第一章 リトル・マーメイドの異世界迷宮
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第一章 リトル・マーメイドの異世界迷宮
扉を叩きつけるような激しい雷雨の中、ドアベルがカランカラン、と小気味良い音を鳴らしながら開かれ、一人の少年が現れた。
歳は十歳程度だろう。シックな雰囲気のバーには似合わない、子供の顔立ちをしている。そんな彼のすぐ傍には、無機質で無個性な人型の機械が立っており、少年に傘を差していた。
「雨、凄いですね」
少年は高めの声を出して、カウンターの向こうに立っている女主人にそう言った。
彼が指を一つ鳴らすと、人型の機械は、少年が背負っていた明るい色合いのレザーバッグを開けた。そして、差していた傘ごと頭から入り込んでいく。
レザーバッグの蓋がぽすん、と閉ざされると同時に、人型の機械は跡形もなく消え去ってしまった。明らかに入らないようなスペースにも関わらず、だ。
「いつものを一つ」
少年は慣れた口調でそう言いながら、彼の背からすればやや高い一人用の椅子へと座り込んだ。
注文を受け取った女主人はカクテルの材料をシェイカーへ入れ、蓋をして振り始める。シャカシャカと言う小気味良い音が鳴り出した。
「こんな嵐の日に来てくれるのは、ティムさんだけです」
ティム、少年の名だ。彼は、半年ほど前からの常連だ。
年齢に似合わないシックなカジュアルスーツを着こなしており、ネクタイも何かしらのブランド物をつけている。彼の首元のチョーカーに翠色のプレートが鈍く光った。
店内の照明は基本的にキャンドルのみで、程よく暗かった。間接照明に照らされる顔立ちには、少年特有のあどけなさが残っている。
だが、非常に整った目鼻立ちをしており、彼の若さに目を瞑れば様になる容姿だった。茶色の髪は程よく立てられており、今どきの若者と言う雰囲気を身に纏っている。ここは、そんな少年には似つかわしくない場所だった。
バー。リトル・マーメイド。
レトロな雰囲気のカウンターテーブルに、透き通るグラスを置き、女主人は慣れた手付きで中にノンアルコールのカクテルを注ぎ込んだ。カットされたグレープフルーツを添え、コースターを下に敷き、少年の前へと差し出す。
「バージン・ブリーズです」
ティムは手元に握っていた麻袋をカウンターテーブルに置き、無表情のままにノンアルコールのカクテルを口に運んだ。ひとしきり味わってから、言葉を出す。
「鑑定お願いします。三級アーティファクト、非活性ですが」
女主人は、微かに目を大きくさせる。
「……拝見させていただきますね」
女主人はアンティークな模様の描かれた精巧な眼鏡を取り出し、それを掛ける。眼鏡自体が発光体のように煌めいた。それから、カウンターテーブルに置かれていた白い手袋を手にはめると、恭しく小袋を開いた。
中にあったのは、幻想的な青白い光を発している銀細工のネックレスだった。
「三級アーティファクト、死避けのネックレス《デス・アボイド・ネックレス》――ですね。死を一度だけ、このネックレスが身代わりに引き受けてくれる、と言う効果……」
「幾らですか?」
「需要が高そうですし、三百万でいかがでしょう?」
「非活性とは言え、もう少し高く買い取っても良いでのは?」
「では、四百万では?」
「それなら、構いませんよ」
ティムが答えると女主人は朗らかな笑みを浮かべてみせ、売買契約の書類とペンをカウンターの上に取り出した。
「こちらにサインを」
ティムがサラサラとサインを書くと、女主人はカウンターの下に添えつけられてある金庫からお札の束を四つ取り出した。それをカウンターテーブルの上に綺麗に重ねてティムへと差し出す。ティムはそれを受け取り、カジュアルスーツのポケットの中に突っ込んだ。
そんなティムに、女主人が問いかける。
「つかぬことをお聞きしても宜しいでしょうか?」
「何なりと?」
「ティムさんは、なぜ、アーティファクト・ラビリンスに潜るのですか?」
「――」
ティムが、少し驚いたような表情を浮かべた。予想外の質問だったようだ。ティムの、髪の色と同系色の茶色がかった目が真っ直ぐに女主人を見つめた。
「僕が、人間であることの証明。――それだけです」
「――」
ティムは、それだけを答えてカクテルに口をつけた。
多くを語る気はない。彼の所作が、雄弁にそれを物語っていた。
どんな言葉を目の前の少年に投げかけるべきだろう、と思案している女主人に対して、ティムが笑みを零してみせる。
「所で、何か面白い話はないですか?」
話題を変えよう、とティムは暗に提案していた。女主人はすぐにそれを察知する。
「え、えぇ……。そう言えば――北の方の国で、クーデターが発生した、とか」
「クーデター?」
「たった一日で王宮まで制圧したとか……。戦争でも起きるのでしょうか? 今後、戦闘用のアーティファクトの値段がどんどんと上がっていきそうです」
「へぇ……。興味深い話ですね。まぁでも、戦争が起きた所で」
そう言ったティムの茶色の髪が、ふわりと上がる。
彼を中心に風が緩やかに巻き上がる。
それと共に、ティムが背負っている本革のハードレザーバッグから獣の唸り声のような物が出てきた。
「――」
明らかにそのバッグに入らないようなサイズの熊の手が、レザーバッグから勢いよく伸びる。生き物そのもののように、滑らかに動いた。
「自分の身を守るだけなら、容易いことですが」
「ティムさんはそうでしょうね」
女主人が苦笑すると、ティムは熊の手を軽くバッグの中に押し込んだ。
風が止み、何事もなかったかのように静かな空間がそこには戻っていた。
「流石に、店内に熊は出しませんけどね」
そう言ってティムは軽く舌を出してみせた。その時だった。
不意に、ドアベルが鳴り響き、扉が開かれた。ティムと女主人の目線がそちらへと注がれる。
暗い外では嵐のように雨が叩きつけていた。その中から、傘も差さないズブ濡れの少女が、姿を見せる。
歳は十五歳前後だろうか。
人並み外れて、美しい少女だった。
雪の精霊のようだ、とティムは思った。
降り積もったばかりの初雪のごとき純白の髪に、穢れを知らぬ白きまつ毛。そしてそこに、深く沈んだような蒼の瞳が覗いていた。
彼女は、頭に氷を象った見事な髪飾りを身に着け、ゆったりとした黒のワンピースを身に纏っている。スカートの丈は膝上ほどであり、そこから、黒いタイツをぴっちり纏った華奢な脚がスッと伸びていた。
外で散々大粒の雨に打たれたのだろう。彼女の身体からは、水滴が滴っていた。
ティムも、女主人も、その少女を知らなかった。誰だ? と言わんばかりに、ティムの顔が怪訝な物へと変わる。
「あらあら、大変……」
女主人が慌てたような声を上げた。バックヤードへと引っ込み、タオルを持って少女の元へと走り出す。
「大丈夫かしら?」
そう言って、少女の身体にタオルをあてがう。少女は、まるで当然のように女主人に髪を拭いてもらい、蒼の瞳を細めた。絹のような彼女の髪がタオルで軽やかに水分を吸われ、軽く跳ねる。ゆっくりと押し当てられ、水気が落ちていく。
彼女の姿は高貴な存在そのものに思えた。ひとしきり拭いてもらった所で、少女の手が女主人からタオルを奪った。その時に彼女の袖から黄金色の鮮やかな腕輪が見え、ティムの顔色が変わる。
アーティファクトを所持している……? こんな少女が?
言葉には出さない。だが、疑問を抱く。
「感謝するわ。もう十分よ」
少女の薄紅色の唇が可憐に言葉を発して、タオルをそのまま、無造作にカウンターテーブルの上に置いた。それから、女主人へと言葉を続けた。
「それで……。ここで、異世界迷宮に潜れると聞いたのだけど……」
「あら、探索者の方でしょうか? 失礼ですが、ご経験は? 見た所、プレートをお持ちではないようですが……?」
ラセツが置いたタオルを畳みながら、女主人が問いかける。
「経験は、ない、けど……」
少女はそう言い放ち、視線を下げて黙り込んでしまった。
女主人は一つ溜息をつき、ティムに視線を送る。ティムは子供だが、経験豊富な探索者の一人だ。
「ティムさん」
「そこで僕に振ります? こんな濡れ鼠の相手を?」
ティムが呆れたように溜息をついた。仕方ないな、と言うように少女へと視線を送ると、少女がキッとティムを睨みつける。
「誰よ? 子供が、どうしてこんな所に居るのよ」
十五歳程度の少女から見て、どう見ても十歳程度のティムは子供にしか見えなかった。しかし、年齢で判断されることを好まないのだろう。ムッとしたようにティムが強い眼差しを向けた。
「子供扱いしないで欲しいですね」
喧嘩腰になったティムを止めるように、女主人が仲裁に入る。
「まぁまぁ……。それで、お名前をお伺いしても?」
「……」
少女は視線を落として、それから、ゆっくりと呟いた。
「……ラセツ」
それから、深く沈んだ蒼の瞳をゆっくりと女主人へと向けた。
それは――。
絶望を知った、瞳だった。
「ラセツ=スノウ=ハーデス」