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不思議の街の阿佐ヶ谷  作者: 凪沢渋次
8/17

8.議会傍聴事始

 阿佐ヶ谷は杉並区の“首都”です。

 正確に言えば区役所所在地です。

 丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅に直結している好立地にそびえ立つその建物は、この区の行政の中心であると同時に、役人はもちろん、カフェや駐車場、駐輪場など、様々な区民の職場にもなっており、さらに、周囲の飲食店にとっては最大の常客集積場ともなっている、まさに、この街の顔役なのでした。

 この区役所を抱えていることで、阿佐ヶ谷の住人たちは、ここを“首都”と呼び、そのことに誇りを持っているのです。区内の他の街の人がそう呼んでいるかはわかりませんが。


 さて、私の考えた動画配信システムの企画を実現するために、ついに阿佐ヶ谷経済界のフィクサー、“ダイモクさん”こと、かりんちゃんが動き出しました。

 動くと決めてからのかりんちゃんの行動は、早送りの映像のように素早かったです。古い映画の喜劇王のような速度で、アーケードの屋根の上のキャットウォークをサクサクと進み、その道に面した古めかしいビルに入って行くかりんちゃんを、私は必死に追いかけました。

 建物に入ると、今度は、永遠を感じるほど、どんどんと階段を下っていきます。どのくらい下りたかわからないくらい下りたところに、重い鉄の扉があり、それを開くと、今度は暗くて狭い通路が現れ、そこをまたどんどん進んでいきます。

 途中から、一切窓のないところを歩いているので、時間の感覚が奪われていきます。やがて今度は少しだけ、階段を上がったり、また少し通路を進むと、さらに階段を下りたりと、いったい今、自分が建物の何階にいるのか?街のどの辺りを歩いているのか、時間だけでなく、空間についても全く把握できなくなっていきました。

 しかし、さらにしばらく、窓のない通路を歩いていると、徐々に壁の色が明るくなり、蛍光灯の数も増え、これまでより少し、“まとも”な建物に入ったことがわかりました。

 阿佐ヶ谷に、これだけの地下通路があったことにも驚きでしたが、そこをスイスイと歩いて行くかりんちゃんに、改めて、畏怖に近い、不思議な魅力を感じるのでした。

 クリーム色の壁の、温かいが静かで無機質な廊下を進み、グレーの厳めしい扉が現れると、初めてかりんちゃんは私を振り返り、

「行きます」

と、声をかけてくれました。


 どこへ行くか、何をしに行くかは全く聞かされておらず、ただ「タヌキに会いに行く」とだけ聞いて、ついてきた私なので、そこがいったいどこなのか、全くイメージが湧きませんでした。しかし、扉を開けて、向こうに出てみると、そこは、何となく見覚えのある建物の1階でした。広々としたロビーに、行き交う様々な層の人々、インフォメーションがある側には建物の各階の案内が出ていて、その内容は「福祉課」や「環境課」などの堅い単語。

 ここは間違いなく、区役所の中でした。区役所には社会保険関連で何度か来たことがあり、その独特の雰囲気はしっかり記憶に残っていました。

 そうしてみると、あの天上界と区役所は、周辺の建物の地下通路でつながっており、そこを通れば、天上界の住人たちは、人混みや太陽に触れ合うことなく、役所に来れるわけです。きっとこのような通路はどこへでもつながっており、駅でもスーパーでも飲み屋でも、天上界の住人は雨に濡れることなく出入りできるのでしょう。なんだか羨ましい感じもしましたが、複雑な上り下りは、そんなに便利でもなく、あの道順を自分だけでもう一度再現出来る気はしませんでした。


 ロビーに出ても、かりんちゃんの躊躇いのない歩行速度は保たれていました。まっすぐエレベーターに進んで箱に乗り込むと、我が家に帰るときくらい、当たり前に階数ボタンを押し、目当ての階に到着しました。

 エレベーターを降りると、そこには「議場」や「傍聴席」という、普段あまり使わない用語が並んでおり、そこが区役所に併設されている区議会の会議場のフロアーだと理解しました。

 小太りで白髪頭の警備員が、かりんちゃんに朗らかに笑いかけ「ご苦労様です」と挨拶をすると、かりんちゃんは目線は進行方向のまま軽く手を上げて、それ以上でもそれ以下でもない“反応”を返しました。警備員には私が見えていないのか、笑顔でかりんちゃんだけを見送ると、それ以上追いかけては来ないのでした。

 会議が行われている部屋を前にして、かりんちゃんは重たそうなアタッシュケースを軽々持ち上げ、中から、首から下げるタイプのIDカードを二つ取り出し、一つを私によこし、もう一つを自分の首にかけました。私は無言でかりんちゃんに倣い、これでどうやら会議場に侵入する準備が出来たことを察したのでした。

 議場は、イメージするような階段式の会議場ではなく、そこそこ広めの会議室といった部屋でした。しかし、その様子は独特で、部屋を半分にして、片方にはたくさんの事務デスクが整然と並び、もう片方には、いわゆる会議室によくある長テーブルが、わりと無造作に置かれていました。

 次第にわかってきたことですが、ここが本会議場ではなく、小規模な委員会が行われるための議場だということ、デスクが並んでいるのが行政側、つまり役所の各部署のお役人さんたちの席で、それに対峙する長テーブルが区議会議員たちのエリアなのでした。

 議員たちには持ち時間があり、それを示すためのデジタルの時計が議場の数カ所に掲げられています。進行係の女性がいて、議員たちは彼女に指名されると、順番に前に、つまり、役人エリアと議員エリアの境界線あたりの、中央の席のマイクに移動して質疑を始めます。それを受けて、今度は質問の対象になっている役所の担当者が回答をする、というルールで議会は進んで行きました。

 行政側の事務デスク群の、さらに後が傍聴席で、私たちを含め、既に数名の人が難しい顔で議会のやり取りに耳を傾けていました。

 何年もこの街に住んでいながら、議会を傍聴するなんて初めてだったので、私は、突然知らない大人に大好きな遊園地へ連れて行かれた少年のように、プラスとマイナス両方のドキドキを全身で感じていたのでした。


 かりんちゃんは慣れた足取りで、傍聴席の中央に進むと、早速その周囲の人たちは、かりんちゃんと私のために席を空けてくれ、議会の邪魔にならない程度の音量で、でも恭しく挨拶をしてくるのでした。私はただただかりんちゃんのすることを真似るだけで、とにかく、この環境の特異さを受け入れるのにやっとでした。

 議題は主に、阿佐ヶ谷駅北口の再開発のことと、南の善福寺川緑地で発見された貴重な種類の鷹の保護についてでした。丸々太ったおばさん議員の攻撃的な質問に、役所の面々がタジタジになっていたり、チンピラに地味なスーツを着せたような強面議員と、もっと強面の開発担当の役人が激しい舌戦を繰り広げたりと、見慣れてくると、議会はそれ自体がなかなか見応えのあるライブでした。

 もっともっとそちらを注目したかったのですが、それ以上に興味深かったのは、そんなディベートには一切耳を貸さず、次々と不思議な行動を起こすかりんちゃんでした。

 かりんちゃんはアタッシュケースから小さなメモ用紙を取り出し、メガネ専用のドライバーくらい極細極小のボールペンで、何やら走り書きしていました。何を書いたのか覗きこもうとしたのですが、かりんちゃんはそれよりも素早くメモを折り、あっという間に小さな飛行機を完成させました。

 飛行機は、まるで初めからその形だったくらい、美しく折られており、もはやメモ用紙だった過去は感じられませんでした。鋭敏なフォルムはいかにも飛ぶのに適していて、親指よりも小さいのに、親指よりも硬く頑丈に作られている印象でした。

 美しい飛行機に見とれる暇もなく、かりんちゃんは次に、膝の上に、横向きに置いていたアタッシュケースを縦にして、飛行機をその上に置きました。そういえばこのアタッシュケースには薄く二本のスジが入っており、まるで飛行機が滑走路についたかのように見えました。

 かりんちゃんはそこから、異様な集中力を見せ始めます。人差し指を親指にかけ、人差し指の爪で、飛行機をはじき飛ばそうとしているらしく、その発射台であるアタッシュケースの位置と角度を膝で調節しながら、何かに狙いを定めているのでした。


 議場では、端正な顔立ちののっぽのベテラン議員が、理路整然と、声を荒げるでもなく、淡々と区長に質問を続けていました。持ち時間の4分を上手に使って、区長が5年前に出した再開発計画に比べて、現在の工事の進行が遅れていることを静かに責め立てているのでした。

 のっぽの議員の口調のせいか、議場はそれまでより断然静かになり、私はかりんちゃんのフライト計画が、誰かに見つかり、止められ、怒られやしないかと、出来の悪い我が子を見つめる授業参観の際の母親のような不安でいっぱいでした。

 かりんちゃんは全くその空気を解することなく、発射台を完成させ、さらなる集中力を人差し指に込めました。彼女なりに、何かいいタイミングだったのか、のっぽの議員の質問に対して、区長がのっそり立ち上がり、「それではお応えします」と、答弁を始めたのをスタート合図に、よく手入れされた薄桃色の爪で小型飛行機をはじき飛ばしたのでした。

 区長の、のらりくらりの答弁をBGMに、かりんちゃんの飛行機は、緩やかに、でもまっすぐに飛行を開始しました。安定した高度を保って、目の前の、行政側のデスクの列の間を実にスムーズに飛んで行くのです。飛行機自体のフォルムの良さは、飛行することでなお引き立てられ、飛行した経路に道筋が見えるほど、美しいフライトでした。

 区長の答弁が続く中、飛行機は、事務デスクの役人の中で、さっきからせわしなく資料のファイルを繰っている小柄なおじさんの方に進路を取りました。おじさんが開いたファイルの上に、飛行機は見事に着陸し、それはどうやらかりんちゃんの飛行計画のとおりだったようで、かりんちゃんは小さく「よし」と、吐息のような声量で喜びを表しました。

 飛行機を受け取ったおじさんは、一瞬傍聴席を振り返り、かりんちゃんがそれに目で応えると、慌てておじさんは飛行機を解体し、メモに素早く目を通しました。そして、さらにそのメモを、周囲の役人仲間たちに回し始めたのです。メモが回ってきた役人たちは一様に、さきほどのおじさん同様、一度はかりんちゃんを振り返り、慌ててメモを読み、次の部署へ回していくのでした。


 区長ののんびりした答弁に、のっぽの議員は辛抱強く耐え、しかし、追求は一層鋭く細かくなり、開発担当の役人も資料探しに大忙しの様子でした。そんな中、テストの時間にカンニングを回しているイタヅラ学生よろしく、役人たちはこっそりと、しかし確実にかりんちゃんのメモを役人中に回すのでした。そしてさらに驚くべきことに、メモは最終的に、今、のっぽの議員に糾弾されている区長の元にも回りました。5年前の計画より、用地買収に数億円多く費用がかかっていることをのっぽの議員に追及されて、区長がゆっくり立ち上がろうとしているときでした。メモが区長に渡ったのです。区長は中腰のまま、さっとメモを読み取ると、一瞬だけ、動きを静止しました。元々がスローモーションの区長なので、それは不自然ではないストップモーションでしたが、私には、明らかにメモを見て動揺したように見えました。区長のストップは本当に一瞬だけで、何事も無かったようにまたのんびりした答弁が再開しました。


 区長を最後に、どうやらあらかたの役人にメモが回し終わると、一人の女性役人が姿勢を低くしたまま、そそくさと傍聴席にやってきて、かりんちゃんの前を通り過ぎて、議場を出て行きました。しかし、ただ出て行ったのではなく、この女性は、かりんちゃんの前を通る瞬間、しっかりと、かりんちゃんの足下に落とし物をしていったのです。高級そうな千代紙で丁寧に折られたヤッコを、かりんちゃんはゆっくり拾い、スーツのポケットにしまうと、チラっとだけ私に視線を投げ、それを合図に議場を出たのでした。

 ちょうどのっぽの次の、茶髪のギャル議員が、区長と大病院との癒着疑惑を糾弾しはじめたところでしたが、かりんちゃんに続いて私も議場を後にしたのでした。部屋を出る直前、激しく罵られている区長がチラッとこちらを見た気がしましたが、気のせいだったかも知れません。


 その後は、かりんちゃんはさっさと来た道を天上界に戻り、アトリエで、スーツから、元の色彩に溢れたパレットのような服に着がえ、缶ビールを飲みながら新宿のビル群の写生を始めたのでした。写生とは言え、新宿の高層ビルは、かりんちゃんの目にはショッキングピンクや山吹色に見えているらしく、私には何かの数値を示す派手な棒グラフにしか見えませんでした。


 かりんちゃんが区役所の皆さんに何のメモを回し、それに対してどんな回答があったのか、全くわからないまま、次なる集合はこの日の深夜になるのでした。


 深夜12時前、次の集合場所は、阿佐ヶ谷の南、青梅街道よりもさらに南下したところにある善福寺川のほとりでした。神田川につながるこの細く小さな流れは、周囲に大きな緑地と遊歩道を有していて、区民にとっての憩いの場となっています。

 一方で原生林が生い茂る深い森でもあり、男である私でも、深夜にここにくることはなく、どこかおっかない霊気に満ちた場所でもありました。

 そんな森の中に、大きな池が一つあり、その近くに一件の小屋がありました。

 公衆トイレに見えなくもない掘っ立て小屋でしたが、近くでも見ると、品のいい庵で、古いけれどなかなかしっかりつくられたものなのでした。


 深夜に訪れたその小屋には、内側に優しい明かりが灯っていて、昔話にでも出てきそうなその風情にほっこりしながらも、やはり物語に出てくる旅人のような気分で、私は恐る恐る戸を叩いてみました。

 中からかりんちゃんの声で「どうぞ」と聞こえたので、思い切って戸を開け、中に入りました。玄関にはたくさんの革靴がひしめきあっており、その中に一つだけ、紫色のスニーカーがあったので、それがかりんちゃんのものだとわかりました。 

 障子の向こうがワイワイと盛り上がっているのがよくわかり、一つ呼吸を整えてから「失礼します」と、声をかけ、障子を開けました。

 6畳あるかないかくらいの和室に、小さな卓とそれを囲むたくさんの大人がいました。卓の真ん中には土鍋が置かれ、皆それぞれに鍋の中をつついている様子でした。少しお酒も入っているようで、この集まりはすっかり“宴会”になっているのでした。

 かりんちゃんだけはスツールのような背の高いイスに座っていて、私を確認すると、珍しく笑顔で手を振ってきました。そして、賑やかに鍋を囲んでいる大人たちに「注目-!」と指示を出すのでした。


 歓談を止め、私を振り返る大人たち。しかし、その大人たちは皆、目の周りが薄黒く、鼻の頭はもっと黒く、そして、その鼻の周りにはぴょんぴょんと数本の髭が飛び跳ねているのでした。

「ここいらの主、タヌキの皆さんです」と、かりんちゃんもしたたか酔っているのか、上機嫌な大声で、私に彼らを紹介してくれるのでした。

 善福寺川緑地には昔からタヌキが多く、私も何度も目撃したことがありましたが、ヒトに変化しているそれを見るのは初めてでした。そして、何より驚いたのは、タヌキの中で一際大きいタヌキ二人は、昼間に議会で見かけたのっぽの議員と区長なのでした。

「この時間になるとだんだん化けの皮がはがれてきちゃってね」「お酒入っちゃったから尚更だよ」とタヌキたちは、それはそれは愉快そうにタヌキの習性を私に聞かせるのでした。

 タヌキが人に化けているのか、人がタヌキを演じているのか、そのときは正直わかりませんでしたが、この楽しそうなタヌキたちが、かりんちゃんの言っていた“タヌキ”なんだとわかって、ようやく引っかかっていた小骨のような謎が飲み込めました。比喩でもなんでもなく、かりんちゃんが会いたかったのは本当に“タヌキ”だったのです。


 深い森の中でタヌキたちとつつく鍋は、葉物の野菜とキノコが多めでしたが、少し肌寒くなってきた季節にはちょうどいい、よく味のしみた、温かいお鍋でした。

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