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不思議の街の阿佐ヶ谷  作者: 凪沢渋次
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7.阿佐ヶ谷志演義

 昔話にはウソがあります。

 桃から人間は生まれませんし、竹を割っても女の子は出てきません。

3センチメートルの少年がお椀に乗って移動することもなければ、灰で開花する桜などないのです。

 しかし、それらのウソを許容することで、ご褒美のような血湧き肉躍る冒険譚や、ありがたい教訓を享受することができる。

 阿佐ヶ谷は、そんな、昔話とご褒美の、中間にあるような街です。


 駅からそんなに遠くない、商店街から一本だけ入ったところに、客が50人も入れば満員になる小さな劇場があります。阿佐ヶ谷にはそういった劇場が多く、ここはその中の一つ。

 「仮装船団方式」という名前の劇団があり、何度かそこの公演のチラシを目にしたことがありましたが、常に、美少女戦士だとか、アイドル探偵だとか、魔法使いのベビーシッターなんかが主人公の、勧善懲悪と思われるストーリーを得意としているようで、正直に言えば、そんなに惹かれる内容でもなかったので、観に行ったことはありませんでした。

 そんな劇団を、訳あって初めて観に行きました。この日上演されていた演目は、マリー=アントワネットが未来都市「TOKYO」にやってきて、革命家たちとともに都知事と戦う物語。王妃はパンでもケーキでもなく、カラフルなサプリを飲み込み、そのたびに衣装の色が変わり、どんどんと戦闘能力を増していくのでした。衣装は変わる毎に布の面積が小さくなり、最終的にはセパレートの水着姿になった“ベルサイユのバラ”が都知事を断頭台にかけるという、どうにも感情移入のしにくい内容でした。

 しかしながら、クライマックスの王妃のモノローグは、派手な照明と迫力ある音楽でドラマチックに飾り立てられ、そのシーンを観ただけで、何か崇高な芝居を観たような気分にさせるのでした。ストーリーには若干物申したいところはあっても、全体を通して、舞台美術や衣装の色使い、音楽の構成と音響効果などには、かなりのこだわりが感じられて、物語の、あるいはこの劇団の世界観をしっかりと印象づけるのに成功していました。阿佐谷界隈の演劇愛好家たちにリサーチしたとおり、これはひとえに演出力の賜物なのだと、素人の私でも充分に理解出来たのでした。

 阿佐ヶ谷の小劇場には、こういった独特の作者や作品が溢れており、だからこそ付近には役者や演出家、脚本家、また芸人やミュージシャン、漫画家、映画監督など、まだ世に出ていないたくさんの才能が集まってくるのです。


 私はいつの頃からか、こういった才能たちによる、未価値の作品を、いつでもどこでも視聴出来る動画システムがあったらいい、と思うようになっていました。演劇公演に限らず、音楽ライブやお笑いのライブ、寄席や大道芸など、本来その場に行かないと楽しめない作品たちを、あえて動画で見られるようにすることで、かえってライブの価値を高め、果ては、そういった創作活動をお金に換えていく道筋を作りたいと考えているのでした。

 何となく、そのための青写真は出来ており、しかし、それを実現するためにはもちろん、たくさんの費用と、多くの人、さらに、動画や配信に関する高い知識や技術が求められます。どこ一つを取っても私一人で出来る仕事ではなく、折に触れて私は、この企画をいろいろな人に話して聞かせ、協力者を募っていたのでした。

 そんな中、親友で漫画家のハジメちゃんが、それなら“ダイモクさん”に相談してみたらいいと教えてくれたのです。阿佐ヶ谷の街の多くの商店や会社を影で操る、経済界の大物がいるのだと、この人に相談すれば、私の夢のような企画は、一気に現実味を帯びるだろうとのことでした。

 そこから紆余曲折あって、阿佐ヶ谷のアーケードの屋根の上の世界、“天上界”にて、ようやく私は、“ダイモクさん”こと、もじゃもじゃパーマ頭の小柄なアート女子、かりんちゃんに会うことができたのでした。


 彼女は観葉植物だらけアトリエにいました。

 専門学校にでも通っていそうな、見た目に若い女の子で、部屋に並んだたくさんのイーゼルには、静物画から風景画、肖像画など、いろんな種類の絵が置かれており、芸術や美術史の話は出来ても、ビジネスの話が出来そうなイメージは全くありませんでした。

 白いしっくい壁のアトリエでしたが、たくさんの植物とイーゼルのせいで、印象としては緑と茶で構成された部屋でした。その中にあって、かりんちゃんはと言えば、黄色、ピンク、紫、オレンジ、など、本来闘いこそすれ、調和を取れるはずもない配色の、何層もの布が重なった不思議な服に身を包み、そこにさらに油絵の具の汚れがふんだんにつけられているので、まるでパレットを纏っているような出で立ちでした。

 ところが、この人物の存在感なのでしょうか、輝かんばかりの人間力は、そういった華美な色彩をも押さえ込み、色、光、容姿、植物、髪形、空間、不安、服飾、好奇心、すべてが完成品として調和しているのでした。


 いろいろな要素に圧倒されていた私は、どうやって自分の企画の話を切り出そうか、全く上手ではない、装った平静で、そのきっかけを探っていました。その様子を察したのか、かりんちゃんは、

「コーヒー飲みながらでもいいっすか?」と、さっさと3階のベランダへ出て行き、さらにアーケードの屋根の上にあるキャットウォークへ出て、すたすたと駅の方向に進んで行ってしまうのでした。

 私は置いてけぼりにならないよう、必死に彼女を追跡しました。鉄製の狭いキャットウォークは、不慣れな者にとってはとても歩きにくく、先を行く者を捉えながら、相応の速度で前進するのは、かなり高度な技術と集中力を必要とするのでした。

 そんな私を振りかえりもせず、アート女子は、少し歩いた先にあった別の建物のベランダに入って行きした。そこがどこなのかを考える暇もなく、私もその、お世辞にもキレイと言えないビルに、ようやく入ることができました。

 かりんちゃんのアトリエ同様、そこにも観葉植物が多く、むしろ、森の中にあるかのような部屋でした。たくさんの植物の間にはところどころにイスとテーブルが置かれていて、そのテーブルには砂糖やクリープが置かれているので、どうやらそこが喫茶スペースであることがわかりました。

 よくよく見れば、植物だけでなく、カラフルな鳥や、恐竜に似た爬虫類などが木の枝や床のあちこちで存在感を主張していて、この店が南の国のジャングルをイメージしているらしいこともわかってきました。しかし、その演出もいい加減なもので、壁に日本の鉄道会社のカレンダーが掛かっていたり、埃をかぶった加湿器が置かれていたり、籐の丸椅子の上に読み終わった漫画雑誌が積まれていたりと、ジャングルらしからぬアイテムで、しっかりと杉並区に引き戻してくれていまでした。


 一瞬、緑の奥に消えたかりんちゃんでしたが、もう一度現れたときには胸の前でミルを回しており、

「コーヒー好きですか?」と、私に問うてきました。

 喫茶店に来たつもりでしたが、かりんちゃんは自分でコーヒーを入れようとしており、私はイエスでもノーでもないあやふやな音を口から漏らしただけでしたが、どうやらコーヒーのオーダーは完了したようでした。

 かりんちゃんが顎で示すままに、私は天井から吊られたブランコになっているイスに腰掛け、しばし、部屋の動植物を眺めていました。やがて、コーヒー独特の馥郁たる香りが緑の間に漂い、ついに、自分の分と私の分と、二つのカップを持ったかりんちゃんがテーブルに戻ってきたのでした。


 かりんちゃんは私の向かいのブランコに乗り、コーヒーをゆっくり味わうと、「うん」と、自分のコーヒーの抽出具合に満足している様子でした。ジャングルの中でブランコに乗っている二人の画は、これよりビジネスの話を始めるのに、あまりにも場違いすぎて、私は企画の話を切り出すべきかどうか躊躇っていました。そもそも、私が会いたかった“ダイモクさん”は本当にこの可憐なもじゃもじゃで合っているのだろうか?そんなことから疑わしくなっていたのです。

 しかし、かりんちゃんは、コーヒーを二口ほどすすったところで、

「えっと、動画配信システムの企画でしたっけ」

と、今、目が記憶が戻ったかように、唐突に、私の企画の話を始めたのでした。


 私は、このチャンスを逃すまいと、一気に自分の夢についてしゃべりまくりました。動画を使ってライブを配信することの意義、その効用、現段階で実現不可能な経済的な事情など、脈絡も、効果的な順序もなく、とにかく熱量だけを保って、私は目の前のパレット姫に思いの丈をぶつけ続けました。

 本当なら、もっと理路整然としたプレゼンをするつもりだったのですが、ジャングルの木々と、目の前の、非自然色に囲まれた白くて小さな顔が、どうにもビジネスの定型を受けつけない気がして、いつの間にか私も、フランクに、ざっくばらんに話をするモードに切り替わっていたのでした。

 かりんちゃんはときどき絵の具のついた指を見つめたりしながらも、真剣に、黙って私の話を聞いてくれていました。ひとしきり、私のプレゼンが終わり、相手の様子を伺おうと口を閉じると、部屋には途端に静寂が訪れました。それまで気付かなかったのですが、部屋のどこかに川が流れているようで、せせらぎの音が聞こえてきました。気のせいか、部屋の中なのに風も吹いているようで、木々がサラサラと揺れ合い擦れ合うのが感じられました。

 かりんちゃんはしばしの無言の後、コーヒーカップを抱えながら、ブランコを静かにこぎ始めました。

 先ほどからのせせらぎと木々の音に、ブランコの軋む音が交わり、それはなんとも心地のいい、良質の音楽になりました。この音楽にすっかり身をゆだねていたため、無言の相手を目の当たりにしているのに、少しも不安や猜疑心はなく、この時間がいつまでも続いて欲しいとすら思うのでした。


 どのくらい、この至福の時間が経過したのでしょうか。やがて、ブランコの音が止まると、かりんちゃんはおもむろにすっくと立ち上がり、

「うん。やりましょう」

と表情を変えずに言うのでした。

 これが私の企画に対するオーケーサインだと理解するのに少し時間がかかりましたが、かりんちゃんの背中が、二杯目のコーヒーを入れに緑の向こうに消えると、喜びの熱が徐々に私の体に伝導してきて、頭のてっぺんから足のつま先まで、隅々まで歓喜が満たされてからやっと、

「ありがとうございます!」

と、思ったより大きな声が出てしまったのでした。


 その後の時間は主にかりんちゃんが話す番でした。その内容は正直、私にはよくわからない、経済や経営や政治の話で、それでもかりんちゃんは、そういった一切はこちらでやるのでわからなくてもいい、と言ってくれました。

 20代前半にしか見えないこの女の子のどこに、ビジネスの素養があるのか、全くわからないまま、でも、すっかり私はこの人に自分の夢を託そうとしていました。

 そして、かりんちゃんは、私にはとにかく「今の気持ちを持続させること」を念押ししてきました。「強く思って、信じること」が企画の実現に必要不可欠なのだと、ありがちな新興宗教の文句のような助言でしたが、この子の口から出ると、唯一絶対の真理を諭されたような気分になるのでした。


「すぐに始めますね」

と、話し終わるとかりんちゃんは、再度木々の奥に消えていきました。

10分ほどしてかりんちゃんが戻ってくると、先ほどまでの絵の具だらけの、カラフルで緩く着る出で立ちの彼女ではなく、今度はモノトーンでタイトなスーツに身を包み、リムレスのメガネをかけた、やり手のビジネスウーマンに変身を遂げていました。ボリューム満点だったもじゃもじゃパーマもギュッと小さくまとめられて、まるで頭の大きさが半分になったようでした。

 アート女子からの激変に、初めはもちろん面食らいましたが、同時にこれがこの人物の正体なのだと、至極納得もしました。そして、この先、彼女はこのように次々と姿を変えていくのだろうと直感したのです。

 だからこそ、この人物は、正体不明で、神出鬼没の、影のフィクサーたり得るのです。


 アタッシュケースの中を改めながら、かりんちゃんは誰に言うでもなく、

「ちょっくら“タヌキ”のとこ行きますけど、来ますか?」とつぶやきました。

“タヌキ”が何を表す隠語なのか?その場所がここから遠いのか近いのか?何もわかりませんでしたが、私は「行きます」と即答していました。

 彼女と行くところならどこでも、冒険心を満足させてくれる、ワクワクに満ちた経験ができるであろうと、すでに私は、初めて会ったこの日の段階で確信していたのです。


 さて、小劇場でマリー=アントワネットを演じていた女優は、私の飲み仲間で女優のありさの友達でした。ありさを介して彼女からチケットを予約していたので、終演後、一言ご挨拶を、と思い、客出しに出てくる彼女を客席で待っていました。ブルボン王朝華やかなりし頃の面影もなく、ジャージとTシャツで現れたその女優に挨拶をすると、これまたハプスブルグ家の出らしからぬ平身低頭で、観に来ただけの私に感謝以上の美辞麗句を浴びせかけるのでした。さらに私が、演出家を紹介してほしい旨を伝えると、近衛兵よりも美しい敬礼をして見せたのでした。

 私がどうしてそんなことを依頼したかと言えば、実はそちらの方がこの日の本当の目的だったからです。

 

 演出家は客席の後ろにある、音響さんや照明さんが機械を操作する部屋、いわゆる“ブース”にいるようでした。ジャージのアントワネットがブースを覗きこんで「先生―、面会ですー」と声をかけると、滅多にそんなことがないのか、おびえた小動物のようにおどおどと、細身の男がブースから顔を出しました。

 演出家のモネくんは、色白の、太陽の似合わない男でしたが、ファッションや髪形、髪色などには、芝居同様、かなりのこだわりが感じられ、とても芸術家然とした人物でした。

 おそるおそる私に近づいてきて、自己紹介を交わし、それでもまだ何かを警戒しているのか、私から一瞬も目を離しません。私は芝居を観た率直な感想を伝えて、演出や選曲が素晴しかったことを称えました。5分ほど話していると、やっとモネくんはガードを下ろし、笑顔を見せてくれるようになりました。そしてこのガードが下がっているうちにと、私はこの日の本来の用件を伝えました。

 「動画の演出に興味はありませんか?」

生の舞台を作っている人間に、動画の話をすることがタブーであることは私もよく知っていましたが、私の計画にはどうしても必要な要素だったのです。

 いきなりで何を言われたのかわからない様子のモネくんでしたが、何か否定的な言葉が出てくる前に私はたたみ掛けました。「あなたのセンスが演劇を救うんです!」

 モネくんの表情に少しだけ野心が灯り、この後の飲み会で、私はまんまとこの男を仲間に入れることに成功しました。これで、私たちの計画に必要な“10人の演出家”が揃いました。


 メールやラインをことさら嫌うかりんちゃんなので、手書きのメモに報告だけをしたため、アーケードにあるコーヒーショップのカウンターへ立ち寄ります。店員に「ブレンド、3階に、これと一緒に」とメモを渡します。「3階ですね。承りました」アルバイトと思われる女の子は何でもないことのように私のオーダーを受けてくれます。

 これが天上界にいるかりんちゃんとの連絡の取り方です。わざわざ会いにいくほどでもない用件のときは、メモをこの店の出前に持たせるのです。返事はアーケードをうろついていればどこかしらから聞こえてきます。八百屋のおじさんに呼び止められたり、お花屋さんのお姉さんが駆け寄ってきたり。

 さて、この日のメモに、私はこう書きました。


「阿佐ヶ谷・演出家会議」開けます。


 何かが始まるときの、不安にも似た嬉しいドキドキが心臓辺りを痛くしていて、それを紛らわせるためなのか、私はその日、ちょっとだけ早足で家路についたのでした。

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