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不思議の街の阿佐ヶ谷  作者: 凪沢渋次
11/17

11.丘の細道

 阿佐ヶ谷は、他の街よりも冬が来るのが早いような気がしています。

 この地に長く住むご高齢の住人が多いためか、気温が下がり始めると、駅もアーケードも無彩色の上着が多くなり、それらがとても強い“冬”の印象を押しつけてくるのです。ハロウィンやクリスマスなど、若者向けのイベントですら、他の街で扱うよりも控えめで、やや派手さを落として装飾している感があります。

 その代わり、本当の冬が来たときも、この景色がほとんど変わらず、不思議と一段と下がる気温に気付かずにいられるのです。阿佐ヶ谷はそんな街です。


 「大宮の殿様」

 かりんちゃんの口からこぼれたその言葉は、非現実的で、どこか冗談めいた響きを持ちながらも、どこか腑に落ちる、この土地に馴染んだ、愛着のある言葉として伝わりました。

 我々の計画にストップをかけたという、その「大宮の殿様」に会うべく、私は早朝、シンと冷え切った善福寺川の森に入っていきました。 「大宮」は、阿佐ヶ谷から見ると、この善福寺川を越えた向こう側にあるのです。

 昼間は犬の散歩やランニングをしている人などで、わりかし人の多い森ですが、さすがに早朝にはすれ違う人もなく、どこかで鳴いている鳥や獣の声と、ただただ擦れ合う木々の音、粛々と流れるせせらぎが響くだけでした。季節は秋ですが、朝のこの時間は、光にも影にも、すでに冬の色が染み出していて、頬や手の甲に当たる空気は、すでに鋭利に冷え切っているのでした。

 JRの駅からたかだか30分歩いただけで、こんな景色になるのですから、やはり阿佐ヶ谷は自然と隣り合わせの街だと言えるでしょう。


 森に入って10分ほど歩き、川を渡る木造の橋に出ると、遊歩道がそこだけ少し高くなっていて、今来た道を見下ろせました。木々の枝の隙間や、植え込みの低木の影に、何かしらの気配を感じましたが、少しだけ振り返ってから、すぐに私は、向かうべき方向に向かいました。

 木の橋を渡ると、森は一段と深くなり、ここら辺りから“大宮八幡”の神域に入ります。橋を渡ってすぐのところだけは、木々が少なく、土と小石の多い、広い空間になっており、かつてブランコやシーソーであった骨組みや、その土台となる基礎石のようなものが残されていました。もはや草木と一体化したベンチの側には、それ自体がゴミとなってから大分経つクズカゴが地面に固定されており、枯れたツタに絡まれている様に、この公園が、いったいいつから子供達と疎遠になったのかを思わせました。

 どの鉄道の駅からも遠いこの辺りは、普段から頻繁に出かけなくてはならない人間が住むには適しておらず、現役を引退して余生を楽しんでいるお年寄りや、自宅でのんびり作業ができる職種の人間、あるいは、労働とは無縁の富裕層が、誰にも邪魔されずに静かに暮していくのにぴったりな場所でした。

 そういった環境だからこそ、この公園は、いつの間にか人目に触れない歴史となり、時間をかけてゆっくりと森に飲み込まれていったのだと、いつから置かれているのかわからない、車輪もサドルもない自転車が物語っているのでした。


 公園の端からは、また緩やかな傾斜になり、ここから始まる丘陵の頂上に、目的地である大宮八幡宮があります。

 丘に一歩足を踏み出すと、そこは公園跡とは違い、突然手入れの行き届いた神妙な表情を見せました。丸太でできた階段は、整然としている上に頑丈であり、何より、今、掃き清められたばかりかのように美しいのです。

 深い森の中に、こういった人工的な美しさがあることは、どこか得体の知れない“力”を感じ、その正体が信仰なのか、権力なのかはわかりませんでしたが、私は恐怖心を高めたのでした。


 橋を渡ってこちら側に入り、しばらく歩いた辺りから、実は、進行方向の森の奥から、この場に不釣り合いな金管楽器の音が薄く聞こえていました。丘を進んでいくうちに、音は少しずつ大きくなり、やがてそれが、まだまだ練習中のコルネットだとわかってきました。程なく歩くと、道の脇にあずま屋が見えてきて、音の源はどうやらそこにあるようでした。近づいてみると、あずま屋の中で、上下を小綺麗な黒で統一した短髪の若い男が、コルネットを力いっぱいひっつかみながら、聞いたことのない曲の同じフレーズを、黙々と何度も吹いているのでした。森であること、早朝であること、気温が低いことなど、どの観点から言っても、ここはコルネットの練習に不向きなシチュエーションで、それでも必死に、小さな鉄器に魂を吹き込んでいる姿は、それまで着々と積み上げてきた私の恐怖や緊張感を一蹴してくれるのでした。

 私は思いきって、その彼に声をかけてみました。

 イヤホンの内側にも届くよう、ぐんと彼に近づいて、でも決して体に触れはせず、まずは「おはようございます」と。

 声は届かなかったようですが、気配を感じたのか、彼は慌ててこちらを振りかえると、やや大げさなくらいに驚き、後ずさり、あずま屋の中のベンチにどすんと腰掛ける状態になりました。そして大慌てでイヤホンを外しながら「すみません!」と謝ったのでした。

 おそらく、まだ寝ている人の多いこの時間に、例え森の深部だとは言え、騒音を撒き散らしていたことに、多少の罪悪感があったのでしょう。そして、私がそれを指摘しにやってきた安眠妨害の被害者だと認識したに違いありません。

「いえいえ、驚かせて、こちらこそすみません」

 不思議なもので、驚き、慌てている若い青年を見ることで、私の方はすっかり緊張から解放されていました。さっきまでの冒険者としての心意気はどこへやらで、むしろ歩き慣れた街で道に迷った訪問者を見かけたときくらい、心に余裕ができていたのでした。

「いつもここでコルネットの練習を?」

私は、彼をこれ以上驚かせないよう、なるべくゆっくり、最大限の親しみを込めて、にこやかに質問しました。

「はい、すみません!」

まだ謝る青年は、ベンチから立ち上がり、今度はビシっと直立不動になり、コルネットを自分の背中に隠してしまいました。

「私はこれから大宮八幡に向かう者です、阿佐ヶ谷から来ました」

大分簡略化した自己紹介をすると、私がクレーマーでないことがようやく伝わったようで、

「あ、ああ、そうでしたか!」

とコルネットを吹いていたときの活力が少しずつですが戻ってきました。

「私はここの門番です、ま、門はないんですけど・・・」

と、青年も身の上を語り出しました。

「門番?」

「はい、八幡様の門番です!」

“門番”という職業を蔑視するつもりは毛頭ありませんが、あまりにも聞き慣れないものだったので、ついつい私は怪訝な顔を見せていたことでしょう。

しかし、新たにわかった事実として、つまり、この青年は大宮八幡の関係者だったのです。これは私にとっては願ってもないことでした。

 阿佐ヶ谷の中をウロウロするのとは違い、誰の援助もなく、川の向こうの大宮八幡宮を目指していたのです。そこの関係者から、内情を聞けることは、どんな些細なことでもありがたかったのです。


 私から聞かなくても、青年はどんどんと身の上を語ってくれました。曰く、彼の一家は代々、大宮八幡宮の門番をやっている一族で、とは言っても、もちろんそれだけで家計を支えているのではなく、収入手段は別にありながら、親類縁者の持ち回りで、朝のこの時間、八幡宮に不審者が近づかないよう、丘の道を見張っているのだと言うのです。

 これを聞いて、私は、自分が不審者ではないことを、どこから説明すれば納得が得られるのか、一瞬だけ考えました。しかし、それよりも、この青年をもっと上手に利用できるのではと、小ずるい発想に切り替えたのです。

 この青年は、門を守るという重要な任務がありながら、その職務中に個人的な趣味である、コルネットの練習をしていました。この事実をつかんでいる私は、圧倒的に有利な立場にあると踏んだのです。

「よかったら大宮八幡宮まで案内してもらえませんか?」

小細工無しに、私は、まず、この日の最大の目的地に直通の依頼をしてみました。

「ええ、それは別にかまいませんけど・・・」

拍子抜けするほど、簡単に青年は私の案内人を引き受けてくれました。

 しかし、大宮八幡宮に行くだけでは最終目的達成にはなりません。そこに住まうという“殿様”に会えなくては意味がないのです。今度はもう少し慎重に言葉を選ぶ必要を感じました。

 八幡宮へと進み始めた青年に、いくつか人畜無害な質問を投げかけて、彼がしっかりとガードを下ろしたところを見定めてから、私はついに確信に触れました。

「ちなみに今朝は、“殿様”は何してるんだろう?」

 青年の表情を確かめながら、ゆっくりと、私はその質問を投げてみたのでした。

 青年の表情に明らかな変化があり、そこまで私が積み上げていった小さな信頼は、いともたやすく崩れたかのようでした。

「殿!殿を狙っているのか!」

 先導してくれていたので、青年は私より、丘の斜面の上側にいたのですが、そのまま道を塞ぐ体勢になり、私を一歩も八幡宮に近づけまいとするのがわかりました。ここまでの数分では全く見られなかった、この青年の本気、門番として、職責を全うしようとする、血筋からにじみ出る“強さ”を感じたのでした。右手のコルネットがまるで黄金の短剣のように見えて、私は身の危険すら感じました。

 「殿様」という言葉が、ここまで、この地の人にとって尊く、不可侵のものであることが、神経細胞の単位で感じとれたのでした。

「違います!違いますよ!」

 私は慌てて身の潔白を主張しました。そしてそのためにはやはり、一から自分の目的を話すべきだと考えました。細身の体で大の字を作っていた青年は、ゆっくり腹式呼吸をしながら私をにらみつけていました。

 私はまず、もう一度、先ほどのあずま屋に戻ることを提案しました。“不審者”の可能性を秘めた私が、八幡宮から少しでも遠ざかることに、青年もすぐに同意を示し、二人でもう一度あずま屋に戻り、そこのベンチに収まりました。それでもまだ、青年は疑念の盾を下ろすことはなく、私をあずま屋の奥側の席につけ、自分はしっかりあずま屋の出入り口の方に陣取ったのでした。

 私は再度、どこから話すのが得策かを頭のか中で検証しましたが、結局、本当に最初からゆっくり、真摯に語るしかないと結論しました。

「私には夢があります」

阿佐ヶ谷にはたくさんの舞台芸術、それに携わる人がいて、その人たちを応援することは阿佐ヶ谷にとっても大事なことである、そのために必要な宣伝ツールとして動画配信システムを考えたこと、しかし、実現するためにはかなりの費用や技術が必要で、自分一人ではどうにもならなかったこと、それが善福寺川のタヌキたちに依って可能になり、今まさに動き出していることを、私はなるべくわかりやすく、言葉をテーブルに並べるように説明していきました。

 門番の青年は、一瞬も緊張を解きませんでしたが、それでも、徐々に私の話に関心を示しだしたのがわかりました。特にタヌキ連の話などには深く頷き、その存在の大きさもよく理解していました。そして、ついに“殿様”の話をする段になりました。

「実は、これと同じ考えをお持ちなのが、大宮のお殿様なのです」

 私は、「同じ」の部分と「お殿様」の部分にこれまでにないくらいの敬意と親しみを込めて、そのセリフを吐きました。

「殿が?」

 これには青年も純粋な驚きを感じていたようで、どうやら門番という仕事は、敬虔な殿の僕でありながら、殿の偉業にはそれほど携わっていないと見えました。確かに、「殿」という雅な響きと「動画配信システム」という無機質な単語には、交わりようのない大きな異物感があります。私だってそうでした。

「私も詳しくはわかりませんが、大宮のお殿様はとても多くの産業や、最新の科学にご関心があるようで、動画配信システムに関しても、かなり高度な研究をされているとのことです」

 畏敬の念を少しも絶やさないことで、私はこの青年に、自分自身を売り続けました。

 青年も職責の鎧を着けながらも、根っこにある人の良さが、少しずつ鎧の隙間からはみ出してきているのがわかりました。

 ここから急にまた“殿様”に会わせろ、では、元の緊張状態に戻ってしまうと思われたので、私はさらにこの青年の良心に訴えかけました。

「あなたのお父様も門番なんですよね?その門番のお仕事はどこからの依頼なのでしょう?」

「門番はうちが代々やっていることです。誰かに言われてやっていることではありません」

「門番は何家族もいるのかな?その門番たちの長はいるのかな?」

「門番はうちだけです。うちの仕事なので。でも、馬番や鳥番は別の家がやっています」

「馬番?鳥番?それは馬や鳥の世話をする仕事?」

「そうです。殿のお馬やお鳥のお世話を代々やっている家です。」

「その馬番の方か、鳥番の方を紹介してもらえないでしょうか?もちろん可能であれば」

 薄くはられた氷の上を、割らないように慎重に、下腹部に力を入れて足を出すように、謙虚な質問をいくつも重ねて、私はちょっとずつでも殿様のいる方向に向かおうとしていました。

 門番の青年はどうやら「殿様」という言葉さえ使わなければ、異邦人の私に相当に協力的なようで、どうにかお馬番をやっている同級生の女の子を紹介してもらえる流れになりました。

 しかも、ちょうど今日は、その子が馬小屋の掃除をしている日なんだそうで、すぐにそこへ連れて行ってくれるというのです。

 さっきまで立ちはだかって私を入れまいとしていた八幡宮へ丘の道を、今度はすたすたと上って行き、私はあっという間に大宮八幡の境内に入ることが出来たのでした。


 少しずつ太陽が存在感を増していて、髪の毛の先にほんの少し暖かさが触れた気がしました。この馬小屋が殿様に近いのか、まだ遠いのか、このときの私には全くピンと来ていませんでした。ただ一つ言えることは、この非日常的な緊張感の連続を、このときの私は間違いなく楽しんでいたということです。


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