17.阿佐ヶ谷著聞集
快晴の冬空が街々に放射冷却をもたらして、痛いほどに青く透き通った空気が耳たぶを通過する朝、静かな住宅地を抜けて、私は阿佐ヶ谷の南、大宮八幡神社に続く森の道を進んでいました。
この日ついに、私たちが数ヶ月を費やして、ようやく完成にこぎ着けた、舞台映像の自動撮影、自動編集、自動配信システム『New大神楽』の最終動作確認、兼、お披露目の会が、大宮八幡の境内にある神楽殿にて行われることになったからです。
神楽殿で、まずは奉納演劇を上演します。その公演を5台のカメラで自動撮影し、さらに自動で編集したものをそのまま配信までする。
その完成形を、別の場所のモニターで確認してもらうことで、実用可能であることをアピールし、営業につなげていくための、とても重要なイベントなのでした。
そこまでに何度も実験を重ねてきましたが、この日はその集大成の日だったので、我々関係者にとってはとても緊張感のある大切な日でした。
しかし、私はもう、どちらかと言えば晴れがましくも楽しみでしかなく、これまでみんなで力を合わせて作り上げてきた作品を、早く大勢の人に見せびらかしたい子供のような気持ちでいっぱいだったのです。
森を抜けて八幡神社が見えてきた頃には、歩く速度がいつもより速かったせいか、体が熱くなっていて、マフラーを外してた程でした。
この機会を与えてくれたのは、まずは大宮のお殿様と八幡神社の関係者の方々、そして編集システムを開発するために惜しみなく才能を貸してくれた「阿佐ヶ谷演出家会議」のメンバー、資金面や政治家への根回しに尽力してくれたアーケードの上の天井界にいるかりんちゃん、そして善福寺川のタヌキ連の皆さんでした。他にもたくさんの人達がそれぞれの思いで携わってくれていましたが、誰一人欠けても実現しなかったこの日なのでした。
奉納する芝居は『ハムレット』にしました。シェイクスピア悲劇の中でも特に人気のある作品ですが、これをあえて日本の時代劇風にリライトしてくれたのが「阿佐ヶ谷演出家会議」メンバーのコント作家、澤田さん。そして演出は同じくメンバーのモネくんが引き受けてくれ、出演者もモネくんの劇団の皆がやってくれることになりました。
“奉納”なんて言葉に最初は緊張していた面々でしたが、結局稽古期間に入れば、各々の美学を貫き通すことになり、それこそ神仏への敬意だ、と言わんばかりに、それはそれは好き勝手に想像力を散らかしてくれたのでした。
システムの動作確認のためのイベントなので、本来、芝居自体はそこまで凝った演出にする必要もないのですが、クリエイターという人間の性なのでしょう、適当にはできないのです。
お披露目とは言え、やはり一つの公演なので、芝居の制作進行も重要で、これは私が仕切りました。また広告宣伝には漫画家のハジメちゃんやアニメーターのあいりんが積極的に動いてくれました。彼らの類い希な宣伝センスのおかげで、キャパ70人ほどの神楽殿は、100人を越すお客様でごった返すことになりました。そんな客席の中には、八幡神社の門番のとおるくんや馬小屋の巫女、キョウコちゃんの顔もありました。最前列のど真ん中には威風堂々と阿佐ヶ谷南口商工会のドン、白猫のぶーやんが鎮座しており、神楽殿でもその存在感は圧倒的なのでした。
開演の5分前、私は前説として、お客様の前に立つことになっていました。今回の奉納公演に至った経緯を説明するのが主な役目でしたが、そもそも説明するまでもなく、お客様のほとんどは、この会の趣旨を心得てやってきている人ばかりでした。それでももう一度、私はなるべく丁寧に、この動画配信システムの必要性、これにより、舞台芸術がより価値を高めて、それに携わる人達が、また、劇場街である阿佐ヶ谷が、文化的にも経済的にも大きく飛躍すること請け合いであることを、念入りに説いた上で、壮大な計画に参画し、記念すべき本日に足を運んでくれた皆様へ、改めて感謝の気持ちも伝えたのでした。
私が多少熱っぽく、とりとめの無い前説を終えると、会場は割れんばかりの拍手に包まれました。ハッとして、我に返った私は、楽しそうな客席の皆さんを見て、自分が如何に幸せ者かをもう一度噛みしめることが出来たのでした。
そして、いよいよ本番がスタートしました。“日本版”『ハムレット』は、設定として、かつて、この大宮八幡のある場所に実在した「成宗城」を舞台にしていました。
物語は、城の門番が、謎の死を遂げた先代の城主の亡霊を目撃するところから始まります。慌ててそのことを、前城主の息子“ハルト”に伝えると、彼はすぐにその亡霊に会いに出向き、父親の亡霊により、自分を殺したのが叔父で、現城主に座った“クロダ”であることを知るのです。ハルトは叔父への復讐を誓い、綿密な計画を立てます。
クロダにそのことを悟られまいと、愚者を演じ、しかし虎視眈々と復讐の機会を待つのです。
稽古期間は充分ではなかったのですが、さすがはモネくんの演出に慣れている劇団員たち、独特の早口な台詞回しを難なくこなし、加えて、派手な音響と照明によるハイテンポな展開に、観客たちはいつの間にかその世界感に巻き込まれていくのでした。
脚本を担当した澤田さんは、得意ジャンルがコメディなので、この名作悲劇にも“笑い”の要素をふんだんに詰め込んでいました。
旅芸人の一座を城に招き入れ、ハルトがその演目を演出するシーンでは、いつのまにやらハルトが笑いに厳しい先輩芸人のようになっており、ボケてはツッコミを繰り返すのです。知らないうちに爆笑シーンが完成しているのでした。ところが、笑いに隠れて、そのシーンで描かれていた出来事が、ちゃんと伏線になっており、いつの間にか、実の兄を殺した現城主の悪事を聴衆にバラしていく構成になっているのは、プロの仕事としてお見事でした。
さて、こんな感じで芝居が順調に中盤を過ぎた頃、私は客席を出て、別の場所に移動しました。繰り返しますが、この日の公演は動画配信のための実験でもあります。実験の方が順調に進行しているのかこそ、この日の最重要課題なのです。
神楽殿の向かいにある本殿の地下に行くと、そこには全く別の緊張感が漂っていました。神楽殿の奉納公演をじっと見据えている5台のカメラは、各々が撮影した映像をすぐ様この部屋のメインコンピューターに送ります。5種類の映像から最も良いカットが自動的にセレクトされて、つまり編集されて、一つの映像作品が作られていくのです。ここにはプログラマーの高橋さんの技と、大宮八幡お抱えのシステムエンジニアたちの高度な知識が活かされています。役者にはそれぞれナンバリングされた磁気チップが付けられており、カメラはその磁気に反応して、役者の顔をアップにしたり、動きを追ったりします。番号には予め、優先順位、つまり全上演時間に於て、どのくらいのパーセンテージでその人をアップにするか、を登録してあり、主役は舞台上のどこにいても、平均的にアップにされる回数が多かったり、端役だとあまり映らなかったりというバランスを取れるようにしました。この方法で出来た作品をいくつもAIに覚えさせているので、AIの中に、あるパターンが確立されており、それに従って、自動編集が進められるのです。
ここまでプログラムされていても、やはりその仕上がりが“良い“ものになっているか?の判断は人間にしか出来ず、その部分は映画監督の太田さんが目を光らせてくれていました。出来上がりを見て、ちゃんと気持ちのいい編集、さらに作家の意図を反映した編集になっているかをチェックして、万が一違っていたら、すぐに修正をかけることもできるのです。
この日までに何度も同じことをやってきた太田さんでしたが、それでも何か間違いが起こりはしないかと、一瞬も目をそらさずに画面に張り付いていました。
ご苦労様、と、私が声をかけても太田さんは「ん」と言うだけでこちらをちらりとも見ません。そんな職人気質なところがまた、この人を信頼出来るところなのでした。
脇にいた同じく映画監督のさりちゃんは比較的リラックスした笑顔で「順調ですよ」と教えてくれました。さりちゃんが笑顔であることで、改めて私も安心し、今回の実験が、お披露目が、上手くいっていることを確信したのでした。
私はさらにもう一カ所、『ハムレット』が終演する前に行かなくてはいけない場所がありました。
神社から少し離れた森の中にある掘っ立て小屋に小走りで向かいました。到着すると、引き戸を静かに開けて、控えめに「入ります」と声をかけます。掘りごたつを囲んで、数匹のタヌキたちがモニター画面に釘付けになっており、PCを操作しているかりんちゃんだけがこちらを振り返って、親指を上に向けたサインを見せてくれました。
どうやら少し離れたこの小屋に、無事に編集された動画が配信されているようで、理屈で言えば、世界各国、どこへでもおなじ映像が見れていることがわかりました。
今、上演されている舞台が、瞬時に編集され、遠く離れたところにそのまま配信されている。これが『New 大神楽』の最大の特徴なのです。
実験は見事に成功で、資金面で協力してくれたタヌキたちに、充分な結果を見せることが出来たのでした。
美学の教授をしているタヌキがこそっと、私にだけ聞こえるくらいの声で、「いいものを作りましたね」と微笑んでくれました。
配信の成功を確認できたので、私はまた大急ぎで神楽殿に戻り、ラストシーンであるハルトとクロダの対決シーンに間に合いました。
無数の色の照明が明滅する中、二人の武士は激しく刀を振り回し、舞踏のようでありながら、肉迫する殺し合いであることが伝わる素晴しい殺陣、そして稲光と雷鳴が轟いた後に、一瞬時間が止まったように、白いサスペンションライトの中で固まる両人。ハルトの剣が確実にクロダの心臓を貫いており、ここに先代城主の復讐が完了するのです。
しかし、振り返って立ち上がったハルトの胸にも短剣が突き刺さっており、数歩だけ進んだ果てに、重力に任せて倒れ込むハルト。
全ての観客が、この物語が、決して勧善懲悪ではなく、悲劇なのだと思い出した瞬間でした。愛しいハルトを失った娘、オフリが、悲しく花の名前の数え歌を歌う中、舞台中に色とりどりの花びらが舞い降ってきて、芝居は大団円を迎えるのでした。
ここら辺は原作とはずいぶん違う結末でしたが、どこか日本的で、また桜の名所でもある大宮八幡には相応しいラストでもありました。
暗転し、音楽がグンと音量を上げ、次に明転したときにはキャストがズラリと横一列に並んでいました。カーテンコールに客席が総立ちで拍手を投げ、奉納公演も実験同様、大成功に終わったのでした。
成功の報告は、そのまま注文へとつながり、阿佐ヶ谷界隈の劇場やホールにはこのシステムの導入が決まり、また別の地域にもこのシステムを伝えるための営業部隊が、かりんちゃんによって組織されました。しっかり資金回収の流れまで作るところが、いかにもプロで、もはや私が何か口を挟む次元ではなく、まったくこの人たちのビジネスセンスには脱帽しかないのでした。
さて、数日後、阿佐ヶ谷の、唐揚げの美味しい居酒屋で、ハジメちゃんと二人で麦焼酎のお湯割を飲みながら何の生産性もない話をしているときでした。
ハジメちゃんが突然、でも、そう言うことに決めていた声量で、
「次はさ、オレの企画にも乗ってくださいよ」
と言うのです。
ハジメちゃんにはさんざんお世話になったので、何かしらご恩返しをしなくてはと思っていたので、彼の方から協力の要請があるならば、もちろん助力は惜しまないつもりでした。
「区役所の屋上にヘリポートがあるのは知ってるよね?あそこからロケット飛ばさない?」
びっくりするほど真顔で言うハジメちゃんに、最初は私も笑いをこらえるのに必死でしたが、ハジメちゃんは少しも真顔を崩さず、「アロマ望遠鏡が捉えた小惑星からサンプルリターンしたらすごいことじゃん?」
お湯割りの温度に当てられたのか、この夜、私はまんまと、ハジメちゃんのロケット打ち上げ計画のプロジェクトリーダーに任命され、太陽系が出来た理由を探ることになるのでした。
夜な夜な、阿佐ヶ谷のどこかの居酒屋で、宇宙とか、未来とか、恐竜とか、地下組織だとか、前衛芸術だとか、現世では不真面目だと扱われる様々な計画が企てられています。
そして、そんな計画の多くが、どういう訳か実現され、成功していくのです。
阿佐ヶ谷がどんな街かと聞かれれば、何となく、そんな街なのです。