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不思議の街の阿佐ヶ谷  作者: 凪沢渋次
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6.阿佐ヶ谷拾遺物語

 阿佐ヶ谷は、裏メニューのような街です。大して繁盛しているわけでもなく、かと言ってそこまで客が入ってないわけでもない中くらいの店で、大将がこだわってその日の魚、その日の日本酒を選んで出すような、大騒ぎする若いグループ客より、黙々と料理と酒のマリアージュを楽しむ中年の一人客の方が多い、そんな店で、常連にだけそっと教える裏メニュー。大将が食べさせたい人にだけつまびらかにする、宝の地図のような手書きの一枚。阿佐ヶ谷にはそれと似た魅力があります。


 北の商工会長から聞いた衝撃の事実。


「“ダイモク”は南にいる」

 

 これまで阿佐ヶ谷の北側に行かないと会えないと思っていたその人物が、まさか私のテリトリーである南側にいたという事実。どこでどう情報が狂ったのでしょうか、この話を最初に持ってきたハジメちゃんすら、その詳細はわからないようでした。

 しかし、北の商工会長の言いぶりから察するに、この“ダイモク”なる人物は、北とか南とかにとらわれない、非常に自由勝手な生き方をしているようなのでした。かつては北にしか出没せず、商工会長の野間さんの側で暮らしていたのが、突如として南に居を移し、野間さんから離れていってしまった模様。それでも野間さんは“ダイモクさん”の居場所を把握しており、いつでも連絡を取れるようにしていたのだそうです。

 野間さんが北で経営している居酒屋やカフェのほとんどは“ダイモクさん”の助言により開業したもので、またかつては何店舗も、“ダイモクさん”の助言により店じまいをしたのだとか。“ダイモクさん”のビジネスに関する嗅覚は恐ろしく鋭敏で、その恩恵に預かっている北の経営者は商工会に一人二人ではないようなのです。

 またさらに驚くべきことに、“ダイモクさん”は南の商工会にも影響力を持っており、私のよく知る中華料理屋やイタリアンも、どうやら“ダイモクさん”の助言により成り立っているのだとか。飲食店だけでなく、建設会社、印刷会社、出版社、IT関連の企業、さらにライブハウスや小劇場など、“ダイモクさん”の助言の幅は広く、あちこちにその痕跡は見て取れるようで、阿佐ヶ谷経済においては、“フィクサー”として君臨する人物だと言うことがわかってきたのです。


 私は野間さんに言われたとおり、まずは手順を踏むべく、南の商工会長に挨拶に行くことにしました。

北でもそうしたように、南で人捜しをするときにはまず南のトップに挨拶をするのがこの街の流儀なのでした。古くさいと思われるかも知れませんが、私も含め、この街の住人は、そういったことを大切にすることで、少しの安心と、大きな自由を手に入れている、少なくともそう信じているのです。


 ところで、南の商工会長のことは私もよく知っています。面識があるわけではないのですが、南の人間には、南の商工会長はとても有名で、誰でも知っている“人”、いや、“ネコ”だからです。


 阿佐ヶ谷の南、最大の商店街、パールセンター。かれこれ数十年、そこを牛耳っているのが、商工会長“白猫のぶーやん”です。常に商店街のどこかしらに寝そべっていて、街の治安と景気に目を光らせています。その前を行き交う人々は、気軽にこの会長に挨拶をしたり、ときどきは貢ぎ物をしたり、または額をなでたりして、ネコの親分に敬意を払っています。

 でっぷりしたスローモーな動きとは裏腹に、鋭い眼光は睨まれた者を縮み上がらせる迫力があり、本当かどうか、このぶーやんの逆鱗に触れて、パールセンターを追い出された商売人が何人もいるのだとか。


 秋の昼間、白猫のぶーやんの居場所を探すのは至って簡単でした。間もなく正午というこの時間、会長は、涼しい風が吹いている“天上界”にいるとの情報はすぐに私の耳に入ってきました。

“天上界”、つまりアーケードの屋根の上の世界。長くこの街に住んでいても、そこに踏み入れたことのある人はごく限られていると思います。まず、用事がないのです。そして、アーケードに屋根があることは知っていても、そこへの行き方など考えたこともありませんでした。


 ずっと前からそこにありはしたものの、一度も入ったことの無かったビリヤード場の入った雑居ビル。一般の人の“天上界”への入り口はそこでした。安売り朝一で有名な八百屋の店長からそのことを聞いたとき、あまりにも普段通っている道に秘密の扉があったことに拍子抜けしたものです。もっと薄暗い鉄の扉に遮られていて、合い言葉でも必要なのかと想像していたからです。

 私は早速そのビルに入りました。営業しているのかしてないのかわからない、古めかしいビルで、ビリヤード場は3階にあり、そこへは階段で上がるしか方法がありませんでした。蛍光灯がチカチカしている3階への階段は、それなりに薄気味悪くもありましたが、やはり冒険の始まりには物足りない、なんとも日常的な光景なのでした。

 3階に到達してみると、小さな踊り場を挟んで、正面の扉にビリアード場が、右には鉄の扉があります。右の扉に空いた小窓や鍵穴から外光が漏れていたので、どうやら外へ出るためのものだとわかりました。カギはかかっていませんでしたが、少し重たいのと、古くて傾いでるせいか、ちょっと押したぐらいでは開きません。思い切り体当たりをしながら押しても動かず、今度は体重をかけてノブが抜けるほど引いてみると、ようやく嫌な高音とともにドアが開き、怪しげな雑居ビルには不釣り合いな、さわやかな秋晴れの日差しが溢れてきました。

 ドアの外には、4畳ほどの小ぶりな屋上があり、さびた鉄柵で囲まれていました。同じくさびたパイプイスと、おそらくは灰皿として機能しているホールトマトのさびた空き缶が置かれているだけの、なんとも退屈な空間でした。しかし、そこからほんの少しだけ視野を広げただけで、周囲は私の知らない、初めて目撃する世界だったのです。


 アーケードに面した雑居ビル、その3階部分ということは、つまりアーケードより高い場所になるわけです。目の前にあったのは一筋の川のように流れている、クリーム色のアーケードの三角屋根でした。約1キロも続いている阿佐ヶ谷のアーケードなので、屋根も当然、見渡す限り続いています。屋根の下の喧噪から階段2階分しか離れていないとは思えない、静かでのどかな風景がそこには漂っています。不思議だったのは、屋根の下からでは想像できなかったことで、意外とこの通りに3階以上の建物が多いことでした。つまり、この天上界から見る一筋の三角屋根の周りには、わりと建物が並んでいるのでした。さらに屋根の両サイドには、河原の遊歩道のように、灰色のキャットウォーク、つまり人一人分の幅で、歩けるような道が施されていました。こんなところを歩く人がどれだけいるのか?と、最初は甚だ疑問でしたが、ここの人通りが思ったより多いことを、すぐに目の当たりにすることになり、疑問は愚問に変わりました。

 正午を迎えるサイレンが遠くに聞こえると、屋根沿いのいろいろな建物の3階部分から、キャットウォークへ次々と人々が出てきたのです。この屋根の上の道は、屋根の上にしか通じていないので、おそらくここを通る人は、ある建物の3階から別の建物の3階へ行く人なのです。地上に降りて移動するより、ここを使った方が早い、効率が良い、という、ごく限られた人たちのためにこの道は存在しているようです。しかしながらその数は、屋根の下ほどではないにせよ、イメージするよりはずっとたくさんいました。財布を抱えてランチに向かう不動産会社のOLさんもいれば、携帯電話で話しながらせわしなく移動するスーツ姿のサラリーマン、買い物かごを下げてゆったり歩く奥さん、そして小型犬の散歩をさせているモデル体型のイケメンくんなど、とにかく、そこを歩く人々は、屋根の下同様に様々なのでした。

 キャットウォークに面した部屋で、窓に腰掛けて新聞を読んでいるランニング姿のおっちゃんもいれば、屋上スペースにデッキチェアーを出して、日光浴している外国人もいました。また、瓦屋根の上にイーゼルを建てて、遠くに見える新宿の高層ビル群を描き写している画家らしき人もおりました。ここは確かに阿佐ヶ谷の中のもう一つの街、紛れもなく、“天上界”が立派に成立しているのでした。


 さて、ネコの親分を探そうと、私はビルの屋上からキャットウォークへ出て、そろりそろりと歩き始めました。まず手始めに、先ほど遠目に見かけた、イーゼルに向かっている画家の方へ進んで行きました。ここを行き交う人たちの中で比較的話しかけやすそうな気がしたからです。近づいてみると、もじゃもじゃパーマ頭の大学生くらいの女性で、黄色やピンク、紫など、どうしたら着こなせるのか全くわからない配色の洋服を、しかし、見事に着こなしている、見るからにアート系の女の子でした。

「おたずねします。ぶーやんをみかけませんでしたか?」


 相手が年下だとわかっていましたが私は一応丁寧な言葉で、ネコの親分の居場所を質問しました。なんとなく彼女なら知っていそうな予感が最初からしていたのです。

 アート女子は、顎をクイっと私の後の方に向け、さらに絵筆の先でその方向をしめしました。私は振り返り、絵筆の先の三角屋根のてっぺんあたりに視線を向けると、鋭く尖った屋根の先端に、器用に丸まっているデブネコがいたのでした。

 “白猫”とは言うものの、ずいぶんと年季が入って、もはやベージュや黄色に近い色合いの毛、うずくまると、どこからが首で足の付け根だかわからないほど丸々と肥えた体躯、まさに南の商店会長“ぶーやん”でした。私も屋根の下では何度も見かけたことがありましたが、太陽の下、自分より高い位置にいる“ぶーやん”を見たのは初めてでした。

「北の商工会長、野間さんからのご紹介で伺いました。これはほんの手土産です」

私は野間さんに聞いて、“ぶーやん”が笹かまぼこが好きなことを知っていました。スーパーに並んでいた中では一番高級なそれを買って、ぶーやんへの手土産としていたのです。

 ぶーやんは、開けているのか開けてないのかわからないほど肉でつぶれた目をチラッとこちらに向け、面倒くさそうに、でも、わざわざ天上界まで訪ねてきた者への多少のねぎらいもあったのか、お気に入りの場所からゆったりと、体をほどき、一歩一歩、屋根の傾斜に足を取られないよう、私のいるところまで降りてきてくれました。笹かまを差し出すと、これまたのっそりとくわえ、つまらなそうに、でもしっかり味わってから、結果あっという間に平らげたのでした。平らげると、やはり面倒くさそうに「で?何のようだい?」との視線を投げてきました。

 私は、正直に用件を伝えました。

「この天上界に“ダイモクさん”という方が住まれていると聞きました。どうかその方をご紹介いただけないでしょうか」 

 ネコの親分は聞いているのか聞いていないのかわからない目でこちらをじっと見つめ、しばし無言のままでいました。私もそれに倣って無言で見つめ返していたのですが、いい加減辛抱ができず、もう一度同じ用件を、今度はもう少し大きな声で話しました。しかし、その二度目の説明は不必要だと言わんばかりに、ぶーやんは話を聞き終わる前に歩き出し、私を通り越して、キャットウォークを進み出しました。

「待ってください!商工会長、お願いです、どうか“ダイモクさん”のご紹介を」

 背中に向かって私が必死に訴えると、ネコはピタっと立ち止まって、こちらを振り返り、「ついてこい」という顔をしました。慌てて私はその後を追い、不慣れなキャットウォークをおっかなびっくり進んで行きました。


 結局ぶーやんは対して歩かず、キャットウォークに面したマンションのベランダに入って行きました。

 このキャットウォークがこの“天上界”において、すっかり生活道路であることがわかるのは、マンションのベランダと言えば本来、しっかりと柵で囲われているはずなのに、ここのマンションはキャットウォークに出入りできるよう、小さな木戸がついているのです。ぶーやんはその木戸を体重で器用に押し開けて、ベランダの中へ、さらにその奥の部屋の中へと入って行ったのです。中から「会長、どうしたんですか?」というのんびりした声が聞こえます。

 他所様の家宅に侵入するのは良くないことだとわかっていながら、私は意を決して、ぶーやんの後を追い、ベランダにお邪魔しました。草木で覆われたベランダはもはや小さなジャングルで、部屋の中が全く見えないようになっているのですが、近づいただけでわかる独特の臭いで、この部屋の住人が油絵をやっていることを察しました。そして、「あれ、さっきの」という声が聞こえ、その声の主が先ほど屋根の上でイーゼルに向かっていたアート女子であることがわかりました。ネコの親分はどうやら、私の嘆願を無視して、若い女子の部屋に遊びに行きたかったと見えました。


「失礼しました。会長がついてこいと言うもので、つい」と、面識のない女性の部屋にズカズカ入り込んだ非礼を、私はまずアート女子にわびました。


「でも、私に用があるんでしょ?」

アート女子は部屋中に何台も置かれたイーゼルを器用によけながらベランダに近づき、絵筆を器用に二本使い、箸で豆をつかむ要領で、一枚の小さな紙片をつまんでこちらへよこしました。よくよく見れば紙片は独特の色と形をした“名刺”で、油絵の具に汚れた奥にかすかに読める名前がありました。


「どーもー、“だいもく”でーす」


 アート女子は、絵筆の尻でコメカミ辺りをかきながら、抑揚のない低い声で自己紹介をすると、いつの間にか持っていた缶ビールをクイと飲み干したのでした。

 名刺には「幸福デザイナー」との肩書きの下に、明朝体の愛想の無いフォントで「大木かりん」という可愛らしい名前が張り付いていたのでした。

 髭もじゃの恰幅のいい大男が出てくるのを期待していた私は、そのまましばし、名刺と彼女を見比べていました。もじゃもじゃなのは髭ではなくパーマ頭で、そのボリュームも手伝って、その子の顔は異様に小さく白く感じます。“阿佐ヶ谷経済を動かす影のフィクサー“というキャッチフレーズからすると、彼女はあまりにも華奢で若々しく、私は偏見の抵抗のせいで、それらを一致させる回路がなかなかつながりませんでした。

 イーゼルの隣の丸いすに居場所を見つけたぶーやんは役目を終えたとばかりにまたもや居眠りを始めました。


 こうして私はついに、“ダイモクさん”こと、天上界の画家、かりんちゃんと知り合うことになったのでした。

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