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不思議の街の阿佐ヶ谷  作者: 凪沢渋次
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3.北方見聞録

 阿佐ヶ谷はとにかく交通の便がいい街です。

 JR阿佐ヶ谷駅は、東京都心部と三多摩地区をつなぐ中央線の駅。さらに、千葉まで続く総武線も通っていますし、同じホームには地下鉄の東西線も乗り入れており、高田馬場や早稲田、さらに葛西の方まで行こうと思ったらそちらに乗ることも出来ます。少し南下すれば丸の内線の南阿佐ヶ谷駅があり、とにかくどこへ行くにも便利な街なのです。


 さて、そんな中央線の線路ですが、実は交通の便以上に、大きな役割を持っていることを、ご存じない方が多いと思われます。少なくとも阿佐ヶ谷在住以外の人には、ただの線路にしか見えていないようです。知らなかったところで、別段大きな問題はありませんが、阿佐ヶ谷の住人と長く付き合っていくと、あの線路が持っている、もっと重大な“意味”に気がつくことになるでしょう。


 “阿佐ヶ谷在住”と、一口に言っても、阿佐ヶ谷という地域は、線路を挟んで北と南に分かれています。そして実は、この南北、驚くほど、交流がありません。北側の人間は北側で飲み食いをし、買い物を済ませ、その生活圏を阿佐ヶ谷と呼んでいます。しかし、南側の人間は、南側で飲み食いをし、買い物を済ませ、阿佐ヶ谷はいい街だと語るのです。

 北側の人間が南に来ることはほとんどありませんし、南側の人間も北の情報はほとんど知りません。ごくごくよくある例えで言えば、他の街に住む人にがこんなことを言います、


 「この間、阿佐ヶ谷の○○って焼き鳥屋さんに行ったよ!すごく美味しかった!」


とても嬉しそうに、まるで試験で100点を取ったことをこと褒めてもらいたいかのように報告してきます。それを聞いた南側の人間は、


 「ああ、そこ、北口だから行ったことないや。」


と、さも不機嫌そうに応えるのです。


 目に見えない、科学的に考えれば不条理な事象を信じるのが“宗教”なのだとしたら、これはもう“宗教”なのかも知れません。

 何か霊的な力の結界が張られていて、南側の人間は北に、北側の人間は南に対して、大きな壁を感じているのです。そこに敷かれているのが中央線。つまりJR中央線は2つの地域に発生した強力な“村意識”の境界線の上を走っているのです。


 私は南側に住んでいる人間なので、当然北口に出ることはほとんどありません。

とは言え、別に北口に住んでいる人を嫌っているわけではないので、友人の何人かは北側の人間です。

北側の人間と阿佐ヶ谷駅界隈で会うときは駅の周囲100メートル以内の“中立地帯”で会うことが多く、それより南、それより北に行くことは相手の領域に踏み込むことになるので、当たり前に避けるようになっています。 

 北側の人間、漫画家のハジメちゃんと飲んでいたときのことです。ハジメちゃんがいい加減に酔って、ご機嫌になってきて、もう一件行こうと言いだしました。私ももう少し飲みたい気分だったので、付き合おうと応じました。そこでハジメちゃんが、「スターロードにオススメのバーがあるんだ!」と私を北の深部に連れて行こうとしたのです。私が冷静に「ハジメちゃん、それは違うよ」と諭すと、ハジメちゃんもすぐに我に返り「あ、そうか・・・南の人だったね・・・ごめん」と、自分の非を認め、すっかり酔いの冷めた面持ちでヨーカドーの向こうへ帰って行ったのでした。

 阿佐ヶ谷の南北問題はそれほどに、各住人のイデオロギーに深く根を張っているのです。


 そんな南の私に、どうしても北を訪れなくてはならない事情ができたのです。

サラリーマン時代から、長く温めてきた企画をどうしても実現させたいと思い、それを可能にできる人物が北にいるとの情報を得たからです。

 その情報をくれたのもやはりハジメちゃんでした。面白いことばかりを考えているこの人物には、かねがね私のいろいろな企画、アイディアを聞いてもらっていました。そんなとき、ハジメちゃんは、いつも面白がってくれて、しかし、とても親身に問題提議やアドバイスをくれるのです。

 私の考えている動画の「撮影・編集システム」の話をすると、ハジメちゃんは、とにかくたくさん資金が必要であること、そして、そのシステムの必要性を理解できる人がもう数人必要だと、すぐに指摘してくれました。そしてさらに、それに当てはまる人物を知っていると言うのです。

ぜひに紹介してもほしいと頼むと、しかし、その人物は北の人間で、中立地帯にすら出てこない、なかなかの北口至上主義者なのだと言うのです。

 このことから私の、その人物、「ダイモクさん」に会うための壮大な作戦がスタートしたのでした。


 阿佐ヶ谷駅の北、中杉通りを少し歩いて、一つだけ角を曲がったところに、神明宮という立派なお宮があります。初詣や七五三の時期には、晴れ着姿の人でなかなかにごった返し、またそうじゃない時期でも、近くの病院に通う人や、そばにある専門学校生などが、日向ぼっこを兼ねてお参りに来る、憩いの場にもなっているお宮だそうです。

 南の私は、その存在は知っていながら、やはり訪れたことはありませんでした。

ハジメちゃん曰く、北の神明宮には他にはない、ある特徴があるのだと言います。それはとても大事な“神事”なのだと教えてくれました。

 ハジメちゃん曰く、この神明宮は“8”という数字をとても大切にしていて、その信者たる北の人間も同じように“8”を尊ぶ傾向があるのだとか。あまり表向きにはなっていないのですが、北の、しかもごく一部の人たちは、毎月8日、午前8時にこの神明宮に集まるのだといいます。集まる人の種類は本当に様々で、近所の商店のおじさん、おばさんはもちろん、サラリーマン、近くの学校の先生や、病院の先生。作家やアーティスト、区議会議員もいるのだとか。毎月8日、8時になると人々は8人一組になって神明殿と呼ばれる広間に集合。それぞれが8つずつ持ってきたお菓子を組内の人たちと交換するそうなのです。

例えばある人は8つの飴玉を、ある人は8つのチョコレートを持ってきます。8人一組の中でそれぞれに行き渡るように交換するので、帰りには、皆それぞれ8種類のお菓子を持って帰ることになり、それは“八難”と呼ばれる人生における災いを、皆で分かち、請け負い、祓い合って、小さくしていく、という意味があるのだとか。

 普段陽気なハジメちゃんがこの神事について説明するときは至って神妙な面持ちで、その表情は私がその神事のありがたみと、信者の崇高な信仰心を感じるのに十分効果的なのでした。


 この神事に必ず現れる商工会のお偉いさんが、「ダイモクさん」と懇意なのだとか。ハジメちゃんの作戦は、とにかくまずはこの神事に参加して、お偉いさんとお近づきになり、そこから「ダイモクさん」を紹介してもらおうというものでした。

 連絡先を教えてもらうだとか、お宅を訪問するとかでなく、人を介して辿り着くというところが、いかにもアナログなハジメちゃんの作戦ではありましたが、それだけにやけに説得力もありました。

 そして、その「ダイモクさん」なる人物もまた、ハジメちゃんと同じく、一癖も二癖もある人物なのであろうと、想像に難くないのでした。


 そんなわけでまず私は、北口の神明宮に乗り込むことになりました。ハジメちゃんは何度もこの「八菓子替え」に参加しているようで、そこでの作法にも精通していました。持参するお菓子は決して高級である必要は無いのですが、それでも何を持ってくるかでセンスを問われる部分はあるようです。飴玉だとしても、そこいら辺で簡単に手に入るものより、最近見かけない懐かしいものや、容易には手に入らない貴重なものなど、それを得るのに、そこそこ手間暇をかけていることがわかるものが良いのだそうな。ちなみにハジメちゃんは以前、一口サイズの干し柿を持参して、とても好評だったとしたり顔でした。


 この持参菓子に関しても、やはり仲間思いのハジメちゃんはとっておきの策まで私に与えてくれました。

線路の北側ではありますが、中立地帯内にある、どら焼きの老舗があります。

 そこはとても有名なお店なので、南の人間でも知っていますし、私でも2度ほど、そこでどら焼きを買ったことがありました。

 ここのどら焼きの魅力はとにかくアンコ。量が格別で、手にすると、まるでパチンコ玉でも詰まっているかの重みを感じます。しかし決して甘すぎず、上品な小豆の香ばしさが前に来る、絶妙な練り具合のアンコなのです。

 ハジメちゃんは、その店で、朝一番で並ばないと手に入らない、隠れた名品があるのだと教えてくれました。それを持っていけば間違いなく、北の神事を尊ぶ仲間として受け入れられると言うのです。そこまで言うのならと、ハジメちゃんに従い、10月8日の神事のある日の朝、6時前に店の前で待ち合わせをすることにしました。


 6時前というのが気になっていたのですが、やはり思っていたとおり、店は10時に開くようで、行ってみるともちろんシャッターが閉まったままでした。少し遅れてハジメちゃんが到着したので、私は今日はやっていないようだ、と報告すると、ハジメちゃんは楽しそうに笑いながら、裏手に回ろうと、さっさと路地に入っていってしまいました。私はとりあえずハジメちゃんについていき、どういうことなのか自分なりに考えてみましたが、どうにも納得いく答えは出てきません。

 しかし、店の裏に回ると、そこにはおそらく私と同じ目的であろう人が、既に数人並んでおり、思い思いに新聞を読んだり、携帯をいじったりしていました。

 ハジメちゃんは行列の人数を数えて「なんとか間に合った」とだけ私に伝えました。きっとこれ以上並んでいたら、私の取り分は無くなっていたということなのでしょう。

 しかし、なんで開店前のお店の裏に並ぶのか?ここから開店まで並び続けるつもりなのか?私の疑問は解決しないまま、数分間、秋の朝の冷たい風にさらされていたのでした。

 程なくすると、店の裏手の扉が開き、職人さんと思しき青年が大きなポリバケツを持って出てきました。そして行列の方向に、「お願いします」と一礼をするのです。それが合図であるかのように自然に、行列の先頭の若いお兄さんが進み出ると、職人の青年はポリバケツをお兄さんに差し出したのでした。何をしているのか全くわからず、私が怪訝そうにその様子を眺めていると、ハジメちゃんはまたも楽しそうに、「ダメカワだよ」と教えてくれました。


 このどら焼き屋は、アンコはもちろん皮も店で作っていて、開店の数時間前から、職人さん達がその仕込みをしていると言います。昔ながらの手作りなので、腕のいい職人がほとんどなのですが、もちろん、若い修行中の職人だって働いています。そんな若い職人さんが練習用に焼いてみたどら焼きの皮、焼いてみたはいいけど、店に出すレベルではない失敗作「ダメカワ」が、毎朝たくさん出てしまうわけです。

 毎朝、この店の裏には、若い職人さんたちが自分の失敗作を捨てに出てきます。そこを捕まえて、その「ダメカワ」を頂こうというのがこの行列の面々だったのです。元々捨てようとしていたものなので、もちろん無料。 

 しかも若い職人からすれば、自分の失敗作を食べてくれるありがたいモニターたちです。それはそれは丁寧に、恭しく接してくれるわけです。

 先頭のお兄さんはポリバケツから一枚取った「ダメカワ」を一口食べると、

「うん。表面を焼く温度が高すぎるかな。内側に熱を通したいからでしょうけど、もう少し低温で時間をかけて焼かないと、焦げ臭さが残ってしまいます」

と、スマホを片手に見ながら、さらっと言ってのけるのでした。言われた職人の方は、言われたことをメモに取り、「ありがとうございました」と深々と頭を下げるのです。

 「ああやってここの職人さんたちは成長していくんだよ」ハジメちゃんが私にだけ聞こえるくらいの小声で教えてくれました。

 次々と行列が職人さんの前に進み、同じように、若い職人さんにアドバイスや激励を浴びせていきます。私の前に並んでいたご婦人は満足そうに、

「大分腕を上げましたね、でももうひと息ですよ、がんばってくださいね」

と、優しく職人を励ましていました。職人はまたも深々と頭を下げるのでした。

 そしてついに私の番が来ました。前の人たちのやるとおり、私もバケツの中を覗くと、驚くほどたくさんのどら焼きの皮が入っています。「一つ取って食べてみて」とハジメちゃんがせかしてくるので、私は、一番上の辺りの、取りやすいところから一枚をつまみ上げ、それを口に運んでみました。

どうしたことでしょう。この「ダメカワ」、美味しいのです。私が取った一枚がたまたま美味しいものだったのでしょうか?先ほどまでの人たちがいったい何にケチをつけていたのか、全く検討もつかないほど、その皮は甘みもやわらかさも、少し潤いがあって、奥行きを感じるの深みも完璧なのでした。

 ハジメちゃんも私の後から手を伸ばし、ポリバケツの一枚を拾い上げ、そのままパクッと口に入れ、もぐもぐと味わいだしました。そして職人さんに向かって、

「なるほど、はちみつが少し多かったのかもしれない。撹拌が雑で甘みにムラが出来ているからもう少し丁寧に」

 いったいどの口からそんなコメントが出てくるのか私は目を、耳を疑いましたが、間違いなくそれはハジメちゃんなのでした。そして、「あ、神明宮の菓子替えです」と付け加えると、職人さんはさらに恭しい態度で、「お包みします」と、ポリバケツの中の「ダメカワ」から、特に色形のいいものを8枚選んで、販売用と同じお店の紙袋に丁寧に包んでくれたのでした。

 神明宮の名前を出すと、並んでいた他の人たちも「おお」と一目置く感嘆を漏らし、私とハジメちゃんはこの店の裏で、すっかり注目の的になったのでした。


 解決していない、いろいろな謎はありましたが、しかし、一つ合点がいったのは、このお持たせが、確実に人よりセンスのいい、手間暇かけて手に入れたものだということです。

 そして、細かいことはともかく、素人が少しだけ食べる分には十分過ぎるくらい、美味しいものなのだということです。


 とびきりの武器を手に入れて、私はその足で、いよいよ秋晴れの神明宮に出陣することになりました。


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