3-5 アーティファクト・ラビリンスを支配
ティムとラセツは、ビジネスホテルへと泊まりに来ていた。
スーパーで買った食材は全て、エレベーターから落ちて消えて行ってしまった。楽しみにしていた野菜炒めも今日は無しだ。
ティムは背中から機械の虫を複数体出現させ、ノートパソコンを広げた。指をパチンと鳴らすと、羽虫程度の大きさの機械が一斉に窓から外へ飛び立つ。
機械の虫から送られてきた複数の映像をチェックし、ティムは溜息をついた。
「尾行とかはされていないようですね……。ひとまずは、逃げ切ったと言って良いでしょう」
映像越しに周囲の様子を探ったティムの言葉だ。信憑性は高いだろう。ラセツは、ホッと一安心したようにベッドの上に身を投げ出した。
「はぁー……。本当に疲れたわ……。何なのよ、あいつ……」
「敵でしょう」
「いや、それは分かるけど……」
「それ以上は全くもって不明です。一体、何者なのか。どこの組織に所属しているのか。僕達を襲った、目的は何なのか。なぜ、複数のアーティファクトを使いこなすことができたのか。……全て、謎です。朧と名乗っていましたが、それが、本名なのかさえ分かりません」
お手上げだ、と言うようにティムは宙を仰ぎ、ラセツの横に身を投げ出した。
ノートパソコンをバッグに押し込み、指をパチンと鳴らすと、羽虫が一斉にティムのバッグへと戻ってくる。
ラセツのお腹がグー、と鳴った。
「……相変わらず、気が抜けるほどに素直なお腹ですね」
ラセツが、ベッドに寝そべったまま顔だけをティムへと向けて、不機嫌そうな表情を浮かべてみせる。
「茶化すんじゃないわよ。人がお腹すかせていると言うのに」
「結構なことで。最初に会った時よりかは素直になったようで何よりです」
「野菜炒め食べたかった。……ティムの作ったオムレツでも良い。たっぷりケチャップをかけて、スプーンに乗せて、チーズもかけて、口一杯に頬張りたい」
本当に疲れたのか、足をバタバタとベッドの上で上下させ、甘えたようにラセツは駄々をこね始めた。
「家だったら幾らでも作るんですけどね。ビジネスホテルでオムレツを作るのは流石に難しいので、コンビニ弁当で我慢して下さい」
そう言ったティムのバッグから、人の形状をした機械が飛び出してくる。
人の機械はティムの後ろポケットからマネークリップを取り出し、お札を一枚抜き取り、玄関へと向かう。
食料の買い出しだ。ラセツが感心したように呟く。
「相変わらず便利ね、そのアーティファクト……」
「使ってみたいですか? 使いこなすのは鬼のように難しいですよ」
ティムが『鬼のように難しい』と言うからには、本当に常軌を逸した難易度なのだろう。
「……面倒くさそうだし、いい。ティム居るし」
「そうですか」
ラセツは仰向けになり、天井を見上げた。彼女の真っ白な髪が、ベッドに流れていく。
「今日はここで泊まることになったけど……。家は、どうするの?」
「しばらくは戻れないでしょう。待ち伏せされている可能性も大いにありますしね」
ティムの口ぶりに、ラセツが気落ちしたように視線を落とした。
「ごめんなさい、ティム」
「どうしてラセツさんが謝るんですか?」
ティムの問いかけに、ラセツは申し訳なさそうな顔を浮かべてみせた。
「多分、あいつは私を追って来た……。私が、ティムの生活を変えてしまった」
「そんなことですか」
気落ちするラセツに、ティムは微笑を返してみせた。
「家など、またどこか適当に借りれば良いだけです。気にする必要はありませんよ」
「でも、私達が一ヶ月かけて集めたアーティファクトは? 家に戻れないなら、回収できないし……」
「まぁ、仕方ないですよ。アーティファクトは、ラビリンスに潜ればまた手に入るのですから。また地道に頑張っていきましょう」
「ティムが大事にしていた、猫の写真集も置いてきちゃったし……」
「それは別に気にしてませんでしたよ!?」
ティムがびっくりしたように突っ込んだ。
気落ちしているのか、ラセツは頷いてみせる。ラセツらしからぬ態度に、ティムは少し驚いたような表情を浮かべてみせる。
「どうしました? すっかりしょぼくれてしまって、ラセツさんらしくない」
「私が気落ちしたら悪いのかしら?」
「いや、悪くないですよ。むしろ、普段とのギャップに驚いています。普段はもっとちょこまかと子供みたいじゃないですか」
「相変わらず、一言余計なんだから……」
そう言いながら、ラセツは身体を起こした。
「ひとまず、シャワーでも浴びてこようかしら」
「どうぞ、ごゆっくり。僕は湯船に浸かりたいので、お風呂は溜めておいて下さい」
「なら、私もお風呂に浸かる」
「そうですね、それが良いでしょう。ラセツさんの後に僕も入りますので」
ティムも身体を起こした、その瞬間だった。
ティムの携帯電話が、鳴った。ティムが驚き、スマホの画面を見つめる。
「非通知……?」
「ティムの携帯が鳴ったの初めて見た」
「さりげなくディスらないで下さい。静かに」
そう言って指先を鼻先に当て、通話状態にした携帯を耳に押し当てた。
「誰です?」
『ハロー、ティムさん。《メロウ》です』
通話先から聞こえてきたのは、変声機によってしわがれた声になった何者かの声だった。それに心当たりのないティムは怪訝そうな表情を浮かべてみせる。
「……どちら様ですか? なぜ僕の名前を?」
『やだな、『情報屋』の《メロウ》ですよ。なぜ知っているか、と聞かれればそれは私が情報屋だから。貴方がご依頼されたのではないですか? リアスターゼ王国のクーデターに関して、詳細を調べて欲しいと』
ティムの顔色が、変わった。携帯をスピーカーモードに切り替えて、ラセツにも声が聞こえるようにする。
「何か、分かったのですか?」
『えぇ。そうでなければわざわざ電話などしません。端的に、貴方達が欲している答えから申しましょう。リアスターゼ王国を攻め滅ぼしたのは、北地三合会です』
「北地三合会……?」
噛みしめるように、ラセツが敵の名を、呟く。
「三合会!?」
それと対照的に、ティムは愕然とした表情を浮かべてみせた。
「何、それ……?」
ラセツが不思議そうに問いかける。ティムが、慌てたように矢継ぎ早に答えた。
「アーティファクトのブラックマーケットを主な資金源とした、世界最大規模のマフィア組織ですよ……!」
世界最大規模のマフィア組織。
その言葉だけで、どれほどに強大な敵なのか想像に難くない。
「そこの北地組織が、リアスターゼ王国を攻め滅ぼしたと……!」
「……!」
事態の深刻さを飲み込めたのだろう、ラセツの顔色が焦燥に変わった。
三合会――。
あらゆる国で、アーティファクトを用いた犯罪行為を組織的におこない、警察組織とも真っ向から戦い続けるような集団だ。
武力支配と経済支配を巧妙に使い分ける、最強の組織。
国を取り戻す。
元々現実味のなかった夢が、更に遠のいたような錯覚をラセツは抱いた。携帯電話に向かって、身を乗り出す。
「それは、確かな情報なの!? どうして、マフィアがリアスターゼを攻めたの!?」
ラセツの問いかけに対して、《メロウ》が平坦な声で応えた。
『その答えは、アーティファクト・ラビリンスにあります』
「どう言う、こと……?」
『アーティファクト・ラビリンスを支配する為――。その為に、三合会はリアスターゼ王国を滅ぼしました」
にわかには信じられなかった。意味が分からず、ティムは戸惑いの声を上げる。
「アーティファクト・ラビリンスを支配……? 一体、どう言うことですか? それが、どうしてリアスターゼ王国を攻め滅ぼすことに繋がるのですか?」
「現時点では不明です。しかし、それを理由として動いたのは事実です」
「三合会は、神にでもなるつもりですか? そんな、馬鹿げた話を本気で信じている奴らが居ると……?」
ティムの問いかけに、メロウは『えぇ』と簡潔に答えた。
『なぜ、彼らがそれを信じているのか。どのようにしてアーティファクト・ラビリンスを支配するつもりか。そもそも支配とは何を指して支配と呼ぶのか。などに関しては不明です。おそらく、かなり上層部の者しか知らない極秘の情報ではないかと察します』
「そう……」
ラセツは、ティムへと視線を向ける。ティムは少し考えたような仕草をした後に、頷いた。
「追加でそちらをお調べいただくことは可能ですか?」
「調査をすることは可能ですが、情報の保証はしかねます。また、調査に当たるだけで多額の料金が発生します。それくらい入手難度の高い情報だとご理解下さい」
「……」
「代わりに、と言っては何ですが耳寄りな情報を提供いたしましょう。三合会は、二級アーティファクト・ラビリンス以上をクリアした探索者を集めています」
「なぜですか?」
「アーティファクト・ラビリンスを『支配』する。この思想に関連しているのは間違いありません。プレートさえあれば、懐に潜り込むことは可能かもしれませんね」
「――」
つまり。
二級のアーティファクト・ラビリンスをクリアしたと言う実績があれば、一気に敵の喉元まで潜伏することができると言うことだ。パソコンでチェックするだけの日々よりも、得られる情報は桁違いに跳ね上がるだろう。
ティムとラセツは手に汗を握り、メロウの言葉を飲み込む。
『募集場所についてもお伝えしましょう』
メロウから、場所の情報が伝えられる。
探索者の募集はリアスターゼのすぐ近くの場所だが、テレポート系のアーティファクトを使えば距離は大した問題じゃない。
だが――。
敵は世界最大規模のマフィア組織であり、アーティファクト・ラビリンスを支配すると言う思想を本気で上層部が信じている。
そこに、たった二人で喧嘩を売る? 国を取り戻す為に? 正気か?
ティムはラセツへと視線を移した。ラセツは、不安そうに、ティムへと蒼の瞳を向けた。
――彼女の目が絶望に染まってしまうのを、見たくない。
ティムは前に、そう宣言した。それは、今も変わっていない。
敵が、高々『世界最強』だと知った程度で、尻尾を巻いて逃げ出すか? それは違う。それは、ティムがなりたかった者ではない。
ティムは、生唾を飲み干した。
中途半端に助けるくらいなら、最初から助けるべきではない。助けた以上は、最後まで助けるべきなのだ。
「……張り続けますよ、僕は」
ティムは、ポツリと呟いた。
「ここでフォールド(降りる)など、有り得ない」
『――さて』
メロウが、話を切った。
『最後になりますが、リアスターゼの国王が現在どうなっているかについてです』