2-3 覚悟
「……どう言う、ことですか?」
ラセツが、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「私は、卑怯よ。テレポート・パネルを踏んで、たった一人で逃げてきた……。命懸けで私を守ってくれた近衛兵達を、置き去りにして……」
ティムは合点が行ったと言うように背もたれに身体を預け、腕を組んだ。強い眼差しでラセツを捉える。
「自分を守って、たくさんの人が死んだ、と? だから、あんな無茶をしていたのですね?」
「……そんなこと……」
ラセツは弱々しく否定をした。しかし、否定しきることはできなかった。言葉が尻窄みに消えていく。
ラセツを守る為に、多くの者が死んだ。
それは、王女である自分と、近衛兵達の命の価値が等しくなかったからだ。皆、ラセツが逃げる時間を稼ぐ為だけに、命を惜しまなかった。
――その事実が、ただ、嫌だった。
ラセツは、王女だからと特別扱いして欲しい訳ではなかった。一緒に過ごしてきた近衛兵達と、命の価値が平等でありたかった。
「……」
ティムは黙って、ラセツをジッと見つめた。
国を奪われ、家族を捕らえられ、自分を守って多くの兵士達が死んでいった。
そうして、見知らぬ街にたった一人でテレポートしてきた。お金を用意する時間もなかったのだろう。本当に無一文で、国の宝であろう一級の腕輪だけを持って――。
責任感の強いラセツが、無茶を承知で動いてしまうのは仕方のないことだろう。しかし……。
ティムは、呟く。
「……いずれにしても、情報が少なすぎます。これは貴方個人でどうにかなる話ではないでしょう、どう考えても。なぜ、この国に助けを求めようとしないのですか? 亡命した王女として」
「この国に助けを求めて、どうするの?」
ラセツが、暗いながらも不思議そうに聞き返した。
「保護を求めれば良かったんじゃないですか? 曲がりなりにも一国の王女だったのでしょう? 一時的な保護はおこなってくれると思いますよ」
「……対価を、何も払うことができないもの……」
ラセツは、暗雲とした顔で言葉を続けた。
「保護されて、どうするの? 私は、王家と言う後ろ盾を失くした一人の少女なのよ……? この国にとって、私を保護するメリットはないに等しい。それに対して、敵は、高位のアーティファクトを駆使して、たった一日でリアスターゼを滅ぼすほどの戦闘力を持っている恐ろしい集団。そいつらが、私を引き渡すことをこの国に要求した場合、どうなるかは火を見るより明らかじゃない……」
「……! それは、そうですね……」
ティムは同意するしかできなかった。反論することができない。
だから、ラセツはバー(リトル・マーメイド)の扉を開けたのだ。
誰の助けも求めず。たった一人で、アーティファクト・ラビリンスに、全ての望みを賭けて。
それが、昨日の出来事だ。
ティムは、念の為に、パソコンでリアスターゼ王国の王族に関しても調べる。ラセツを疑う訳ではないが、確認をしなければティムの性格的には気が済まない。王族の情報はネット上でも公開されており、その中にラセツの写真が映っていた。プロフィールには、ラセツ=スノウ=ハーデス第一王女殿下、と書かれている。
ティムは納得したように頷いた。それから、ゆっくりと息を吐き出して椅子の背もたれにもたれかかった。
「ちなみにですが――なぜその腕輪を売らなかったのですか? 一級アーティファクトであれば、相当の値がつくはずです。潤沢な生活費にもなったでしょうし、使い勝手の良いアーティファクトの購入だってできたはずです」
「国宝よ!? 私の一存で、そんなことできる訳ないじゃない! 国で守られてきた、大切な宝……! 売るなんて有り得ない! 貴方の価値観で物を語らないで欲しいわ!」
……それは、自分の命以上に大切な物なのだろうか?
橋の下で寒さと飢えに震えながらも、売ると言うことを微塵も考えないのだろうか?
国の宝とは言うが、その国が、もう無いのだ。
いや、だからこそかもしれない。
国の威信を誇る宝だからこそ、国がなくなった今、ラセツにとっては文字通りに命よりも大切な物なのだろう。
「……分かりましたよ」
納得はしていない。しかし、ラセツにとってはそうなのだろうと理解はできる。
ラセツにとって大事な物、それは。
「確認しても良いですか? 貴方は、家族を助けたい。そして、国を取り戻したい。……そうですね?」
ラセツの蒼の瞳に、光が戻った。
ただ黙って、静かに、力強く頷く。
「……そうですよね。全てを諦めてしまったのであれば、アーティファクト・ラビリンスに潜ろうなどと思うはずがない」
ラセツは真剣な表情で頷いてみせた。
「敵に捕まってはいけない。なら、敵を殲滅できるだけの力をつけて、助けに行けば良い。――この腕輪よりも強いのを見つけることができれば……。それが、万に一つ、……いえ、億に一つだったとしても、可能性が生まれる。アーティファクト・ラビリンスには、それだけの可能性がある。そう、思ったの」
「なるほど……。では、まず沈んだ顔をやめませんか? 悩んでも無駄と言うことはよく分かりました。好転させることができない状況を悩むことほど、無駄なことはありません」
その言に、ラセツは怒りの感情を向けた。
「それは……! 貴方は、何も知らないから……!」
「確かに、詳しいことを僕は何も知りません。それでも、僕は貴方を助けた。そして、話を伺った上で、今後も助けるつもりで居る」
「……どうして?」
ラセツが、心の底から不思議そうな顔を浮かべて、ティムへと問いかける。
「貴方は、なぜ、そこまで私に良くしてくれるの……?」
「貴方ではありません。僕の名前はティムです。――僕は、意志のない人間が嫌いです。現状を嘆いて、己の不幸を喚いて、そして何の行動も起こさない人間が大嫌いです。だが、貴方はそうではない」
「……!」
そこで、ティムはラセツの目を指差して、微笑んでみせた。
「貴方の目を、僕は気に入ったんです」
「私の、目を……?」
「えぇ」
ティムはそう言って、スープを口に付けた。コトリ、と机にカップを置き、真剣な眼差しでラセツへと言葉を投げかける。
「その目が絶望に染まってしまうのを僕は見たくない。それが、僕が貴方を助ける理由です」
「……ティム」
ティムは笑みを零してみせた。
「笑って下さい」
「……」
ラセツは、頬をピクリとさせた。
笑う、なんて、すっかり忘れてしまった感情だったようだ。
頬が固まってしまい、上手く上がらない。
ラセツは、自分の頬を両手でゆっくりと触る。固まっている筋肉を、指先で軽くほぐす。それから、ラセツは、ティムに対して笑みを零してみせた。
「……百点ですよ」
ティムは、微笑を返した。
「……」
ラセツは、ただ黙って唇を結んだ。
そして、まるで祈るかのように目を閉じて、ティムに、スッと頭を下げた。彼女の白き髪が彼女の肩から流れる。
「私を、強く、して欲しい……!」
「――」
「どこまでも、厚かましいのだとは分かっているわ……。だけど……!」
ティムは、言葉を失くした。
ラセツは本当に不器用な人間だ。極めてプライドが高く、死にかけるまで誰にも助けを求めなかった。全てを一人で抱え込み、誰にも頼らずに一人で解決しようとしていた。
そんな少女が。
命よりもプライドを大事にしていた気高い一国の王女が、頭を下げる。
家族の為に、そして、国の為に。
――私は、施しを受ける気なんてない!!
そう言い切った、少女の頼み。
その意味を理解しないほど、ティムは愚かではなかった。
ティムは、ポケットから小箱を一つ取り出して、それを、開けてみせた。
中には青白い光に包まれた、銀細工の笛があった。ラセツの顔が驚きに染まる。
「……これは……!」
「貴方が昨日、僕に持ってきたアーティファクトです。素手で触れば、アーティファクト・ラビリンスへと潜ることができる」
「……ティム」
「今一度確認しましょう。抗う意志がありますか? 己の運命に。そして、強くなりたいと願いますか?」
「……!」
ラセツの目が、ティムと合わさった。
「強く、……強く、なりたい……! こんな、惨めな思いを二度としなくて良いように……! 自分自身の無力さに、泣かないように、私は……!」
「ならば、僕がその願いを叶えてみせる」
その言葉と同時に、颯爽とティムはハードレザーのバッグを背負う。
「もう、言葉は必要ありませんね」
ティムが不敵に微笑んで見せると、ラセツは黙って、頷いた。
二人は、同時に銀細工の笛へと触れた。青白い光が一気に、白と緑の色合いに変わる。激しい重力が二人を襲い、そして、目の前の空間が切り替わっていった――。