束の間の平穏
どうにかしてほしい。どうしてこんな目にあわなくっちゃぁならないんだ。
一人用ベッド、既に寝入ったお姫様。せめて掛布団。否、襤褸でも構わない。構わないから寄越してくれよ、そしたら床で寝るから!
余程疲労が蓄積していたのか、ぐっすりだ。食欲の次は睡眠欲か。とりあえず俺はこんな固い床で寝る気は毛頭ない。
俺は不幸だ。もしやさっき感じた悪寒ってのはこの事だったのか…
大の字に寝転んだユリアーナの傍に腰掛ける。それにしても―――
よく見ると、というか、よく見ずとも、というか。
美少女である。とても可愛い。深い黒色の髪も、同色の長い睫毛も。黒いワンピースから覗く枝のように細い四肢、未だ熟れぬ躰。月光に照らされた肌は白磁のよう。作り物かと見紛うほどに端正な顔つきと、極めつけの紅い瞳―――
ぱっちりおめめ。どこか不機嫌そうにも見える。
ばっちり目があった。半分軽蔑、もう半分に殺意を感じる。
「…おはようお姫さん、気分はどうだい」
「…最悪です」
おいおい、寝床を占領してそれは無いだろう。
「えっちな目で見ないでください」
「そんなことは…」
無いとは言い切れない。寝顔は確かに可愛らしいものだった。
躱せぬ湿気た視線が刺さる。交わせぬ気まずい視線。初日からこの雰囲気では明日の旅路が思いやられる。
「…ごめんて」
「反省したのならいいです」
シーツを抱えるようにしてそっぽを向いていた。ほんとに赦してくれているのか怪しいところである。
明日の出も早い、もう寝ようか。だから
「ベッドを半ぶ」
「嫌でーす」
全身くまなくシーツを包ませ、そこからの声には未だ少々棘があった。
「…四分の一ならいいです、許しましょう」
それだけでも有難い。ユリアーナの顔を見ないようにして横になる。
「おやすみなさい」
淡く透き通る鈴の音のように、夜へ吐ける声。
「…おやすみ」
寝息の主は夢の中、俺の声は届いたろうか。
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嗚呼、朝が来た。そう歌う小鳥の声も、香ばしい小麦の香りも、朝市に賑わう通りの喧騒でさえ、僅かに残る気怠さを吹き飛ばす。
伸びをして一杯に吸い込んだ空気が、体を洗い流すようで心地いい。
そういえば、ベッドの四分の一を与えた彼は何処に行ったのだろう。起きた時、私の体は大の字になっていたけれど。
入るぞと、扉の外で声がして開いた先に立つ青年。
「いい夢見たかいお姫さん?」
…分かる、何となく。ちょっと怒ってる。
「どうだったかしら、はっきり覚えてないの」
「言い当ててやんよ、崖から巨石を蹴り落とす夢だろ」
相手の口元に広がる笑み。明らかに目が笑っていない。
こちらも微笑みで返す。
「…誤魔化されんぞ」
ちょっと照れているヴィリィの傍を抜け、扉を押す。
「お腹が空いたわ」
やれやれと言わんばかりに彼は着いてきた。
「仰せのままに、お嬢様」
よくできた従者である。
昨日の夜は酒場だった階下は、落ち着いた雰囲気の喫茶となり宿泊客を出迎えた。おいしそうな香りに溢れ、絶え間なく鼻孔をくすぐる。
もう我慢ならない!
席に着くや否や
「骨付き猪の肉、一つで」
「朝から肉食うやつがあるかよ」
目の前の呆れ顔は無視した。一番安くて量があるのだもの、一石二鳥って奴よね。
肉塊に目の前を阻まれた瞬間、かぶりつく。口の中に広がる野性味、血の香り、濃密な魔力と溢れる肉汁。噛み切れず、何度も何度も咀嚼を繰り返し、その肉を一心に食らう。
いつの間にか肉は消え、残った骨をちろちろ舐める。数切れのサンドウィッチをコーヒーで押し流すようにして食べていたヴィリィは既に、チェックアウトを終えていた。
「それじゃあ、行くか!」
のんびりした日差しの中を歩く。町の外れ、馬車が通る街道まで。
既に馬車の列は停まっており、降りた人とこれから乗る人でごった返していた。
大荷物の商人たちの列に並ぶ。
降りる人たちの中にも商人はいた。しかしそれ以上に
ガシャリガシャと、金属が重なり、合わさる。それと重い足音。
腰に大きな剣を携え、重厚な鎧に包まれた騎士の群れ。
『お山に何か居座ってるのかねぇ』
酒場の店員は確かにそういっていた。しかし―――
騎士たちの話に耳を欹てる。
「アレをたおせりゃ報酬金たんまりだとよォ」「楽しみで夜しか眠れねぇ!」「でもなぁ、ほんとにいるのか分かんねぇんだぞ?」
「それでも行くのが俺ら騎士の役目だろォ!」「そうだ、民草のために!ってな」「おめぇら金の事しか考えてないだろうがよ」
「いいか、ぜってぇ山分けだかんな!」
下品な笑い声に辟易する。それにしてもアレ、とは何をさすのだろう。そんなことを考えつつ、ヴィリィにエスコートをされ車に乗った。