3-8 脅迫
「……っ!」
「あら、お知り合いですか?」
女主人が、気の抜けた声で問いかける。それに対して、朧は柔和な笑みを零してみせた。
「うん、少しね」
ティムとラセツの額から、尋常ではない脂汗が滴り始めた。
「彼らと話したいことがあるから、女主人は席を外してくれるかな?」
「あら……? かしこまりました」
女主人はそう言って、頭を軽く一つ下げるとバックヤードへと戻っていった。
朧が、冷え切った声をティムとラセツに向ける。
「昨日は見事だった。まさか、逃げられるとは思っていなかったよ……」
憎悪すら滲ませたような声色にも関わらず、出てきた言葉は称賛だった。早鐘のようにバクバクと心臓を鳴らし、ティムは下唇を噛んだ。
「僕たちを、どうするつもりですか……?」
「……僕は昨日の一件で、君たちが想像している以上に、君たちを高く評価した」
そう言って、朧はニヤリと笑みを零してみせた。
「仲間になれよ」
「冗談はやめて」
ラセツが、目を細めて朧の言葉を切り捨てた。
「いきなり攻撃しようとしてくるような奴と、仲間になる? 笑えないわ。どうせ、対等な扱いをする気もないのでしょう?」
朧が不服そうに表情を歪めた。
「状況が分かってないのかな? 君の命は、今、僕の手の中にある」
「だから?」
ラセツは凛とした表情を崩すことなく、聞き返した。
「――」
こんな状況になっても強気の姿勢を崩さないラセツに、ティムの顔色が変わる。
朧が、軽快に笑った。
「ふふっ、くっくっく……」
「……? 何がおかしいの……?」
「あぁ、いや。少し、昔を思い出してね……。僕に対して、全く同じことを言った女が居たからさ。くっくっく」
そんな女が何人も居てたまるか。とティムは思った。
「その人は、どうなったの……?」
「死んだよ」
朧の表情が、一瞬にして消え失せた。
「あぁ、死んだ。いや、違うな。彼女は――僕が、殺した」
「……」
朧は、悲哀に満ちた声色でそう言い放った。
感情などほとんど感じさせなかった朧の、人間らしい側面が見え隠れして二人は言葉を失くす。
「……朧さん」
おもむろに、ティムが言葉を発した。
「それほど強い貴方が、僕たちを仲間に引き入れたいと言うのは――。貴方が殺したと言う、その女性に、何か関連が――」
朧が、ティムとラセツの首を少し強く握った。殺意を感じるその手に、ティムは言葉を出せなくなる。
「……っ!」
「詮索癖は良くないな……。思わず殺してしまいそうになってしまったじゃないか……」
邪悪な吐息を漏らしながら、朧は目を見開いた。
「何か勘違いしていないか? ティム。僕は、君たちに質問を許可した覚えなどないんだ。頭の良い君なら分かるだろう?」
囁くような言葉。
にも関わらず、朧が酷く感情的になっているのが手に取るように分かった。このまま神経を逆撫でし続ければ、朧は間違いなくティムとラセツを殺すだろう。
「分かり……っ、ましたよ……っ!」
ティムは喉元を掴まれた状態で、答えた。
「そうか。分かってくれたなら、良かった」
朧の手が二人から離れる。二人は、思わず咳き込んだ。そんな二人に、朧は予想外の言葉を言い放ってみせる。
「二人は、アーティファクト・ラビリンスに潜りたいんだろう? 良いよ、潜って」
「……どう言う、つもりですか……?」
ティムとラセツを拘束して、連れ帰ることだけが目的なら、そのような行動を許可する訳がない。
「ここで無理に連れ帰ったとしても、絶対に僕の仲間にはならないだろ?」
それは、事実だ。
少なくともラセツが首を縦に振ることはないだろう。
「だから、今はまだ自由に跳ね回っていて良いよ。でも、忘れないで欲しいな」
朧はそう言って、ティムのカクテルに差し込まれていた鉄製のマドラーを抜き取った。それを、自らの口の中へと入れていく。
「――」
朧が次にそれを抜き取った時、鉄製のマドラーはグニャグニャに折り曲げられていた。歪な形状になった鉄製のマドラーを机の上に置いて、朧は優しげな笑みを零してみせた。
「僕がその気になれば、この場に居る全員を殺すことができる。物の五秒もかからずにね」
「――」
「ルールは簡単だ。逃げたら殺す。騒ぎ立てたら殺す。助けを求めたら殺す。あるいは、君達以外のあらゆる人達を無残に殺す」
落ち着いた平坦な声で恐ろしい脅迫をおこない、朧はラセツへと視線を向けた。
「……っ」
この男の目を見ていたくない。心臓を冷えた手で掴まれてしまったかのような錯覚に、ラセツは目を背ける。
「当然、僕も一緒に潜ることになる。この話の続きは、アーティファクト・ラビリンスの中でしよう」
ラセツの蒼の目が、大きく見開かれた。そんなラセツに背を向け、黒のコートをはためかせながら朧はテーブル席にゆっくりと座り込んだ。
「……はぁっ、はぁっ」
朧が去った瞬間、ラセツは呼気を荒く吐き出した。得体の知れない、蛇に首元を舐められたかのようなおぞましさ。生理的嫌悪感がラセツを包んでいた。
「何なの、あいつ……!」
小声で、ラセツが不快感を吐き出した。
妙な緊張感によって喉がカラカラになったラセツは、カクテルを一気に飲む。半分ほど飲み干した所で、ラセツがグラスを机の上に置いてティムに問いかける。
「どうする……!?」
慌てた声を上げるラセツを横に、ティムは、周囲へと視線を向ける。
この場に居る全員が人質になっている。ティムが世話になっている女主人も、だ。
「……今は、朧の手の上で踊っておきましょう。逃げるチャンスは、きっとどこかで来るはずです」
「……そう、ね……」
ラセツは渋々頷いた。そのタイミングで、バックヤードから、女主人が戻ってくる。そして、何も知らない朗らかな笑みを浮かべてみせた。
「お話は終わりましたか?」
「えぇ、まぁ……。今しがた」
「あぁそう言えば! 今日はリムさんがいらっしゃっているんですよ。ほら、ティムさん仲良かったじゃないですか」
「え……。リムさんが……!?」
ティムは、驚き戸惑ったような声を上げた。
「えぇ。ただ、待っている間暇だから、と」
そう言って、女主人が、カウンターの端に置かれてある幾つかのアイテムのうちの一つに目を落とした。それは、青白い光を放っている指輪のようだった。
「四級に潜りに行ってしまわれました。一人で」
「誰? ……知り合い?」
ラセツがティムに問いかける。
「ユキちゃんと組む前の、僕のパートナーです。何度か一緒にアーティファクト・ラビリンスの探索をおこないました」
「へぇ……意外」
ラセツは驚きの声を上げた。ティムが、他の人とパーティを組んで潜っていた、などと想像したこともなかった。
不意に、指輪が輝いた。指輪のすぐ前に光が走り空間が裂ける。緑と白を混ぜたような色の光を全身に纏う男が現れると、同時に周囲で空気が弾けた。
女主人が笑みを浮かべ、掌をパチパチと叩き拍手を送る。
「ゴールおめでとう」
そこに現れたのは、青年だった。




