3-2 エレベーターの攻防
「――え?」
二人は、思わず声を上げた。
男の影が勢いよく膨れ上がり、一気に伸びた。
その瞬間の考えを言語化することはできない。それは一瞬の出来事であり、あまりにも短い時間だったからだ。だが、あえてその瞬間のことを言語化するのであればこうであろう。
――攻撃……! 影が直線的に伸びてきている……! 非物質系の攻撃だと、防ぐのは無理――! ラセツさんを庇う方法は――!
ティムの思考が一気に加速する。その時だった。
刹那の思考に没頭しているティムの身体が、ラセツによって、押された。
軽いティムの身体が、エレベーターの中で横に飛ばされる。
直線的な影がラセツの首を掴み、エレベーターへの壁へと押し付けた。
「……!」
ラセツがティムを庇った。
ティムの脳内に、過去の出来事がリフレインする。同じようにティムは飛ばされて、そして――。
彼らは、目の前で死んだ。
「――」
ティムのハードレザーバックから、ロボットアームが三つ出現した。
ロボットアームの先端にはそれぞれ機関銃がついており、銃口が一斉に銀髪の男へと向けられる。
躊躇いは一切なかった。即座に男の行動が敵対的なものだと見なし、ラセツを救うべく、容赦ない弾丸の嵐を男へと叩き込む――。
激しい発砲音が容赦なく響き渡った。弾丸が放たれる火薬反応の光が瞬き、硝煙がエレベーターの内部を満たす。その間、僅か三秒。瞬きの間に行われた命のやり取り。だが――。
男は無傷だった。
男の影が、まるでマントのように男を庇っていたのだ。
機関銃から放たれた弾丸は数十発はくだらない。人間など簡単に肉片にできる程の銃撃の嵐が、あっさりと食い止められる。
影が、まるで意志を持っているかのように弾丸をはじいた。
カランカラン、と言う乾いた音と共に地面へと転がった弾丸が、弾丸としての役割を終えた瞬間に煙のように消え失せる。
「な――」
無傷は、予想外。
銀髪の男は、舐めるような、妖艶な瞳でティムを見つめる。
「へぇ……。凄いね。そんなすぐに反撃してくるとは思わなかったよ」
男の口から出たのは、率直な驚き。そして賞賛の言葉だった。
ティムのバッグの中に機関銃が仕舞い込まれる。男と問答するつもりはない。即座に次の手を打とうとしたティムに、銀髪の男が先手を取り、釘を刺す。
ティムの瞳孔のすぐ近くに、鋭く、ナイフのように尖った影を向けた。
「不穏な行動はしないで欲しいな。次、何かしらの行動を取ったら、敵対行動と見なして片目を潰そう」
軽やかに、男は言い放った。一切の躊躇がないその発言に、ティムは本気を感じる。全身から脂汗が吹き出し、一切の行動の自由が奪われた。目を見開いたまま固まるティムに対して、銀髪の男は笑みをこぼして見せた。
「あぁ、ティム。やっぱり、君に会えてよかったよ。君も、僕と同じ側の人間だ」
「何、を……!」
「君はどうやら、『痛がり』のようだね。なまじ頭が良くて、痛みを知っている。だから、脅しが有効だ」
淡々と。
落ち着いたテノールが、優しくティムを追い詰める。
「反撃をしている最中に、彼女が死んでしまう可能性だってある。君はそれを考えただろう? でも、それを君は割り切った」
「――」
「恥じることではないよ。そういうことを行える人間があまりにも少ないだけだ。人は、基本的に情というものに流される。合理的な判断を行うことができない。だが、君は違う。それでこそ、君だ」
何を、知ったような口を。
ティムの目がギラリと睨みつけるようなものに変わる。
だが、ティムの口をついて出たのは意外な言葉だった。
「どうして……?」
自分でも意外だった。
敵に対峙している状態で、ラセツが捕らえられた状態で、質問を行う。愚策という他ないことは分かっている。それでも……。
自分を知っていそうなこの男に、聞きたかった。聞かずには居られなかった。
銀髪の男は、口角をぐにゃりとあげた。
「ティム。僕も同じなんだよ。僕も、アーティファクトから生まれたんだ」
「――」
ティムは言葉を失った。あまりにも意外な言葉に、ティムの思考は停止してしまう。銀髪の男の影が動き、ティムの首根っこを掴んだ。
そのまま、ラセツ共々、壁へと押し付ける。
「ティ……ム!」
ラセツが苦しそうに顔を歪めながら、心配するようにティムの名を呼んだ。
銀髪の男の言う通りだった。完全に無意識下で、ティムはラセツのことを犠牲にした。自分を庇い、捕らえられたラセツの身を案じるよりも先に、反撃へと転じた。
反撃をしている最中に、ラセツの首がねじ切られていた可能性だって十分にあった。それなのに……。
ラセツが心配の声を上げることそのものが、ティムの良心を痛めつける。
銀髪の男は言葉を続けた。
「君がそう言う人間でよかった。そう言う君だからこそ、なるべくならば、自主的に『僕の味方になってほしい』と思うんだ。できれば、五体満足のうちに。……単刀直入に言おうか。ティム。そしてラセツ=スノウ=ハーデス。僕は、君達二人に来て欲しい」
「……誰よっ……! あんた……!」
ラセツが、腹立たしげに声を上げた。
「あぁ、自己紹介が遅れたね。僕は、朧だ。宜しく」
男は軽やかに感情の読めない声で、そう言い放った。
「いきなり現れて……っ、いきなり攻撃してきて、いきなり偉そう。……あんた、何様のつもりよ……っ!」
ラセツが、右手の指先を握り込んだ。死神の手が虚空を割きながら現れ、エレベーターの中に一気に膨れ上がる。
そのまま、凄まじい勢いで朧を思い切り、殴りつけた。
「……っ!」
朧の周囲に、風のバリアが一瞬にして張られた。ビィイイイッと言うような細かく弾き飛ばすような音が鳴り響くと同時に、靴の革がこすれるような激しい痕跡を地面に残し、朧はエレベーターから押し出される。しかし、バリアによってダメージは負っていないようだ。攻撃を終えた死神の手が煙のように消え失せるが、朧は余裕の笑みを浮かべてみせる。
しかし影の制御が一瞬だけ甘くなり、ティムとラセツはエレベーターの室内に尻もちをついた。
「ケホッ、ケホッ!」
朧の首絞めから逃れたティムが激しく咽る。死神の手の殴打を真正面から受け止めるバリアなど、アーティファクト以外にありえるはずがない。
「まさか……!」
ティムが、声を震わせた。
「二つのアーティファクトを、同時に使用している……!?」
有り得ない。
そんなことが、有り得るはずがない。
アーティファクトは、一人一つしか使えない。無理に使おうとすれば、迷宮酔いが止まらず、立っていることすらままならないはずだ。
その大原則が、目の前で崩れ落ちようとしていた。
エレベーターの扉が閉まりかけるのを、影が勢いよく扉を開かせた。
朧の顔が、不気味に歪んだ。
「違うよ? 二つ程度だと思わないで欲しいなぁ」
朧が腕を構えると、その腕が異形に変形した。まるで雪国の樹のように細長く、複数に枝分かれし始める。
「肉体変化……!?」
肉体が変化すると言うことは、体内に取り入れるタイプの、アーティファクトを使っていると言うことだ。
彼は、三つ以上のアーティファクトを、同時に使用している。
「……そっちの彼女には、僕の意図がよく伝わっていなかったようだ。抵抗するならば、死なない範囲で、死にたくなる程度に肉体を痛めつける。そう伝えたはずなんだけれどな? うん、そうだね」
朧は思いついた、と言うように優しげに声を上げた。
「分かってもらうためには仕方ない。これは必要なことなんだ。両手両足を、へし折っておこうか」
「――」
嘘を言っている気配は、ない。
そして、直感的に分かる。
この男には、勝てない。
朧の手が触手のように伸び、それと同時に、影も勢いよくティムとラセツへと伸びてきた。絶対に逃さないと言う強い意志を持っているかのように――。
「ふざっ……けるんじゃないわよ!!」
ラセツは叫んで、右手を構えた。
死神の手が現れ、手のひらを開いた状態で……。
ラセツ達の居るエレベーターの地面へと、触れた。
「……え?」
瞬間、床がボロボロに溶け落ちた。
無重力――。
ラセツは、驚き戸惑っているティムに笑みを零してみせた。
「私の命、預けたわ!」
――落下。
足場を失くしたラセツとティムが、エレベーターが上り下りする内部へと落ちていく。