その瞳は木漏れ日の中で何を見る
「っかしいなぁ…ここいらの筈なんだけどなぁ」
獣道で一人、古い紙切れと鎧背負って立ち尽くす。周りは何処も彼処も森草森。一体如何してこうなった。
思い返してみると―――
滅多に連絡の無い兄貴から
『騎士団長になった。領地変わるから悪いが急いで荷物まとめて都まで来い』
などと手紙で来たのが一週間前。急すぎる報せに喜んでいいのやら。兎に角、家中から荷を搔き集め、馬車に放り込んだ。
数日で事を成し遂げた俺を誰かほめてもいいと思う。
そんな事はどうでもいい。偶然にも見つけてしまったのだ。
古びた絨毯の下に、錆びついた蝶番。
まさか、自分の家に隠し部屋があるなんて。想像だにしなかった!
軋む床板をそっと、引き揚げる。ぽっかり待ち受ける暗がりに呑み込まれ、降りた。埃舞い散る床下には明り一つなく―――
いや、何もない。
段々と目が慣れるに従って、視える範囲が広がっていく。
「うっそやろ…」
ただ、部屋一つ分の暗闇がそこにあるだけ。人生一、極限まで高まっていたテンションは、事実を前に撃沈した。
少しぐらい期待したっていいだろう。もしかしたら眩いばかりの金銀財宝、国一個くらい余裕で買える金貨の山があるんじゃないかって…
胸中に吹く、もの悲しい風に肩を落とす。いや確かに国取れるくらいっていうのは言い過ぎた。それでも兄貴の昇格祝い分ぐらいはあってほしかった。
「…ん?」
項垂れた視線の先、積りに積もった埃の層、その下に。
「んんん?」
サルベージされたのは丁寧に折りたたまれた一枚の紙だった。指で弾いて埃を落とす。
「もしかして?」
もしかすると!
開くとすぐに分かった。願ったり叶ったりだ。
茶色に褪せた紙に記されたのは地図。傍らの染みはおそらく文字だろうが、潰れて読めない。
胸が熱くなる。最早行くしかないだろう、男のロマンを求めて。
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手探りは意味を成さない。森は濃くなり、芽生えた一抹の不安に情熱の炎が陰る。何かおかしい。
握りしめた地図は今にも手汗で崩れそうだ。
…やっぱりだ、何かがおかしい。
―――音が、無い?
風の騒めきも、動物の喧騒もない。静寂が場を支配する。
不意に風が吹いた。それが運ぶのは青臭さのみではない。何か得体の知れないものが―――
「―――来るッ!」
抜刀、降り向きざまに叩きつける。間合いには何もいない。けれど、その向こう
「せぇっ!」
踏み込み、横に薙ぐ。背の高い草が一掃され、視界を舞った。手ごたえは感じられた、しかしその感触は肉でも鎧でもない。
まるで水を断ったような違和感であった。
背中に視線を感じる。相手方の動き出す気配はなく
「誰だ」
誰何に応える声も無し。そして遠ざかり始める気配を
「待てッ!」
追わない理由は無かった。
草を掻き分け、顔に掛かる蜘蛛の巣を払い駆ける。
まだ相手の正体も分からない。深追いは危険だと理解はしている。それでも地図に書かれた印に事実、何かがあるというのならば。
つま先に違和感、気付いた時には遅かった。先程まで目の前に茂っていた森は唐突に途切れる。何かを突き破ったようだった。振り向いた先にあるはずの森は忽然と消え、草原が広がっている。
結界だろうか。それにしてはおかしい。結界であるなら、術者の思惑、即ち拒絶や妨害を少なからず覚えるだろう。
それら悪意が全くもってない。それどころか懐かしい、歓迎されているような温かさを感じていた。
切先を掲げて意識を研ぎ澄ます。気配も敵意も見当たらない。
しかし正面、そこには威容の豪邸があった。窓にも壁にも亀裂は無く、綺麗なものである。
十中八九罠だ、分かってる。
その理解に如何して体は反するのか。
行かなきゃならない、守らなきゃいけない。誰かの背中を前方に見た。振り向く顔は逆光で見えない。
「俺の代わりに」
広い背中は語る。
「彼女を、どうか頼んだ」
懐かしい声、光の中に遠くなる知らない後ろ姿。伸ばした指先が届く―――
触れたのは木造りの扉だった。先程の彼はもう見えない。迷いがないと言えばそれは嘘になる。俺は何も知らない、だからと言って逃げ出す気もない。
燻っていた情熱に、小さく炎が宿る。
ギシリ、鳴った扉を開いた。
開いた隙間から暗闇を照らす。やはり人の気配はない。室内の調度品は人が住んでいるかのように整い、積年の埃も全くと言っていいほどに無い。
まるで、時が止まっているようだ。
「いや、もしかして…」
実際止まっている?
この結界内では時が流れていないのか。それなら確かに汚れないのも納得がいく。
色褪せぬ絨毯は毛が立っていて新品同様。蝋燭立ても全く使われていない。
ふと、気配を覚えた。刹那に抜刀、迎撃。
森で出会ったアレが、そこにいた。打ち合いの末、間合いを取る。影のように朧な体、しかしその手には、立派な剣が握られていた。
「お前…」
ここで、守り続けてたのか。時の流れないこの屋敷でずっと。刃を交えるだけで分かる。彼の執念が未だに体を動かしている。
「請け負った、どうか楽になってくれ」
彼の体は嘘のように軽い。突き崩して切りかかる。心臓の直上を切り裂いた。
砂のように崩れ、魔力の残滓すら残らなかった。
鞘に納めてふと、傍を見る。そこには先程までなかった長剣。鍔に填められた宝石が魔力と輝く。彼が持っていたものだと一目でわかる。
剣に近寄る。宝石には何か彫られていた。
「これ…うちの紋じゃねぇか」
三本薔薇に棘の茎。見慣れた紋章に思わず手を伸ばす。間違えは無い、これは―――
触れた途端、光が溢れた。
名も知らぬ彼に託された、名も知らぬ彼女。そして一振りの長剣。一体何を成せばいいか、正直分からない。その状況下でも一つ、分かることがある。
それは、この剣を力いっぱい引き抜くことだ!
剣は案外簡単に抜けた。しかし
ガラリ、ゴロリと音がする。見上げれば、光の当たらぬ天井から何か降りてくる。
「なんだ…あれ」
大きい鳥籠だと思った。対魔道仕様の黒い檻に一人、誰かいる。ステンドグラスから零れた光が中を照らし出す。
鎖に繋がれた女が一人、横たわっている。
「君は…」
呼びかけに応える様に起き上がる。開いた瞳は赤く、深くに吸い込まれるようだ。
「―――?」
彼女の唇が動き、また倒れ伏した。何を言っているのか聞こえなかったが、誰かを呼んでいる。そんな気がした。