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不思議の街の阿佐ヶ谷  作者: 凪沢渋次
14/17

14.阿佐ヶ谷胸算用

 駅前ロータリーの杉の木に無数の電飾が施され、クリスマスツリーへと衣替えを完了していました。

 都会の喧噪からは忘れ去られたように静かなこの街にも、忍び足で年末が近づいているのです。

 コートに身を包んだ人々は皆足早で、その軽運動をもって体温を上昇させないと死んでしまうかの厳しい表情をしています。一方で、交番のお巡りさんたちは厚手のジャンパーを羽織って、ホットコーヒーを飲みながら談笑しており、どうやら阿佐ヶ谷は本日も平和なようです。

 アスファルトとコンクリート、ビルとガードレール、上着やバス停のひさしなど、それぞれが派手さを抑えた色を重ね合わせているせいで、カフェから見下ろせるロータリーの周囲は、クリスマスツリーを擁しているにもかかわらず、灰色の世界が広がっていました。


 そんな冬の日、アーケード商店街の先にある小さな劇場では、外気をモノともしない熱い戦士たちでごった返していました。その戦士たちの戦闘服は、スーツであったり、白衣であったり、学生服であったり、中にはライオンの着ぐるみや裸同然の者もいます。入り口にはその日の演目を張り出す立て看板が置かれているのですが、その日、立て看板には『コント1000本ノック』とのタイトルが輝いていたのでした。


 この企画は、コント作家で、阿佐ヶ谷演出家会議のメンバーでもある澤田さんの発案でスタートしました。


 大宮八幡で、最新型のPCに流れる高水準の動画を見せられ、一度は完全に戦意喪失した私でしたが、もう一度想像力を立ち上げて、カメラワークなど、演出に関しては、まだやれることがあるのではと、大見得を切って帰ってきたのでした。大宮のお殿様は、寛大な心でそのわがままを認めてくださり、私に新たな挑戦の機会をお与えくださったのでした。

 殿の考えた、台詞を吐く者を自動でカメラが追うシステムは、とても画期的で、如何にも理にかなった、構造主義的に見やすくなる演出方法にも思えましたが、もう一段階上の編集をめざすには、台詞本意ではダメなのではないか、もっと根本的な演出のノウハウを取り込まなくてはいけないのだと感じたのでした。

 森から帰ってきて、私はすぐに演出家会議を招集しました。メンバーに、大宮八幡での出来事を逐一語って聞かせ、我々に与えられた新たな課題を提議しました。

 私より、センスも経験もある会議メンバーのこと、すぐに、いくつかのアイディアが出されて、中でもグラフィックデザイナーの高橋さんが出した「AIの搭載」は、現代的でありながら、物作りをする人間にとっても、至極納得のいく発想なのでした。

 「AIに演出を覚えさせるんだよ」

 高橋さんの考えはこうでした。

 まず、ある舞台公演を、上手、下手、上から下からなど、複数台のカメラでいろいろな角度から撮影し、その映像を、すべて機械に取り込みます。次に、それらを編集して一つの公演映像作品を作り、それもPCに覚えさせます。この作業により、こういう“素材”を使って、こういう“完成品”に仕上げた、というロジックを読み込ませるのです。

 こういう例をたくさん覚えさせることによって、“普遍的な”かっこいい編集の“公式”ができるのではないか?という発想なのです。

 専門家ではないにしろ、そういった作業がAIの得意ジャンルであることは皆理解していましたし、ただ機械的に処理するよりは、学習機能を利用する点で、クリエイターにも納得のいく発想なのです。

 「どのくらいのサンプルが必要なの?」

 照明家のゴマさんが珍しく身を乗り出して尋ねると、

 「まあ、少なくても1万でしょうね」

 簡単なことのように高橋さんは言うのでした。


 AIを使うということは誰も反対はしませんでしたが、実際問題として次に出てくるのは当然このサンプル集めの問題でした。

 これから1万本の芝居を撮影して、それを理想的に編集したものをAIに取り込む。具体的ではありませんが、相当に大変な作業であることは誰もがすぐに想像出来ました。

 お殿様には1ヶ月の猶予をもらっています。1ヶ月の間にそれだけの分量の作業ができるものなのか、まずは何から手をつけたらいいか、この段階では全く検討もつかず、雲つかむようなアイディアでした。

 そんなときに、澤田さんから思いがけない提案が出たのです。

 「コントならどうでしょう?」

 「コント?」

 その場の全員が、最初はクエスチョンマークしか思い浮かべることができませんでした。舞台公演の一つとして、「コント」があることはもちろんわかっています、しかし、それがこの時間的、量的問題の解決策になるのか、全くイメージできなかったからです。

 この疑問に関しては、すぐに澤田さんが解決してくれました。

 「1万本の芝居は無理でしょう。でもコントの1万ネタならすぐ集まりますよ」

 芝居は一本で1時間半以上はあります。これを1万本用意して編集するとなると単純に計算しても、撮影だけで1万5000時間かかります。しかし、コントは1本せいぜい10分足らず、撮影、編集にかかる時間も当然短縮出来ます。

 「1万って数はパターンの数ですよね?コントだっていろんなパターンがあるから、編集のサンプルとしてAIに取り込みやすいんじゃないかなって」

 確かに、編集のパターンを覚えさせるのに、長い作品を覚えさせる必要なないのです。短い映像で、こういうシーンのときにはこのように編集する、というロジックをいくつも覚えさせた方が、最終的な公式を構築しやすいのかも知れません。

 高橋さんも深く頷きながら、同意をしてくれました。

 あくまで机上論なので、何の勝算もないのですが、理屈には合っている考え方でした。

 そしてさらに澤田さんのすごいところは、実際に、たくさんのコント芸人と繋がっているところです。

たくさんのコントネタを集めたいと思ったら、どうアプローチしたらいいか、それもちゃんとイメージ出来ているのです。

 「一人につき、おいくらくらいお支払いしたらいいものでしょう?」

 私は一応、会計も担当しているので無粋だとは思いながらもそんなことを聞くと、

 「お金は使い方ですよ」

 と、澤田さんは笑いながらある企画について語り出したのです。

 それが『コント1000本ノック』でした。


 まず、都内数カ所で朝から晩までコントをやるイベントを開催します。現代の日本において、潜在的な芸人、コメディアンの数は計り知れません。大きな賞レースへの応募総数は年々増えていることからもそれはわかります。

 澤田さん曰く、彼らにとって大事なのは、ギャラではなく、“名誉”と“シンデレラストーリー”だというのです。

 このイベントの参加者は必ず10分以内の作品を1本以上持ってくることにします。そしてそのネタを動画撮影することは事前に告知しておきます。撮影した動画はこちらで編集してからネット配信します。そして、その後、公式サイトにて、もっとも視聴回数が多かった人に、賞金として100万円を贈呈する、という賞レースの要素を付帯すると言うのです。

 参加者は自分らのネタを動画配信してもらえて、拡散力を得られる、私たちにとっては、たくさんのサンプルが採れる、参加者にも我々にもどっちにも都合がいいイベントなのです。その場で澤田さんが試算してくれたところでは、このイベントを都内と首都圏数カ所で同時に開催し、また、一組で何本のネタをやってもいいルールにすることで、1万ネタは比較的短時間で集めることが可能だろうとのこと。これはコント芸人の性質や実状をわかっている澤田さんだからこそ出せた発想でした。

 さて、次の問題は、仮にたくさんサンプルが確保出来たとして、今度はその膨大な素材をどう編集していくかです。

 これに関しては漫画家のハジメちゃんがさらりと言った一言がヒントになりました。

 「大宮八幡のPCは使えないの?」

 大宮八幡の本殿にずらりと並んだ最新型のPCはかなりのハイスペックで、確かに動画編集には最適に見えました。

 あの部屋に編集できる人を集まれば、多くの素材も一気に片付くかも知れません。編集が出来る人材は、映画監督の太田さんやサリちゃん、アニメーターのあいりんがかき集めてくれることになりました。私は、本殿のPCの使用について大宮八幡に連絡を入れて、すぐに協力を得ることに成功しました。

 イベント会場を押さえるのは澤田さんとハジメちゃん、そして天上界のかりんちゃんにもお願いしました。

 さらにこのイベント自体の告知宣伝に関しては、かりんちゃんを経由して善福寺川のタヌキ連にも動いてもらうことになり、比較的早く広く、たくさんの人にこのイベントの情報を拡散することが出来ました。

 大宮八幡でのお殿様との謁見から約1週間で、ここまでのことが一気に進み、それは本当に全員の力と、この企画に対する愛が無ければ実現しないことでした。“阿佐ヶ谷の魔法”としか言いようのない、驚愕の進行なのでした。


 そして冬のある日、都内と神奈川、埼玉に合計100カ所の会場を押さえ、各会場にそれぞれ5台のカメラを配置することができました。

 撮影した全映像は、すぐに大宮八幡本殿のPCに送られるようにセッティングされ、その点に関しては、大宮八幡の“じい”さんが大いに協力してくれました。

 本殿のPCルームには我々で集めた編集マン以外に、大宮八幡側のエンジニアも待機していてくれて、送られてきた動画材料を次々と編集していく体制が整いました。

 完成した動画はさらに別のPCを使ってAIに取り込まれ、「この材料を使ってこういう作品になった」という例をどんどん学習させていくのです。

 準備は整いました。あとは本当に、目論見通りにたくさんのコントが集まるのかどうかだけでした。


 イベント当日の朝、会場の一つ、阿佐ヶ谷の小劇場の受付で、私は不安を抱えたまま参加者を待ち構えていました。

 劇場オープンは午前10時に設定していましたが、その前から、数人の芸人らしき面々が付近をうろついていました。しかし、潜在的なコント師の総数から思い浮かべる人数とはほど遠く、とても、たくさんの参加者が集まるような気配はありませんでした。

 多くのコント芸人が集まり、たくさんのコントネタが集まらなくては、この計画自体は失敗に終わり、殿から課せられた期限内に私の主張する編集システムに辿り着くことが難しくなります。

 午前10時を迎え、入り口を開けると、4組の参加者が入場してきました。受付を開始して、この企画の趣旨を書いた書面を渡し、さっそくコントの準備に入ってもらいました。

 この準備の時間というのも、澤田さんはよくわかっていて、支度に時間をかけると撮影時間を圧迫するので、参加者には事前にある程度の準備をしてから入場するように、告知の段階から徹底していました。そのため、朝から受けつけた4組は各々、明らかに普段着ではないかっこうで会場に入ってきました。女装している男性、ナースと医者、囚人と看守など、衣装のまま、真顔で受付表に向かっている姿はそれ自体がかなりシュールなコントなのでした。

 10時半にはすでに、最初の4組の受付は終了していて、撮影もスタートすることができました。最初の若者2人組は緊張した面もちではありましたが、とびきりのテンション芸で、いきなり3本もネタを持ってきましたが、それぞれが短いものだったので、撮影時間が押すことはありませんでした。終わった後も「またネタを思いついたら今日中にもう一回来ます!」とやる気を見せてくれました。

 11時を回ったころには、4組とも撮影終了し、会場もその付近も、元の静かな阿佐ヶ谷に戻ってしまいました。このペースだと当初の目標のサンプル数には全く届きません。

 告知が弱かったのか、そもそもそんなに魅力的なイベントではなかったのかと、問題点の洗い出しと反省を他のスタッフたちと始めていたとき、劇場の並びの総菜屋さんの奥さんが私のところ来て、かりんちゃんからの情報を伝えてくれました。赤い折り紙で折られた飛行機を開くと、「中央線運転再開」との文字が。慌てて調べると、この日、JR中央線は朝から停電で、止まっていたようなのです。

 これも阿佐ヶ谷の住人の特徴の一つなのです。中央線はとにかくよく遅れ、止まります。人身事故、信号機故障、送電線火災など、理由はいろいろですが、10分、20分の遅延はもちろん、1時間ほど全く動かなくなることもざらにあるのです。そのため、阿佐ヶ谷住人はいちいちそんなことを話題にもしません。交通情報を確認するってことも基本的にしないのです。そう言えば朝から参加してくれた4組はこの辺の住所だったので、電車を使わないで到着できた人だったのでしょう。中央線を使って阿佐ヶ谷に向かっていた参加者たちは、かわいそうに、オレンジや黄色の車両の閉じ込められていた可能性があるわけです。

 そうなると、少し希望が出てきました、改めて受付体制を整えて、駅の方向を注視していました。

 少し経ったときです。アーケードの向こうから、つまり駅の方向からかすかな振動を伴い、轟音が響いてきました。「運転再開」された中央線が阿佐ヶ谷駅に到着すると、この劇場を目指して、閉じ込められていた参加者たちが一気にアーケードになだれ込んだのです。穏やかな商店街はたちまち騒然となりました。

轟音の次に見えてきたのは、マントを翻したドラキュラを先頭に、原始人、軍人、相撲取り、スーパーマンなど、ありとあらゆるコント衣装を纏った芸人たちでした。

 コント師たちは、アーケードをダッシュで駆け抜け、一目散にこの会場を目指していたのです。アーケードの商店の人たちは唖然としてその光景を眺め、お年寄りの買い物客の中には「走っちゃダメ!」と注意している人もいました。不思議な仮装競争は冬の商店街の景色に溶け込むことなく、違和感だけを撒き散らしていきました。


 そこからは受付も大混乱となり、私も汗をかきながら、必死で参加者の対応をしましたが、とても清々しい気持ちでした。大変さよりも、これだけたくさんの人に参加してもらえたことの嬉しさの方が大きかったのです。

 これは後でわかったことなのですが、他の全会場でも同じような状態だったようで、朝から晩までひっきりなしに、コント師たちが会場を埋め尽くしていたのだそうです。

 彼らはその出で立ちとは裏腹に、皆、真面目で礼儀正しく、各々のネタに自信と誇りを持っていました。

 どのような編集になるのかを気にしている人もいて、どうしてもこのカットは顔を映して欲しい、など、具体的なオーダーを出す人がいた場合は、可能な範囲で承ることにしました。それをすぐさま大宮八幡の編集チームに伝えて反映してもらうのです。その辺の指示系統はハジメちゃんが巧み切り盛りしてくれて、大宮八幡に常駐しながら“じい”さんと二人で、どんどんと編集作業を進めていってくれました。

 私が立ち会った会場だけで、この日90本のコントが撮影され、他の会場でも同程度のテンポで進んだと見えて、一日で合計9000本強のサンプルが集まりました。1万には届かなかったものの、これは大きな収穫で、編集にはもう少し時間がかかりますが、それでも期限内に基本的な自動編集の公式が完成する見込みが立ちました。

 阿佐ヶ谷演出家会議のメンバー、かりんちゃんやタヌキ連、そして大宮八幡の皆さんの力があったからこそ出来た一大プロジェクトでした。


 動画配信システムのためのイベントではありましたが、そもそもたくさんのコントが見れて、私にとって、とても愉快で楽しい一日でした。こういったイベントを今後も永続的に開催することで、さらにサンプルを増やしたり、今度は自動編集の実験材料にしてみたりと、いろいろと活用できそうにも感じるのです。

 もしかしたら、阿佐ヶ谷のアーケードを仮装した芸人が疾走する光景が、いつの日にか街の風物詩になるかも知れません。お買い物中のご老人から「がんばりなさいよー」と声がかかる日がやってくるような気がしてなりません。

 全てを許容してくれるこの街も、イベント成功の鍵だったんだと思います。

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