3-7 後ろの声
これは、悪夢だ。
――逃げ……ろ……!
あの日の光景。
二人が食われながら、ティムに対して必死の形相で叫ぶ。
何度も何度も、何度も何度も頭の中で描かれてきた。
ただ、逃げることしかできなかった。
最も許せない、過去の記憶。
「――っ!!」
ティムはガバッとベッドから身を起こした。全身が熱く火照り、汗で全身が濡れているのが分かる。呼吸も荒くなり、心臓は痛いくらいに早く鳴っている。
「……はぁっ、はぁっ」
全力疾走した後のように息を切らし、ティムは、力の入っていた肩を落とした。
あの日から、一年が経った。
二人が、二級アーティファクト・ラビリンスで敵に食われた日から――。
ティムは自分を落ち着かせるように、深く深呼吸をした。カーテンが閉められた窓の隙間から、陽光が僅かに差し込んでいるのが見える。同じベッドの横では、ラセツがすぅすぅと穏やか寝息を立てている。
ティムは片膝を立て、そこに自分の顔を押し当てた。
あまり、眠れなかった。
二級アーティファクト・ラビリンス。
『高位』と呼ばれる世界――。
あの時以来、ティムは二級以上に潜っていない。
怖い。
それが、正直な気持ちだった。
自分の生死はどうでも良い。ラセツが、あの時のように目の前で死ぬかもしれない。それが何よりも怖い。
薄暗い部屋の中で、ティムは下唇を軽く噛んだ。
潜らないと言う選択肢はない。それは、分かっている。ラセツに協力すると決めた以上は、避けて通れない。
ならば、感情など押し殺せ。絶対にラセツを死なせない。ただ、それだけで良い。
目を閉じる。押し寄せる感情の波を無理矢理に抑える。
ティムは立ち上がり、カーテンを勢いよく開けた。地平線の彼方の太陽が部屋を照らし、淡い黄金色に世界を満たした。
そして、ティムは笑みを零してみせた。
「おはようございます、ラセツさん。朝ですよ。――二級アーティファクト・ラビリンスへ行きましょう」
*
バー、リトル・マーメイド。
都心の駅から、十五分ほど歩いた所にそれはあった。
飲食店が立ち並ぶ繁華街を抜けた先の、雑居ビルの地下一階だ。
ティムとラセツはタクシーから降りて、店の前に立つ。ラセツは、先程買ったばかりのサングラスをかけていた。
「ここは……。一ヶ月ぶりね」
「貴方は、ここではユキちゃんです。良いですね?」
ティムの確認に対して、ラセツは頷いてみせる。
「偽名ね。分かっているわ」
王女と言う身分は隠す。前に話したことだ。
ドアベルをカランコロンと鳴らしながら、ティムは店の中へと入る。すると、少し遠くの方にバーカウンターが見え、そこに一人の女性が見えた。妖艶な雰囲気を持つ彼女は笑みを零した。
「いらっしゃいませ」
ティムは慣れたようにカウンターに座り込み、女主人へと注文する。
「お久しぶりです、女主人。いつものを」
「えぇ、お久しぶりです。かしこまりました。あら、貴方は……」
ラセツを見て、思い出したような顔を浮かべる女主人に、ティムが告げる。
「訳あって、今はユキちゃんです。良くしてあげて下さい」
「ユキちゃん……?」
前に聞いていた名前と違うことに対して、女主人は不思議そうな顔を一瞬だけ浮かべたが、すぐに頷いた。
「分かりました」
ここでは、訳ありの人間など珍しくはないのだろう。
「それで、ユキさんは何を飲まれますか?」
ラセツは、おずおずとカウンターに座り込み、それから、思い直したように椅子の上で足を組んで、大人の女性を気取ってみせた。
「ティムと同じので」
「かしこまりました」
女主人はそう言い、ノンアルコールのカクテルを作り始めた。ラセツは辺りを見渡す。
――以前来た時と、明らかに雰囲気が違っていた。
バーの中には、昼だと言うのに多くの人がごった返していた。歳を取った男の比率が極めて多いが、若者もちらほら居る。だが、その中でもラセツとティムが最も若いグループだろう。
目付きの鋭さと、身体つき。そして面構えが、明らかに一般人達とは異なっていた。
いずれの者からも、歴戦の猛者の雰囲気を如実に感じる。ここに居る者のほとんどが、アーティファクト・ラビリンスの探索を生業としている探索者であり、死を身近に日々暮らしている者達なのだと分かる。
ティムが、女主人へと問いかけた。
「それで、二級アーティファクトの探索には、何名が挑む予定ですか?」
「ティムさんと、ユキちゃんを合わせて、六名です」
「六名……。私達以外に、四名ってこと?」
ラセツが、確認するように問いかけると、ティムが茶色の短髪を指先で捻った。
「二級は致死率が高いですからね。それくらいの人数は普通です」
「そう、なの……」
そのタイミングで、女主人がノンアルコールのカクテルを二つ、二人の前に差し出した。かき混ぜる為の鉄製のマドラーが中央には差し込まれている。
ティムが問いかけた。
「それで、探索料に関しては幾らほどですか?」
リトル・マーメイドでアーティファクト・ラビリンスに潜るに当たって、通常、探索者は探索費を支払う。その代わりに、中で得たアーティファクトを自分の物にする権利を受け取る。
しかし、探索費に関しては依頼主次第だ。中で得たアーティファクトは要らないから、とにかく活性化して欲しいと言う依頼の場合、破格になるケースもある。
「無料だよ」
不意に、ティムの背後から声がかけられた。
ラセツとティムが同時にバッと背後へと振り向く。夏場だと言うのに黒のコートと、革細工の手袋を身に着けた長身の男が、銀髪を晒しながらそこに立っていた。
張り付けたような笑みを浮かべている。
「――――」
二人が悲鳴を上げかけたその瞬間、二人の首元へと朧が軽く触れた。まるで魂まで鷲掴みにされてしまったかのような冷えた感触に、二人は声を上げることができなかった。
「会いたかったよ、二人には……」




