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不思議の街の阿佐ヶ谷  作者: 凪沢渋次
13/17

13.続大宮日記

閑静な住宅街、杉並区の一画に、依然として封建制度が残っていたことには驚愕しつつも、どこかそんな気がしていたような、そんなことがあってもおかしくないような、この土地には、物語の温床となる風土があるのです。その肥えた土により、地史に脈々と“不思議”を繁茂させてきたのです。

 しかし、外界である“現実”と、決して絶縁状態では無かったことがつまびらかになり、また新たな“不思議”を演出していたのでした。


 殿への拝謁に成功した弓道場を出て、静寂の中、クネクネと何度も折れる渡り廊下を歩いていくと、遠くからぼちぼち、社会的にも朝が来たことが感じられました。

 森の中にあるこの大宮八幡神社ですが、その森の向こうには、方南通りや井の頭通り、京王帝都井の頭線などが走っています。早朝には感じられなかった人々の生活音や車のエンジン音が、木々のフィルターを通して、大分薄まった状態で、板張りの廊下の上にも辿り着いたのです。

 ふと時計を見るともう午前8時を回っており、現実世界が動き出す時間であることに、私はようやく気がついたのでした。


 どこまで続くのか不安になるほどの長い距離を歩き続け、廊下を踏みしめる自分の足音も気にならなくなっていましたが、いつの間にか私は、この大宮八幡の“本殿”に入っているようでした。

 初詣のときなどに、賽銭箱越しに覗き込んだことがあるくらいなので、本殿という建物について、私は正確なことを何も知らないのですが、これまで通ってきたどの部屋よりも立派で荘厳な造りに対して、動物として“神様”を感じるのでした。

 本殿であることはほぼ間違いないと確信がありましたが、実際には、拝殿らしきところは通らず、階段を少し下りた、半地下のような部分に踏み入れました。

 案内役はやはりトオルくんとキョウコちゃんでしたが、相変わらずトオルくんは無駄口一つ聞かず、キョウコちゃんも歩き疲れたのか、私とおしゃべりするつもりは全くないようでした。

 半地下に入るとすぐに、新しいい草の香りが心地良く漂う、畳敷きの大広間が現れました。

 神社に広間があること自体、別段変わった光景ではありませんでしたが、その部屋には若干の違和感がありました。

 その広間には、たくさんの座卓と座椅子が整然と並べられており、その座卓の上には、神社とは最も縁遠いように思える、最新式のデスクトップコンピューターが置かれているのでした。

 それがざっと見えるところだけでも数十台はあり、仮にこんな部屋が他にもあるとすれば、おそらくこの本殿には、数百台のコンピューターが安置されていることになります。


 間違い探しのような光景を前に、私が言葉を失っていると、

 「阿佐ヶ谷の者」

 と、穏やかな声が背中から聞こえました。

 振りかえると、小柄なキョウコちゃんよりさらに小さい、腰の折れたおじいさんがこちらを見上げていました。

 殿は確か「じいのところへ」と言っていたような気がします。するとこのおじいさんが「じい」なのでしょうか?

 「殿からこちらへお連れするようにと」

 門番のトオルくんは、大切な手紙がしわにならないようにするみたく、おじいさんに丁寧に伝えました。

 「うむ」

 門番の方を見でもなく、私を見上げていたおじいさんでしたが、ゆっくり動き出すと、たくさん並んでいる座卓の一つ、部屋の一番奥の一番後の席を選んで、座布団の上に収まりよく正座で座りました。

 腰の折れた老人ですが、綺麗な着物を綺麗に着こなしており、裃まで着けているので、まさに時代劇のワンシーンのように見えました。しかし、そこに最新型のパソコンがあることで、同時に強烈な違和感も与えているのでした。

 席に着くやいなや、おじいさんは手慣れた様子でPC立ち上げました。老人とは思えない軽やかなタッチでパスワードを打ち込み、次々と必要なアプリケーションを開いて、目的の画面に辿り着くと私を振り返り、

 「見よ」

 と、その画面を見せてくれました。


 私は目を疑いました。

 大きな画面に鮮明な映像が流れているのですが、それは舞台で上演されているシェイクスピア劇の動画なのでした。

 また、おじいさんが別のファイルを開くと、夜の野外で行われている神楽の動画が映し出されました。さらには阿佐ヶ谷の小劇場で行われているお笑いライブ、コメディ要素の強い推理サスペンスの芝居など、次々と舞台を撮影した映像が流れているのでした。

 どの映像も、固定カメラ一本で撮影した記録用映像などではなく、上手にカット割りもされていて、見やすく、わかりやすく、しかもかっこいい作品になっているのです。


 「殿の号令で開発された動画配信システム、『大神楽』である」


 私は、意識がPCに吸い込まれたかのように、画面に釘付けになっていました。素晴しいものに触れた喜びもあったのでしょうが、それを大きく上回る絶望にも似た感情が押し寄せてきたのです。

 私のやりたかったことは、すでにここのお殿様によって完成されていたかに思えたからです。


 アイディアがかぶったことで企画の中止を命じられたと、かりんちゃんに聞いたときには、どうにか共同開発にできないかと、交渉する気でいました。しかし、今、そのクオリティを目の当たりにして、“共同”どころではないこと、また「アイディアがかぶっていた」なんてレベルの話ではないことを思い知らされたのです。ようやく見つけた安くて美味しいイタリアンが、ライバルの行きつけの店だったような、どうにもやるせない、もどかしく、恥ずかしい気持ちが、心臓を容赦なく殴打してくるのでした。


 そこからまた、私は時間を失い、夢中で画面にかぶりつきました。どこかのタイミングでおじいさんは私に席を譲ってくれていたようですが、それが何の映像を見ているときだったかは全く思い出せませんでした。

 PCの前から動かなくなった私を、トオルくんもキョウコちゃんもおじいさんも、黙って見守ってくれていました。私が悲劇の主人公にでも見えているのか、トオルくんは少し涙ぐんでいました。事情を一切わかっていないであろうトオルくんなので、私の醸し出していた絶望だけから、何かしらのストーリーを作り出して、勝手に感動していたのでしょう。つくづくこの門番は善人なのです。

 キョウコちゃんは不思議そうに見ていましたが、それでも決して飽きたり呆れたりはせずに、一緒になって映像を覗き込んでいました。

 おじいさんだけが厳しい顔で私の後頭部を見つめ続けていました。このおじいさんはきっと、私のやりたかったことも、それがとっくにここで完成していることも、さらに、男がそういう局面で、どういう感情になるのかさえも、全てを了解した上で、少しの同情も救いも与えはしないのでした。

 それは“冷酷さ”ではなく“訓示”として私に刺さり、思い上がりや経験不足から来る悔恨をイヤと言うほど浴びせてくるのでした。


 気付けば2時間、私は大広間のPCの虜になっていました。1時間ほど経ったところで、トオルくんとキョウコちゃんは現実世界での仕事があるからと帰っていきました。

 おじいさんだけが同じ姿勢のまま私に付き添い、私が次に何を言うのかを聞くまではそこを動こうとしませんでした。小さな体から強烈な警戒心を発していながら、一方で忠犬のように職務に誠実な様子に、改めてここのお殿様の威光が如何に歴史あるものなのかがうかがい知れました。


 絶望はしていましたが、私は徐々に、この映像システムのファンにもなっていました。あらゆるサイズの劇場のライブ映像がクリアに、魅力的に、上品に編集されており、それがとても簡単に検索出来るようになっているのです。

 興奮が少し落ち着いてくると、今度は私の中に聞きたいことが次々と溢れてきました。おじいさんを振りかえり、

 「編集はどなたがやっているのですか?」

 と、聞くと、

 「自動じゃ」

 「カメラマンも無しで?」

 「撮影、編集、すべて自動じゃ」

 「カメラのズームアップは何を指針にしているのでしょう?」

 「音声じゃ。セリフをしゃべっている役者に寄るようになっている」

 質問はしたものの、全て、私の思ったとおりの答えでした。

 この目の前のシステムは、掘れば掘るほど、私が頭で構築していたものと同じなのでした。

 私では頭で考えることしか出来なかった構想が、ここでは既に動画作品として存在しているのです。


 防犯カメラなどではすでに使われている技術で、カメラの方には自動的に対象にズームする仕組みがあり、そのきっかけを音声センサーにすることで、台詞をしゃべる役者をアップにすることが出来ます。

 編集はプログラムによって、引きのカメラで写す全体画の後に、台詞を話す役者のアップ画にする、という順番で、自動でつなぎ合わせます。これにより、最終的に違和感のない、抑揚のある舞台映像作品が出来上がるのです。

 撮影も編集も人間にやらせると人件費もかかりますが、それらを自動にすることで大きなコストカットになります。資金のない舞台芸術の作家たちには夢のようなシステムなのです。


 「同じです」

 聞きたいことをあらかた聞いた後で、質問以外にやっと絞り出した私の台詞はそれだけでした。

 「殿のお力である」

 おじいさんは、すっかりしぼんだ私をそれ以上に攻めることはしませんでした。初めからこのおじいさんは、私を痛めつけるためにこの映像を見せたのではなかったのでしょう。無駄な説得、交渉で、殿に心労をかけまいとする、家臣として当然の職務だったのです。


 PCの画面で、映像はまだ流れ続けていました。名探偵が巧妙なトリックを暴き、その種明かしをするシーンでした。知らない役者でしたが、朗々と事件のあらましから語り出す長台詞は歌っているかのようで聞き心地がよく、その役者の技術の高さも感じられました。

 何人かの容疑者が、自分こそ真犯人だと主張していたのですが、名探偵は名調子のまま、各々の証言の矛盾を突き、一度はまるで、この場には真犯人がいないかのような展開を見せました。しかし、最後の最後に、名探偵は、逆に、自らが語ったアリバイの矛盾点をも導き出し、見事、一番無害に見えた探偵助手の少女を指さして、

 「つまり、この殺人を犯せたのは、彼女だけなのです!」

 と高らかに宣言したのでした。


 役者も良かったですが、もちろん台本や演出も素晴しく、こんな素晴しい作品なら、舞台で生で見たかったと思いました。

 動画配信の狙いはまさにそこで、動画で見れるから動画でいい、というのではなく、動画を見ることによって、むしろライブに足を向ける人を増やしたい、というのが第一義なのです。

 そういう点でも、このシステムは完璧で、やはり私の構想どおりのものなのでした。


 「もうよいか」

 おじいさんの声は、さっきまでとは違い、怪我人をいたわる優しい音色で発せられました。

 日の光は完全に昼の色に変わっており、障子の白を温かくしていました。まるで障子紙自体が発光しているようで、畳の青までが輝いて見えるのでした。


 「台詞・・・」

 

遠くで鳥のさえずりが聞こえました。最新型パソコンの並ぶ大広間で、私は先ほどの名探偵のシーンを思い返していました。

 「どうした?」

 おじいさんは怪訝に私に問いかけました。

 数秒前の私と明かに表情が違っていたのでしょう。老獪な殿の家臣にも少しの戸惑いが見えました。


 「台詞のない役者は映らないのでしょうか?」


 率直な疑問が浮かんでいたのでした。決して殿のシステムに難癖をつけるつもりはなく、純粋な、それ以上でもそれ以下でもない質問でした。

 しかし、長年の勘なのか、おじいさんにはこれが宣戦布告に感じられたのかも知れません。一瞬で元の厳しいトーンに戻り、

 「殿の『大神楽』に意見する気か!」

 と、鋭い叱責が私にまっすぐ飛んできました。

 「いえ、率直な疑問です!台詞のない役者はアップにならないのでしょうか?」

 音声認識でカメラのズームが反応しているということは、台詞のない人には全くアップが来ないことになります。

 「台詞のない者を取り上げる必要はないであろう!」

 なおも、叱責は続いていました。

 しかし、だんだんと、私が捉えた疑問の輪郭がハッキリしてきたのです。

 「いえ、台詞がない役でも重要な役はあります。他の役者が話しているときに、別の役者の表情を見たいってこともあると思います!」

 勇気でも駆け引きでもありませんでした。

 このときの私は、本当に心からの疑問と主張を、すぐさま吐き出さないといけないという使命感のようなものに突き動かされていたのです。

 重ねて言いますが、そこに殿への不敬や不満は皆無でした。むしろ殿のこの完璧と思われたシステムがあればこそ、新たなアイディアが思い浮かんだのでした。このシステムは必ず通らないといけない道だったのです。そこを誰よりも早く完成させてくれた功績は誰よりも私が認めているはずでした。

 「名探偵の長台詞の間、名探偵しかアップにならないのはむしろ不自然で、名指しされた人の驚く表情や、おびえる演技を見たい人は多いはずです。それがライブを映すってことなのです!」

 映像はわかりやすく、見やすい反面、視点を強制される難点があります。ライブは席によっては見えづらいところがある反面、見たいところを勝手に見られる自由度があります。

 編集の法則をわかりやすくするためには台詞を発している人物を追った方が簡単でしょう、しかし、その台詞を聞いている人の表情のカットが挟まることで、より臨場感のある、多角的な映像になりえるのです。

 「そんなことはわかっておる!」

 おじいさんのその反応もウソでは無かったのでしょう。少しだけ悔しさがにじんでいました。

 いろいろな試行錯誤の結果、音声認識が最良で最適な方法だと結論して、ここに至ったに違いありません。

 しかし、私には、食い込めるところはここしかありませんでした。

 「どうか、その方法を、私に考えさせてもらえませんでしょうか?1週間でもって参ります!」

 何の根拠も、自信もない〆切り設定でした。

 しかし、口をついたその瞬間の私には、何かもう少し具体的なプランが、眉間の20センチ上の辺りに浮遊しているのが見えていたのです。

 「控えよ!」

 おじいさんの緩まない叱責が大広間にこだましたとき、すーっと、私たちの入ってきた襖が開きました。

 瞬時におじいさんはその場に傅き、私も反射で頭を下げていました。

 お殿様が入ってきたのです。

 お殿様は、襖から一歩だけ広間に入り、

 「励め」

 と一言、よく通る低音が私の頭に降りかかりました。


 私は思わず頭を上げ、殿のご尊顔を拝し、そしてお腹の底から

 「ありがとうございます!」

 と、もう一度深く畳に頭をつけたのでした。


 全く、このお殿様は、どこまで大きな人物なのか、どこで誰が、何に悩み、何を思いついたかをすべからく把握し、最高のタイミングで現れて、最短の言葉でそれを支えるのでした。


 殿の許可を得た私に、もはやおじいさんが叱責することはありませんでした。

 この部屋への自由な出入りを認めてくれた他、本殿内揃っている、各ジャンルの高水準の技術者を集めて、私に協力するよう命じてくれました。

 全ての打ち合わせを終えて、本殿を出ると、外はすっかり夕景でした。

 オレンジ色の光は本殿や門をせつなく照らし、玉砂利を踏む音すら後ろ髪を引くリズムを刻んでいるようでした。

 

 すぐに阿佐ヶ谷に戻って、今日ここで起ったことを仲間に伝えなければなりません。

 すぐに皆に招集をかけなくては。

 阿佐ヶ谷の駅前の、白レバーの美味しい焼き鳥屋さんか、ハラミの美味しい赤ワインの店にするか。暗くて肌寒い森の帰り道でしたが、私の足取りは少年のように軽いのでした。


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