。
幸いにして致命傷になるレベルの大きさのは当たっていなかったが、それでもラセツは身体中に傷を作り、服もボロボロだった。頭からは血を流してさえ居る。
「私のことなんか、どうでも良いの……! それより、今はティムなのよ!! このままだと、ティムが、死んじゃう……!」
「……ふふっ」
不意に、ティムの口から、笑い声が漏れた。
「……何で、笑うの? 何で、笑えるの? こんな状況だと言うのに、どうして……?」
「僕も、ヒーローになれましたか……?」
虚ろな目を浮かべるティムの意図が、ラセツには、分からない。
「そうか……。彼らも、きっと……。こう言う気分、だったのでしょうね……」
「何を、言っているの……?」
「簡単な、話、だったんですよ、きっと。とっさのこと、だったんだ。貴方が死ぬのを見たくなかったから。……僕は、あの時、貴方を、助ける為に動けた。僕は、ヒーローに、なれた。……僕が死ぬ場所が、ここでも、僕は――」
「……!」
ラセツは震える手を押さえ、思いっきりティムを引き上げた。ティムの上半身が、岩肌の上に乗る。もう一回、引っ張り上げながらラセツが凛とした表情で真っ直ぐにティムを向いた。
「絶対に、死なせない!!」
「――」
ラセツが、呆けているティムの頬をパシンと掴み、グイッと顔を近づけてみせる。
「何か、あの機械みたいな奴、出せる!? 意識を保って! 絶対に、現実世界まで貴方を連れて帰るから……っ!」
そう言い放ち、ラセツはティムに背を向けた。
「私が、あいつを倒すから……!」
ボロボロに傷ついた小さな背中。
なのに。
なぜだか、とても、大きく見えた。
「――」
ティムは、震える右手を握りしめ、ゆっくりと身体を起こした。
死んでいる場合ではない。
彼女の拠り所である自分が今、死ねば、彼女の心の支えがなくなってしまう。
それは、彼女を見捨てることと同じだ。
ティムの背中のハードレザーバッグから、人形の機械が飛び出てきた。無機質で感情のない機械が、失われたティムの左手を強く握る。吹き出ていた血が圧迫によって止血される。飛びかけていた意識を無理やり現実世界へと押し戻す。
今、この瞬間だけでも。
「僕は、大丈夫です。……行って下さい!」
「……!」
ラセツは、力強く頷いた。
ティムは戦闘に加わることができない。
でも、ラセツの背中にはティムが居る。ティムに教わった全てが、ティムと共に過ごしてきた経験が、知識が、ラセツを支えてくれる。
ラセツは右手を構えた。
冷静さを少しだけ、取り戻していた。




