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荊の姫  作者: ごはんごパン
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私は未だ底に居る

 見上げても先が見えない白亜の城壁。門番は首を垂れ、跳ね橋は下がり轟音と共に鉄扉は開かれた。


 樋爪が穏やかなテンポで地面を叩き、人混み掻き分けて城へ赴く。


 竜は倒れ、民草の尊き営みは守られた。もちろんこの子の命も。抱きしめるようにその温もりを確かめる。ああ癒し、帰ったら抱き枕にして寝よう。あとほっぺたフニフニしたい。


 自分でも分かるほど頬が緩んでいる。今夜のお楽しみに鼻の下を伸ばして、ゆらり馬上で揺れていた。


「おいエレン」


 唐突に、聞きなれた声で呼ばれた。一気に表情が引き締まる。声の方向、私の後ろ。この顔は見られてない、よかった。


「お前、帰ってこれたのか」


「兄さん……」

 私と兄は決して良好な仲ではない。間に弟がいたから、彼がクッションになってくれたから。


「意外だ。まさか剣も振れない恥晒しが」


 嗚呼、私の、私たちの大切なヴィリィ。居なくなって初めて気づく、遠く離れていても優しい弟は私たちを繋ぎとめてくれていた。


「それで、竜殺しの剣客は何処に御座す?」


 途端、背筋を昇る殺気。此奴、ユリアーナの命を掻き消す算段か。

兄の剣は国随一、魔術に関しても相当の実力を持つ。それでもユリアーナであれば問題なく対処できるだろう。しかし今の状態で万全とは言い難い。


「『竜殺し』というのは私です」


 私の腕をスルリ潜り抜け、飛び降りた。

「ちょ…ユリアーナ!」


「へぇ、幼子だとは聞いていたがまさか」


 吊り上げられた口角が歪ませる、不快な笑み。


「面白いじゃあないか。剣を交わせる日も、きっとすぐに来る」


 踵を返す背中からは何も読めない。

新たな脅威は芽生え、私たちの直ぐ傍にある。襟を正す私の隣で、ユリアーナは沈黙のまま、遠くなる後ろ姿を見送っていた。


*****************************


薄布越しの夕日が告げる、夜の始まり。


『フフ……ウフフフ』


黒い天蓋の奥からは始終、堪え切れない含み笑いが漏れる。


「姫…御耳に入れたいことが」

『何かしらん?』


 フフフと笑う声の途中、艶やかに放たれる言葉は妖しく反響した。


「奴の事なのですが――」


 奴が、殺される。私の腕を、妹を、何より私の心を壊した張本人が。


『知ってるわ。暗殺されるのでしょう?』


そうだ、それでは困る。奴が現れるこの時まで、一体いくつの季節を見送ったろう。過ぎていく日々をただ一心に、復讐で満たして生きてきたのだ。


『そうね、もう頃合いよね。なにより――』

『貴方もう、堪え切れないのでしょう?』


 殺す、必ず殺す。毎夜夢に見るのだ、あいつの命を奪うその瞬間を。いつも奴の事切れる寸前で起きてしまう。だから、今度こそ。


 妹の小さな体を貫いた、あの茨が今でも忘れられない。同じ思いをきっと味わわせてやる。


『おーい復讐鬼ちゃん、聞いてるかしらーん?』

「すみません、聞いてないです」


 呆れたような気配と溜息が布の間から漂ってきた。


『復讐鬼ちゃん、いいえ、ユリアーネ・アイゲンに命じるわ』

『暗殺なさい、邪魔するものを含め全てを。その力で切り刻みなさい、必ず貴方が仕留めるの』


 内に燃ゆる炎に誓う。奴の最後を潰すのは、私だ。

 踵を返して部屋を後にする。


『荊の王は人の敵、原初の罪を糾弾せんとする神の遣い。その強さは』


 別格なのは百も承知。だからと諦めるつもりなど毛頭ない。執念で研ぎ澄ましてきた憎悪の刃は冷たい炎を纏う。


 灯の炎が揺らめき並ぶ、長い廊下。紅い絨毯の向こうに見える二つの人影。

記憶の中、ただ一度たりとも霞むことの無かったその顔面。許しは得た、あとはいつでも殺ればいい。

 

 忍び、気付かれぬよう距離を詰めていく。その首刎ねるまで残り半歩の所であった。


「私…近いうちに居なくなるかもです」


 奴は歩みを止め、口を開いた。咄嗟に柱の陰へ身を潜める。


「これ以上、お世話になるのもどうかと思って」


 …なぜそんなことを、此処はお前の城だ。お前が奪った命が眠り、お前がその骸を埋める場所だ。


 なぜ、どうしてそんなことをいうのだ。お前は帰って来たのだ、長い永い眠りを終えて戻ってきた、違うか?


 横顔は余りにも切なく、あの日見た魔王の面影は見当たらなかった。


 分かっていた、知っていた。覚えている筈無かった。幾百の時をただ怒りのみで生きている愚か者なんて、私だけだ。主が私をただの駒であるとしか思っていないことも。


 ふらり来た廊下を行く。忘れられてしまった、もう誰にも覚えられていない私は何処を如何戻ったのか、暗い自室の枕に涙していた。

 

 私を覚えていない、それは分かる。奴が奪った命なんて数えきれないのだから。

 しかし、奪ったことすら忘れたとはどういうことだ!

 

 恨みを消してはならない、もうすぐで為される復讐の邪魔はさせない。

 煤で分厚く覆われた真黒な心が少し洗われたような、そんな気がする。うず高く積み上げられた想いを崩されるようで堪え切れずに嘔吐した。


 朦朧とした目が捉えていたのは、赤黒い水たまりの中、ビチビチ跳ねる茨であった。


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