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不思議の街の阿佐ヶ谷  作者: 凪沢渋次
10/17

10.演出百珍

 阿佐ヶ谷は、幼い頃に読みあさって、本棚の一番隅に置いたままになっている“絵本”のような街です。

その絵本の記憶は、己の血肉になりながら、想いをよせる情景や価値観が何によるものだったかを思い出すことはありません。それどころか、生まれたときから自分の中にあったもののように錯覚しているのです。

 ある日、大掃除の最中に、本棚にその絵本を見つけ、ページを開いたとき、自分の“中の世界”と“外の世界”がリンクし、自然の摂理に潜む神様の暗号を解いたやのカタルシスが全身を駆け巡るのです。

 阿佐ヶ谷での出会いや経験は、そんな絵本との出会いによく似ています。


 阿佐ヶ谷の地区センターの中にある“茶室”で、第一回の「阿佐ヶ谷演出家会議」が始まりました。

 「会議」と言いながら、その内容は、私にとっては全く思いがけない方向に進んで行ったのでした。

 漫画家のハジメちゃんが持参した、ウルトラマンのゴム人形を、如何にかっこよく“魅せる”か?この課題に対し、集まった10人の演出家たちがそれぞれ“才能”を発揮しだしたのです。

 まず、照明家の太田さんが、ハジメちゃんから懐中電灯を取り上げ、「もう少し近づけると、器の影が入ってミステリアスに見えるかも」と、懐中電灯をウルトラマンの入った楽茶碗のギリギリの位置に固定しました。さらに、自分のカバンから“ゼラ”と呼ばれる、光に色をつけるビニールのシートのようなものを出してきて、「ちょっと緊張感を出すなら」と懐中電灯の光を青く染めて見せました。さらに、「薪風呂の、ノスタルジーを出すなら」と、今度は赤味を足して、より炎に近い灯りを作り出しました。ゼラをゆらゆら揺らすことで、炎の揺らめきまで表現してくれて、観ている者の想像力を、なお、かき立てることになりました。

 気がつくと映画監督のゴマさんは、自分のカメラを用意していて、やや低めのアングルからウルトラマンを撮影し、ファインダーを覗きながら「照明が映り込むなー」と、映像作りの観点から照明家にもっともな指摘をしました。太田さんはすぐさま照明の位置を替え、しかも、先ほどよりもいい“当たり”でウルトラマンを輝かせたのでした。

 カメラマンのちゅりちゃんは、ハジメちゃん同様、私の古い飲み仲間でしたが、決して出しゃばらない性格ながら、構図へのこだわりと、被写体の心情を写し出すことにかけて、なかなか頑固なところがあり、大柄のゴマさんを肘で押しのけながら、温かい色の光を浴びたウルトラマンの横顔にレンズを向けていました。たっぷりと、重たそうにシャッターを切ると、「どう?」とデジタルの画面を見せてくれたのですが、そこにはすでに、ゆったりと湯船を楽しみながらも、何か次なる展望について思索にふける男、ウルトラマンの表情が捉えられていたのでした。

 ちゅりちゃんの描いた静止画に、その場の誰もが心を奪われ、そして同時に、各々の美意識と表現欲に、さらに火をつけたのでした。


 動画を回していたのはゴマさんの他にもう一人、ドキュメンタリー監督のサリちゃんで、彼女は自分のスタイルである、スマホを使った撮影で、ウルトラマンの、より日常的な一面を引き出していました。不思議なことに、サリちゃんのスマホの中のウルトラマンは、冗談好きのお調子者で、スマホのこちらにいる我々に、ずっと笑いかけている気がするのでした。

 その画に、音響の宮さんが、懐かしめのフレンチポップを乗せ、ウルトラマンの小粋なプライベートを追ったドキュメンタリーが完成したのでした。

 舞台演出のモネくんは、いつの間にかカラフルな布を何枚か重ねて、床の間の楽茶碗の下に並べ、この浴室が、現実なのか妄想なのかの境を曖昧にしました。

 それを見て漫画家のハジメちゃんは、サラサラっと茹だったタコと温泉猿の絵を描き、アニメーターのあいりんに送ります。あいりんはそれをPCに取り込むと、瞬時にそれらに命を吹き込み、動きをつけました。

 サリちゃんのスマホ動画に、あいりんのアニメーションを重ねる、という作業を、グラフィックデザイナーの高橋さんは、まるで定型の挨拶文でも打つかのように、軽やかに終わらせ、その結果、ウルトラマンはいつの間にか、温泉猿や茹でダコが同居する、異世界の主人公となり、ストーリーに無限の可能性を与えたのでした。


 一方で太田さんと、普段はコントを演出している澤田さんは、あくまで伝統的な手法で「風呂場で今日一日のことを振りかえっているウルトラマン」を演出していました。

 太田さんの綴った映像に、音響の宮さんは、今度はフレンチポップではなく、遠くに流れる渓谷の流れ、竹藪のそよぎ、梟の鳴き声などを、繊細に差し込み、当然のように、湯船から溢れる水の音も加えられて、静かな山間部にあるひなびた温泉街のシーンを完成させました。

 太田さんの切り取ったウルトラマンは、怪獣たちとの闘いに疲れており、しかし、その職務を全うしたことには、確固たる自信と誇りを感じているのでした。

 澤田さんがどこから持ってきたのか、ウルトラマンより2回りは小さい、消しゴムの怪獣を浴槽の縁にひっかけるユーモアを足すと、今度はまるで、ウルトラマンが怪獣の子供と一緒に風呂に入っている画になり、そこには、ウルトラマンが闘いの末に倒した敵怪獣の子を引き取り、今はその子と一緒にひっそり暮らしている、という劇的なバックボーンが現れたのでした。


 このように、その後の約3時間、集まった10人は、それぞれの才能を惜しみなく発揮して、ゴム人形のウルトラマンを使った作品作りに、ただ黙々と、時には議論を交わしながら、どんどん夢中になっていったのでした。

 風呂から上がったウルトラマンは、よくストレッチをしたり、怪獣の子に“高い高い“してあやしたり、床の間の縁に並んで星空を眺めたりと、有意義な時間を過ごしてから、最終的にはカラフルな布団にくるまって眠りについたのでした。


 ここに集まったプロフェッショナルたちのすごいところは、自分のテリトリーに関して、絶対に譲らない強い美学を押し通しながら、他人の領分には決して侵害しない、それどころか、敬意をもってその言い分を採用するところです。このようにして、茶室を借りていた時間ぎりぎりまで、演出家たちは才能をぶつけ合い、良質な作品だけでなく、このチームに職分を作り上げていったのでした。


 茶室を出てもまだ、ウルトラマンのストーリーと離れがたかった我々は、場所をハジメちゃんの行きつけの創作居酒屋へと移し、ビール瓶とウルトラマン、灰皿と闘うウルトラマン、爪楊枝を救うウルトラマンなど、ウルトラマンのさらなる可能性を探りつつ、大いに飲んで語ったのでした。


 ずっとしかめ面だった太田さんが芋焼酎のお湯割りを飲みながら、ボソっと「楽しいなぁ」とこぼしているのが、本当に嬉しくて、私は自分のワイングラスを監督のお湯割りのコップに軽く当てました。

「もっと面白いもの、作りましょう」私はしっかりと映画監督の方を向いていましたが、太田さんは芋焼酎の方を見つめたまま、「おお」とだけ返してきました。その「おお」は、今まで聞いたどの「おお」よりも、希望と期待の込められた、体温のある「おお」でした。

 ピンク色の髪で、本人がアニメキャラのようなアニメーターのあいりんは、お酒も飲まずに、ずっとノートパソコンに向っていて、その容姿からは想像しづらい、正確で精巧で整然とした本日の議事録と今後の計画表を作ってくれました。私がその内容を確認してOKを出すと、やっとリラックスした笑顔になり、その後はハジメちゃんと好きなアニメの話で盛り上がっていました。

 端っこの席でまだウルトラマンをいじっているモネくん、しきりにボケて場を盛り上げている澤田さん、空いたグラスをすぐに集めてテーブルの隅に寄せる高橋さん、寝ているんだか起きているんだかわからない宮さん、ゴマさんとサリちゃんは何やら真剣な顔で芸術論を交わしており、そんな様子を遠くから近くからスチールに収めているちゅりちゃん。

 このチームなら、確実に、私の夢の動画配信システムを成功に導いてくれると、強く確信できた夜でした。


 10月、阿佐ヶ谷のアーケードでは「ジャズストリート」というイベントが開催されます。駅前ロータリーの広場をメインステージとして、他にも阿佐ヶ谷のいろいろな場所で、ジャズマンによる演奏が行われ、街全体に様々な種類のジャズ音楽が流れるのです。JRの駅の発着音まで4ビートであるこの街は、この期間、誰もがちょっと大人な、でも、ちょっと不良の、イタヅラがいつバレるかドキドキしているような気分に満ちており、いつもとは違う表情を見せるのでした。

 私が行きつけの、カウンター席しかない小さなイタリアンでも、このときばかりはと、無理矢理に簡易ステージが設け、かわいそうなピアノトリオを押し込めていました。間近でジャズを聴く機会などなかなかない私は、早い時間からカウンターに陣取って、鮭のクリームソースがよく絡んだペンネをつまみに、白のハウスワインを飲み、軽快なピアノと重厚なベース、高揚感を煽ってくるドラムが織りなす小宇宙に、身を委ねていました。音たちは明らかに質量を持っていて、店内にくまなく充満すると、元々そこにあった“日常”という退屈な気体を外に追い出していくのです。

 ジャズとワインにすっかり酔っ払った頃、シェフのところの小学生の娘さんが、「うるさーい」と耳をふさぎながら帰ってきました。小学生にはまだ、この自由な音楽の魅力がわからないと見えて、不機嫌そうにお父さんをにらみつけていました。

 娘さんがドアを開けたせいで、ほんの少し外気が戻ってきて、やるべき事、やらなきゃいけない事を思い出しかけましたが、冷えた秋の夜の空気は、それはそれで清々しく、音楽に熱された頭を冷ましてくれました。

 娘さんは、常連の私を見つけると、不機嫌を隠しもせずに近づいてきて、「これ」と、小さな紙飛行機を渡してくれました。美しく折られた、今にも飛びそうな紙飛行機。「“ダイモクさん”から」、ぶっきらぼうに言うと、また耳をふさいで、カウンターの奥の、生ハムの塊の隣にある、彼女のいつものスペースに収まり、静かに読書を始めました。

 赤い紙飛行機はかりんちゃんからの“緊急集合”の合図でした。急いで彼女の待つ“天上界”に行かなくてはなりません。酔いを覚ます、という大義を全うすべく、残りのペンネをフォークに刺し、皿のクリームソースを残らず拭き取ってから、口に運び、今始まったばかりの一曲だけは聴いてから向かうことにしました。


 アーケードの屋根の上の世界、“天上界”へ、いつもどおり、ビリヤード場のあるビルから上がっていくと、かりんちゃんはもう、扉を開けてすぐのところで待ち構えていました。自分のアトリエから滅多に出てこないかりんちゃんなので、これは本当に緊急事態なのだと察しました。

 「マズいことになったよ」と、

あんまりマズくなさそうなテンションで、かりんちゃんは言い出しました。

 いつものカラフルな出で立ちではなく、今日のかりんちゃんは、迷彩のパンツに黒のTシャツ、その上からカーキのコートを羽織っていて、見るからに“闘い”にいくかっこうをしていました。しかし、全体に暗い色の服を着ていることで、彼女の肌の白さと体の細さがいつも以上に強調されて、腕力による“闘い”には向いていないことを改めて感じさせるのでした。


 かりんちゃんによる、緊急招集の内容は、我々の計画に“待った”がかかったことでした。

「誰から?」

という、私の率直な質問に、かりんちゃんは苦々しい表情で、

「大宮の殿様・・・」

と言うのでした。


 阿佐ヶ谷から見ると善福寺川のさらに奥、小高い丘の上にあるのが、大宮八幡宮です。

 かの源氏の大将、八幡太郎義家公も参拝に来たという由緒ある神社で、地元民のみならず、多くの信徒を持つ大きな神社です。今でも初詣や七五三には大変な賑わいになり、私自身、何度も訪れたことのある場所でした。

「殿様?」

続く私の当然の質問に、今度はかりんちゃんはため息まじりに、

「ま、知らないか・・・」

と、うなだれてしまいました。


 かりんちゃんの説明に依れば、大宮八幡はその昔、「成宗城」というお城のあった場所で、そのお城には当然お殿様がいたそうな。神社になってからも、その殿様の一族は脈々と現代まで世襲を続けていて、八幡宮の本殿に住まい、そこから、この地に起る全てのことを監視し、掌握し、命令しているのだそうです。善福寺川のタヌキ連も、殿様には逆らえず、計画はいったんストップせざるを得ないという話でした。

「何で?」

既に3度目の面白くない質問に、かりんちゃんはうなだれたまま顔も上げずに教えてくれました。

 そのストップの理由は「かぶり」だと言うのです。

 つまり、私の考えていた動画配信システムと、ほとんど同じアイディアが別のところでも動いていた、ということで、それがどうやら殿様によるものらしいのです。


 せっかく「阿佐ヶ谷演出家会議」が軌道に乗り、新しい仲間を得て、いよいよ明るい未来が見えてきたところです。彼らのためにも、私は、どうしてもこの計画を諦められませんでした。アイディアがかぶっているならば、互いに協力し合える方法は探れないものか?私はその可能性に賭けてみることにしました。

 早速、その翌日、まだジャズの調べが耳に残る阿佐ヶ谷を後にして、大宮八幡へ出かけることにしました。

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