3、オレの妹には様をつけて呼ぶがいい 前編
住宅街から車で二十分ほど北に向かうと、この街の都心に出る。ビルは背を比べ合うようにそびえ、ビルの一角や立ち並ぶ店の中には、飲み屋からファミリーレストラン、さらに書店や古着屋、歯医者などが混在していた。学校へ行く道とは正反対だから通学路でこの道を使うことはないものの、休みには遊びに出ることも多い場所だ。
「お兄ちゃん、あの赤い看板のお店って行ったことある?」
「先月オープンした店な。和希と行ったぜ、焼き鳥が上手かった」
窓から指さす琴美に、先週食べた絶品のもも肉の炭火焼きを思い出して、翔矢は空腹を覚えた。そんな翔矢に、運転席でハンドルを握る父が怪訝そうにミラー越しに視線をよこす。
「あれって飲み屋だろ!? まさか翔矢、飲んだりしてないよな?」
「そりゃあ、飲むだろ」
「嘘だろ、翔矢!?」
「ふははっ、バカめ! お冷を飲んだだけに決まっているだろう!」
本気で焦りを顔に滲ませた父に、翔矢は高笑いした。酒は二十歳になった時のお楽しみにとっておくのだ。それに身長がまだ欲しい。現在百七十三センチの翔矢はまだ十六歳の成長期。ふんっ、可能性しかないぜ。2メートル級に成長した自分に夢を馳せていると、隣に座る美琴が楽しそうに首を傾げる。
「お兄ちゃんって、底抜けにおバカだけどそういうことはしないよね」
「おバカってのも聞き捨てならんが、そういうことってなんだよ」
「お酒とかタバコのこと」
「そんなもんより、チョコの方がいいだろ」
「あははっ、お兄ちゃんらしい!」
チョコレート好きとして、ここは譲れない主張である。板チョコもいいが、アーモンドやナッツが入ったチョコも捨てがたい。高級チョコも好きだし、逆に小腹が空いたら安く買える駄菓子チョコもオレはウェカムだ!(*彼はウェルカムと言いたいようです)
「子供達が仲良しでママは嬉しいわぁ」
「翔矢、美琴、見てみな。あれがパパとママの働き先だ」
父が指さしたのは黒いビルだった。スタイリッシュな装いと言えば聞こえはいいが、何処となく怪しい。出入り口は厳重に管理をされているようだ。鉄の扉の前に設置された機械に番号を入力して、監視カメラらしきものにIDカードを表紙している。自動認識されるのか、電子音が鳴ると鉄の扉の封鎖が解かれて、横にスライドしていく。
車がゆっくりと動き出す。広い駐車場にはいろいろな車種がある。休日なのに、仕事をしている人がそれだけ多いのだろうか。
父はコンクリートの壁にBと書かれた場所に駐車する。その近くには大型の黒いバイクも置かれていた。
「おっ、キラZS350じゃねぇか。恰好いいな」
「知ってるの?」
「有名な車種だぜ。マフラーとハンドルが太くて最高にクールなバイクだが、クソがつくほど高い。300万は下らないんじゃねぇの」
「うわぁ。絶対に近づかない」
「そうしとけ。ピッカピカだしよ、持ち主がよっぽど大事にしてんだろ。オレが持ち主なら手垢をつけられただけでもアウトだな。ぶっ飛ばすわ」
「二人とも早くこっちに来ーい」
車から下されて父の先導に従って付いて行くと、ガラスのドアを手で押して中に入って行く。すぐ先が受け付けになっているようだ。受付嬢が父の姿を見てにっこり笑顔を見せる。
「おはようございます、鉄次さん、沙織さん。今日は休日出勤ですか?」
「いや、ちょっとな。ボスは部屋にいるよな?」
「えぇ、いらっしゃいますよ。お呼び出ししますか?」
「直接向かうから大丈夫だ。それと、こっちはオレ達の息子と娘なんだが、もしかしたら世話になるかもしれないから、その時はよろしく頼むよ」
「私からもお願いね? この子とってもいい子だから」
「こ、こんにちは……」
「ちわっス。いい子な翔矢デス。オレの後ろに隠れてるのが妹の美琴。こいつ、人見知りなんだ。まっ、よろしく」
「ふふっ、私、受付嬢の塔野と申します。何かお困りのことがございましたら、遠慮なくお声を掛けてくださいね」
「どーも。こら美琴、いつまで隠れてんだ? オレの服が伸びちまうだろうが」
「……お兄ちゃん」
弱弱しい声でポソリと呼ばれた翔矢はせっかくワックスでキメた髪を自分の手でかき乱す。そして、ため息を吐いて許してやる。
「仕方ねぇヤツだなぁ。その人見知りどうにかしろよ」
美しい笑顔を見せる塔野に、翔矢は軽く頭を下げて、いつまでも自分の後ろに隠れている妹を小突く。お世話になるほど通うつもりはないが、挨拶するくらいはいいだろう。これがあれだろ? シャコウジレイってやつだな!