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不思議の街の阿佐ヶ谷  作者: 凪沢渋次
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9.浮世鍋

 阿佐ヶ谷は優しい街です。

 阿佐ヶ谷の住人の全員が善人だ、などと浮かれたことを言うつもりはありません。しかし、この街自体は、確実に人に優しいのです。他所から移り住んできた人にも暮らしやすく、昔から住んでいる人にはもちろん居心地のいい、全住人にとって申し分ない空間なのです。訪れた人は皆、「いい街だね」「住みたい」と言いますが、その全員が住むわけでは決してありません。

 きっと神様か何かが、この街に適した、この街に住むべき人間を吟味して、順序よく並べてから、パズルのピースをはめるように住まわせていくのです。暮らし心地の良さは、人間が生み出しながらも、天から授かりもの。自然の営みのような大きな力を背景に暮らしがある。この街の優しさはその辺に由来しているのだと思われます。


 善福寺川緑地にある、池の畔の小屋に、深夜に集まった面々は、この森を治める“タヌキ”たちでした。

タヌキたちは楽しそうに鍋を囲み、それぞれが持ち寄った具材を順番に鍋に入れていきます。まるで森のどこかから取ってきたかのような草や木の実もあれば、一目で高級だとわかる肉や魚介もあり、しかし、何が鍋に放り込まれても、タヌキたちのリアクションはそんなに変わらず、たいていが「いいねー」とか「これは嬉しい」といった、いたって日常的な反応なのです。芸人を意識した若者たちのように、一回一回大げさなリアクションをとらないところが、この会に、庶民的でありながら、どこか気品を感じさせる所以なのかも知れません。


 かりんちゃんに勧められて、私も鍋のあるちゃぶ台の席に加えてもらうことになりました。さらに、タヌキを一匹ずつ紹介してもうことも叶いました。ついさきほど区議会で見かけたばかりの、区長とのっぽの議員の他に、工務店の社長をしているタヌキ、病院の理事を努めるタヌキ、南の浜田山の商店会を牛耳る薬局のタヌキ、東の方南町で警察署長をやっているタヌキなど、とにかく、ここに集うタヌキたちは、皆それぞれに、権威と権力を持つものばかりなのでした。どっしり堂々としていて、たいがいのことでは物怖じしなそうな佇まいは、なるほど立派な職制に起因するものかも知れませんが、何にでもよく笑い、にこやかなこの会自体は、どちらかと言うと、そういった権威や政治を感じさせない、まことに穏やかな集まりなのでした。

 私はかりんちゃんから“お題者”と紹介され、どうやらこの会には、不定期に、私のような“陳情”、と言うより“お願い事”をしにくる人間がいるようなのです。

 かりんちゃんが議会に回していた紙飛行機のメモは、この会の招集が目的であったと、自然に私は理解していました。


 私は、タヌキの皆さんに勧められるまま、お酒も鍋もいただきました。この鍋が、“意外”と言っては申し訳ありませんが、とても美味しい鍋でした。たくさんの具材から出ている出汁がブレンドされることで、これまでに食べたことのない味を醸し出していました。そして、たくさんの味がしながらも、どの味のことも殺していない、絶妙のコントラストは、狙ってそうなっているわけではないのでしょうから、まさに奇跡的な美味だと言えるでしょう。また、それを絶妙な煮込み加減でよそってくれる浜田山の薬局タヌキ。お椀に入れた具材について、一つ一つ丁寧に、「このお肉は区長が持ってきてくれましたよ」「このエビは署長の差し入れです」などと説明をしてくれます。説明がなかったものはだいたいご本人の持ち込みで、そんなときにはすかさず、方南町の署長タヌキが「そのお餅は会長のでしょ?ちゃんと紹介しなきゃ」と、補足を入れて、それを見た他のタヌキたちの優雅で慈愛に満ちた笑いを誘うのでした。

 そうです。この森の小屋の鍋の会は、大いなる優しさに満ちているのです。“タヌキ”の持つ、ずる賢い、どこか後ろ暗いイメージは皆無で、愛情と友情と、風流と知性を感じさせる、紳士による高尚な会合なのでした。


 たくさんの鍋とお酒のせいで、出席者たちがいい感じに酔い、それでもまだ意識はしっかりしている頃、かりんちゃんが「じゃ、そろそろ」と、私に目で合図をしてきました。

私はお酒の力も手伝って、かなりこのタヌキたちに心を開くことに成功していました。

「では、改めまして」と、私なりになるべくわかりやすく、理路整然と、自分の温めてきた企画についてプレゼンを始めました。


 資金力のない若手の芸術家を支援するために、動画配信による宣伝が必要であること。しかし、その動画を作るのにも、現状はお金がかかり、簡単には作れない事情、そしてそれを打開するためには、自動で撮影するカメラ、それを自動で編集する機能、それをすぐにパッケージ化して配信できるシステムが必要であるという結論。自動にすることで人件費を節約できるので、安価で映像資料ができるのが、このシステムの最大の魅力なのですが、そもそもこのシステムを作るのには相当の資金が必要で、それを回収しようと、この利用者から徴収するとなると、結局芸術家の負担となり、本末転倒になってしまいます。システムの青写真はありながら、実際の開発資金の調達とその回収に関して全くの素人である私が、この会に求めることは、その解決になる施策でした。


 私が必死に話をしている間、タヌキたちはおとなしく、真剣に、こちらに耳を傾けてくれていました。聞こえるのは、外の森の木々葉の風に揺れる音と、鍋のグツグツだけ。定期的に浜田山の薬局タヌキが、煮えすぎた具材とアクを鍋から取り除いていましたが、それでも耳は私の話に向けてくれていました。かりんちゃんは私の話を聞きつつ、タヌキたちの反応を確認しているようで、座面の小さいスツールの上で器用にあぐらを組みながらゆっくりグラスビールを飲んでいました。

 ひとしきり私がしゃべり、言い残したことはないか頭の中を整理して、もう充分だと納得してから「以上です」と締めると、不思議なことにタヌキたちは誰からとなく、自然に拍手をしてくれたのでした。拍手を浴びることに慣れていない私は、何となくそうするのかと思い、胸に右手を当てて深々とお辞儀をしました。舞台役者がカーテンコールでやっていたのを無意識に真似たのでしょうが、狭い和室の鍋の置かれたちゃぶ台の前でこれをやると、まるでふざけているようにしか見えず、それまでのプレゼンを台無しにしてやしないか、後から少し不安になりました。

 しかしながら、話を聞き終えたタヌキたちは、皆それぞれに、私のプレゼンを褒めてくれました。内容はもちろん、その話し方、目線の配り方、身振り手振りについてまで褒めてくれて、私は徐々に、有頂天になっていきました。ついには髪形や服装まで褒められて、気分のいい時間が10分ほど続いたときでしょうか、かりんちゃんが自分のグラスにビールを手酌しながら、しっかり方向転換を指示してくれました。

「それでー、どうでしょう?このアイディア、実現できますかね?」

寝心地のいい、フカフカの布団をはぎ取られたような感覚。起きなきゃいけないのはわかっているのにもうちょっと寝ていたかった週末の朝を思い出します。確かに、今夜の本題は、プレゼンすること自体ではなく、それが採用なのか、それとも不採用なのかです。一気に現実に引き戻されて、お酒の酔いまで吹っ飛んだのでした。

 かりんちゃんの質問に対して、まず口火を切ったのは、議会では淡々と区長を糾弾していたのっぽの議員タヌキでした。

「皆さん、どうでしょう?私はとてもいいアイディアだと思いましたが・・・」

と、議会のときとは全く違う、人の良さのにじみ出る、柔和な笑顔で、周囲に問いかけ、見渡していきます。この問いをきっかけに、ちゃぶ台の全タヌキが、部屋の隅で静かに飲んでいた一匹の小柄なタヌキの方を振り返りました。

「先生はどう思われます?」

工務店の社長タヌキが、小柄タヌキに直接意見を求めました。小柄なタヌキは、さきほどの紹介の際、確か、大学で美術史かなんかを教えているというタヌキでした。ずっと静かに日本酒を飲み続けていて、穏やかに微笑んではいましたが、一向に会話には参加してきませんでした。しかし、輪から外れているわけではなく、私のプレゼンもしっかりと聞いてくれていたのはわかっていました。

 その先生タヌキが

「概ね賛成です。とてもよく考えられていると思いました」

と、優しく、私に微笑みかけながらゆっくり話し出しました。

「一つ質問なのですが、自動で編集するとおっしゃいましたね?編集は多分にクリエイティブな作業で、自動にすると完成品のクオリティが下がる可能性があるのでは・・・?と・・・」

 小柄タヌキは、私を傷付けないためにか、微笑みは絶やさないまま、でもしっかりと問題提議をしてくれたのでした。聞いていたタヌキたちも頷きながらその意見をよく理解していて、その質問に対する私の回答を聞きたそうに、また私に注目を集めたのでした。


 先生タヌキのご指摘はもっともで、そこが私も一番難しいと思っているところでした。

 しかし、それより驚いたのは、金額や人材の話ではなく、具体的なシステムについての質問だったことです。ますます、このタヌキたちが私の企画に前向きであることを感じたのです。

「先生のおっしゃるとおりです。同じシーンを何台かのカメラで撮影していたとして、それをどう編集するかはとてもクリエイティブな作業で、好みも分かれるところだと思います。もしかしたら、表現者の意図とは違う演出になってしまうかも知れません」

と、私の正直な意見を述べました。

「何か解決方法はありそうなんですか?」

 これも穏やかに、浜田山の薬局タヌキがコンロの火を調節しながら尋ねてきました。

「先ほどは割愛してしまったのですが、何人かの演出家の編集パターンをAIに学習させるのはどうかと考えています。まあ、そんなことができるのか、まだまだ勉強中なのですが・・・」

 ここでは全てをつまびらかにしようと思っていた私は、自分の未熟も無知も、隠すことなくさらけ出しました。この会が、それをなじったり、叩いたりする場ではないと確信していたのです。タヌキたちは私の吐露に、深く頷き、また、天井を仰いだりして、一緒になって解決を導きだそうとしてくれていました。

 かりんちゃんも考えてくれている様子でしたが、それ以上に、私に爽やかな笑顔を向けてくれていたのが印象的でした。まるで自分の息子に「よくできました」と言っているような、思った以上の成果を上げた私を、誇らしく感じてくれているようで、私も嬉しくなりました。


 その後しばらくは、タヌキたちもいろいろな意見を出してくれて、私の企画の問題点を整理し、どうすればそれをクリアできるか、前向きで活力に溢れた議論が交わされていきました。本来一番気になるであろう資金については、いともあっさりと「お金のことはどうとでもなるんで」と、区長と病院理事は同じタイミングでちくわぶをかじりながら言ってくれました。議会で区長と病院との癒着を糾弾していた議員がいましたが、もしかしたらこの鍋の会のことを指していたのかもと、眉をつり上げていたあのギャル議員が少し滑稽に感じてくるのでした。


 さて、小一時間話して、鍋もすっかりきれいになると、先生が全タヌキの意見をまとめて

「では、資金面は区長と理事、会長にお願いします。人材集めは私と署長の方で。それでお手数ですが、演出家を集めるところはダイモクさんとあなたにお願いしてもよろしいでしょうか?」

と、企画が急に、具体性を持って動き出したのでした。私はしゃっくりみたいに「はい!」と応えると、もう一度立ち上がって、さっきと同じカーテンコールシーンを、今度はわざと大仰に、深々と頭を下げたのでした。ふざけてはいましたが、私はこのときのお辞儀ほど、本気でお辞儀をしたことがなかったのではと思うくらい、感謝と感動と期待とプレッシャーをお辞儀に込めました。

 それはちゃんとタヌキやかりんちゃんにも伝わっていたようで、先ほどより大きな拍手が私を包んでくれたのでした。

 狭い部屋の大喝采が落ち着くのを見計らって、浜田山の商店会長が「では、〆のうどんですー」と、もう一度コンロに火をつけて、つやつやで見るからにコシの強そうなうどんを、無敵のスープに滑り込ませていくのでした。


 鍋の会で先生タヌキに指摘されたように、私の企画には、莫大な予算と同じ位、たくさんの芸術的な才能が必要でした。ライブの動画配信とは言え、据え置きのカメラの全景一点だけでは、あまり魅力的な素材にはなりません。数台のカメラで撮影した上で、かっこよく編集する必要があるのです。そして、どうすれば“かっこいい”のか、どういうシーンをどう撮るとそれが可能なのか、しっかり考えないことには始まらないのです。そのためのお知恵を拝借するべく、私は現役でいろんなジャンルで創作活動をしている10人の演出家を選び出しました。これを「阿佐ヶ谷演出家会議」として、“かっこいい”の普遍性を探るための勉強会をスタートさせたのです。


 10人の演出家とは、いろんなジャンルの友人からの推薦などを元に選んだ、映画監督が二人、カメラマンが一人、舞台の演出家が二人と、照明家、音響家が一人ずつ、グラフィックデザイナーが一人、アニメーターも一人、そして漫画家が一人です。この多岐にわたる才能を一つにまとめることなど出来るのか?これはこれで大きなプロジェクトなのでした。


 阿佐ヶ谷駅界隈には、区の地域センターや区民会館といった公の施設がいくつもあり、そこには、区民のニーズを満たす様々な部屋が用意されています。区民なら誰でも安価でそれらの部屋を借りることが出来るのです。イスと長テーブルのみが置かれた、ごく一般的な会議室はもちろん、調理室、武道場、ダンススタジオなど、競争率の高い部屋もありますが、事前にちゃんと予約をしていれば、わりと簡単に借りることができるので、趣味人はこういった施設をよく利用するのです。

 さて、第一回目の「阿佐ヶ谷演出家会議」の当日となりました。今回は人数もそんなに多くもなく、小さめの会議室でも借りればよいかと、漫画家のハジメちゃんに地区センターの部屋の予約を頼んでおきました。ハジメちゃんはよくこの施設を使っているので、どの部屋がどのくらいの広さなのか、よく把握しているのです。ところが、どういう気の回し方をしてくれたのか、ハジメちゃんが今回のためにセレクトしたのは、「茶室」でした。ほとんどの人同士が初対面になる今回、なるべくリラックスしてざっくばらんに話が出来るように、との配慮だったようですが、集合してみると、全員が初の茶室に、体の置き方もわからないくらい居心地悪そうにしていました。

 私は正座をして、最初の挨拶をしようとすると、皆それぞれ、崩していた足を正そうとするので、「あ、そのままで」と、私も再度足を崩して、でも気持ちはしっかり込めて、ここに集まってくれたことを感謝し、そしてこの会の意味と意義についてしゃべり、さらに、ここに集う者へ期待することなど、最終的な自分の企画についても絡めて説明しました。背後にタヌキやかりんちゃんがついていることは、時期を見てから話そうと思い、ハジメちゃん以外には話していませんでした。

 癖も我も強いアーティストたちなので、タヌキのときのようにすんなりとは、この会を受け入れてくれませんでした。皆、少なからず、疑問や疑念、不安や偏った意見を持っており、そもそも芸術家にありがちな閉鎖的な性格もあって、なかなか自分の心を開こうとしてくれないのです。グズグズと意地の悪い質問や、的外れな問題点の指摘があり、会議はさっそく暗礁に乗り上げたかの印象でした。

 そこで、ハジメちゃんが「ちょっと空気変えましょうか」と、始まって30分も経たないのにブレイクを提案しだしました。休憩と聞いて、すぐさま煙草を吸いに出ようとする映画監督がいましたが、それを呼び止め、ハジメちゃんがバックから出したのは、まさかの茶碗。しかも、信楽焼きの上等な楽茶碗でした。

「茶室なんで」と、ちゃくちゃくとお茶会の準備を始めるハジメちゃん。好奇心旺盛なのもアーティストの特性で、このハジメちゃんのお茶会作戦は見事にハマり、集まった全員が、茶道の持つ独特の世界観に興味津々、ハジメちゃんの手元に釘付けになっていました。

 後でわかったことですが、ハジメちゃんの茶道は全くの自己流だとのこと。それでも、真顔で、ありがたそうに茶器をいじる様子は、まるで何年も家元について習っていたかの所作でした。明らかにインスタントなお茶でしたが、それをもったいぶってありがたそうに一人一人に回すハジメちゃん。一人目は当然のように私だったので、何となくのイメージで、神妙な顔でお茶を頂き、「ありがとうございました」と一礼してみました。これがその後の定型となったようで、次にお茶を回された舞台演出家のモネくんも私に倣って一礼をしました。同じようなことが数人続くと、さっき喫煙に出ようとしていた映画監督の番になり、お茶を飲んだあと、ちょっと器を眺めてから「いい景色だね」と、器の評価を挟みこみました。

 これをきっかけに、それ以降の人も何か一要素ずつ、一礼前に付け足すようになり、ここもなるほどアーティストとしての資質を見るのにとても有効な手がかりとなりました。ハジメちゃんがそこまで狙っていたかは全く疑問ですが、このお茶会で、10人の演出家は大分打ち解けてきたのです。


 お茶が一周すると、今度はハジメちゃんが床の間に楽茶碗を置き、そこに、カセットコンロで湧かしたお湯をひしゃくで注ぎ入れました。何が始めるかわからず、一応神妙な顔のままで見ていると、さらにそのお湯の中に、続いてバックから取り出した、ゴム製のウルトラマン人形を入れたのでした。稼働部の多い、良く出来た一品で、体育座りで器の中に入れられたウルトラマンは、まるで湯船に肩までつかっているようでした。

 さらにハジメちゃんは懐中電灯を出してきて、そのウルトラマンを下から上から照らして見せるのでした。ウルトラマンののっぺりした顔には、光によって陰影が浮かび、床の間のウルトラマンは、まるで薪の炎に照らされているかのシーンに飛躍したのでした。

 そこまでを充分に行ってからハジメちゃんは、自分に注目している演出家たちを振り返り、やや挑戦的な抑揚で、

「さて、この人物をもっとかっこよくしようと思ったら・・・・どうします?」と問うたのでした。


 この問いを受け、すべての演出家の視線がウルトラマンに注がれました。もはやそこに、私の企画への疑問や不安はありませんでした。皆、どうすれば、このウルトラマンをもっとかっこよく、あるいは色っぽく、悲しく見せられるか、そのことしか頭に無かったのです。

 「阿佐ヶ谷演出家会議」が本当の意味で始動した瞬間でした。


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