27、どんなことだろうと起こった現実から目はそらすな
ボイスが戻らないまま三限目の授業が始まった。翔矢は時計を気にしながら、教科書を開く。しかし、人外のことが気になって、ただでさえ苦手な授業はまったく耳に入らない。
いくら心配したところで連絡が早々にあるはずもないのはわかっている。なのに、胸騒ぎが止まらない。心配症の気でもあったのか? 自分を茶化しても、胸の内に生まれた騒音は時間と共に大きくなっていた。
「くっそ、落ち着かねぇな……」
小さな声で悪態をつく。教科書を見ている振りをしながら、ちらちらと腕時計に目を落とす。その時、画面に波紋が広がり電子音が鳴り響いた。
「まったく誰だ? 授業中は携帯を切っとけ」
「すんません、緊急かもしれないんで出ます」
すぐに立ち上がって、実はこっそり出していたスマホを手にする。本当は必要ないが、腕時計と話す姿を見られないように隠すためだ。
「本当に緊急か~? まぁ、それなら廊下で話して来い」
「どもっす」
教師は疑わしそうな顔をしたももの、翔矢を本気では止めなかった。翔矢は軽く頭を下げて後ろドアから教室を出ると、戻ってきたボイスに声をかける。
「ボイス、どうなった?」
『緊急事態だ。沙織と鉄次に指令が下されて、ネット内で戦闘になったが途中で回線が途絶えてたんだ。その後、すぐに応援が向かったももの二人は消息不明。肉体は無事だが、意識が戻らない』
「……嫌な予感が的中しやがったぜ」
『大きな外傷はなし。現在不自然な昏睡状態が続いている。組織の医師が現在原因を調査中。後、五分二十八秒で迎えの者が校門前に辿り着く。翔矢はそれに乗って会社まで行くよう指示が出ている。秋成がお前と話をしたいようだ』
「わかった。校門前で待ってりゃいいんだな? 美琴への連絡はどうなってる?」
『アイズが知らせている。翔矢、落ち着いてくれ。脈拍がいつもより早い。二人は命に別条はないと医師が診断を下している』
「意識がないだけだって言いたいんだろ? けど、オレの両親だぜ? 心配するなって方が無理がある。先生に話してくる。先のことは美琴と合流してから考えるわ」
ノイズに宥められても、翔矢の胸のざわつきは消えない。焦りを抑えて動き出す。今は言い合いをしている場合じゃない。
音を立ててドアを開くと、全員の視線が翔矢に向けられる。黒板にチョークで公式を掻いていた教師が振り返る。
「大丈夫だったのか?」
「先生、ちょっといいっすか?」
教室の外に教師を呼び出すと、翔矢は端的に伝えた。
「母が倒れたらしいっす。命に別条はないらしいけど、心配なんで早退します」
「大ごとじゃないか! 誰か空いてる先生に頼んで車で送ってもらうか?」
「いや、迎えの車がもう向かっているそうなんで。早退届は後日書く形でもOKっすか?」
「あぁ、それでいい。もしなにか困ったことがあったら学校に連絡して来い。担任にも伝えておいてやるから、気をしっかりな」
「……うっす」
教師に続いて翔矢は教室に入ると、クラスメイト達がざわめき立つ。非日常的な出来事を間接的に感じ取っているのだろう。
翔矢は好奇と心配の視線を振り切るように机に戻ると、荷物を雑な仕草でリュックに突っ込む。
「……大丈夫?」
「用事が出来たから帰るだけだ。大したことじゃないから気にすんな」
隣の席から身を乗り出して、広香が小さな声で呼ぶ。彼女の顔には心配が浮かんでいた。翔矢は首を振って、後ろのドアから教室を出た。そして駆け出す。
階段を駆け下りて一階の靴箱に飛び込む。靴を履き替えると、昇降口に走る。校門の前では黒塗りの車が既に到着していた。
助手席のウィンドーが落ちて、運転席に大柄な男の姿が見えた。五分刈りの頭に、高い鼻の上に乗っかった薄い黒のサングラス。派手な柄物のシャツとチノパンを身に着けている。
後部座席には美琴の姿もあり、泣いたのか真っ赤な目が縋るように翔矢へと向けられていた。
「翔矢クン、だよな? 妹さんはもういるから、安心して乗ってくれ。オレが社長に向かえを頼まれたんだ。会社まで送ってくから」
「すんません。頼みます!」
翔矢は聞きたいことは全て後回しにして、車に乗り込んだ。
「お兄ちゃん! お母さんとお父さんが……っ」
「泣くなよ。大丈夫だ、オレ達の親だぜ? 簡単にいなくなるほど弱かねぇよ」
美琴が涙をボロボロこぼしながらしがみついてくる。小さく震える妹の頭を撫でてやりながら、翔矢もシートベルトをつけた。
車は滑らかに動き出す・狭い道を抜けて大通りに進む。室内には美琴が小さく嗚咽する音だけが重く響いていた。
翔矢達の沈黙を重く受け取ったのか、男が車と同じように滑らかに話し出す。
「そんな暗い顔してっと、福が逃げちまうぜ。うちの医療施設は最先端中の最先端だしよ、頭がよろしいお医者さんが万全の体制で二人を見てるんだ。滅多なことにはならねぇ。このオレが身をもって保証してっから。ちょっと前に全身バッキボキに骨折したけどよ、二週間で完治したぞ」
なんで全身バッキボキにしたのかが気になる。もの凄く気になるが、翔矢は疑問を飲み込んだ。男の親しげな言葉は、この人も両親の知り合いなのだと悟るには十分なものだった。
「オレ達はつい最近まで両親の本当の職業を知らなかったんだ。最初はコスプレ趣味に目覚めたんだと思っていたし、ヒーローなんてふざけてるのかと思ったくらいだぜ。だから、人外と呼ばれるものが存在するって言われてもピンと来なかった。今日まではな」
「お兄ちゃん……私も疑ってたの。二人が意識不明だって言われて、今は余計に信じたくないよ……もしかしたらを考えちゃうから……」
「まだ顔も見てないだろ? お前は悲観的に考え過ぎだぜ」
「そうだぞ。オレは二人の父ちゃんと母ちゃんの仕事上の姿を見てっから信じられるぞ。あの人達は可愛い娘と息子を残してくたばるような人達じゃねぇよ」
不器用な慰めに、美琴が目に滲んだ涙を袖で拭う。翔矢はその頭をぽんっと叩いてフロントガラス越しに近づく会社にきつく目を絞った。




