表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不思議の街の阿佐ヶ谷  作者: 凪沢渋次
4/17

4.神明宮縁起

阿佐ヶ谷は秋が似合う街です。

夏の新緑もいいし、冬のシンとした空気もよろしい。

しかし、ベージュ屋根のアーケードの下、急いでいたり、のんびりしたりで行き交う人々の衣装が、カラフルから無彩色へと移行する、この時期独特の配色は、深山の紅葉にも見えて、都会にあって認知度の低い街・阿佐ヶ谷の存在そのものをよく表していて、いかにも“らしい”のです。


 さて、老舗どら焼き屋で、若い職人たちが、焼くのに失敗た皮“ダメカワ”を手に入れた私は、漫画家のハジメちゃんと一緒に、阿佐ヶ谷北口にある神明宮に向かいました。

 時刻は朝の七時を過ぎて、もう間もなく八時になろうかという辺りでした。

 この時間は通勤・通学の乗降客で、駅もごった返す頃ですが、神明宮には、それには及ばないまでも、平日の朝とは思えない、かなりの人だかりが出来ており、皆どの顔も、少し後に始まる神聖なる行事に備えてか、真剣な面持ちなのでした。

 神事が行われるのは、神明殿という大きな広間なのだそうですが、そこに上がる前に、参加者は入り口に並べられたイスに座って、開場を待つのが決まりのようでした。横に八つ並んだイスを一列として、それがざっと20列はあり、それはこのイベントの規模を推し量るのに十分な脚数なのでした。皆、鳥居に深々と頭を下げ、神域に入ると、真っ直ぐにこのイスの列に向かい、順序よく、前列の左端からつめて座っていくのでした。

 私もそれに倣おうと、空いてる席の中で最も前の、最も左のイスを目指そうとしたのですが、ハジメちゃんはなかなかそこへ動こうとしません。靴紐がほどけただとか、鼻をかみたいだとか、先にお手洗いにいくだとか、少しも席に近づこうとしないのです。私は先に座っていようかとも思ったのですが、如何せん、ここは阿佐ヶ谷の北口。南側の住人である私は、北の住人であるハジメちゃんの案内なしにはどこへも行けません。仕方なしにハジメちゃんのもたつきに歩みを合わせていると、今度は何かをきっかけに、「今だ」とばかり、ハジメちゃんが早足でイスに突進しだしました。私は慌ててそれに追いついて、先頭より大分後の列の真ん中辺りに座したのでした。ハジメちゃんのこうした不思議な行動は、漫画家にありがちなそれなのか、初めてのことでは無かったので、そのときは大して気にもしませんでしたが、後にこの行動の重大な意味に気付かされたのでした。

 さて、イスに座ってからしばらく、何もない時間が過ぎていき、ハジメちゃんは早起きによる睡眠不足を補おうとしてか、こっくり居眠りを始めました。私は落ち着かないまま、辺りをキョロキョロと眺め回したり、しかし、あんまり眺め回しても怪しまれるかとうつむいたり、とにかく居心地の悪い数分を過ごしていました。

 程なくして、小柄な、声のよく通る美形の巫女さんが現れ、取るに足らない手慣れた仕事だと言わんばかり事務的に、「菓子替え神事の皆様にご忠告申し上げます」と、これから始まる神事の最中の決まり事の説明を始めました。若干の早口で、聞いたことのない用語で溢れたその説明は、今ひとつ頭に入ってこないものではありましたが、要約すれば、“この後しばらくは、全てこちらの指示に従うように”ということだったので、それならばそうしようと、そもそも従わないつもりもなかったので、すんなりと受け入れることにしました。

 気がつけば、イスの列は、用意されていた分、後ろの方までしっかりと埋まっていて、ここまで待って思うに、私たちの列は決して後の方ではなく、むしろ全体で見れば前の方に分類される席だったとわかりました。

 そうこうしてる間に、ついに八時を迎え、再び巫女が、ことさら丁寧に、神事の開始を宣言したのでした。


 声を合図に皆が起立して、腰を上げるときのガタガタしたイスの音が一瞬で無くなると、厳かな空気が辺りに張り詰めました。神明殿の扉が開くと、いつの間にか先頭にいた、真っ白な装束に黒い烏帽子の神官が、恭しく、建物の入り口に向かって拝礼をするのでした。それに合わせて参加者も深々と拝礼、もちろん私もハジメちゃんもそれに従いました。十分に頭を下げた後、いよいよ最前列の八名から階段を上がり、神明殿に入っていきます。周りの空気が少し冷やされて、酸素の濃度も低くなったかの息苦しさと、少しの恐ろしさを感じつつ、ついに私とハジメちゃんが属する八名の番となりました。

 慎重に一段ずつ階段を上がり、座敷の中に入り、少し奥へ進むと、そこにはまたも八つで一列の小さなイスが並んでいました。広間に進んだ者たちは、改めてまた順番よく並んでイスに座ります。振りかえることも憚られる空気だったので、後ろの様子はわかりませんでしたが、おそらくは最後の列が私たちと同じように、外のイスから内のイスに移動したタイミングで、扉の閉まる音がしました。

 気のせいかも知れませんが、この音で、もう一段階空気が冷やされ、電流でも流れたかのように引き締まった印象を受けました。

 いよいよハジメちゃんに教わった“菓子替え”の神事が始まります。


 神官が甲高い声で歌うように、この神事のルール説明を始めます。

 要約すると、まずここに集まった人々は、各々八つずつのお菓子を持ってきています。それを同じ列の八人に一つずつ分け与えるのです。全てが完了すると、一人につき八種類のお菓子が手に入ることになります。人が生きていく上で経験するであろう、八つの災いを皆で分かち、軽減させていこうとするのがこの神事の根本のようで、“八”という数字にこそ神性があるのだと言います。元々はこの地で、八柱の神が八日かけて行ったというこの神事。そこには「災いの八つとは何と何か?」とか、「お菓子じゃなきゃダメなのか?」という疑問を一切挟ませない、伝統と信仰の持つ強い説得力があるのでした。

 神官のルール説明が終わると、おもむろに私の左隣のお婆さんが、私にお菓子を回してきました。他の列でも同じようなことが始まった様子だったので、私もそれに合わせて、右隣のハジメちゃんに持参した“ダメカワ”を回しました。

 この要領で、列を作る全ての人間が、自分の右隣にお菓子を回し、一番右端の人だけが慌ただしく、一番左端の人の元へ、席を立ってお菓子を届けるという作業が、淡々とでも神妙に行われました。

 初めの神官の言葉のせいなのか、それともこの場の空気が持つ、どこまでも神聖な雰囲気のためなのか、隣のお婆さんから甘露飴をもらったり、二つ隣の左端の紳士から馬の形のチョコレートが回ってきたときも、少しだけ緊張が解け、肩の力が抜けるような感じを覚えたのでした。

 もしかしたら、これが災いが軽減していることなのかも知れないと、こんなにも早くに、この神事の効能を体感できた自分に新鮮な感慨を味わいました。

 

 そして、それ以上に驚いたのは、私の持ってきたお菓子“ダメカワ”に対する評価です。

 隣のお婆さんは、甘露飴をくれたときの倍も目を見開き輝かせて「これ、ダメカワじゃない!」と、10歳も若返って見えましたし、馬のチョコの紳士も、「これはいい列に入った」と、ダメカワに大いに満足してくれたようでした。この土産を教えてくれたのはハジメちゃんなので、もちろんハジメちゃんも満足そうにしていましたが、一方で、自分の土産として持ってきたサイコロキャラメルに対してのコメントがあまりにも無かったことには、幾分淋しそうでした。

 お菓子の交換が済み、私の手元にもダメカワを含めた八種類のお菓子が集まりました。神事はこの後、お菓子のお清めに移ります。榊に神水をつけ、それを振りまきながら、神官が各列を回るのです。参加者は頂いたばかりの八種類のお菓子を掌に乗せ、額の上辺りに掲げ、神水を浴びるのを寡黙に待ち続けます。

 全体の様子からして、これで全ての式次第が終わるのを感じたので、私もようやく緊張が解け、上手くこの神事に潜入できたことに満足をしかけていました。しかし、ふと思い出したのです、ここに来たそもそもの目的を。

 

 私はほんの1年ちょっと前まで、小さな広告代理店に勤めていました。

チラシやポスター、小冊子など、いわゆる紙媒体を使っての広告を企業に提案し、作成までする仕事でしたが、この先の紙媒体の尻すぼみは目に見えており、早い段階で、同期の仲間たちとネット動画による広告方法を模索していました。時代は完全にそちらに動いていたのですが、それまで何十年もやっていた業務から、未経験の事業へ移行するというチャレンジを、古参社員たちはなかなか納得せず、結局私は会社を辞めたのでした。辞めてもなお、そのときの自分のアイディアには未練があり、何とか自分で、動画による広告システムを構築できないかとあちこちに相談していたところ、協力してくれる可能性のある、投資家の存在を知ったのでした。阿佐ヶ谷の北口の住む“ダイモクさん”と呼ばれる人物で、その人なら私の企画を支援してくれるに違いないと、ハジメちゃんが教えてくれたのでした。その“ダイモクさん”なる人物に近しい人物が、この菓子替え神事に毎回参加しており、ここでその商工会長と懇意になれば、“ダイモクさん”を紹介してもらえるに違いないと言うのです。

 

 この神事の特異性にすっかり飲み込まれていましたが、私の本来の目的はその商工会長とコンタクトを取ることで、“ダメカワ”を褒められたことでいい気分になっていてはいけないのでした。

 しかし、間もなく神事は終わりを迎えようとしています。このまま八種類のお菓子を持って帰るだけでは、私の目的は達成されないままです。

 心配になり、ふと右隣のハジメちゃんを見ると、ハジメちゃんもたまたまこちらを覗いており、小さく笑顔を作って見せると、次の瞬間思いがけない行動に出ました。

 

 「イタタタタタ!!」


ハジメちゃんがお腹を押さえて大声で騒ぎ出したのです。私は面食らって、思わず「え!」と声を上げてしまいました。

 ハジメちゃんが大声を出すが早いか、神官や巫女が「控えなさい!」と厳しく叱責し、直ちにハジメちゃんをどこかへ連れて行きました。周りの参加者もいかにも不愉快そうに、神事を邪魔したハジメちゃんを忌々しくにらみつけているのでした。

 連れて行かれるほんの一瞬前、ハジメちゃんは小さく私に視線を送り、その腹痛が芝居であること、そして連れてかれるところまで折り込み済みであることを伝えてきたのでした。確かにハジメちゃんの「イタタタタ」はかなり棒読みで、芝居に通じていない者でも、それがウソであることは丸わかりなのでした。

 しかし、それはわかったものの、では、その後私がどうしたらいいのかは全くわかりませんでした。

 

 ハジメちゃんが消え、神官による祓いが一通り終わると、最後にと、神官が「八本締め」を歌うように高らかに宣言しました。

 これは各列でそれぞれ一人一度ずつ柏手を打ち、つまり八回柏手を打ち、それが終わると今度は八人全員で八回柏手を打つのです。この行為をここでは「八本締め」と呼んでいるようで、どこまでも“八”にこだわったこの神事の締めには相応しいもののように感じました。

 最前列から順に、この八本締めは行われ、私たちの番になります。

 ところが、ここでハジメちゃんの不在が大きな意味を持ってきます。

 一人欠けてしまった私たちの列は、七人しかいないので「八本締め」になりません。

 どうするのかと、私が不安になっているのを気にかける様子もなく、私の左隣のお婆さんが「八番前の方、お願いします」と、丁寧に、すでに「八本締め」を終えた前の列の人に声をかけたのです。

 すると、恰幅のいい、ハゲ頭の、如何にも街の実力者であることが見て取れる人物がまんざらでも無さそうに私たちの列のハジメちゃんがいたところ、つまり私の右隣に入ってきました。

 後でわかったことですが、神事の最中に何らかの事情で中座した者が出た場合は、その人の八つ前に並んでいた人、つまり、前の列の同じ席についていた人が、代わりに「八本締め」に参加するのが慣わしだったのです。そして、このハジメちゃんの前の席にいた人こそ、私が会いたかった商工会長の野間さんだったのです。


 思えば、最初、神明殿の前でハジメちゃんがグズグズとなかなか席に着かなかったのも、この商工会長の後の席に着くためだったのかも知れません。

 そして、「八本締め」の成立のために、わざわざ前列から参加してくれたこの人物に対して、助けてもらった私たちは、自分の持っている八種類のお菓子の中の一番いいお菓子をお礼として差し出すことになっているようでした。つまりは、皆が、私のダメカワを商工会長さんに渡したのでした。全てはハジメちゃんの計画通り。商工会長の野間さんは手元に集まったたくさんのダメカワを眺めては目尻をとろけさせ、「こりゃあ、いいときに代打に入れました」とニコニコしているのでした。

 そして、会話の当然の流れとして、このダメカワを持参したのはどなた?となり、私は無事に、商工会長さんと名刺交換ができたのでした。

 ハジメちゃんの遠謀深慮、権謀術数にはほとほと感心したわけですが、それならばもう少し腹痛の際の演技も稽古しておくべきでは?と、口の端だけで笑いをこらえたのでした。


 商工会長の野間さんは北口の商店街で居酒屋やカフェを経営するやり手で、人望も厚く、北側の事情に精通している方でした。ここまではようやく辿り着きましたが、まだまだ私の計画は第一章に過ぎません。

 少しずつ暮れるのが早くなる秋空の下、商店街はすっかりハロウィンに向けたオレンジや紫の装飾で賑わっていました。もう一度商工会長の名刺と、お婆さんにもらった甘露飴を見比べてから、私は決意を新たにしたのでした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ