3-3 エレベーターの攻防 ②
足場を失くしたラセツとティムは、エレベーターが上り下りする内部へと落ちていく。
慌てた様子で下の様子を見に来た銀髪の男を視界に映しながら、ラセツは自由落下に身を任せる。ラセツのサングラスと帽子が、落下と共に落ちていく。
「……!」
ティムの背中のハードレザーバッグから、蜘蛛の機械が出現した。コンクリートの壁を滑り、激しく削りながら、虫が壁に張り付くかのようにピタリと空中に留まる。その蜘蛛の機械が、二本の腕でそれぞれ、ラセツとティムを掴み、抱え込んだ。
ちょうど真ん中の辺りで止まったようだった。遥か下はあまりにも暗く、そして深い。ここからでも、落ちれば死は免れないだろう。本能的な恐怖が全身を震わせる。
何とか、この暗闇の中でラセツの身体を掴むことができた。ティムは心の底から安堵する。ラセツが、この暗闇でも目立つ白の髪だからどうにか掴むことができた。
蒼の瞳を向けてくるラセツに、ティムは強い焦りから生まれた怒りをぶつける。
「なん……って言う無茶をするんですか!!」
「いたっ、いたたた」
ティムは、ラセツのおでこを指先で何度も突いた。
「とっさに僕が出せたから何とかなったような物を……! 死ぬ気ですか!?」
「でも、助けてくれたじゃない」
「それは結果論ですよ!!」
ラセツの目が、ティムへと真っ直ぐに向いた。
「あんな奴に、良いようにされて、偉そうにされるぐらいなら死んだ方がマシ。そうでしょ?」
「――」
言葉を、失う。
あぁ、そうだ。……ラセツは、そう言う人間だった。
馬鹿げているぐらいにプライドが高く、その為に、命を賭けられるタイプの人間。
「あいつは、ティムをバカにした」
ラセツが、苛立ちを吐き捨てる。
「ティムは、死にかけていた私を助けてくれた。私の、生きる道を示してくれた。そんなティムのことを、あいつは、情のない奴だって吐き捨てた。腹が立つ。……あいつが、ティムの何を知っているって言うのよ!」
「……ラセツ、さん……」
真剣に怒った表情を浮かべるラセツを見て、ティムは言葉を詰まらせた。
ラセツは迷うことも、躊躇うこともなくティムを突き飛ばした。それは、彼女にとって庇うことが当然であり、それで命を落としたとしても後悔しないからだ。
ティムが、ヒーローだと感じたあの二人と、ラセツは同じ行動を取ってみせた。
それに対して自分はどうだ? ラセツの身を案じるよりも、反撃を最優先した。それが最も合理的な行動であったとしても、人としては間違っている。
「僕は……」
言葉が、続かない。
必要なのは謝罪の言葉か? 否。
「約束、します」
ティムがゆっくりと口を開いた。
「次、もしも貴方に危険が迫ったら、僕は……。必ず、貴方を守って見せる」
ティムは、ギリリと奥歯を強く噛み締めた。
身体の奥底から熱くなる。激しい悔しさがティムの全身を包み込んだ。
ラセツを、あの二人のようには死なせない。
次は、二度と。
「ティム……?」
ラセツが、ティムを見て心配そうな声を上げた。
そんなラセツのすぐ横に、パラパラと、コンクリートの破片が落ちる。ラセツは、顔を上げた。刹那、ラセツの顔色が変わった。
「ティム! 上!!」
数トンを超える巨大な鉄の塊――切り離されたエレベーターが、遥か上空から凄まじい勢いで落下してきていた。
「――」
言葉を出す時間さえなく、ティムはとっさに、機械の蜘蛛を横に這わせ、隣のエレベーターの所へと避ける。僅かの空白の時間の後に、耳をつんざくような轟音が遥か下から響き渡った。
「な……っ!」
ティムが、即座に上へと視線を移す。
遥か上空から漏れる僅かな光が、薄く、それを照らしていた。
その姿は、想像の範囲外だった。
あまりにも、異様な変形。
肩から腕が三本ずつ生えており、その腕がそれぞれ、鉤爪のように変形していた。つま先とカカトがナイフのように尖った形状になっており、それらでコンクリートの壁を、まるで猿のように飛び跳ねながら、凄まじい速度で落ちてきている。
「あはは、君達面白いね! 本当に面白い!」
そんな化け物が、目をギョロッと見開かせ、笑ってないのに、口元だけを笑わせている。
下手なB級ホラー映画等よりも、よほど恐ろしい光景だった。
「生け捕りにしたいんじゃなかったんですか!?」
「あの程度避けられるでしょ!? 避けられないなら、君達は要らない! 殺して、アーティファクトを奪うだけで十分だからさぁ!」
声が反響して響き渡る。とてもではないが、あの化け物を倒すことは不可能だろう。
「……!」
ティム達を抱えている機械の蜘蛛が、口元から直径五センチほどのレーザー光線を、朧に向かって発射した。この暗闇の中で正確無比な攻撃だ。
レーザー光線が突き刺さる直前で、朧の周囲に張られた風のバリアがレーザー光線を四方に散らした。朧は、無傷だ。
ティムの顔色が変わった。
ティムの持っている、ハードレザーバッグの能力――創造。
ティムの考え出した、ありとあらゆるものを現実世界に生み出す能力。
しかし、その能力は決して万能ではない。
ティムが生み出せる物質量の最大値を、仮に1000という数字で換算したとする。
1000のうちの50を使って機械の蜘蛛を生み出したとして、機械の蜘蛛がバックに戻ってくるのであれば、1000という数字はそのまま変わらない。50が外に出て、その50が戻ってきただけだからだ。
しかし、機械の蜘蛛が破壊された場合、その50は失われる。失われた分が、戻ってくることはない。ティムは、残りの950で戦闘を行わなければならない。
弾丸やレーザーのような飛び道具を使った場合も同じだ。それがバックに戻ってくることはないので、その数字はどんどんと目減りしていく。
それはすなわち、生み出せる物質量の減少に他ならない。
ティムはその能力の性質上、戦闘開始時が最も強く、戦闘終了間際が最も弱いタイプなのだ。
そして、その数値の回復方法は、時間の経過以外にない。
使い切った場合、全快するまでおよそ四日間かかる。
つまり。
徹底したリソースの管理をおこないながら、奇策とも言える戦術を瞬時に生み出さなければ、ティムは、互角以上の相手には決して勝てないのだ。
終盤になればなるほどにジリ貧であり、少年漫画の主人公のように、ボロボロに傷ついた終盤での挽回など、決してできないのだ。
そして、ラセツを助ける為に咄嗟に機械の蜘蛛を出した。これは、失敗だった。
ティムは一種類しか同時には出すことができない。機械の蜘蛛をバッグに仕舞えば、その瞬間に二人は落下してしまう。
機械の蜘蛛のみを使って、この絶望的な状況を打破しなければならない。
――ティムの、リソースが尽きる前に。
「……」
コンマ、数秒。
瞬きとも言えるほどの僅かな時間で、この絶望的な状況を打破する策をティムは練った。
だが、それは、あまりにも細い糸のような戦略……。
ティムはラセツへと視線を向けた。ティムらしくない、躊躇うような目をしている。そんなティムに対して、ラセツは力強く頷いてみせた。
「……!」
言葉は必要なかった。
ティムの背中のハードレザーバックから、機械の蜘蛛が次々に飛び出してくる。その数、十一。全ての蜘蛛が壁に足を引っ掛け、上の方へと、蜘蛛の口部分とも言える銃口を向ける。機械の蜘蛛が、一斉に朧へと向かって、レーザー光線を射出した。
光の雨が、下から上へと降り注ぐ。
「――」
朧はそのレーザー光線を、いとも容易く空中で身を翻して避けた。あまりにも、素早い身動き。あの敵に対して、死神の手で殴りかかっても無意味だろう。
ならば。
ティムがラセツに耳打ちをした。
ラセツが驚き、戸惑ったような表情を一瞬だけ浮かべるが、すぐに頷いて見せた。そして、ラセツは右手を構えてみせる。黄金色の腕輪が、鈍く光った。
目標は――。